どうやら魔神らしい
「…………」
ゆっくりと、目を開いた。
見知らぬ天井に、薄暗い空間。
なんだか窮屈な場所だ。手も足もまともに動かせない。
「いったいなにが……」
自分で声を出し、そしてその声音に違和感を覚える。
「あれ……? 声が……」
俺は黒江透。正真正銘の男のはずだ。
だというのに、俺の声帯からは可愛らしい女の子の声が発せられている。
明らかに何かがおかしい。
それに、ここはどこだ。俺は事務所で残業をしていたはず。
辺りを見ようにも、身体が思うように動かない。
まさか拘束されているのか? 残業中に誘拐でもされたのか?
しかしだ。誘拐されただけでは俺の声がおかしいことの説明がつかない。
そもそも、俺が誘拐されたこと自体が非現実的なわけで。
「とりあえず身体を起こさないと……」
窮屈な場所から脱出しなければ。
俺はゆっくりと上体を起こす。
妙に身体が重く、自分のモノではないみたいだ。
「な、なんだこれ……?」
上体を起こして辺りを見渡すと、誘拐されたことよりも非現実的な事実が――。
なんと、俺は棺の中で眠っていたようなのだ。
――って、まてまてまて。死んだのか俺は。
死んだのならどうしてこうして動けるんだ?
というかそもそもなんで声が女なんだ――!?
……わからない。
わからないことだらけで頭が混乱してきた。
なんか髪も長くなってるし、もう無理限界リスカしよ……。
なんて現実逃避しながら棺の中で体育座りしていると――
「――魂の召喚は、無事終わりましたか……。さすがは帝国随一の魔術師達ですね」
背後から声が聞こえてきた。
女性の声だ。きっと、あの人ならこの意味不明な状況を説明してくれるに違いない。そう思って俺は棺から出ようと試みるが――。
「あ、あれ、足が動かない……」
上体は起こせたのに、下半身はピクリともしなかった。
まさか半身不随……? いや、死後硬直ってやつか……?
ぐるぐると今の状況の予測が俺の頭を巡る。
本当に死んでいて、蘇ったなんてオチじゃないよな……?
「まだ身体と魂が完全に定着していないようですね。大丈夫、すぐに歩けるようになりますよ」
言いつつ、その女性は俺の身体をひょいっと軽く抱きかかえた。
自分の重量の無さに、驚きが隠せない。
俺はいったいどうなってしまったというのか。
薄暗い部屋の真ん中にある台座。その上に俺が眠っていた棺は置かれていた。まるで、儀式でもしていたかのように、台座の周りには供物やら魔法陣的な模様やらがある。
「申し訳ございません。勝手ながらあなたの魂をお借りしております。ですが安心してください。あなたは一度死んでいますので、前世でのしがらみは一切ございません」
「……????」
いきなり何を言うてるのこの美女は。
というか君、なんでメイド服なの?
てかそんなことより俺、やっぱり死んだの?
そしてなんでお姫様抱っこされてるの……?
「記憶はございますか?」
黒髪の美女に訊かれ、俺はコクコクコクと頷いた。
肩に美女の胸が当たってドキドキするが、今はそれどころではない。
「お名前を聞いても?」
「く、黒江です……」
「クロエ様ですね。いい名です」
なんだかニュアンスが違ったような気がするが、訂正する気にもなれなかった。
ただ、身体が思うように動かないので、ずっと抱えられたままである。
そして、美女メイドは俺のことを抱えて歩き始めた。
どこかへ連れていかれるのだろうか。
未知の場所過ぎて、どこへ連れていかれるのか想像もつかない。
「――あの、俺は本当に死んだんでしょうか?」
美女メイドに訊く。
すると彼女は眉一つ動かさずに、
「はい。先ほども申し上げましたが、前世でのあなた様は亡くなっております」
「ここが夢とかってことは……」
「ございません。現実です。ですが……クロエ様にとってここは違う世界ですので、ある意味では現実ではないかもしれませんね」
「…………」
すぅ―――。
これはもしや、異世界転生というやつか。
アニメやゲームである展開にまさか俺が巻き込まれるとは……。
いやまだ夢って可能性もあるが……。
さすがにリアリティがありすぎるな。
触れた感触もちゃんとある。夢にしては、出来すぎている。
死んだ。ということは、死因があるはずだ。
俺の記憶の最後は、事務所で残業していたところまでだ。
急に視界がぼやけてきて、眠くなったのは覚えている。
ということは、そのまま死んだ……ってコト!?
