剣聖と魔神
「クロエよ。どこに向かうのかは知らんが、我も共に行くぞ」
「ダメです」
と、俺はヨルムンガンドの意見を速攻却下した。
「な、何故ダメなのだ!?」
「あなたは目立ちすぎるんです。今は大人しくしていてください」
ドラゴン形態になられでもしたら面倒だ。
それに、レベッカさんが抱えて空を飛べるのは一人だけ。
どの道一緒には行けない。
「ぬぬぬ! 我をハブにしようとしているのではあるまいな!」
「違いますって。それと、これ以上わがまま言うようなら――少し痛い目を見てもらいますよ?」
俺は良い笑顔で、手のひらに魔力を凝縮させた。
バチバチバチと嫌な音を立て、魔力が膨れ上がっていく。
「ぐぬぬ……」
「今は諦めてください、ヨルムンガンド。――クロヴィス」
「――は。お任せください」
駄々をこねる邪竜王ヨルムンガンドは分身体クロヴィスに任せ、俺はレベッカさんに掴り上空へ。
これから安全な場所で待機している仲間達の元へ向かう予定だ。
「前の邪竜の襲撃で崩れた教会にオレリアさんを匿っているんですね」
「そうよ。クロヴィスさんの本体とも合流したわ。あとゼスとグエンさんも」
「勢揃いですね。皆さん無事でよかったです。屋敷は大丈夫でしたか?」
「ええ。ヨルムンガンドが現れて、邪竜達はみんなそっちへ行ったからね。それまではみんなで防衛してたから、屋敷には指一本触れられてないわ」
「ありがとうございます。助かりました」
邪竜程度に負けるみんなじゃない。
わかっていたが、無事でよかった。
ちなみに今俺はレベッカさんに掴り、空を飛んでいるわけだが、これが中々に気持ちがいい。ヨルムンガンド戦前は切羽詰まっていたし距離もそこまでなかったから堪能できなかったが、これはいいものだ。空を自由に飛ぶ魔術とかあれば習得したい。もし今度エリーゼさんに会うことがあれば聞いてみようかな。
などと考えていたら、それらしい教会が見えてきた。
邪竜の襲撃により崩壊しているせいで、辺りに人はいなさそうだ。
「あそこよ、クロっち」
そして、レベッカさんは降下する。名残惜しいが、運んでもらうことが目的だったので仕方ない。
入り口を見ると……誰かがいるみたいだ。
近くまで行くと、教会の入り口前でゼスさんが手を振ってくれていた。
「おーい! クロ助無事かー!」
地面に降り立ち、ゼスさんの元へ。
「はい。ご心配おかけしました」
「おう! 多少は心配したけどよ、クロ助なら大丈夫だって信じてたからな! でも無事に戻って来てくれて嬉しいぜ!」
ゼスさんにポンポンと頭を軽く叩かれる。
頭ポンポンは工場で働いていた時によくされていたな。今となっては懐かしい気もするが。
「ねぇゼス。アタシがいない間にオレリアは起きた?」
「いいや、まだ眠ってるみたいだ。相当疲弊していたんだろうな。顔色は悪くないんだが、うなされてるっぽいんだよな」
「そう。大丈夫かしらね……」
レベッカさんが心配そうに目を細めた。
あの催眠の粉は効力は薄めてあった。ほんの数分眠ってもらうだけでよかったので生成できたのだが、まさかここまで目覚めないとは予想外だ。エリーゼさんの知識だから調合の配分は間違っていないはずだし、これはオレリアさんの精神的な問題かもしれないな。
「オレリアさんは今どこに?」
「教会の中にあった寝室で寝てるぜ。ベレニスとグエンのじーさんが見守ってくれてる」
「クロっちはアタシが案内するわ。アンタは引き続き見張りよろしく」
「ああ。ここは任せな」
レベッカさんに連れられ、俺は教会に入った。
ゼスさんはどうやら入り口で見張り役をしていたようだ。
教会内は外観に負けず劣らず既にボロボロになっていた。
天井も所々穴が開いており、雨が降れば水浸しになってしまいそうだ。
「こっちよ」
レベッカさんは奥の部屋へ俺を連れていく。
廊下が続き、その一つの部屋からメイド服姿のベレニスさんが出てきた。
「クロエ様、ご無事でなによりです。オレリアさんは中で寝ていらっしゃいますので、こちらへ」
俺は首肯し、寝室に入った。
中にはグエンさんが壁に背をあて立っていた。
そして、ベッドにはオレリアさんが寝ている。
「毒は抜けているはずなんですが……」
