うまい話にはなんとやら
この世界にもクルマといものが存在する。
動力は生前のガソリンとかとは違い、運転者の魔力である。
この世界に生れ落ちる人々が初めから身体の中に宿っている原初的エネルギー。それが魔力らしい。魔導兵器も、その魔力を利用して駆動させる兵器のことをいう。
「どうして私だけこちらのクルマなんでしょうか……?」
俺はリムジンのような高級車に乗せられ、エルドラ領内を移動していた。
車内に備え付けられたテーブルを挟んで運転席側にはモーリア大臣が座っている。
ゼスさんとレベッカさんは、後ろのクルマに乗せられ、グエンさんの遺体も同じクルマに収容されている。
「なに、少しキミと話をしたくてね」
なんだか高そうなグラスに高そうな飲み物を注ぎ、それを優雅に口にするモーリア大臣。これが貴族主義社会か。俺には縁遠い話だな。
「クロエくん。キミは禁断魔術によって生み出された存在だ。その身体はとある人物から託されてね。私の一存で儀式まで漕ぎづけたのだ」
「モーリア大臣が、ですか……?」
「うむ。しかし、そこまでには大変な苦労があった。ガエル様はあの通り魔族がお嫌いなのだ。だから、口実を作った。この器は魔神と呼ばれる魔族の中でも最強の種族であり、魔界にて軍勢を率い支配していた伝説の存在だ、とね。しばらく迷われていたが、偶然にも邪竜がエルドラを襲った。そのおかげでガエル様は禁断魔術の実行を許されたのだ。まあ、期待はされていなかったようだがね」
「ちょっと待ってください。口実、ということは、もしかして私は……」
「その通り。クロエくんはただの魔族の身体に魂を移されただけに過ぎない。偽りの器なのだから当然、キミが魔神としての力を覚醒するなんてことはなかったのだよ」
「そ、そうだったんですか……」
ここにきて意外な事実が発覚した。
といっても、俺も自分にそんな力があるとは思えないので、すんなりとモーリア大臣の話を受け入れられた。
俺はただの魔族の少女の身体に魂を移されただけ。
そう、ただそれだけの存在なのだ。
何も特別じゃなかった。むしろこの世界だと魔族は搾取される側。
なんだか、俺にお似合いの存在にも思えてきた。
「あ、でもベレニスさんは私のことを魔神だと言っていましたがもしかして彼女には嘘を……?」
「ああ。その通りだ。ベレニスは魔族で唯一ガエル様から気に入られておる。故に魔神と称して禁断魔術による儀式を後押ししてもらう役を担ってもらった。簡単には申し出を受け入れてもらえるとは思っていなかったのだが、存外あっさりと承諾してくれてな。彼女自身魔族の身であるから、魔神に興味があったのかもしれんな」
「そういえば、ベレニスさんの眼も赤かった……」
魔族の特徴だ。
眼が赤い。ベレニスさんも魔族だったのか。
しかし、あのガエル・ワイズマンが魔族であるベレニスさんのことは気に入っているのか。すっごく嫌ってそうだったのに意外だな。
「ベレニスはガエル様がまだお若い頃から屋敷で働いていてな。小さい頃からの付き合い故に気を許しているのだよ。ある意味特別な存在とでもいおうか。まだ先代がいた頃は姉のように慕っていた。それも当主になられてからは変わられたが……」
「ベレニスさん、まだお若いように見えましたけど結構な歳だったんですね……。驚きです」
「あの美貌は素晴らしいと私も思う。確かに、思えば屋敷に来てから外見は大きく変わっていないように見えるな。魔族にも色々とあるのかもしれん」
「えっと、魔族ってあまりよく知られていないんですか?」
モーリア大臣、なんだか魔族のことを詳しく知らないように聞こえるのだが。大臣も見たところ40半ばくらいのようだが、それでも魔族のことはよく知らないのだろうか。
