わたしの知らない世界 3
ホラーらしくないですが、私としてはホラーのつもり。
「かくれんぼ大会?何それ⁉︎そんなの聞いてないんだけど!」
私が、む〜んと顔をしかめると、啓介は、え?という顔になった。
「あ……あれ?言わなかったっけ?」
徐々に私が不機嫌な表情になっていくと、啓介は困ったようにオタオタと手を動かした。
「知らないわよ。それとも啓介には、言った記憶があるわけ?」
現在私たちが立っているのは、横浜から神戸に向かう豪華客船の甲板だった。
船内での豪華なディナーとショーで私は非常にご機嫌だったのだが、急に時計を見た啓介が、ヤバい!イベントの時間に遅れる!と叫び慌てて私の手を掴み上がっていったのだ。
そして、私は啓介から初めてイベントの話を聞いたのである。
「今回のクルーズには景品付きのイベントがあるって聞いて申し込んでみたんだ」
「景品?」
「聞いて驚け、朱音!都内の高級ホテルの特別ディナー券が貰えるんだぞ!」
あら、と私は目を見開いた。それはちょっと魅力的だ。
だが、それを手に入れるためのイベントが、かくれんぼ大会?
「いや俺も、ビンゴ大会でもやるのかと思ってたんだけど。まさか、かくれんぼとはなぁ」
そう啓介は溜め息を吐いたが、吐きたいのはこっちの方だ。
私は甲板に集まっている乗客を見回した。ざっと見て50人ほど。
「申し込んだ客全員が参加できるわけじゃなく、抽選で決まるんだ。かなり競争率高かったみたいだぜ」
俺のくじ運に感謝しろよ、なんていう啓介を、私はジロリと睨んだ。
「何が感謝?バッカじゃないの?」
はあ?なんでさ⁉︎と啓介が首を傾げるのを、私は呆れたように見る。
「私は参加しないから、啓介一人で頑張って」
「ええ〜なんでだよ?高級ホテルのディナーだぞ!」
私は、キッ!と啓介の顔を正面から睨んだ。
「だから、啓介が頑張ればいいじゃない!言っとくけど、このドレスいくらしたと思ってんのよ⁉︎」
え?と目を瞬かせる啓介に、思わずぶん殴ってやろうかと私は拳を握った。
啓介の出張で無駄になるはずだったドレス。最初の予定とは違ったけど、豪華客船のディナーでドレスが着れた。なのに。
こいつは、何も気付いていないのか。他の参加者は、皆動きやすい格好をしている。
ディナーから直接来ましたって格好をしているのは私たちだけなのだ。
「この格好でかくれんぼしろって?絶対汚れるに決まってるでしょうが!」
あ、と今気づいたいう顔になった啓介だが、次に出た台詞が、汚れたらクリーニングに出せばいいじゃないかだったので、私はピキッと切れた。いつもなら手が出ているところだが、さすがに人が大勢いる中ではまずいので我慢する。
せめてディナーの時に言ってくれていれば、早めに部屋に戻って着替えられたのに。
「じゃ、後はよろしく〜ディナー券期待してるからね」
「え?え?ちょ……朱音〜〜」
「…………」
背を向けた私を慌てて呼び止める啓介の声が聞こえたが、私は振り向かないまま部屋に戻っていった。まったく、啓介ったらどうしようもないんだから!
