素直な気持ち
一夜明けて。
まあ、色々とあったわけだが経過したのはたったの1日だったわけで。
本当に怒涛の1日だった。邪竜侵攻とかヨルムンガンドとか、エリベルトの暗躍とかオレリアさんの解放とか、いろんなことが一気に起きたなぁ。
「で、どうしてこうなった……」
いやマジで、何がどうなって俺はオレリアさんと一緒のベッドで寝ることになったんだっけ……。いかんいかん。昨夜はなんか雰囲気に流されてなんでも「いいですよ」って答えてしまっていた気がする。俺のベッド広いのに、やたらとくっついてくるオレリアさんに戸惑いながら眠った記憶があるが……。
「スー……スー……」
「オレリアさんはまだ寝てる、よな……」
今のうちに脱出しよう。
外はまだ薄暗い。朝日も出ていないうちから起きるのは俺だけで十分だ。
てか、今何時だろう。
時計を見ると、朝の5時くらいだった。
生前でももうちょっと寝ていたぞ。なんでこんなに早く目を覚ましたんだ……と思ったが、それは彼女のせいだろうな。
俺がリュドミラに似ているせいで、オレリアさんがやたらと甘えてくるのだ。それだけの理由じゃないかもしれないが、これ以上は俺の身体が持たない。残念ながら奇麗なお姉さんへの耐性が俺にはないのだ。仕方ないね。
「水でも飲んでこよ」
部屋に備え付けられた洗面所で顔を洗い、諸々の支度を整えてから一階へ下りる。キッチンに行けば冷蔵庫に何かしら入っているだろう。クロヴィスのことだ。そこらへんは抜かりないはず。
キッチンに行くと、何故かヨルムンガンドが一人でテーブル席に座っていた。いつもみんなで食事をとる広いテーブルだが、今は彼のためだけに存在しているようだ。
「む。クロエか。昨夜はよく眠れたか?」
「ええ。一応は。にしてもヨルムンガンドは朝早いんですね」
「環境が変わったせいでいつもより早く目が覚めてしまっただけだぞ。普段の我ならもっと寝ておるわ」
「そんな気はしていましたが……。そのコーヒーは自分で?」
と、そこまで言って気づいた。
キッチンから物音がするのだ。誰かがもう朝の仕込みを行っているらしい。
というか、そういうことをする人物はこの屋敷には一人しかいないが。
「これはクロヴィスに淹れてもらったのだ。中々美味いぞ」
「クロヴィスが淹れるコーヒーは美味しいですからね。豆からこだわっているみたいですよ」
「やはりな。どうりで美味いわけだ」
満足げにコーヒーを啜るヨルムンガンド。
なんかテンション低いが、低血圧なのだろうか。
そんなヨルムンガンドを横目に、俺はキッチンの方へと足を踏み入れた。
するとクロヴィスがエプロン姿で調理をしている最中だった。
男なのに無駄に様になっていて、なんか複雑な気分だ。
「おはようございます、クロエ様。今朝はお早いですね」
「なんだか目が覚めてしまって……。お水をもらっていいですか?」
「もちろん。今おつぎしますね」
クロヴィスは無駄のない動きで水をコップについでくれた。
そのコップを持って、ヨルムンガンドの向かいの席に座る。
「はぁ……冷たくて美味しい」
日本の水も美味しかったが、この世界の水も美味しいな。
「クロエはコーヒーにせんのか? 朝と言えばコーヒーに限るぞ」
「邪竜王のクセに妙に人間味に溢れたセリフですね……。竜の姿じゃコーヒーは飲めないでしょう?」
「まあな。だが、この姿の方が燃費が良いのでな。普段はこっちの形態で過ごしている。我は移動したり強敵と戦ったりする場合に竜の姿になるのだ。覚えておくがいい」
「……一応、頭に入れておきます」
格の高い竜種は人の姿になれるってことか。
さすがにただのドラゴンには出来ない芸当なんだろうが。
「それで、あの小娘はどうするつもりだ?」
唐突にヨルムンガンドが問うてきた。
しかも、柄にもなく真剣な顔で、だ。
「小娘というと、オレリアさんのことですか?」
俺からしたら小娘には見えないので一応聞き返す。