「魔族とは、100年ほど前にこの大陸に急に現れた種族らしい。だから古い文献に情報も載っておらず、出生なども不明だ」
「でも、魔族の人は自分のことを知っているんじゃ……」
「それが不思議なことに皆覚えておらんかったようだ。考えられるのは、別の世界から転移してきた者達なのではないか、ということだ。そして、何らかの影響で記憶を失った。仮説だが、私もそうではないかと睨んでいる」
「異世界転移……。なら、魔族の歴史ってこの世界では浅いんですね」
「そうなるな。故に、未知の部分が多くあるのだ。残念ながらこの世界では弱小種族として認知されてしまっているがね」
弱小種族か。俺も魔族だからわかるが、今の身体は生前の人間となんら変わらない。魔術も使えなければ力もない。曰く、知能でも劣っているらしい。故に弱小。搾取される立場だ。
「人間は魔力が多く、知能に溢れ、道具も生み出す。さらに数も最も多い。数多の亜人種もいるにはいるが、この大地は人間が支配しているといってもいい。数多の種の中で、我ら人間種が頂点なのだよ」
「…………」
人間が種の頂点、か。
変わらないな。魔力があるってこと以外は大体前の世界と同じだ。
他の生き物を食い物にし、食物連鎖の頂点に君臨する。
この世界でも、形は違えど似たようなものなんだろう。
「不満かね?」
「い、いえ……。不満というか……」
俺が言いよどむと、モーリア大臣は首を傾げた。
モーリア大臣はグラスに口をつけ、窓の外を見る。
「見てみるといい。ここらは上級領民の住宅街だ。中には貴族の屋敷もある。キミ達が暮らしていたあの工場地帯の薄汚い寮とは大違いだろう」
「……はい」
「我らの寵愛を受けることが出来れば魔族と言えど、他の物から手出だしはさせぬ。裕福な暮らし、無理のない労働……。クロエくん、キミにはそれらを約束しよう。――クロヴィス」
「――かしこまりました」
モーリア大臣は運転手の名を呼び、彼からボトルを受け取った。
そして、モーリア大臣はもう一つのグラスにクロヴィスと呼ばれた運転手から受け取った高そうな飲み物を注ぎ始めた。
「さて――」
そして、そのグラスを俺の方へ滑らせてきた。
「飲むといい。なに、ただのジュースだ。子供のキミでもすんなり飲める」
俺は渡されたグラスを手に取り、見つめる。
液体の色は緑。メロンジュースか何かだろうか。
この世界の果物なんて知らないから、どんな味がするのやら。
「あの――。どうして、私だったんですか……?」
「どういうことだね?」
「魔族は他にもたくさんいるはずです。その中でどうしてモーリア大臣は私を選んだのかと思って」
「簡単な事だ。単にキミを気に入ったからだよ。人間が魔族へ寵愛を施す理由など、その程度のものさ。私くらいの地位になると、その線引きも緩くなるだろうがね」
「…………」
なんて傲慢な考えなのだろうか。
これが人間と魔族の差。同じ立場にあるとは思えない。
まるで奴隷だ。魔族は人間の奴隷。
本当にいいのだろうか。俺はこのままこの人について行っても。
いや、このクルマに乗った時点でもう決まっている。
ここでもまた、俺は他人に委ねようとしているのだ。
「飲みたまえ。それでも飲んで一度冷静に考えてみるといい。どっちの暮らしがキミにとって有意義なものなのかを。……まあ――」
俺はゆっくりとグラスに口をつけ、それを傾けた。
緑色にしては味が薄い。そんなことを考えていると――
「――……?」
急に視界がぐらつきだした。
目が回る。世界がユラユラと揺れているみたいだ。
手にしていたグラスも、握っていられないほどに睡魔が襲ってくる。
まさか、毒でも盛られていたのか――。
「――もう、手遅れなのだがね」
最後に見えたのは、モーリア大臣の奇妙な笑みだった。