皆の幸せの為に、婚約者を辞退いたします
わたくしの名前はヒルダ。侯爵家の長女で、公爵家嫡男ヘラルド様の婚約者です。
わたくしの前には今、ヘラルド様と最近よく一緒に行動されている伯爵家のモリー様がいらっしゃいます。何故その方がわたくしの前に居るのかといえば、突然現れ…
「ヒルダ様! ヘラルド様を縛り付けるのはもう止めて下さい!」
…と、わたくしに向かい言い放たれました。
一瞬虚を衝かれましたが、何を言いたいかを考えてみましょう。
『縛り付ける』……婚約者である事を言っているのでしょうか? その意味では間違ってはいません。しかし、何故この方に言われなければならないのでしょうか? とりあえず真意を聞いてみましょう。
「あの、それは……一体どういう意味でしょうか?」
「ヘラルド様は、ヒルダ様と一緒に居るのが辛そうです! そんなヘラルド様は可哀想だと思います。なので、ヒルダ様はヘラルド様の婚約者を辞退すべきだと思います!」
なんと! 驚くべき事を言われてしまいました。
確かに、わたくしと居る時の顔と、他の…モリー様などと居る時とは違いますね。それに、モリー様と相対している時は、他の人にするよりも柔らかい表情が多い様に感じます。
わたくしはヘラルド様の側に居られる事が幸せですが、自分だけ幸せではヘラルド様の幸せにはなりませんものね。
ここは、わたくしが身を引いて、遠くから幸せな顔を見続けている方が良いのでは? 間近で見られなくなるのは残念だけれど、緊張で楽しめる話題も出せず、愛想笑いしか出来ない私の隣で微妙な顔をさせる心配もなくなるし、それも良いのかもしれない……。
そんな事を考えていると、モリー様が自信満々にこう言い放ちました。
「私はヘラルド様に初めてを捧げましたし、私の方がヘラルド様を幸せにできます!」
雷に打たれた気持ちでした。
わたくしは、そこまで言い切れない。
ヘラルド様の事はすごく好きだけれど、わたくし以外の方がヘラルド様をより幸せにできるのならば、それを阻止する事は出来ません。それに、貴族女性として、初めてを捧げた相手とは添い遂げるのが常!!
「わかりました。どうか、ヘラルド様を幸せにしてあげて下さい」
「ヒルダ様…!」
モリー様の手を取り、両手で包み込みます。
「お父様を説得するので少し時間がかかると思いますが、頑張りますね」
「ありがとうございます!!」
モリー様の目を見て言えば、満面の笑みが返ってきました。
ヘラルド様をお願いいたします!
わたくしは学園を休み、お父様を説得するための資料の作成を行いました。ヘラルド様とモリー様が結ばれた際のメリットやデメリット、公爵家や伯爵家へ売れる恩などなど。諸々頑張って、どうにか婚約者辞退を頷かせる事に成功しました。
「ヘラルド殿が遊んでいるのは知っていたが……単に婚姻前、学生時特有の遊びだと思っていた。……お前はヘラルド殿の事が好きだったのではないのか?」
心配そうにお父様が聞いてくれます。
「ええ、好きです。ですが、こんな面白みのない女を隣に置くよりもモリー様との方が楽しそうですし、ヘラルド様が幸せならその方が良いですから。なによりわたくしは、必ず幸せにしますとは言い切れませんし、モリー様も大切な初めてを捧げられたようですから…」
「初めてを……そうか、分かった。お前がそこまで言うのなら」
最後まで言うのを躊躇っていた『初めて』の部分を述べると、お父様は一瞬目を見開き、嘆息しました。
「ありがとうございます、お父様。でも、まだ今はお二人を見るのは少しだけ辛いので、病気療養として領地に行きたいと思います。卒業まで後2か月ですし、幸いな事に卒業に必要な単位はもう取ってあります」
