追放
ベレニスさんによって、俺は宮殿の内部にある謁見の間に連れてこられた。
目の前の玉座に座っている男。間違いなく彼がガエル・ワイズマンだろう。
そしてその横にはいかにも臣下っぽい男が立っている。
周りにも数名の人間がおり、恐らくワイズマン家に仕える者達なのだろう。
「……貴様が魔神として召喚された者か」
荘厳な声音で聞かれ、俺はちょっぴりビビりながら、
「は、はい。クロエと申します……」
一応頭を下げた。
この世界の礼節とか全然知らないけど、頭を下げる行為が無礼にあたることはないだろう。多分。
「……何の力も感じぬ。本当に魔神の器か、これが。ただの小娘ではないか」
偉そうに俺を見下し、ガエルという男は俺を値踏みするかのようにジッと見てくる。なんだか全てを見透かされてそうでいい気分ではない。
周りの家臣たちも、俺の姿を見てからずっとざわついている。
まあ、こんな可愛らしい幼女が魔神とか信じられないだろう。
俺が逆の立場だったとしても、すぐには信じられない。
というか、現状俺自身も魔神の器だと信じ切れていないしな。
「してクロエよ。ベレニスから聞いてはおるが、力に目覚めてはおらんのだな?」
ガエル・ワイズマンに聞かれ、俺はコクリと頷いた。
今の今でも何の力も感じない。念じてみても何も起きない。
本当に前の世界の時と身体の感覚は同じなのだ。
「ふむ。やはり禁断魔術などに頼るのが間違いだったか。儀式に参加した高位魔術師達の努力も、無駄だったというわけだ」
ガエルがそう言うと、傍に控えていた家臣の男性が恐る恐る口を開いた。
「しかし閣下。まだ力に目覚めていないだけかもしれませんぞ。文献によると魔神とは膨大な力を持つ種。器に入れた魂が順応するまでどれだけの時間がかかるかわかりませぬ。今はまだ様子を見てからでも――」
「セレスタンよ。お前はあの者から何かを感じるか?」
ガエルの一言に、傍にいた臣下がびくりと身体を震わせる。
その様子を見ただけで、ここではガエルの言葉が全てだと見受けられた。
所詮は家臣。決定権などは全てあの男、ガエルが持っているということか。
「我には空っぽの器にしか見えぬ」
「し、しかし閣下、事を決めるにはいささか早急すぎるかと――」
「セレスタン。貴様は我の目が節穴だと言うのではあるまいな?」
「……っ」
ガエルの言葉で、セレスタンという名の臣下は委縮してしまう。
判りやすい力関係だ。帝国貴族でありエルドラ領の当主であるガエル・ワイズマンに逆らえる者は、この場所にはいないのかもしれない。とはいえ、この場にいる者達がエルドラにいる高官の全てではないだろうが。
「……は。申し訳ございません。出過ぎた真似をしてしまいました」
セレスタンは深々と首を垂れ、一歩後ろへ下がった。
ガエルは玉座から立ち上がり、俺の方へと近づいてくる。
そのあまりの圧力に、俺は今すぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯になってしまった。
大きな体躯。偉そうな顎髭。視線だけで人を殺せそうな眼。
畏怖すべき対象。ガエル・ワイズマンとはそういう男だった。
「こんな小さな身体では魔神として力を持ってもすぐに壊れてしまうだろうな。まあ、所詮よそ者が持ち寄った禁断魔術だ。最初からあてにはしておらん」
言いながら、ガエル・ワイズマンは俺の目の前にまでやってきた。
しかし、本当に大きいな。身長190cmくらいあるんじゃないか?
