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平凡伯爵と麗人と

稲妻とミンスパイとワルツと

作者: 及川ユギ

https://ncode.syosetu.com/n4647gp/のその後です。

先日の嵐で、村の小学校に稲妻が落ちた。


幸い休日で無人だったために怪我人は出なかったが、屋根には盛大に穴が開いた。

火事だけは起きなくて良かったのだが、問題は修理、いや建て替え費用をどこから出すかだ。

小学校の校舎は年代物と言えば聞こえはいいが、実際のところ相当なボロ屋だったのだ。

それを学費や寄付金からの積立で直し直し使っていたのだが、流石に今回の一件で限界を迎えた。

取り敢えずは屋根に防水布を貼っているが、屋根が落ちてくるんじゃないかと幼い下級生たちが脅えているし、床の上に出来た黒焦げをドラゴンのブレス痕だとか言って悪戯な男の子が遊んでいるらしい。


建て替え自体はみんな賛成なのだが、村も一応領主であるバートも直ぐに出せるものは乏しく、下手なところから借金するわけにもいかない。

じゃあどうするかという話になり、寄付金を集う為に慈善の催し事をしようという話が出たのだ。

村内だけではなく、近隣からも人が集まってきてくれるような大規模なイベントをしようと。

そこまでは村民集会でも全会一致で可決したのだが、次なる問題はどんな催事を行うかだ。

不用品を集めてバザーをしたり、入場チケットを買ってもらうダンスパーティーをしたらどうかという案が出た。


――そう、ダンスパーティーだ。


今までのこの辺り、湖東地方では男女がグループになって踊るような、少々古めかしいスタイルの踊りが主流だった。

そこに新しく来たばかりの領主夫人ーーフランは男女ペアで踊るものを取り入れさせようと考えたのだ。

彼女は当初から村の青年団と密に交流を持っていて、かれらが今何を求めているのかく知っている。

若者が楽しみながら慈善ができること、それって一石二鳥だと考えているのだ。

しかしそんな踊りをしては風紀が乱れるのでは、とお堅い人々から声が上がりもした。

古い習慣を是として、新しいことを取り入れることに懐疑的な気風だ、それは当然の予想だ。

しかし風紀の乱れより小学校の校舎のほうが大事でしょう、とは流石に言いたくても言ってはいけないので、より多くの寄付金を集め、迅速に小学校を作るための努力が必要だ、と領主であるバートは訴えた。

