第三十九話 開戦
うーん。両軍激突まで書こうかと思ったのですが。両陣営の戦争への経緯も書きたいのでそうすると今回は開戦だけにした方が良かったのかなと。いやでも、戦闘だからテンポ崩すのもなんだし。悩ましいとこです
バーヒル・アル=アイーブは腹の中で苦々しい思いを抱いていた。
この渡河作戦は、成功する直前に失敗した方が良かったのだ。サラセン人が渡河作戦を用意している、と思わせれば、城壁に張り付いている兵の目をターホ川にも向けざるを得なくなる。それで十分な効果があったのだ。
ところがウマル・イブン・アリーは、三千の兵をターホ川から渡し切ってしまった。然もトレドの兵に気付かれずに、だ。オマケに橋頭堡まで作ってしまった。想定していた成功以上の成功だ。
この成功は、ヤークーブ王の失点、と諸侯の目には映るだろう。それでは宰相も私も困るのだ。最低でもウマル・イブン・アリーの失脚、最も良いのは死だ。
全く忌々しい事だ。だが、今腹を立てても仕方が無い、次の手を考えなければ。
バーヒルはウマルに近づくと、笑顔をつくり、ウマル尋ねた。
「あの渡河に成功した兵たちはどの様に使うのです?流石にターホ川を挟んで、命令などは下せないでしょう」
「無理に笑顔など作るな。お前には似合わん」
とウマルに返され、一瞬どう言う意図が隠されているのか判らず混乱した。自分の腹の中が読み取られているのだろうか。
「対岸の兵は、率いているのが中々優秀な男でな、俺の意に沿うように動いてくれる。だから心配するな」
意の通りだとすると、その男が渡る前、事前に命令を伝えていたことになる。そのようなことをしていた様子は無かった筈だが。
「意の通りですか。何か指示でも与えていらしたのですか」
ウマルは、はっ、と笑い、そんな物あるものか、と言った。それから
「その男がやる事が、俺の意に沿うことだ」
と言い飛ばした。
ウマルにしてはその男の評価が高い。いや、元々ウマルには人を惹きつけるものがある。だからウマルの周りには優秀な者が集まってくる。
それにしても、先程の言葉は信頼が高かった。
「その隊長というのはどのような方なのですか。随分と信頼が高いようですが」
「ああ、元々はマラケシュで商売の勉強をしていた奴でな、冒険がしたい、と言って飛び出してしまったのだそうだ。それで、各地に旅をしながら見聞を広めて、コルドバまで流れてきたそうだ。俺に使えるようになったのは、飯は食いっぱぐれないからだそうだ。名前は、まぁ、今度本人に聞け」
と言って、闊達に笑った。
一番聞きたいことを、言葉を渋らせてしまった。仕方がない、もし自分とその男が生きて出会うとしたら、その時は名前を聞こう。
ターホ川対岸の兵達が橋頭堡を作り、トレドに向けて進軍を始めると、ウマルは騎馬歩兵の一隊に向き直り、
「貴公ら、ここですることも無くなった。サン・マルティン橋まで戻るぞ」
サン・マルティン橋付近に近付くと二百人は下らない死体が散乱していた。見慣れない武装をした死体は、敵兵のものだろう。そうしてみると、味方と敵の死体は四体六というところだろう、とウマルは見た。
意外と損害が多いな、とイサークは何をしていたのか、疑問が湧いてくる。
野営地まで赴くと、兵達は既に具足を身につけ、武器の手入れなどをしていた。ウマルを見ると立ち上がり、敬礼をした。ウマルは一々その礼に頷いていた。
軍議も開かれる天幕に入ると副官のイサーク・ベン・アル=ストゥーヒーが待っていた。
「これはウマル様、軍師殿」
ウマルは楽にしろ、と言うと、イサークは力を抜き、ウマルに状況報告をした。
「つまり民兵如きにやられただと」
とウマルは怒気を放つが、イサークは意に介さず、
「連中、訓練不足で未熟でしたが盾の壁だけはよく鍛えられていました」
「我が方も盾兵の訓練はしているではないか」
「装備が違いました。その差が出てしまったのでは無いかと」
それを聞いたバーヒルが、装備の違いについて、客観的な視点からの報告と、イサークの見解を述べてほしい、と言った。
「まずは盾の大きさが違います。人一人がすっぽり隠れそうな大きさです。盾が湾曲しているのは投射武器対策と、盾の壁を作るのに適した形状を取る為でしょう、ああ、これは私見ですが。それから武器が違いました。剣の質はともかく、短い剣を使っていました。大体七クアダハ(約六十三センチ)位です。連中と盾を合わせて分かったのですが、盾の壁を使う場合は、短い直剣の方が取り回しが効いて曲剣より便利です」