俺の身体が覆いかぶさって見える。体積だけなら倍以上あるのは明白だ。
「ベレニスから話は聞いておろう。貴様にあの邪竜共が討てるか? 我が土地を多く奪い去り、数多の領民焼き殺したあの災厄をその手で狩れるか?」
「そ、それは……」
俺は顔を伏せる。
出来るわけがない。なんならゴブリンにだって勝てそうもない。
俺はただの幼女だぞ。邪竜とかいかにも強そうなモンスター相手に戦えるわけがないだろ。と、文句の一つも言ってやりたかったがさすがに言葉に詰まる。
「魔神と言えど、所詮は魔族よな。人間に勝てる道理もない。そんな貧弱な種族が災厄級の魔物をどうこうできるとは最初から期待しておらんかったわ」
勝手に召喚しておいてこの仕打ち。
なんか無性に腹立ってきた。
でも何も言い返せない。だって今の俺は幼女だから。
まあ、生前の俺でも言い返す度胸はなかったろうけど。
少しの間、沈黙が流れた。
ガエル・ワイズマンは何かを見定めるかのように腕を組み、周りを視線だけで確認しているように見えた。まるで家臣たちの反応を見ているかのようだ。何故そのようなことをしているのかは判らないが、なんとなく違和感を覚えた。
「……だが、そうだな。少し試してみるか――」
ガエルはそう言うやいなや、急に俺の首を右手で掴んできた。
そして、首根っこを掴まれたまま、俺の足は地面から浮き上がる。
襲い来る浮遊感と苦しさ。そして――
「お”……ッ!? お”ぇぇ……ッ!」
……こ、こいつ、首絞めてきやがった!
まさか、ここで殺す気じゃないだろうな!?
こんなか弱い幼女の首を絞め上げるだなんて、なんて野郎なんだ……!
「貴様が本物なら、抵抗して見せろ。我程度に抗えぬというのなら、貴様に価値はない」
「がぁ……ッ! や、やめ……っ!」
「どうした。力が眠っているのならそれを目覚めさせてみせよ」
あ……。これやばいやつだ。
どんどん意識が遠のいていく。
このままだとマジで殺されてしまう。
せっかく異世界に転生したのに、すぐに命を落とすなんてあんまりだ。
「……このままだと死んでしまうぞ」
「あ”あ”……ッ! ぐるじ……ッ」
必死に抵抗しようとするが、幼女の力ではガエルの手を振りほどくことすらできない。
首からやばい音がなり始めている。
これはいよいよやばい。
視界もぼやけてきやがった。
「…………ぁ」
抵抗する力もなくなり、やがて俺の身体は力を入れることすら困難になってしまう。
だらしなく涎を垂らし、意識が遠のいていくのを感じる。
まさかのゲームエンドか。まぁ、失敗作なら仕方がない――。
「ふん。やはり使い物にならんか」
「…………ガエル様」
消えてしまいそうな意識の中、凛とした声が背後から聞こえてきた。
この声はベレニスさんのものだ。
「お戯れはその辺でよろしいのではないでしょうか。確かにその娘に価値はありません。しかし、それ以上にガエル様の手を煩わせる価値もないかと存じます」
「……殺す価値もない、か」
唐突に手を離され、俺は地に這いつくばった。
涙と涎で顔がぐちゃぐちゃになっている俺は、呼吸をするのに精一杯だ。
ひゅーひゅー、と酸素を無理やり肺に入れる。
あと数秒も首を絞められていたら死んでいたことだろう。
ガエルを止めてくれたベレニスさんは命の恩人だな。
「本当に魔族という存在は貧弱だ。魔力も微量しか持たず、力も弱い。お前達魔族は、人間に虐げられるのが似合いというものだ。死に際になれば覚醒するやもしれんと、少しでも期待した我が愚かであったわ」
言いたい放題言って、ガエルは玉座に戻っていった。
俺はというと、まだ呼吸がままならない状態だ。正直痛みで気絶してしまいそうなくらいである。なんなら今すぐにでも病院行きたい。そして痛み止め打ってくれ。
「……はぁ……はぁ……」
俺は黒い一張羅の袖で口元を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
なんとか呼吸も落ち着き、少しずつ冷静さが戻りつつある。
目の前には憎きガエル・ワイズマンが偉そうに座している。