彼らは悪人ではないし、何より最初の目的を忘れてはいけないのだ。

それでも余り納得が行って貰えないようだったが、屋敷の料理人であるジャクソン夫人が言っていたことを思い出しそれを提案してみたのだ。


夫人曰く、この地方の女性はパイを上手く焼けることが理想とされていて、一昔前は秋祭りに若い娘がみんなパイを出品し、その品評会を行っていたと。

なので、ダンスパーティーのチケットにそれを使わせて貰うことにした。

参加したい女性はパイを出品し、参加したい男性はそのパイを買う。

むろん誰がどのパイを出したかはわからない、ふたりは最初の2曲を一緒に踊ることになる。

こうすれば伝統の復活とダンスパーティーを両立できる。

何より慈善の為なのだ、少しでも多くの金額が集まるよう、沢山の人間が出て来て欲しい。


……そして誰がどのパイを作ったかなんて、恋人同士なら分かるのだ。

勿論パイが作れない女性だって、自分で焼かなくてもパイはどうとでも用意できるのだ。


そんなことはもちろん、バートフランもけっして口にしなかったが。


ということで、今領主のコテージは甘い匂いで包まれていた。

バター、ミルク、スパイス、お砂糖、そのほかいろんなおいしいものでいっぱい。

まるで童謡の一節のようだが、ずっと続くと少々胃もたれがしてきそうだ。

バートは書斎で今回の計画書や見積もりを確認しながら、そんなことを考えていた。

甘いものは嫌いではないが、このような香りが余りに続くと、流石に堪える。

フランも勿論参加するのだ、とびきりのパイを焼くのだと言って張り切っている。

彼女が今までそんなことをした記憶はバートにはなかったが、器用な彼女のことだ、何とかなるのだろう。

バザーを仕切ったり、青年団に流行りのダンスのステップを教えるという大事な仕事の合間でも大丈夫だと、その時は思ったのだ。


「――少し焼き過ぎてしまったかな」

バートがお茶の時間に呼ばれて着いたテーブルで見たのは、実にいい色のパイだった。

隣のカップの中のお茶よりも表面が濃い色をしていることを、突っ込むべきか否か。

焦げてしまった、の一歩手前位に収まっているのは、逆に匠の技かもしれない。

彼女はいつもの奥方仕様な地味なドレスの上に白いフリル付きのエプロンを身に付け、ふふっと笑っていた。

「そういえば私はお菓子作りをしたことがなかったんだよ。野外で火を起こしてマシュマロを焼いたことはあったんだけど」

「昔キャンプに行った時だっけ。懐かしいね。釣りもしたし、狩もしたね」

あれはまだ母親が元気で、本当に小さかった時だったなあ。

バートは懐かしさにふっと遠い目をする。

獲物が碌に取れず、持って行った食料のみで結局一晩過ごしたのも、今となればいい思い出だった。


「チーズトーストも炙ったね。……ジャクソンさんに言わせれば、初心者としては食べられるだろうだってさ」

それは褒めているのか辛辣なのか。

まあ食べられると料理人が言うのなら大丈夫だろう、駄目なら厨房ですでに処分されたはずだ。

今回のパーティーは、みんな手のひらサイズのパイを出品することになっている。

食べやすく見た目で個性があまり出ないようにするため、一定の基準が定められた。

大きさや中身が見て取れないこと、等々だ。

フランが奮闘した結果は特製ミンスパイであり、この地方での平均的なレシピに基づいているらしい。

らしい、というのは、ジャクソン夫人の長年の経験によりそこに多少の改変もあるからだ。

中に入っているドライフルーツやパイ生地は彼女のレシピなら疑うことはない。

フランも不慣れではあれ不器用ではない。

何より妻や料理人をバートは疑うつもりはない。


――いただきます。


バートはナイフとフォークを一気に入れた。

「……確かに食べられる」

焼き過ぎているせいで表面の風味が飛んでいるし、中身も少々パサついている。

でも口に入れて死を覚悟するようなものではない、充分完食できる一品だ。

半分ほど食べてからお茶を口にする、うん、爽やかな香りだ。

マクリーン子爵家が贈ってくれた茶葉だ、味に間違いはない。

「嘘でおいしい、って言わないのがバートだねえ」

彼女もパイをつつきながら、そう言った。

そちらの方がやや焼き色が濃い。

いったい今幾つパイがあるのだろう、バートは少し気になった。

「だって君、本当のことが聞きたいだろう?」

「勿論」

彼女は食べられないものを出しては来ないし、こちらはそれに対して素直に告げるだけだ。

いつだって彼女は、最終的には彼女自身が満足いくものを見せてくれるのだから。

バートはそれを応援するだけだ。

「まあ見ていてくれたまえ、次はもっとおいしいものを用意するよ。……食後は、付き合って貰うしね」


「え?」

「ダンスのね、女性のステップのおさらいをしたいんだ。あなたも踊らなきゃいけないから、ちょうどいいでしょう?」

フランは領主夫人として振舞っている時の口調で、にっこりと優雅に微笑んで。

これから当日までたくさんパイを食べることになりそうだし、正直ダンスなどご無沙汰過ぎるし。

頷く以外、どんな答えがあるのだろう。

これも義務というやつだ、多分。

そう思いバートは頷いた。

満足そうな彼女の笑みに、柔らかに笑い返しながら。


「君と踊るのは久し振りだもんね、がんばらないと」

「……いっぱい練習しておこうね」


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