私は、ブツブツ文句を言いながらドレスを脱いで、ベージュの長袖ニットに濃紺のボトムスに着替えた。
「冗談じゃないわよ。ホントに高かったんだからぁ」
それも、一目で気に入ったドレスだ。甲板でかくれんぼなんかしたら、確実に汚れるし、破損でもしたら泣くどころではない。
私は脱いだドレスを丁寧にハンガーにかけると、備え付けのロッカーに入れた。
「それにしても、啓介ったらホントにかくれんぼをする気かな」
あの格好で。夕食時にはドレスコードがあるから啓介もスーツに蝶ネクタイという格好だ。
スーツは持っていたので、買ったのは蝶ネクタイだけだが、それでもクリーニング行きは間違いないだろうなと思う。
だいたい、なんでかくれんぼ?それも甲板で。
私は溜め息をつきながら仰向けにベッドに寝転んだ。
今日は朝からバタバタしてたから、ちょっと疲れた。
フゥ〜と息を吐いてから目を閉じる。そう、目を閉じただけのつもりだったのに、どうやらそのまま眠ってしまったみたいで、ハッと気づいたら一時間以上が過ぎていた。
起きて見回しても、啓介の姿はなかった。
まだやってるのだろうか。そういや、かくれんぼって、時間制限なく見つかるまでやるのかな。
いやまさかなあ、と私は首を振った。
様子を見に行くか、と私は立ち上がって部屋を出た。廊下はシン……と静まり返っていて、明るいのに何故か不気味な感じがする。
「そういや、誰とも出会わないなぁ」
遅い時間だといってもまだバーが開いている時間のはず。従業員一人見ないのもなんだかなぁ?と私は首を傾げながら甲板へと上がっていった。そして、私が見たのは、人っ子一人いない、ガランとした甲板だった。
「あれ?なんで誰もいないの?」
かくれんぼ大会とはいえ、見つける鬼がいるはずだし、第一誰も見つかってないなんてないだろう。
考えられるのは一つ。既にイベントは終了していて解散した後だということだ。
だが、啓介は部屋には戻っていない。ということは────
「バーに飲みに行ったか」
私は腰に手を当てて俯くと、ハァッと短く息を吐き出した。
無理だったか。わかってたけどね。
まあ、ホテルのディナー券は魅力的だったが、別に取れなくても構わなかった。
(どうしよっかなぁ……今からバーに行くのもかったるいし〜)
戻るか、と私は海風で乱れた髪を軽く整え部屋に戻るべく向きを変えた時、背後から焦ったような声で呼び止められた。
「いた!人だ!人がいたあ!!」
待って!と大声を上げながら走ってきた男に、私は目を瞬かせた。
乗客なのだろうが、なんというか──ダサい。
年齢は30代前半に見えるが、とにかく格好が古臭いのだ。
灰色の背広に赤と黒のストライプのネクタイってどうよ?しかも、背広のボタン止めてないし。
「良かった、人がいて!もうこの船には自分しか乗ってないかと思ってたんだ!」
心底ホッとしたような顔の男に、私は首を傾げる。何言ってんだ、この人?
駆け寄ってきた男は、啓介より長身だった。しかも、なかなかのイケメンだ。
ちょっと俳優のOに似てる。
(惜しいなぁ。イケメンなら、それなりの格好があるでしょうに)
「えーと、イベントの参加者ですか?」
「イベント?いや、俺は取材でこの船に乗ったんだ」
「取材ってじゃあ、あなた記者か何か?」
新聞記者だ、と男は言って懐から出した名刺を私に手渡した。
(うわ……Y新聞社じゃん!)
「豪華客船の取材に行って来いと言われて横浜から乗り込んだんだけど、部屋でうたた寝してたらいつの間にか暗くなってて、慌てて廊下に出たんだが」
何故か船の中は、自分以外誰も居なくなっていたのだと言う。
「ええ〜」
そんな馬鹿な、と私は笑って首をすくめたが、男の表情は硬いままだった。
「実際、甲板には誰もいないだろう?」
「それはイベントで」
あ、もう終わってるんだっけ。
「イベントって?」
「かくれんぼ大会。豪華客船でやるイベントとしてはどうなんだろうと思うんだけど」
「かくれんぼ……ここで?じゃあ、乗客はみんなどこかに隠れていると?」
「いや、乗客全員じゃないけど。抽選で選ばれた乗客だけで。50人くらいいたかなぁ?私は参加しなかったからどういうルールなのか知らないけど」
「じゃあ、まだ隠れてる乗客がいるかもしれないのか?」
「それはないでしょう。とっくに終わってるわよ。まだやってるなら、誰かいるはずだもん」
「じゃあ、一通り見回ってみないか」
え?と私は男の顔を見た。
「甲板を?いいけど」
私は頷くと、男と一緒に歩き出した。
男の言うことを信じたわけじゃないが、一応甲板に人の姿が全くないのは確かだし。
まだかくれんぼやってるとは思わないけど──うーん、と首を捻りかけたその時、ガタッと音がした。物が倒れた音のようにも聞こえたが。
音のした方に目を向けると、壁かと思った場所に取手のような物があることに気がついた。
ドアといっても幅が狭いので掃除道具でも入れてるのかもしれない。
しかし、日中なら目に入るだろうが、夜だと影になっているので気づかないかもしれない。
たまたま音が耳に入ったから気づいたのだ。
急に立ち止まった私に、男がどうかした?と聞いてきた。
「ねえ。こういうとこって、かくれんぼで隠れる人っていそうだと思わない?」
え?と男は見て、ああそうだねとうなずくと同時に、私は取手に手をかけて勢いよく引いた。
すると、予想通り中でしゃがみ込んでいた男と目があった。
ポカンとなった男の顔を見た私は、そのままゆっくり元のように閉じた。
そして、何事もなかったように私は歩き出した。
「え、ちょっと!中に人がいたけど⁉︎」
