初めての料理の日
その夜。屋敷では新たな試みが行われていた。
家事万能のクロヴィスがいるおかげで、屋敷の炊事洗濯その他もろもろ任せきっている。しかし、それでは申し訳ないとオレリアさんが料理を手伝うと言い出したのだ。
「剣ばかり握ってきたからな、料理とかやったことがないのだが……。だが、いつまでも頼りっぱなしというのもなんだし……うん、私はやるぞ」
その意気込みやよし。
だが、そう言う割には手に持った包丁の動きは不器用である。
「オレリアさん、ちょっと包丁貸してください」
「あ、ああ……」
俺はオレリアさんから包丁を受け取り、まな板の上でお手本を見せる。
手の形は当然として、どの方向から刃を入れるとかは切るものによっても様々である。今はじゃがいもを例に俺が切り方をレクチャーするとしよう。
「手の握り方はこうです。あとはこう、手のひらで押し込むようにすればすんなり切れますよ」
「お、おお……! クロエは料理も出来るんだな……!」
「そうですね。昔はよく自炊してましたから」
「自炊……? 昔はクロヴィスはいなかったのか?」
「まあ色々ありまして……。っと、今は私のことはいいんです。オレリアさんに包丁の使い方を教えるので覚悟してくださいね」
それから、ゆっくりとオレリアさんに包丁の使い方を教えていく。
かくいう俺も、始めの頃はぎこちなかった。まあ、何事も最初はそういうものだ。大事なのは諦めずに根気強く続けること。センスもあるだろうが、それ以上に継続することが力になる。
しかし、一人暮らしで身に着けたスキルがここで役に立つとは。クロヴィスもようやく俺達が台所に立つことを許してくれたしな。前までは全部「私がやりますので」とか言ってたのに急にどうしたんだろうって思いはあるが。さすがに人数が増えてきて手が回らなくなったのかとも思ったが、彼には分身という特技があるからそういう理由ではなさそうだ。
「こうして、こう、か……」
着実に包丁の使い方をマスターしつつあるオレリアさん。
さすが、元剣聖だけあって刃物の扱いが上手い。関係あるかは知らないけど。
「よし、わかってきたぞ」
オレリアさんは順調に必要な材料を切っていく。
これから作るのは初心者に定番のカレーライスである。
異世界にも同じ料理があって非常にありがたい限りだ。
まあ、食材とか若干違うけど、見た目はそのまんまである。
味も少々違うけど見た目は同じだから同じなのである。うん。
「さすがですね。皮剥ぎや具材の切りそろえ方も完璧です」
「そ、そうか! クロエのおかげで包丁はなんとかなりそうだな。――さて、なら次は――」
「具材を炒めましょう」
「い、炒めるとは……?」
「要するに火を通すということです。まずはお鍋の中に具材を放り込んでいきます。と、その前に――」
魔導式キッチンの火をつける。
中火で鍋を熱し、油をたらし、鍋肌をなじませていく。
「油をひくというやつか。ちなみに、具材は何から入れるのがいいんだ?」
「初めは玉ねぎがいいですね。あとは最後にお肉を入れれば大丈夫です」
「肉が最後なんだな……。よし、玉ねぎを入れるぞ」
オレリアさんが慎重に鍋に玉ねぎを投入していく。
鍋に入っている玉ねぎを丁寧に火を通していき、飴色になるまでかき混ぜる。適当なタイミングで指示を出し、オレリアさんは具材や水を鍋に追加していった。
「あとはカレーの素を入れるだけだな」
「味の濃ゆさ加減にもよりますけど、これくらいでいいと思います」
俺はルーを切り分け、オレリアさんに渡した。
オレリアさんはルーを鍋の中に入れ、ゆっくりとかき混ぜる。
良い匂いが部屋中に充満し始めた。
その匂いを嗅ぎ付けたのか、ヨルムンガンドがキッチンにまでやってきた。
「おお、今日の夕飯は美味そうだな! 実に腹の虫をくすぐる匂いだ!」
「ヨルムンガンド。もう少しで出来上がるので大人しく待っていてください」
「うむ、そうするとしよう」
ヨルムンガンドは大人しく指示に従い、テーブルに着席した。
こういうところは素直で可愛いよな。見た目は大男だけど。
「いい感じに水分が飛んだら完成です。私はお米をお皿によそっておきますね」
「ああ、任せた」
予め炊いておいた米を、でかめの皿によそった。
この屋敷は人が多いので米の量もかなりのものだ。ちなみにカレーを作っている鍋もかなりでかい。毎回食事を作るのは大変だろうな。食材を切り分けるのも一苦労だろう。いつもクロヴィスにやってもらっていたけど、そう思うと申し訳ないな。
「クロエ、こっちは良い感じだ」
「おっけーです。お米の準備も完了したので、お皿に適当に入れていってください」
「任された」
オレリアさんは丁寧にお玉でカレーをついでいく。
ヨルムンガンドじゃないが、匂いが屋敷に充満してきたせいか、ゼスさん達も一階のリビングにまでやってきた。