眠っているオレリアさんは、ゼスさんが言っていた通り確かにうなされていた。精神的に相当参っていたのかもしれない。もしくは、ここ最近あまり眠れていなかったのだろうか。
「オレリアさん……」
裁縫店で出会った銀髪のお姉さん。
あの時は、まさかこの人が帝国の七武人の1人、白銀の剣聖の名を持っているとは思わなかった。
寝室から外を見ると、日が落ちようとしているところだった。
あと1時間もすれば夜になる。目を覚まさないようであれば、勝手ではあるが拠点である屋敷に連れて行った方がいいかもしれない。
「そういえば、クロヴィスの本体はどこへ?」
俺はベレニスさんに聞いた。
「クロヴィス様でしたら、気になることがあると言って出ていかれました。すぐに戻ってくるとも言っていたので、そろそろ帰ってきそうですが……」
と、ベレニスさんが言った直後に、寝室の扉が開いた。
タイミングよく、クロヴィスが戻ってきた。
「ただいま戻りました。っと、ちょうどよかった。クロエ様もお戻りになられていましたか。慌ただしくて申し訳ないのですが、少々報告したいことが」
言って、クロヴィスは語り始めた。
「エルドラ領の魔術師団の結界の件ですが、どうやら彼らは何者かに操られていただけのようでした。そして、分身体を使って調べさせていたところ、エリベルト・クレスターニの元に傀儡魔術の使い手がいたそうです」
「傀儡魔術……。他人を操れる術ということですね。しかし、同時に何人も操ることが可能なんでしょうか?」
1人だけとかなら出来そうなものだが、あのドーム状の結界は複数人で作られていたはずだ。少なくとも10人はいたと思う。それをたった一人の魔術で操られていたとなると、いったいそいつは何者なのか。
「可能なようですね。相当な使い手とみるべきでしょう。ただ、傀儡魔術は耐性の低いものにしか効き目がありません。自分よりも格下にしか効力を発揮できないのです」
「その条件を差し引いても、複数人を操ることが出来たという事実は脅威ですね……。ですが、魔術師部隊が操られていたということは、この件にエルドラ領が噛んでいるわけではないということですか」
てっきり、エルドラ領を治めるワイズマン家もあのエリベルトに協力していると思ったが利用されただけだったのだろうか。そこら辺の事実関係も気になるところだが――。
「――ん、ん……――。ここは……?」
不意に、寝ているはずのオレリアさんの声が聞こえた。
振り向くと、彼女は目を覚ましていた。
ゆっくりと上体を上げ、今の自分が置かれた状況を確認しているようだ。
「オレリアさん、身体の方は大丈夫ですか?」
「キミは……裁縫店で出会った女の子じゃないか。どうしてこんなところに……。というより、私は何故ここで眠っていたんだ……?」
頭を押さえ、オレリアさんは混乱する頭を落ち着かせようとしている。
一度深呼吸して、冷静に様々な可能性を模索している。そう見えた。
「私はヨルムンガンドと戦っていたはず……。その時に、ドーム状の結界が現れて、それで……」
「その後のことは多分覚えていないと思いますよ。今、どういった状況なのか私から説明しますね」
「キミが……。ああ、すまないが頼むよ」
それから、俺はオレリアさんに何が起きたのか。どういう状況になっているのかを説明した。俺の言葉を、彼女は遮ることなく全て飲み込んでくれた。思うところもあるだろうに、文句の一つも言わずに全てを聞いてくれたのだ。
「――という感じです。邪竜の脅威は消えましたが、あなたが副長のエリベルト・クレスターニに狙われているという問題は残っています」
「エリベルトが私を……。そうか。――いや、本当は気づいていたんだ。剣術師範の家の出である彼にとって、剣聖の称号は喉から手が出るほど欲しいもののはず。私は貴族でも弱小の家の出だ。それに、私のこの血は穢れているからね」
「穢れているというのは、あなたが魔族と人間の混血だからですか?」
俺が問うと、オレリアさんはクロヴィスとグエンさんを見て、ゆっくりと眼を逸らした。
「ああ。キミは知っていたんだな。――帝国では魔族は忌避の対象なんだ。私はずっと、この血のせいで周りから疎まれてきた。だが、皇帝陛下はこんな私を剣聖と認めてくれた。妹も、私が剣聖の名を戴いたことをとても喜んでくれたよ」
遠い目をして、オレリアさんは窓の外を見た。