「……いたわね。いいの。せっかくだから賞品のために頑張ってもらいましょ」
「もしかして、知ってる人?」
私のダンナ、と答えると男は目を丸くし、背後でバンバンとドアを叩く音が響き渡る。
「朱音ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ドアを開けると、啓介は転がるように中から出てきた。
大丈夫?と私が腰を屈めると、啓介は泣きそうに顔を歪めて私を睨んできた。
「朱音〜、なんで閉めるんだよぉぉぉ!」
「だって、あそこに隠れてたんでしょ?鬼に見つかったらダメじゃない」
「それどころじゃないんだって、朱音ぇ!どうも、俺、忘れられちゃったみたいでさ」
啓介は、あの場所に隠れたはいいが、出られなくなったらしい。ドアは閉じるとロックがかかるらしく、外からは開けられるが、中からは開けられないようだ。
まあ、物入れだし、人が入る前提にはなってないから何も問題ではないけど。
「まさか、中からは開かないとは思わなくって、しばらくはじっとしてたんだ。そうしたら、人の声がどんどん小さくなっていって、気づいたら声どころか音すら聞こえなくなって」
啓介は、存在を忘れられたままイベントが終了したと思い、慌てて出て行こうとしたのだがドアは開かない。で、気づいてもらおうと中から無茶苦茶に叩きまくったのだが、既に甲板には人がいなくなったのかドアは開けられなかったのだという。もう朝までこのままかと諦めていたら。
「そうしたら、朱音がさあ」
「うん。最後まで見つからなかったんだから、ディナー券は私達のものね!」
やった!と、私はぐっと拳を握った。
「この状況で、ほんとに呑気だな」
呆れたような声が聞こえ、啓介はようやく男の存在に気づいたという顔をした。
「ああ、この人記者さん。取材で船に乗ったんだって」
「へえ〜」
どうも、と啓介はペコリと頭を下げると私の方に顔を向けた。
「この状況って、なんだよ」
「ああ。実はね、この船に今乗ってるのは、どうも私達だけみたいなの」
啓介は、は?という顔になった。まあ、わかる。
「確かめたわけじゃないんだけど」
この人がそう言うから、と私が言うと、啓介は、いやいやいや、と首をブンブン振った。
「そんなのあり得ないだろう!この船に、いったい何人乗ってるって思ってんだ!」
千人くらい?とコテ……と私は首を傾げる。
「まあ、もうちょい多いが──それだけの人間がいなくなるわけないだろうが!」
「だが、本当に誰もいないんだ。乗客は部屋に戻ったとしても、従業員を一人も見ないと言うことはないだろ?」
あ、と私は今気づいたと言うように小さく声を上げた。
「確かに、部屋を出て甲板に上がるまで従業員の姿を見てないわ。まだバーが開いてる時間よ。あり得ないわ」
「………」
「実は──人を探して操舵室まで行ってみたんだが」
私と啓介は、その後に続く言葉を予想し、うえっとなった。
「もしかして、誰もいなかったりして」
私が聞くと頷かれ、ああ……と溜め息が漏れた。
「んな馬鹿な!誰もいなくてどうして船が動いてんだよ⁉︎」
「あ、今気づいた。船動いてるのに波の音が全然聞こえない」
「朱音〜〜怖い!怖いってぇぇぇ!」
「啓介、うるさい!」
私は啓介の脇を肘で小突くと、くるりと向きを変え階段のある方へ歩いた。
「どこ行くんだ、朱音!」
「決まってるでしょ!こんな時は酒でも飲まないと頭が回らないわよ!」
船のバーに向かう途中でも人の姿は見えず、何の音も耳に入ってはこなかった。
本当に、千人以上の人間が消えてしまったのか。
これって、マリーセレスト号どころじゃないじゃない!
バーにもやはり誰もいなかった。
ただ、ここへ来るまで見てきた光景と違うのは、テーブルに酒の入ったグラスや、つまみがのっていたことだろうか。椅子も引かれていて、誰かが座っていたと思える光景はさすがに心臓にくる。
私はカウンターの中に入ると、グラスを出し、どの酒を出そうかと物色した。
「朱音、勝手に触らない方がいいんじゃないか?」
「だって、誰もいないんだもの。出る時お金置いていけばいいんじゃない?」
「まあ、そうか。だったら、あんまり高そうなの開けないでくれよ」
わかってるわかってる、と適当に返しながら私は、ちょっとだけお高そうなブランデーの瓶を取って啓介に渡した。啓介の眉が寄ったが、文句は言わなかったから良しとする。
後は、と私はツマミになりそうなのを探して皿に盛り付けるとカウンターの上に置いた。
カウンターの中から、啓介が入れてくれたブランデーのグラスをヒョイと取った私は、とりあえず3人で乾杯した。
私達は今、訳の分からない状況の中にいるのだが、乾杯くらい良いだろう。
それから私達は、互いのことを話した。
自分たち以外誰もいなくなった船内について、謎すぎて話し合っても無駄な気もしたし、私が朝になったら皆戻ってるかもって能天気に言ったら、二人とも頷いたからその話題はなくなった。
酒の力もあったろうが、私達は楽しく喋って笑った。
「ああ、良かった。あなた方に会えて。人を探して船の中を走り回っていた時、このままずっと俺は一人なのかと思って凄く恐ろしかったんだ」
新聞記者だという彼の、ホッとしたような笑顔になんだか慰めたい気分になって、私は彼の肩をポンポンと叩いた。
覚えているのはその辺りまでで、気づいたら私は部屋のベッドで寝ていた。
あれ?と目を瞬かせて起き上がった私は、キョロキョロと周りを見回した。
バルコニーのある窓からは、日の光が差し込んでいる。
…………朝?