「そうだ。あやつはもう人間の枠組みから外れてしまった。この世界でいうところの魔族に分類されるであろうな。となると、帝国に戻って剣聖として軍人を続けるというのは少々酷だと我は思うわけだ」
「それは、そうでしょうけど……」
半血といえど、外見は黒炎ノ王のものになってしまったし、今更人間と同じように生きていけるとは思えない。人の見た目をしていた時も、穢れた血だと罵倒されてきたというのに、姿まで変わってしまってはどうしようもないだろうな。
「生きる意味というのは、人それぞれ違うものだ。我のように自分が楽しければそれでいいという者もおれば、あの小娘のように何かに縋って生きている者もおる。その形が崩れた時、それは耐えがたい絶望であろうな」
「……っ」
オレリアさんの生きる意味。
それはきっと、妹であるリュドミラ・ブランウェンという存在だった。
でも、その大事な柱を失ってなお、彼女は戦い続けてきた。
誰かを守るため。剣聖としての責務、軍人としての使命。
色々な理由はあっただろうけど、やっぱり心のどこかで埋められない穴がぽっかりと空いていたんだろう。そんな状態で戦ってきたオレリアさんのとても細い心の支えは、今回の一件でポッキリと折れてしまった。その結果、血の暴走を引き起こしてしまったのだ。
「あの小娘……オレリアだったか。あやつは強い。縋る者を失いながら、守るべき者達に後ろ指を指されながらも我と対峙し続け、最後の最後まで心を保っておった。普通の人間なら耐えられぬことをやってのけたのだ。人間だとか魔族だとかは関係ない。オレリア自身の心の強さに我は感服した。であるからしてクロエよ、このまま見送るのはあまりにも惜しいのではないか?」
「私だって、出来ることならオレリアさんの拠り所になってあげたい。でも、私は彼女の妹であるリュドミラ・ブランウェンじゃないんです。そんな私が、そういう存在になんてなれるわけがないじゃないですか……!」
所詮は他人だ。
まだ出会ったばっかりの、他人同士。
俺とオレリアさんは、同じ血を分け与えた姉妹ではないんだ。
「クハハ。クロエは難しく考えすぎておるようだな。よもや、お主の存在の意味を忘れたのではあるまい?」
「私の存在の意味……ですか?」
「黒の魔神、クロエ・ノル・アートルムよ。お主は魔に属する者達を率いる、いわば存在そのものが我らにとっての拠り所なのだぞ。故に、お主には権利がある。だからこう言ってやればいいのだ。『私の傍にいろ』とな」
「ヨルムンガンド……」
そうか。それでいいのか。俺は何を難しく考えていたんだろう。
リュドミラ・ブランウェンの代わりにはなれないとか、帝国のしがらみとかそんなのは関係ないんだ。俺が傍にいて欲しいからそう伝える。それだけでよかったんだな。我儘な選択かもしれないけど、素直な気持ちを伝えることが大切なんだ、きっと。
「そうですね……。あなたの言う通りです。私は少し考えすぎていました。もっとあなたのように好き勝手考えられればよかったんでしょうが、こればっかりは性格の問題ですね」
「クハハ。言いよるわ。まあだが、それでいい。魔神とは、かくあるべきぞ。傍若無人くらいで丁度いいのだ」
「それは言い過ぎです」
不本意だが、なんだかんだヨルムンガンドに助けられた形になってしまったな。俺にとっても、心のつっかえ棒が取れたみたいだ。
「――フフ、どうやら私の出番はなかったようですね」
言いつつ、クロヴィスがテーブルの方へやってきた。
「クロエ様はご自身が考えたこと、思ったことを素直に実行してくださればよいのです。我々はそんなクロエ様を全力でサポートするのみ。誰も嫌だなんて言いません」
「クロヴィス……。ありがとうございます。おかげでスッキリしました」
オレリアさんに、俺の意思を伝えよう。
伝えた上で、彼女がどうするのかは彼女次第だ。
無理強いをするつもりもない。でも出来ることなら、俺の傍にいて欲しい。
それが、今の俺の本音だった。