やっぱり魔神らしい
クロヴィスさんに連れられて、俺はとある一軒家にたどり着いていた。
なんてことはない普通の民家みたいだ。殺風景だが、手入れは行き届いているのか汚れは少ない。
「ここでお待ちください」
クロヴィスさんは俺を丁重にベッドに座らせると、外の様子を確認しに出ていった。
「ふぅ……。一度冷静になろう」
この世界に来てからの展開を整理しようと思う。
一番初め、領主の宮殿で俺はこの世界に転生した。
その際に、魔神の身体に魂を移したのだとベレニスさんに言われた。
しかしその後、魔神としての転生は失敗だと判明し、ガエル・ワイズマンの手によって屋敷を追放された。
「追放されてから、あの工場で働き始めたんだよな――」
追放後、俺は魔導兵器製造工場で強制労働を強いられていた。
行く場所も当てもない俺は、そこで働くことで何とか生活が出来ていた。
強制労働とは言うが、住む場所と食事は最低限度与えられていたので、苦しいながらもなんとかやっていけていた。
そして、グエンさんが殺された。
監視員が俺を撃とうとして、それをグエンさんが庇ってくれた。
その直後にモーリア大臣が現れ、俺達をクルマで屋敷に連れて行った。
俺は睡眠薬か何かを飲まされ、気づいたらベッドに拘束されていた。
「そして、クロヴィスさんが俺を助けてくれた、と――」
モーリア大臣を殺害し、俺の拘束を解き、この家まで逃がしてくれた。
思い返してみても周りに流されてばかりだ。
生前の俺とやっていることは変わらない。
踏み込んで監視員に言葉を吐き出したみても、結果は最悪だった。
俺の愚かな行為で、グエンさんは死んでしまった。
ゼスさんとレベッカさんも、捕らわれたままだ。
「2人だけでも助けに行かないと……」
だが、俺には力がない。
今更モーリア邸に乗り込んでも、すぐに捕まるのがオチだろう。
……なら、クロヴィスさんにまた助けてもらうか?
それで解決するのなら、そうした方が最善だろう。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
俺のせいで2人は捕まった。それを、他人に任せていいのだろうか。
「だけど、力がないんだからどうすることもできないじゃないか……」
俺は頭を抱えた。
考えても真っ先にクロヴィスさんに助けてもらう手段が浮かぶ。
俺の力は何もない。何もできない。ただの、役立たず――
「――想いだけでは何も成就できず、力だけ持っていてもそれはただの暴力となる。両方が備わり、志を同じくする仲間に支えてもらうことで何かを成し遂げることが出来る――」
顔を上げると、クロヴィスさんが部屋に戻って来ていた。
「クロヴィスさん……」
「今のは我が主の言葉です。それと、事情は把握しておりますので心配なさらず。ですが、今のクロエ様は色々と混乱しているご様子。まずは少しお話を致しましょう」
言って、クロヴィスさんは部屋のソファに腰かけた。
燕尾服のような服に、白い手袋。着替えてきたのだろう。血が消えている。
クロヴィスさんは、まるで執事のような格好だが、彼は自分のことを黒の魔神の使徒だと言っていた。そして、俺の身体が魔神だとも。
「わかりました。クロヴィスさんの言う通り、少し頭の整理が追い付いていないみたいなので……」
「ええ。では――」
そうして、クロヴィスさんは語り始めた。
「まずは誤解を解いておきましょう。あなたのその身体は、紛れもなく魔神そのもの。モーリア大臣には虚偽の情報を教えていました。その方が上手く事が運べると思ったからです」
「ということは、私には魔神としての力が眠っている……と?」
「そうなります。ですが、それは魂を器に入れるだけでは目覚めないものです。前任の魂、その欠片を取り込むことによって力が開放される」
「前任の魂……ですか……」
この身体は元々俺ではない何者かの魂が入っていた。そしてその魂こそが魔神としての証明。俺の魂が入っていては、真に魔神として覚醒できない、ということだろうか。