う~ん、特に持病もなかったしなぁ。
過労がたたって寝ている間に心不全にでもなったのだろうか。
……まあ、もう過ぎたことなのだから考えても仕方がないか。
近しい人もいなかったし、あのままあの世界で生きていても楽しいことなんてなかっただろう。心残りと言えば、やり残したゲームがあることや見終わっていないアニメがあったことくらいだしな。
「――到着しました。ひとまずクロエ様にはこの部屋で休んで頂きます」
「うわあ……」
お姫様抱っこされて連れてこられたのは、ご立派なスイートルームだった。ベッドもあるし見たところトイレや浴室もある。雰囲気も良く、西洋の一流ホテルのようだ。
そしてそのまま流れるように俺はベッドに寝かされる。
まだ足は動かない。しかし、感覚は戻ってきていた。
「色々と混乱されているでしょうが、今は私を信じていただきたく存じます」
「あ、はい……」
信じるも何も、今頼れるのはメイド姿の美女であるあなたしかいないのです。まだ名前も知りませんが……。
「今から話すことは紛れもない真実です」
とても真剣な面持ちで言うメイドさん。
俺も心して聞いた方がよさそうだ。
「――あなたはこの世界に、魔神として召喚されました」
「…………まじん?」
マジンとは、あれか。ランプの魔人的なやつか。
「魔を司る神と書いて魔神です。数百年前、魔界がまだ存在していたころに数多の魔族たちを従えていた存在。それが魔神です」
「……魔神、ですか」
魔神、魔神ね。
ゲームやアニメに精通していたおかげで何となくわかるんだけど、これはどうやらファンタジーな世界に来てしまったようだ。まあ、異世界転生のお約束みたいなものか。そもそも霊的な力がある世界じゃないと、こうやって魂を呼び寄せるみたいなことは出来ないだろうしなぁ。
「はい。この屋敷の主であり、ここエルドラ領の領主であるガエル・ワイズマン様の命により、あなたは召喚されたのです。――禁断魔術によって」
横になったまま、俺はメイドさんの話をひとまず受け入れる。
というか、冗談を言っているようには聞こえない。
となると、俺は異世界で魔神として召喚された、ってのは事実ということだろう。
魔神の定義はまだあやふやだが、弱っちい存在ではなさそうだ。
そして禁断魔術ときた。
そりゃ人の魂をどうこうするのだから、自由に出来ることではないんだろうな。さすがの異世界でもタブー的な何かなんだろう。
「あの……。なぜ、そのようなことを……?」
恐る恐る訊いてみる。
何か理由があって禁断魔術を行使したに違いない。
禁断っていうくらいなんだからリスクやコストはかかっているのだろうし。明確な召喚理由というものがあるはずだ。
「簡単に申し上げると、戦力として、です。魔神は個人の力もですが魔族を従える能力を持っています。軍勢としての戦力的価値を期待されているのです」
「な、なるほど……」
戦力的価値を期待されているのなら、俺にはそれだけの力があるということか。今のところそんなもの何も感じないんだけど、念じればファイアボールでも出せるのだろうか。
…………。
一応念じてみたが、何も起きなかった。
俺、本当に魔神なのだろうか。
「そしてこれが最も重要な事なのですが――」
「……?」
「――召喚に失敗した可能性もある、ということです」
「…………えっ」
失敗、だと?
つまりなんだ。俺は何の能力も持たない雑魚の可能性もあると?
「魂が適合しなければ、魔神としての力は発揮されません。ただの人間――いえ、それ以下の存在になります。主である魔神がいなければ、魔族は魔法が使える人間よりも非力ですから」
真顔でそんなことを言うメイドさん。
なんだかとても嫌な予感しかしないのだが。
「――……あの、ちなみに俺はどっちなんでしょう?」
再び恐る恐る訊いてみる。
もし、俺が失敗した存在だとしたら、その後どうなるんだ?
戦力としても使えないとなると、存在意義がなくなるんじゃないか?
このスイートルームみたいな部屋も、俺が戦力として期待されているからあてがわれたものだとしたら、価値が暴落した際に、どうなってしまうのか。領主のガエル・ワイズマンという人が心の広い人だったらいいが、そうじゃなかったらどうなることやら――。
「それは……まだわかりません。魂の適合、覚醒には時間がかかると言われています。ですので、しばらくの間、ここで様子を見るように言われているのです」
「……そう、ですか」
さっきから己の女声が気になっているが、それどころではないかもしれない。
魔神として覚醒するのか、それともただの失敗作で終わるのか。
異世界に転生して、ここが一番のルート分岐点な気がする。
召喚が成功していた方が、きっとこの先上手くいくことだろう。
だがもし、失敗だったら?
その時どうなるのか、あまり考えたくはないな……。
「こちらの都合に付き合わせてしまって本当に申し訳なく思います。ですが、器はあなたという魂を選びました。きっとこれには意味がある。我が主もきっと理解してくれるはずです」
そう言うと、メイドさんは一瞬難しそうな顔をした。
そして、彼女は何やら思い出したかのように口を開く。
「――そういえば、まだ私の名前を言っていませんでしたね。私はベレニスと申します。この屋敷で働くメイドであり、ガエル・ワイズマンに仕える者。今はそれだけ理解していただければ結構です」
「ベレニスさん、ですね。――あの、申し訳ないんですけど……」
急激に睡魔が襲ってきた。
ベッドに横になっているとはいえ、これは抗いきれそうにない。
これは召喚の副作用なのだろうか。
考えることも億劫になってきた。
目を開けるのも辛い。
ああ、これはダメだ……。
寝てしまう……。
「ええ、大丈夫ですよ。今はゆっくりとお休みください。一段落したらまた私が様子を伺いにまいりますので」
「――あ、はい……。おねがい、します……」
そうして。
俺は異世界に来て早々眠りにつくのだった。