「では領地ではなく、隣国の親戚宅に行くと良い。あちらは今、良い時期だしな。気分転換にゆっくり観光でもしてくるといい。手続きはこちらで進め、完了したら手紙で知らせよう」
「よろしくお願いします、お父様。卒業式には帰ってきますわ」
お父様の説得に成功してから半月。わたくしはお父様の勧め通り、隣国でゆっくりしていました。
そこへ先程お父様からのお手紙が届きました。公爵家との話し合いはどうにか終わり、無事婚約解消の手続きが完了した様です。そして、ヘラルド様とモリー様の婚約も結ばれたそうです。ふっと息を吐き、手紙を閉じると向かいから声がかかります。
「どうしたんだい? ヒルダ。複雑そうな顔をしているよ?」
声をかけてきたのはジュード様。私の2歳上で再従兄にあたります。
「ジュード様…婚約が無事解消されたのです。自分から働きかけたとはいえ、少し喪失感というか寂寥感というか……」
「それは仕方がないよ。だって、ヒルダは彼を愛していたんだろう?」
「そう…ですね。でも、こちらでゆっくり考える内に…本当にヘラルド様を愛していたのか、憧れを勘違いしていたのかが分からなくなってしまって…」
ジュード様からの問いかけに、燻っていた思いが口から零れます。
「どうして?」
「ヘラルド様の幸せそうな顔を見るのが好きだったんです。他の方に向ける顔でも嬉しかった。でも、自分では幸せな顔には出来なかった。それなのに、わたくしは自分の事に精一杯で、改善を考える事すらしなかったんです。仕方ないとしか思わず……でもそれって、何か違いますよね」
こちらに来てから考えていた事。ヘラルド様の事を考えても、幸せなら良いとしか思えなかった。胸を痛めたり、こうすれば良かったのかもという思いも殆ど浮かんでこなかったから。
「うん……憧れと恋はとても似ているものだからね。勘違いしても仕方がないと思うよ」
「ありがとうございます、ジュード様」
自己満足な思いを、ジュード様は優しくフォローして下さいます。
微笑み、礼を述べるとテーブルの上に置いていた手に、ジュード様の手が重なります。
「だから、という訳ではないけれど……憧れではない恋愛をしてみないか?」
「え?」
真剣な目で見つめられ、鼓動が跳ねます。
「是非、私と婚約して貰えないだろうか?」
「ジュード様……?」
重ねられた手に少し力が込められ、切なげに微笑まれると頬が熱くなります。言われている事がふわふわと耳に入ってきません。
「私はね、ヒルダの事が前から好きだった。婚約が解消された今、私との今後を考えて欲しい。傷付いている所に付け込む様で少し心は痛むけれど、今を逃すと他の者に攫われそうな気がするしね」
「そんな……わたくしを望む方など…」
ジュード様の言葉に、否定を返します。
わたくしの返答にジュード様はふっと困った様に笑うと、重ねていた手を掬い取り、手の甲にキスを落とします。
「…ここに居るよ。ヒルダが嬉しそうに笑うのが好きだ。幸せそうな顔が好きだ。自分の手で幸せに出来たらとずっと思っていたんだ。この機会を逃したくない。……私と、婚約して欲しい」
「ジュード様…わたくしは面白味も無く、こんなに未熟なのですよ?」
わたくしは婚約者を楽しませる事すら出来なかった女。自分の事しか考えられない出来の悪い女なのです。こんなわたくしなど、ジュード様には相応しくないです。
「ヒルダの言う面白味が何かはよく分からないけれど、私はヒルダと一緒に居ると楽しいし、幸せな気持ちになるよ? 未熟に関しては私と初めての恋愛をしてくれるのなら、問題は無いしこんなに喜ばしい事は無いよ。恋愛で感じる全ての感情を私が初めて与えられるなんて、私は幸せ者だ。勿論綺麗な感情だけではないと思うけれど、出来るだけ嫌な感情は持たせない様に頑張るよ」