「はい。少しばかり昔話を致しましょう。この世界ではないどこか遠くの別世界。ここでは魔界と呼ばれる世界。そこでは、この世界で言う魔族と呼ばれる者達が争いを繰り広げていました。何百年も戦い続け、大地は血で汚れ、人々は疲弊しきっていた。そんな中現れたのが黒の魔神と呼ばれる、あなたの前任……いえ、先代といった方が正しいですね。ともかく、あなたの先代が戦いを終着へと導きました」
「こ、この小さな身体で……?」
なんというか、俺の身体は専ら幼女である。こんなか弱い身体の持ち主が何百年も続いた戦いを終わらせたというのか。
「フフ、身体の大きさは関係ありませんよ」
クロヴィスさんはクスっと笑みを浮かべた。
「先代はその恐るべきカリスマ性と能力で数ある種族の頂点に立ちました。数多の種族を従え、他勢力を取り込み、巨大な軍勢となった。逆らうものは他の魔神の勢力くらい……、世界の半分は手中に収めていたといっても過言ではありませんでした」
「世界の半分も……!」
それは凄いな。世界の半分といったら元いた世界ではいったいいくつの国が合併していることか。そんな大国が存在してしまったら、その国が世界の全てをコントロール出来てしまえそうだ。
「そのおかげで、あちこちで起きていた紛争は次第になくなっていき、せいぜい他の魔神の勢力がウチの勢力に喧嘩を売る程度の小競り合いが起きるくらいの穏やかさにまで世界は変貌を遂げていました」
「反発していた勢力もあったんですね……」
「ええ、そうですね。ですが、大きな力を持つ黒の魔神が全ての争いの抑止力となった。神と崇めるものさえもいた程です」
「神……。で、ですが、全てを支配しようとは考えなかったんでしょうか……? 他の勢力も国も一つにしてしまう力があるんだったら……」
「ええ。そこが先代の素晴らしいところでした。来るものは拒まず、かといって他を淘汰しない。まさに理想の国の在り方でした。諍いばかりが蔓延っていた世界にも、ようやく平和がやってきたのだと、そう思っていた程です」
昔をなつかしむかのように、クロヴィスさんは遠い目をしていた。
きっと、クロヴィスさんにとってはいい時代だったんだと思う。喋り方から、そういう雰囲気が伝わってくる。
「ですが、そういう時代はそう長くは続きませんでした。私たちが暮らしていた世界は、唐突に終焉を迎えたのです」
「そ、それはどういう……」
「その名の通りですよ。星の寿命とでも言いましょうか。あれままさしく終末でした。隕石が降り注ぎ、獣が異形と化し、水は枯れ果て、大地は割れた。生命が暮らすことのできなくなった世界。数々の命がその灯を散らしていきました。無論、先代は抗いました。しかし、世界の終焉にはその力を以てしても覆すことは出来なかった」
クロヴィスさんは一度目を伏せ、すぐに戻す。
「ですが、我々はこの世界に逃げ延びることが出来た。正確には転移することができたのです。先代の力を、その命を使うことによって」
「…………」
哀しき表情をするクロヴィスさん。
なんとなくだけど、予想がつく。
この身体がからっぽだった理由に関係している。
俺は、そう直感した。
「先代は生き残った全ての者をこの世界へと転移させました。その魂を代償にして、とても大きな転移魔術を行ったのです」
「それじゃあ、この身体は……」
「魔界の支配者であった黒の魔神、その人の器です。我ら魔族全ての命の恩人。そして、私の主でもありました」
ずしっと、何か重みのようなものを感じた。
この身体は、俺なんかが自由にしていいものではない。
でも、どうして俺が選ばれたんだろう。単に偶然だろうか。
「私は……」
どうすればいいんだろう。
この身体にはたくさんの想いが向けられている。
この世界にいる魔族は、まだ歴史が浅いとモーリア大臣は言っていた。
今、その理由がわかった。彼ら魔族は、先代の黒の魔神によってこの世界に転移させられたのだ。
「私は先代から色々なものを託されました。この禁断魔術による魂の転生も、先代から教えられたものです。ですが、この世界でも我々は、あまりにも貧弱でした。禁断魔術を行使しようにもそれだけの魔力がなかったのです。だから、人間たちの力を利用しました。準備には何十年もかけ、ご存じの通りモーリア大臣をも利用し、ガエル・ワイズマンが擁する帝国魔術師達の力を使ってあなたを召喚したのです」