ウマルとバーヒルはイサークからの報告をゆっくりと咀嚼していた。やがて、バーヒルが困惑したように口を開いた。
「それでは副官殿は敵方の盾の壁に対して、どの様な対策を取るべきか何か意見はありますかな」
「盾と剣を一新するべきでしょう。盾と剣、何方を優先させるかと言われますと、剣です。鹵獲した盾を持ってみたのですが、案外と重い物でした。比較して軽い方の我が軍の盾は、使い方を学ぶ事で刷新しなくても良いかもしれませんから」
「とにかく剣です」とイサークは言った。
「他には何かあるか」
「敵の指揮系統が脆弱です。未熟な指揮官もいる様です。経験を積む前に叩くべきでしょう」
その答えにウマルは、しばしの間熟考した。
「イサーク。お前、野戦を仕掛けようとしているな」
「はい。亀が首を引っ込める前に仕留めたいと思っていますので」
「ふーむ。軍師殿はどう思う」
野戦か。イサークもウマルも歩兵と騎馬歩兵で叩こうとしている。二つの部隊を合わせて六千というところだろうな。
歩兵でトレドの民兵を相手にするとなると、まずは盾の壁に対抗しなければならない。だが、我が方の盾の壁は脆弱で、力負けする可能性がある。
そこへヤークーブ王が現れれば壁の盾も対処できる可能性がある。いや、できる。
それだけ考えると、
「野戦自体は、宜しいと思いますな。敵側に救援が入るのも困りますし、ここ一両日中に布陣できますかな」
ウマルは
「一日兵を休ませたいのだがな。まあ、俺も休みたいがな」
と言った。
「まぁ、それは私もです」
とイサーク。
バーヒルは、イサークに作戦案があると見て、質問した。
「中央に五百名の方陣を三つおきます。ここです。その両脇に騎兵を千五百ずつ置きます。残り五百は弓兵です。これを騎兵の外側の繁みに配置します。後方に予備兵力として歩兵千を置きます」
ウマルは
「今回は騎馬歩兵として使うため、騎兵の装備はしてこなかったはずだが」
とイサークに言った。
「騎士達には軽装の鎧しか付けさせていませんが、槍は準備出来ています。騎馬歩兵を軽装騎兵として使いたいと思います」
イサークが説明したのはただの作戦概要だったのだが、ウマルは、部隊の運用を想像して、イサークに策があると見ていた。
「策がある様だな」
とウマルはイサークに言った。
「策と呼べるかわかりませんが」
それからイサークは作戦をウマルとバーヒルに説明した。
「この作戦を立案したのはイサークなのだから、イサークが指揮を取るべきだ」
とウマルが言うと、バーヒルは、
「この作戦を承認したのはウマル殿であるのだからウマル殿が指揮官であるべきと愚考します。実務をイサーク殿に委任するので宜しいのでは無いでしょうか」
バーヒルが執拗にウマルを指揮官にさせようとしたのは、もし作戦が失敗した時、失脚するのがイサークだけでは、足りないからだった。作戦失敗で失脚するのはウマルがいい。
そういう目論見だった。
意外にもイサークが、ウマルを指揮官に押した。彼曰く
「勝利の栄光は閣下が得るべき」
と言うことだった。
それで、バーヒルは満足して引いた。
その日は兵達に交代で休みを取るよう、各隊長に通達し、自分達も休息をとった。
夜明けの礼拝を済ませると、部隊が出発した。野戦予定地は野営地から一パラサング(約5.75km)ほど離れた荒地である。
布陣は、中央に槍を持ち盾を構えた歩兵五百が二十五×二十の方陣を組んでいる。その方陣が三個横に並ぶ。歩兵の方陣の、斜め前方に軽装騎兵隊が左右千五百、待機している。歩兵からみて右側に、弓兵五百が背の高い繁みに潜んでいる。
この方陣を組んだ歩兵達の後方に千の歩兵が、同じく方陣形を作り、待機している。これは、予備兵力として必要な時に投入される。
更にもう一つ、五百の兵がいるのだが、これはウマルの近衛なのでウマルの采配無しには動かせない。
(さて、トレドの兵よ、出て来い。我らはこれだけ準備したのだぞ。その苦労を無駄にさせるなよ)
などと、ウマルは思っていた。
ウマルは騎兵隊の隊長から、地面は平らに見えるが馬を走らせてみると、僅かに下りの傾斜になっている、と聞いた。これは吉兆だと思った。騎兵による突撃に速度が乗る。
朝から布陣し、そろそろ兵達から緊張感が失われつつある頃、トレドの兵士が方陣を組んで現れた。
どの兵も遅いな、などとは思わなかった。こんな心理的な駆け引きなど、当たり前の事だった。兵士たちは素早く気持ちを入れ替え、交戦意欲を高めた。
両陣で、戦闘の始まりを知らせる楽器の音が戦場に響いた。