着てるのはドレスじゃないから、啓介を置いて部屋に戻り、着替えたままで寝てしまったのだろうか。じゃあ、夢見てたってこと?
「って、啓介いないじゃん!」
一人だと気づいて叫んだと同時に、ドアが音をたてて開き啓介が飛び込んできた。
「あかねぇぇぇぇぇぇ!!」
「え、啓介?何?今戻ったの!」
驚く私に啓介は、気づいたらまたあの中に入ってたんでパニックになったと言った。
「叩く音に気づいた従業員が出してくれたんだけど───俺達、バーにいたよな?」
「…………」
「朱音?」
私は、チラッと腕時計に目を落としてから立ち上がった。
「その話、朝ご飯食べてからでいい?」
パカっと口を開いた啓介の服についた汚れをはたいてから、私は廊下に出た。
廊下には客の姿も、忙しそうにしている従業員の姿もあった。
朝になったら皆戻ってるかも、なんて言ったが本当にそうなった。
いや、元々誰もいなくなってはいなかったのかも。
朝食を無言で食べた後、私はコーヒーを飲みながらスマホを見た。
啓介はというと、何がどうなってるのかさっぱり分からないという顔だ。
まあ、私も訳がわからないんだけど。
だから、今わかってることを検索してみた。
「あっ!あった!」
何?と啓介が私を見る。私はボトムスのポケットから名刺を出して啓介に渡した。
「Y新聞社?ああ、そういや記者だったっけ。しげひさ?」
「重久晃一。豪華客船の取材で乗船したけど、神戸に着く前に行方不明になってる」
「行方不明?え?昨夜会って話をしたじゃないか」
そう言ってから啓介は、あれ?と首を捻った。記憶の矛盾に気づいたようだ。
「俺、隠れてたとこから出られてなかったんだよな?」
出してもらったのに、また入るなんてことはないだろう。
「私も部屋に戻ってから出てないと思う」
私がそう言うと、啓介はあれ?あれ?と首を傾げまくった。
「じゃ、夢見てた?でも、朱音も知ってるんだよな。おんなじ夢見てた?って、じゃ、この名刺なんだよ⁉︎」
「私も啓介も会ってはいるんじゃない?現実の世界じゃなかったかもしれないけど。前にもそういうことあったじゃない」
「あ、ああ……山に行った時のことか」
私はスマホで検索して見つけた新聞記事を啓介に見せた。
その記事は50年前のもので、Y新聞社の記者が神戸に着く前に船から忽然と姿を消したという記事だった。おそらく夜の海に落ちたのだろうとあった。コメント欄を見ても、遺体が見つかってないので謎の失踪となっており、ミステリー扱いだ。
写真は粗いが、消えた記者の顔写真は、間違いなく甲板で会ってバーで一緒に酒を飲んだ男の顔だった。
「変だと思ったのよねえ。若いのに、なんか漫画のサ●エさんに出てくるサラリーマンみたいな感じだったし。気づいた?彼〝カラーテレビ〟って言ったのよ」
「…………えーと、つまり?」
「船から消えてたのは、千人以上いる乗客じゃなく、私と啓介の二人だったんじゃないの」
私がそう結論づけると、啓介の口から、ひえ〜〜!と悲鳴があがった。
今回のクルーズが終わり横浜に戻ると、イベント終了まで誰にも見つからなかったということでホテルのディナー券をもらえることになった。それプラス、存在を忘れて放置してしまったという失態に、旅行社側がお詫びとしてホテルの宿泊券までくれた。私としてはラッキーだ。
帰宅してから、重久晃一について調べてみたが、やっぱり新聞記事以外詳しいことは何もわからなかった。
幽霊だったのか、それとも異次元に迷い込んで出られなくなったのか。
いろいろ考えてみたが、やっぱりわからないし、唯一残ってる存在したという証拠の名刺は、啓介のバカが図書館で借りた本に挟んで返却したらしく、慌てて探したものの結局見つからずなくなってしまった。