お茶目な邪竜王
ヨルムンガンドと戦闘を開始してから既に10分程が経過していた。
魔力の刃であの巨躯を断ち切れば、ヒトと同じように戦闘不能に出来るのではないかと思い試みた。だが、ヒトと身体の構造が違うのか、少し断ち切っただけでは魔力の流れそのものを止めることは出来ないようだった。
『面白い魔術だな。その刃で体内の魔力の流れを一時的に断ち切るのか。だが我は竜種である。ヒトの何倍も魔力の枝を体内に宿しておるからその攻撃は通じんぞ!』
でかいくせに俊敏な動きで攻め立ててくるヨルムンガンド。
その蛇のようにながい尻尾は特に厄介で、リーチが読みづらい。
尻尾で薙ぎ払ってきたり、硬化させて突きを繰り出してきたりと自由自在だ。
「さすがに伝説の竜王と謳われただけはありますね……!」
戦い始めたのはいいものの、どこまでやればヨルムンガンドは気が済むのだろうか。どちらかが死ぬまで戦いたい――とかじゃなければいいんだけど。
『どうしたどうした! 貴様の力はそんなものか!?』
「く……ッ」
邪竜の吐き出す毒のブレスが、俺の身体をかすめた。
霧状に噴射されるものだから、避けるのにも神経を使う。
あたれば状態異常だ。毒状態になったらさすがの俺も自分に治癒はかけられない。
あの巨体でこの俊敏性。もっと動きが鈍いかと思ったが想像以上に軽やかだ。加えて魔術を防ぐバリアを自動で展開する自衛魔術備えている。厄介なことこの上ない。
『久方ぶりに楽しいぞ、小娘! ――っと、そういえば名を聞いていなかったな。して、名は何というのだ?』
「クロエです。クロエ・ノル・アートルム」
『クロエか! ハハ! 良い名だな!』
戦闘中やたらハイテンションなヨルムンガンドは、嬉しそうに俺の名を呼んだ。久しぶりの戦闘で心が躍っているのはいいが、はた迷惑な事だ。
「力比べするのもいいですけど、いつまで続けるつもりです?」
『我が満足するまでに決まっておろう! まだまだ打ち合おうではないか、クロエよ!』
「仕方ありませんね……」
ヨルムンガンドを撃退できれば、邪竜達も退いてくれるはずなんだが……。
このままではいたずらに時間が経過するだけか。かといって、一撃必殺的な技は魔力を溜めなければ放てない。時間稼ぎが必要になる。
接近戦に付き合うのはこれくらいにして、一度拘束してから【ゾラ・エクレール】をぶっ放した方が手早く終わりそうな気がしてきたな。
色々と思考しながらヨルムンガンドとの戦闘を繰り広げる。
魔力の刃では埒が明かないので、やはりやり方を変えるべきだろう。
エリーゼさん愛用の実体を持った刀を引っ張り出してもいいが、あれは切れ味がヤバすぎるので今は止めといた方がいいか。下手をすればヨルムンガンドを殺しかねない。
目の前の敵に意識を向けてはいるものの、クロヴィス達の方も気になる。
この混乱した戦場で、レベッカさんが連れ去ったオレリアさんを捜すのは困難なはずだ。だが、エリベルトが姿を現していないところを見ると、まだ何か企んでいるような気がしてならない。このままずるずるとヨルムンガンドに時間を割くのは、そろそろまずいか。
『この攻撃はどうだ――!』
唐突にヨルムンガンドが姿を消した。
かと思うと、背後にいきなり現れた。
まさしく瞬間移動。この巨躯がそのようなムーブをするとは予想外だ。
俺はすぐにその場を飛び退いた。咄嗟の判断だったが、どうやら正解だったらしい。ヨルムンガンドの前脚のプレスで、俺が先ほどまでいた場所には小さなクレーターが出来上がっていた。
『今のを避けるか……! 異常なまでの勘の良さだな! だが、まだまだ――!』
ヨルムンガンドの猛攻を魔術で防いだり弾いたりしながら、一進一退の攻防が続く。戦場を縦横無尽に駆け回りながら、俺は少しずつ準備を整えていった。
『そろそろ魔力も尽きたのではないかクロエよ! ヒトの貯蔵できる魔力と、竜の持つ魔力では比べ物にならんだろうからな!』
「それは……やってみないとわかりませんよ――!」
準備は整った。
あとはヨルムンガンドの一瞬の隙を見計らうだけ――。
『クハハ! そろそろ我の最大級のブレスをお見舞いしてやろう。これが避けれるか――!?』
ヨルムンガンドは息を大きく吸い込んだ。
咆哮ではなく、ブレス。邪竜王のブレスは毒の霧を噴射する厄介なものだ。そして、それのブレスを最大級に放つということは、多少のためがいるらしい。
敵が足を止めたこの好機を逃すわけにはいかない。
俺は仕込んでおいた設置型の魔術を発動させた。
クロヴィスとの模擬戦でも使った【不可視の茨】だ。
『ぬお――!? 見えぬ何かで身体が拘束されている……!? ぐぬぬ、上手く魔力も練れぬではないか! なんだこれは――!?』
クロヴィスの時とは違い、相手の身体が大きいので準備に手間取った。
不可視の茨はしっかりとヨルムンガンドの身体に巻き付いている。
そして、この術に捕らわれた者は魔術の行使が困難になるのだ。
これでヨルムンガンドの動きは封じ込めた。
この隙に、最大火力の【ゾラ・エクレール】をぶつけてやる。
「行きますよ、ヨルムンガンド……!」
俺の身体の周りがバチバチと音をたて始める。
さすがにヤバイと思ったのか、ヨルムンガンドは【不可視の茨】の中で必死に抵抗しているようだが……もう手遅れだ。
