クロエ・ノル・アートルム
どれくらいの時間が経過したのか、俺は精神世界で延々とエリーゼさんとの訓練を続けていた。知識も、知恵も、戦術も魔術も体術も、学べることは学びつくしたといってもいい。精神世界だからか、肉体的な疲労はなく、半永久的に訓練を継続することが出来た。
この場所も、エリーゼさんの力で変化を遂げていた。
ある時は森に、ある時は山に、そしてある時は海に。
訓練を止め、休息をとる時なんかは家の中になったりもした。
無限に身体が動くといっても、ずっと訓練をしていたわけではない。
時にはエリーゼさんと会話をしたりもした。魔界でのことや、使徒や仲間のことを聞いたりして、精神世界ながらゆったりとした時を過ごすこともあった。身内のことを話すエリーゼさんはとても楽しそうで、本当に大切な存在だったことが聞き取れた。
そんなこんなで現在、最終試験的な訓練の真っただ中だ。
精神世界で積み重ねてきた時間。その集大成。これがエリーゼさんとの最後の特訓。内容はシンプルで、彼女が生み出した分身を全て倒すというものだった。ちなみに、ステージは闘技場のような場所だ。
「ほらほら! 分身体はまだ残ってるよー!」
分身といっても、姿かたちはただの人形だ。
だが、この人形一体一体が異常に強い。
これまでの訓練で結構強くなれたつもりだったが、それでもかなり苦戦を強いられている。
「精神世界だからって分身一体一体が最上級魔術を放ってくるってのは、ちょっとやりすぎじゃないですか――!?」
マネキンのような真っ白い人形から、それぞれの属性による最上級の魔術が俺に飛んでくる。
威力も有効範囲もバカげた術だ。普通にやっていてはまず躱せない。
躱せないのなら受けきる。もしくは打ち消す、だ。
俺は迫りくる各属性の魔術を、同じ属性の魔術でかき消した。
魔力が無尽蔵だというのはありがたい。なんの憂いもなく最上級の魔術を行使できる。
「はは! これが最終試験だからね! 容赦はしないよー!」
「ほんとに、情けってものがないんだから――!」
そこそこスパルタに育てられたので、今更ではあるのだが。
しかし、これは最終試験。踏ん張りどころだ。
「この人形、体術もキレッキレだなほんとに――」
もちろん、人形たちは魔術だけではなく、接近戦も仕掛けてくる。
それにたいしては同じ体術で対応しろとのことだったので、エリーゼさん直伝の格闘術で応戦をする。
「っと、あぶない……!」
さすがに5体も同時に相手するのは厳しいものがある。
しかも、その一体一体がやはりというか達人級の動きをするものだから、楽にさばけるなんてことはない。丁寧に対応していくしかないのだ。
1体1体確実に倒していく。
魔力を体術に乗せてブーストし、性能を底上げする。
気の遠くなるような戦いだったが、それもようやく終わりが見えてきた。
「これで――!」
残り1体。
集中力を切らさずに、最後までやり遂げるんだ……!