オレリアさんが魔族との混血であることは、【第三の眼】で覗いた時に知った。さすがに何の種族かまでは判らなかったが――オレリアさんは魔族との混血というだけで、周りからそういう目で見られてきたことだろう。
まだこの世界に来てから日の浅い俺でも散々な目にあったのだ。帝都ならここよりも差別が酷いかもしれないし、オレリアさんも色々と辛い目にあってきたんだろうな。
「妹は、キミと同い年くらいだった。裁縫店で話したキミくらいの子というのが私の妹、リュドミラ・ブランウェンのことでね。色々あって今はもうこの世にはいないが……――あの子は、私の剣は誰かを守る剣だと言ってくれた。だけど、私は妹を……リュドミラを一番に守りたかった。私にはそれができなかったんだ。剣の腕を磨くだけじゃ、大切な者を守ることは出来ないと知った。現実を突きつけられた気分だったよ。一丁前に絶望なんかもした。情けなくて、悔しくて……今でも心にしこりが残っているようで痛いんだ。――だが、1年前のあの日、優しかったあの子が何故自害をしなければならなかったのか。その理由を知るまでは、剣聖であろうと決めた。それに、私は一応貴族だからな。民を守るのも使命だ。――なんて奇麗事を言いつつも、やはりどこかで迷っている自分がいる。何のために剣聖として剣を振るうのか。大切な者がいなくなってしまって、後ろ指をさされながらこれ以上戦う意味はあるのか、とね」
オレリアさんの表情が陰る。
きっと、オレリアさんは妹さんのことが大好きだったんだろうな。話の端々から彼女の感情が聞き取れる。
「――すまない。今はそういう話をする時じゃなかったな。そういえばまだキミの名を聞いていなかった。教えてくれるか?」
「もちろんです。私はクロエ。クロエ・ノル・アートルムです」
「クロエか。良い名前だ。私はオレリア・ブランウェン。もう知っているようだが一応な。それと、クロエ。キミが何者なのかを聞いてもいいだろうか」
「私は黒の魔神。この世界で人間達に忌み嫌われている魔族を率いる者です」
俺がそう言うと、オレリアさんは案の定驚いていた。
まあ、魔神の召喚は失敗したってことになってるだろうからなぁ。この反応は仕方がない。
「キミが噂の魔神だったのか……。だが、エルドラでの禁断魔術による召喚は失敗したと聞いていたが」
「それはまあ、色々とありまして……――。とにかく、私はそういう存在なんです」
「そうか。だが、そうでもないとあのヨルムンガンドには勝てないか。正直あれは、私が普通の状態であっても勝てたかわからない。キミがいてくれて助かったよ」
「い、いえ……」
俺のせいでヨルムンガンドがあそこに現れたとは言いづらいな……。
それに、その邪竜王になんだか懐かれているというのも言い出しづらい。
まあ、その話はまた今度するということで。
「――クロエ様。どうやら敵が来たようです」
と、唐突にクロヴィスが発言した。
分身体に周囲を見張らせていたのだろう。さすがの便利具合だ。
「エリベルトですか?」
「ええ。それと、配下のような者が複数人。巨大な魔導兵器のようなものを運んでいますね」
「しかし、何故この場所がバレておるのでしょう?」
グエンさんだ。
確かに、この場所をピンポイントで狙うにしては出来すぎている。
索敵に特化した魔術師でもいるのだろうか。
「それはわかりませんが、ここを目指しているのは間違いありません。クロエ様、対応の方はどういたしましょうか?」
「そうですね……」
ここで迎え撃って撃退するか、それとも逃げるか。
だが、逃げたところでオレリアさんが狙われ続けるのは変わらない。
なら――
「私が行こう」
言って、オレリアさんは立ちあがった。
「これは私自身の問題だ。解毒してくれたことやヨルムンガンドを倒してくれたことには感謝している。が、だからこそ、これ以上は世話になれない」
「ですが、身体の方は……」
「問題ないさ。おかげで久しぶりにぐっすりと眠れたからな。調子が良いくらいだよ」
言いながら、オレリアさんは立てかけてあった剣を取った。
白銀に煌めく、美しい剣だ。
「わかりました。ここはオレリアさんにお任せします」
だがもちろん、手助けが必要だと思ったらすぐに援護をする予定だ。
「ああ。ありがとう、クロエ」
そして。
因縁の戦いが始まろうとしていた。