「も、もしかしてベレニスさんも……」
「ええ。彼女も私の仲間です。彼女はもう何十年も前からワイズマン家に尽くしてきました。彼らの信用を得るために、ずっと身を粉にして働いてくれたのです。それらも全て禁断魔術を成功させ、あなたの魂を転生させるため。しいてはこの世界で魔族達が安寧の日々を送るためです。ベレニスはその身を犠牲にしてよく勤めてくれました」
「そう、だったんですか……」
ガエル・ワイズマンが幼い時からベレニスさんは彼らに尽くし、信用を勝ち取った。そしてモーリア大臣をクロヴィスさんが騙し、後押しとしてベレニスさんが動いた。そんなところだろう。
「クロエ様には、我らを導いて欲しいのです。この世界にやってきた魔族たちの多くは記憶を失くし、力を失い、弱者となり果てて、バラバラになってしまった。そんな我らをまとめ上げ、統率し、率いて欲しい。もちろん、身勝手な頼みとは理解しております。ですが、この世界で魔族の頂点に立てる者はあなたしかいない」
「魔族の頂点……。私が……」
正直、実感が湧かない。
クロヴィスさんが慕ってくれているのもわかる。多分、この人は嘘を言っていない。モーリア大臣とは違う。誠実さが見て取れる。
でも――。
「そんな力、私にはない……。さっきクロヴィスさんもおっしゃっていました。想いだけでは何も成就できないと。確かにそうです。私は仲間2人助ける力もない。そんな私が、あなた方魔族を率いることが出来るのでしょうか?」
「無論、今の状態では難しいでしょう。ですが――」
言って、クロヴィスさんは懐から何かを取り出した。
小さなビンだ。中には赤い液体が入っている。
その液体を見て、何故か心臓がドクンと跳ねた。
「これは先代が残した霊薬……。曰く、先代の魂の欠片。これを飲むことで、新たな魂が真に魔神として覚醒する……先代はそんな風におっしゃっていました。ですが、同時にリスクも伴う、と。もし適合しなければ新たな魂は消滅する。そうも言っておられました。正直なところ、リスクはかなり高いかと思います。それでも、どうか……。先代の意思を継ぎ、我らの主になっていただけるのなら――っ」
クロヴィスさんの表情は、色んな感情が入り混じっているように見えた。
この世界に来てからの間、先代という柱を失い魔族たちはバラバラになってしまった。この世界で、魔族は弱者であることを俺は痛い程よく知っている。
「私は……」
あの霊薬を口にして、俺の魂が本当の意味で適合しなかったら、消え去ってしまうということか。成功確率はわからないけど、クロヴィスさんの感じを見るに、それすらも予測不可能なんだろう。
もしかすると、成功の確率は1%もないかもしれない。
限りなく分の悪い賭けかもしれない。
それでも、魔神の力を手に入れられるのなら、ゼスさんとレベッカさんを救えるかもしれないのだ。クロヴィスさんの言う、魔族を率いる存在になれるのかもしれないのだ。それはつまり、これまでの俺とは全然違う存在に変われる可能性があるってことだ。
わかるのは、ここで何もしなければ何も変わらないということ。
リスクを負ってでも踏み出さなければ、俺は今までの俺のままだ。
――なら、今しかない。
変わるのなら今この瞬間しかない。
俺よ……黒江透よ。ここで一歩踏み出さなきゃ夢見た理想には届かないぞ……!
「――そのビンを、いただけますか?」
「クロエ様……! ええ、もちろんです……!」
クロヴィスさんは今にも泣きだしてしまいそうな顔で、俺にビンを渡してきた。きっと、彼も必死だったのだ。仲間のため、この世界で生き抜くために、何年もかけて準備をした。禁断魔術によって魂を器に入れるために、自らを殺してモーリア大臣に仕えてきたんだろう。
でも、ここで俺が首を横に振れば、長年かけて願ってきた想いが全て崩れ落ちる。だから、クロヴィスさんは震えていたんだ。人の意思までは、変えられないだろうから。
俺は、クロヴィスさんの行いに報いたい。
何かの因果で俺の魂が選ばれた。
だけど、それもきっと運命だ。選ばれるべくして選ばれたんだ。
俺は意を決し、瓶に口をつけ、
「…………――っ」
そして、俺はその霊薬を一気に飲み干した。