「――【ゾラ・エクレール】!!」
強大な黒雷が動けないヨルムンガンドに向け疾走した。
さすがに避けれまい。俺はそう高を括っていた。
次の瞬間、ヨルムンガンドの姿が消えるまでは。
「な――!?」
【インビジブル・ソーン】の拘束から逃れ、ヨルムンガンドはその場を離脱していた。しかも、その姿がどこにもない。雲隠れでもしたかのようだ。
ありえない。さっきの瞬間移動でも行ったというのか。
【不可視の茨】に捕まったら、エリーゼさんお手製の分身体でも身動きが取れなくなっていたはずなのに……。
「クハハハハ! さすがにアレをモロに喰らっていたら我もあぶなかったのでな!」
「え……」
いきなり目の前に、見知らぬ男が現れた。
大きな身体にどこか毒々しい皮膚。切れ長の目に紫がかった髪色。そして頭には竜の角らしきものが生えている。まさかとは思ったが、どうやらそういうことらしいな。
何故上半身は裸なのかは知らないが、ヨルムンガンドは人の身体になって難を逃れたようだ。
「容赦ないじゃないかクロエよ。あんなもの、いくら我でもただじゃすまなかったぞ」
なんだか馴れ馴れしく近づいてくるんだが、この男何を考えているんだ。
攻撃してくる様子もないし、危険はないんだろうけど……。
しかし、竜の姿の禍々しさ程ではないにしろ、どこか面影があるな。竜種が人になったらこんな感じなのか。
「あの、急に親しげなのはなんなんですか」
一応さっきまで敵同士だったんだが。
いきなり仲良しこよしでもしようってのかこの邪竜王は。
「我が認めた相手だからな! 最早友だろう!」
「……」
なんだこのノリは。
ついていけん……。
てか友ってなんだよ。まだ会ったばっかりじゃないかよ。
しかも敵同士でやりあった後だってのに。
「そうだ、我に勝った褒美として何か一つ願いを聞いてやろう。何がいい? どこかの街を滅ぼすか? それとも我の背に乗り大陸を横断でもしてみるか? クハハ! クロエとならそれも悪くない!」
「なんでもいいんですか?」
「うむ。我のできる範囲ならな」
「では、邪竜達を連れてあなたは住処に帰ってください。そして二度と人間に迷惑をかけないよう、邪竜達に言い聞かせること」
俺がそう言うと、ヨルムンガンドは目をパチクリさせた。
「ぬ……。つまらぬことを言うではないか友よ。……え、我も帰るの?」
「うん」
問答無用で俺は頷いた。
「ガーン!! そんな、つれないではないかクロエよ……!」
ヨルムンガンドは大げさに膝から崩れ落ちた。
にしても、人の姿になってだいぶ印象が変わったな。
もしかしたら、こっちの性格の方がヨルムンガンドの素なのかもしれない。
竜王という肩書がある手前、威厳ありますみたいな雰囲気を出していたって言われた方がしっくりくる。
「まあ、とりあえず邪竜達をどうにかしてください。これ以上被害が拡大する前に」
ここは防衛の最前線。
後ろの方では、未だに帝国兵たちが邪竜と戦っている。
戦闘が行われ続ける限り、犠牲者は出続けるわけで。
一刻も早くこの戦いは終わらせなければならない。
「むぅ……。それがクロエの望みならば仕方がない」
トボトボと向こうに歩いていき、そしてヨルムンガンドは立ち止まった。
それから大きく息を吸い込んで――
「――撤収!!」
雑に命令した。
それだけで効果あるのかと思ったが、邪竜達はすぐに戦闘を止め、飛びたっていった。帝国兵達も呆気に取られている様子だ。
さすはが邪竜王。たったの一言で邪竜達を退かせてみせた。
一応、王として貫禄はあるようだ。
「これでよいのだろう?」
「はい。ありがとうございます。では――」
すぐにクロヴィス達に合流しなければ。
オレリアさんのことが気がかりだ。
それにエリベルトの動向も気になる。
俺は踵を返し、その場を去ろうとした。
が――
「おーいおい! 我も共にゆくぞ!」
案の定、ヨルムンガンドに呼び止められた。
「ヨルムンガンドも来るんですか? ですが、何のために……」
「ふふん、魔神の動向を見守ることはレティシアの命でもあるからな。なんかよくわからんのだが、今は魔神の中身が違うだのなんだのと言っておったな。だが、クロエが魔神であることには変わらんのだろ?」
「まあ、そうですね」
「ならば問題ない! 共に行こうではないか友よ!」
「レティシアさんの命なら仕方ありませんね……」
使徒の動きも気にかけておくべきだな。
恐らく、レティシアさんは現黒の魔神であるクロエという魂をヨルムンガンドを使って見定めようとしているのだろう。なら、俺はありのままで応えるだけだ。
「――クロヴィス、いますか?」
何となく見守ってそうなクロヴィスを呼んでみた。
すると、すぐに彼は現れた。
「分身体ですが、こちらに」
「おお、やっぱり近くにいた……。っと、レベッカさんを呼んでくれますか? それと分身体でもいいんでヨルムンガンドの道案内もお願いします」
「かしこまりました」
分身体クロヴィスは一礼した。
しかし、本人のいない場所での出来事をすぐに共有できるのは便利だな。一々状況の説明をクロヴィスにしないで済む。
あとの問題はエリベルト・クレスターニだけか。
エルドラ領の思惑も気がかりではあるが……。
とりあえず今は、オレリアさんが無事であることを願おう。