「ラスト1体か~。さすが私の弟子だ。中々やるねぇ」
「伊達にここで修行を積んできたわけじゃないですからね――!」
最後の一体を掌底で吹き飛ばす。
これで、人形は全て片付けた。
最終試験、終了だ。
「素晴らしい! 私の想像をはるかに超える成長ぶりだね! クロエくん、キミを選んで本当に良かったよ」
「ありがとうございます……。私も頑張ったかいがありました」
精神世界で、だが、俺はかなり頑張ったと思う。
エリーゼさんの教えに、よく耐えたなとも思う。
これが現実世界だったら、体力的に無理だっただろう。
これだけの無理と無茶と無謀を押し通せたのも、ここが精神世界だったからだ。
「今のキミなら使徒たちに後れを取ることはないだろうね。クロヴィスはああいう子だから問題ないけど、他の子は気性が荒かったり挑戦的だったりする子もいるから、キミ自身が強くないと彼らを従わせるのは難しい。でも、今のキミなら大丈夫さ。使徒の力を開放してあげた上で、それよりもキミの方が強いよ」
「そうだといいんですけどね……。なまじここが精神世界だから、現実に戻ったときにちゃんと経験が活きているかが不安で」
「まあ、それは現実に戻ってからのお楽しみかな。慣れない感覚だとは思うけど、そこは頑張って耐えてね」
「た、耐える、ですか……?」
どういう意味だろうか。
まあ、深い意味はないのかもしれないが。
「言葉の通りの意味だよ。こればっかりは現実世界に戻ってみないとわからないかな」
「……?」
ま、まあ、現実に戻ればわかるのなら、その時に確かめればいいか。
何はともあれ、この精神世界でやることは終わったのだ。長く奇妙な体験だったが、なんとか終えることが出来た。なんだか感慨深いものがあるな。
「それじゃ、最後に。私の名前をキミに託すとしようかね」
「名前ですか? 私もエリーゼを名乗った方がいいでしょうか……?」
「ああ、違う違う。キミはキミだからそのままクロエちゃんを名乗ってくれていいよ。ようはファミリーネームってこと」
「なるほど、そういうことですか」
本来、俺のファミリーネームが黒江なんだが、まあそれはこの際気にしないようにしよう。それに、トオルって名前はこの身体にしっくりこないしな。クロエの方が女の子っぽくて似合っている。
「私は黒の魔神エリーゼ・ノル・アートルム。その魂名をキミに託します」
「――あ」
何か温かい光のようなものに包まれた。
精神体だけど、確かな熱量がそこにはあった。
これが、名を戴くということなのだろうか。
「名を魂に刻んだんだ。変な感じだったかな?」
「いえ、温かい感じでした。とても、優しい……どこか包まれているかのような……」
「そいつはよかった。これからキミの現実世界での名はクロエ・ノル・アートルムだ。どう? 良い名前でしょう?」
「はい……! なんだかカッコいい名前ですね!」
「だろだろ? 魔神っぽくなったんじゃないかな。名は体を表すって言うからね。これでキミの存在にも箔がつくってもんさ」
「はは、そうだと嬉しいです」
クロエ・ノル・アートルムか。なんだか厨二臭い感じもあるけど、確かにカッコいい名前だ。なんだか自分にはもったいない気分でもあるけれど。せっかく貰ったんだから大事にしよう。
「クロエくん、私が為せなかった使命を背負わせて本当に悪いんだけど、お願いするよ」
「はい。この世界で、魔族達が暮らせる居場所になること。エリーゼさんが果たせなかった使命、私が引き継ぎます」
崩壊した魔界から、この世界へ魔族達を転移させるため、自身の命を削った優しい魔神。その器を俺は使わせてもらっているのだ。その意思を継ぐことを、俺は快諾した。彼女の理想を、今度は俺が実現するために。
「これで引継ぎは終了だ。本当にお疲れ様だったね」
「お疲れさまでした……!」
長い長い特訓の時間は終わった。
これが現実世界だとほんの一瞬の出来事だというのが、いまだに信じられない。
「本当に、ありがとうございました。エリーゼさんのような優しくて心強い人の跡継ぎが出来てよかったです。ここでの経験を糧に、この世界での、自分の使命を全うしてみせます」
エリーゼさんが成し遂げられなかったこと。
それを、俺が代わりにやり遂げる。
それが彼女への恩返しにもなるはずだ。
「うん、ありがとう。それじゃ最後に、一言だけ言わせてほしい」
「はい」
「私の家族を、お願いね」
「はい……っ」
俺はエリーゼという魔神から、力を、想いを託された。
それは、とてつもなく大きな力となって俺の中に宿っている。
だから、クロエ・ノル・アートルムとして、この世界で頑張っていこう。