女記者
「鈴木、ちょっといいか?」
編集長の似鳥茂さんに呼ばれ私は顔を上げた。
私は明朝新聞に勤める記者だ。私の所属する部署は月刊のスポーツ雑誌を発行している。私は野球が専門でよく選手の取材をするのだが、先輩からはペーペーの新米扱いされているので、アシスタント扱い。記事もまともに任されていない。
似鳥編集長が私を手で招くので席を立った。傍に寄れば、レジメを渡される。
「なんですか?」
「月に一度の新企画だ」
「新企画?」
「題して、引退後のあの人は今」
「私に任せてもらえるんですか?新企画を?」
「ああ。お前になら任せられると思ってな。まず一人目は青柳文彦の取材に行ってほしい」
「えー、そこは私に決めさせてもらえないんですか?例えば今はラーメン屋を営んでいる元エースの」
名前を言おうとすると、手にしていたレジメを取り上げられた。
似鳥編集長の大きな顔が近づき、アホかと顔を歪める。
「そんなのみんな知ってるんだよ。特にあのラーメン屋は有名店。ファンなら誰だって知ってる。いいか?うちの読者は野球ファンだ。一般人は知らなくても野球ファンが知ってちゃ意味ないんだよ」
ブーブー文句を言いながら、私は青柳文彦をSNSで調べた。
青柳文彦。そんな人知らない。それなのになんで彼の引退後の人生を調べないといけないのか。もう忘れられた野球選手の一人ではないのか。
検索エンジンに引っかかった青柳文彦の顔は若かった。年齢を見て驚く。今、34歳。
「まだ若いじゃないですか。もしかしてあれですか、活躍できなくて球団をクビになった人じゃないですか。だから私も知らないんだ」
「なに言ってんだ、さっきから。お前の青春時代は野球と無縁だったとはっきり分かるな」
「青柳文彦の取材って本当ですか?あの人、見つかったんですか?」
鼻息を荒くさせながら宮市先輩が駆け寄ってきた。青柳文彦とは?と顔をしかめる私を「俺が取材してやるよ」と小突く。
「お前はだめだよ。顔が知られてるから」
しっしと犬でも追い払うかのように似鳥編集長が手を払う。
「もう忘れてますよ、八年も前ですもん」
「八年?」
ということは26歳の若さで引退したということだ。もし一流の野球選手だったとしたら、まだまだこれからなのにと言われる年齢ではないか。
声を裏返らせ、驚く私に編集長はニヤリと笑う。
「人気絶頂だったんだよ。今でもどうして辞めたんだと球団や野球ファンから惜しまれてる。引退の理由も語られるまま、現在に至ってる。女か病気かはたまたほかの理由なのか。噂はいろいろあるが球団も一身上の都合としか話さない。いくら取材しても彼の所在も引退理由も明かそうとしないんだ」
だから困ってる。と頭を掻く。
「一時期、千葉にいるって話だったんですけどね」
今度は宮市先輩が頭を掻いた。取材したときにはもういなかった、デマか引っ越したのか。
「どうして千葉にいるって話になったんですか?」
「青柳文彦の打撃フォームに似た子どもがいるってファンの間で噂になったんだ。最初は親がファンだろうくらいに思ってたんだけどな。少年野球に青柳文彦が見に来てるって話まで出て。行ったときには少年野球の保護者もそんな子知らないって」
一からかと宮市先輩はいう。
「いいか、鈴木。青柳文彦を探しだして取材するんだ。引退後の人生、現在。結婚しているのか。子どもはいるのか」
「はい」
「返事はいいけど、簡単じゃないと思うぞ。なんたって情報源が少ない。大体は親とか取材するんだけどな。早くに両親亡くしてるから」
お前には無理だろ宮市先輩は笑った。
青柳文彦は宮市先輩にとっては憧れの人物だったのかもしれない。そんな彼の取材が宮市先輩ではなく私のところに舞い降りてきた。
多少なりとも嫉妬しているのだろう。
「やってみせます」
いつも私のことをこき使う宮市先輩に目に物を見せてやると誓った。