「おお、今夜はカレーですかな。ワシも大好物ですぞ」
「今日はオレリアが夕飯つくってるって? こりゃ楽しみだぜ!」
「アタシも楽しみだけど、ちょっとは手伝った方が良かったかな? ごめんね、今度はアタシも一緒に作るわね。あ、配膳は手伝うわ」
気づけば、リビングのテーブルにはいつもの面々が揃っていた。
ちなみにクロヴィスは用事で出かけている。明日には戻ると言っていたがどこへ行っているのやら。
テーブルに配膳も完了し、一同手を合わせて「いただきます」をした。
オレリアさんと共同作業で調理したカレーだが、味の方はどうだろうか。
ゆっくりとスプーンを口に運び――
「おお、美味いぞ!」
と、俺が口にする前にヨルムンガンドが声を上げた。
「確かにこりゃうめぇ! 初めてにしては上出来じゃないか?」
ゼスさんも絶賛の声を上げた。
「これは美味ですな。この辛さがなんとも……」
「うん、美味しいよ二人とも!」
次々に上がる賞賛の声に、オレリアさんは若干照れ気味である。
まあ、俺はそもそも初めて料理をしたわけでもないので評価の見方はかわりそうなものだが……。
「皆、ありがとう。クロエに教えてもらいながらつくったんだ。口にあったようで嬉しいよ」
照れながらもお礼を言うオレリアさん。ほんのりと顔が赤くなっている。
ずっと剣ばかり握ってきた彼女だ。裁縫に料理と、違うことに挑戦していくことはいいことだと俺は思う。変わっていくことは悪い事じゃない。
「つーか、礼を言うのはこっちだよな。こんなに美味い夕飯を作ってもらってるんだからよ」
「珍しくゼスに同意だわ。ありがとう、オレリア」
「確かに、感謝じゃな。しかし、クロヴィス様はいつもお一人で作っておられるのだし、日ごろから感謝の言葉を口にせねばならんのぅ」
「クハハ! ならば今度は我も料理とやらをしてみるとするか! クロエよ、我にも料理を教えるのだ!」
「き、気が向いたら……」
さすがにヨルムンガンドには向いてなさそうだ。
料理は繊細な作業が必要だし、大雑把な彼には合わない気がする。
いやまあ、やってみたら案外上手だったりするかもだけども。
あくまで個人的な見解である。
それから、皆で談笑しながら夕飯の時間は過ぎていった。
ヨルムンガンドは3回もおかわりして、大食いを遺憾なく発揮していた。
ゼスさんもおかわりしていたし、オレリアさんもとても嬉しそうだった。
にしても、多少多めに作っておいてよかった。ほんと、クロヴィスの苦労が身に染みて分かった気がする。
食事を終え、皆それぞれ自室へ戻っていった。
残されたのは俺とオレリアさんのみ。
料理は作って食べて終わりじゃない。後片づけもある。
「――こういう風に喜んでもらえるというのはいいものだな」
皿を洗いながら、オレリアさんはぽつりと呟いた。
「新しい生き方を見出すことが出来たのも、クロエのおかげだ。ありがとう」
「私は何もしていませんよ。違う道を進むと決めたのはオレリアさん自身ですから」
「はは、そうかもしれないな。でも、キミがいたから私は変われたんだ。そのことだけは覚えておいて欲しい。きっと、他の仲間もそう思っているよ」
皿を拭き終わり、オレリアさんはそれを食器棚に戻した。
「魔族のために行動するキミを、私は支え続ける。きっと、私以外にも救われる者がいると思うから。だから、キミ自身が信じる道を進んで欲しい」
「オレリアさん……。ありがとうございます」
こうして口に出してもらえるのはありがたいことだ。
俺のやっていることが誰かの救いになっているのだと信じられる。
「クロエの存在が、この世界での魔族の運命を変えられるといいな」
「ですね。今は、信じて進むしかありません。こんな身体じゃ、頼りないかもしれませんけど……」
言いつつ、俺は手に持っている食器を棚に戻そうと奮闘していた。
しかし、背が低くて届かない。だがすぐに、オレリアさんが代わりに食器を棚に戻してくれた。
「そんなことはないさ。外見なんて人それぞれ。肝心なのはその人の中身だ。それに、私達がついている。小さい事でも、困ったことがあったらなんでも相談していいんだぞ?」
「あ、ありがとうございます……。これからも頼りにさせてください」
「ああ、もちろんだとも。――っと、それと、これからも料理を教えて欲しい。色んなものを作れるようになりたいしな」
「それはもちろん。私が教えられる範囲内で、ですけど」
「全然構わないよ。そこからは自身で磨くさ」
「ふふ、オレリアさんらしいですね」
俺も、そこまで料理のスキルが高いわけじゃない。人並くらいにこなせる程度だ。ただまあ、ある程度教えることは出来ると自負しているが。
それから適当に後片付けを終え、オレリアさんの初めての料理の日は終わるのだった。