というか、魔族ってこの世界じゃここまで弱い物なんだな。
それじゃあ、魔神ってやつも大したことないのかもしれない。
「何か我に言いたいことはあるか、クロエよ」
「…………」
くそ、言いたいことと言われたら罵倒しか出てこないぞ。でも、そんなこと口走ったら即刻打ち首にでもなりそうだ。そのムカつく面に一撃ぶち込んでやらないと気が済まない。
と、心では思っていても、行動に移せないのが俺という人間だ。
身体が変わっても、中身が変わっていないのだから仕方がない。
こうやって言いたいことも言えずに、ずっと周りから仕事を押し付けられてきたのだ。残業をいくらこなしても給料は変わらないブラック企業。俺のような断れない人間を上手く利用して楽するやつらばかりが会社には残っていた。
だが実際、彼らは世渡り上手だったのだろう。
俺はただの負け組。長時間仕事をするしか能のない人間だった。
新しい世界でも、魔族という弱者になってしまった。
でも、お似合いなのかもしれない。虐げられて生きてきたのだから、今更偉そうに人に指示できる立場になれるはずもなかったのだ。
「…………あり、ません」
悔しい思いをグッと我慢し、俺はそう呟いた。
ガエルは鼻息一つ、偉そうに口を開く。
「それでよい。魔族とはそうあるものだ。強き者に従い、強き者に使われ、強き者に利用される。この世の中はそうして出来ている。貴様もまた、それだけの存在だったということだ」
「…………」
何も言い返せない。
そんな自分が嫌いだった。
言われるがままの自分が俺は大嫌いだった。
他人に遠慮して、自分を捨てる。
聞こえはいいかもしれないが、ただの愚か者だ。
自分が自分の幸せを願わないでどうするんだ。
くそったれ。くそったれだよ、本当に。
「閣下。では、この者をどうするおつもりでしょうか」
セレスタンと呼ばれた臣下がガエルに問う。
俺としても、そこが一番気になっていた。
さすがに死刑とかにはならないと思いたいが……。
「……例の労働施設にでも放り込んでおけ。多少なりとも足しになるだろう」
「あ、あの過酷な労働施設ですか……。ですが閣下。この者はまだ子供。そのような場所に送れば、すぐに壊れてしまいましょう……」
「なら、使い道もない魔族をどうするのが一番だ? 意見を述べてみせよ」
ガエルの圧に押されながらも、セレスタンは恐る恐る口を開く。
「女なのですから、夜伽役として閣下の傍に置くのはいかがでしょう? もちろん、今すぐにとは言いません。しばらくは成長するのを待つのがよろしいかと。あと数年もすればきっと良い女子になる。そうは思いませんか?」
「…………ふん。くだらんな。それに、我はそやつの顔が好みではない。成長しても、意味のない事よ」
「そ、そうでございましたか……。差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
言いながら、セレスタンは俺の方を申し訳なさそうに見てきた。
もしかしたらあの人は俺を助けてくれようとしていたのかもしれない。
過酷な労働施設に送るくらいなら、何か適当な役目を与えここにいる理由を作ろうとしてくれた。なんて、考えすぎかもしれないけど。
にしても、顔が好みじゃないって……。
幼女とはいえ、ルックスはかなり良いはずだ。
自分で言うのもなんだが、育てば美人になりそうだぞ。
もしかして、この世界の感性は少し違うのか……?
まあ、俺も逆の立場だったら抱きたいとはおもわないだろうけども。
それはさておき、ガエルの夜伽役なんてまっぴらごめんだ。
労働施設がどんなところか知らないが、そっちの方がマシだな。
「他に意見のある者はおらぬか?」
ガエルが広間にいる全員に問うた。
だが、誰一人としてガエルにモノ申す者はいなかった。
「では、クロエよ。貴様はこの場この時を持って、エルドラ宮殿から追放する。労働施設でエルドラのため、そして人間のために身を粉にして励め」
――そうして。
俺は召喚されて間もなく、追放されることになるのだった。