「嫌な…感情?」
恋愛における嫌な感情とは、とふと我に返ります。
「一般的には嫉妬とか猜疑心とか? でも申し訳ないけれど、独占欲からくる軽い嫉妬や執着は嬉しいと感じてしまうかもしれない」
「独占欲…嫉妬…」
今まで考えた事も無い単語が出てきました。
ヘラルド様や周りの人に対しても感じた事の無い感情。
「ヒルダ?」
「……わたくしのヘラルド様への感情は、本当に憧れに過ぎなかったのだなと思いました」
自分の思考に落ちていたわたくしを、ジュード様がのぞき込みます。
ハッと思考を戻すと、今考えていた事を説明します。
「どうして?」
「他の女性と一緒に居る所を見ても、楽しそうにしているな、幸せそうで良かったなとしか思ってなかったな…と」
「うん。恋愛ならきっと、傍に居る女性へ嫉妬心が生まれただろうしね。きっと憧れや家族愛的な感覚だったんだろうね」
「はい……少し、心の整理がついた気がします。これからは、単純にヘラルド様の幸せを祈れそうです」
ジュード様に吐き出した事により、自分の中の整理がついた気がします。ヘラルド様を愛し、幸せを望んでいる様に見せかけて、自分勝手に想っていた自分に気付けたのだから。
「そっか。それは良かった」
「それで……ジュード様との婚約ですが、…もう少しだけお時間を下さいませんか…?」
優しく微笑むジュード様に、婚約についておずおずとお願いをしてみます。
「今すぐ返事は難しいよね。うん、返事は少し待つよ。……でも、これからは口説いていくからそのつもりでいてね」
「は…はい……」
それからのジュード様は宣言通り、お花やプレゼントを贈ってくれたり、遊びに連れ出してくれたりと、わたくしの心にぐいぐい入り込んでこられて……絆されるのにひと月とかかりませんでした。
卒業式を間近に控え、一時帰国をしました。
何故 『一時帰国』 かというと、ジュード様との婚約が正式に結ばれ、卒業式とこちらでの雑務が終わり次第、あちらへ戻る事になるからです。
ちなみにジュード様も一緒です。卒業パーティのエスコートは必ずする! と意気込んでいらっしゃいます。多分、婚約後のヘラルド様とモリー様を初めて見るわたくしの事を心配してくれているのでしょう。本当にジュード様はわたくしに甘すぎます!
卒業式が終わり、パーティ用の準備も終え、エントランスで待つジュード様の元に向かいます。
「お待たせしましたジュード様」
「ああ、ヒルダ。本当に綺麗だ…皆に見せびらかしたい気持ちと、自分だけが見ていたい気持ちがせめぎ合っているよ」
「ジュード様ったら…」
ジュード様からの賛美に顔に熱が集まります。
「そんな顔、他の男の前でしてはいけないよ? 君の魅力にやられてしまう」
「そんな事をおっしゃるのはジュード様だけですわ」
君は分かっていないとか、ブツブツ文句を言い続けているジュード様ですが、エスコートの手は優しく、わたくしを見る瞳は蕩けています。
そんな顔を見せられて、他の方からジュード様へアプローチがあるのではないかとわたくしの方が心配になります、と思いつつ幸せな気持ちで胸がいっぱいになりました。
「ヒルダ!」
「ヘラルド様?」
パーティ会場にジュード様のエスコートで入場した後、友人との歓談でジュード様と少し離れた際に、ヘラルド様に声をかけられました。モリー様とは一緒ではないのですね。
「お久しぶりでございます」
「…何故、婚約者を辞退なんてしたんだ」
微笑み挨拶をするも、ヘラルド様は突然話を切り出されました。
「はい?」
「何故、私との婚約が解消された?! お前は、私が好きだったのではないのか?!」
言われた内容が上手く理解出来ず首をかしげると、真剣な顔のヘラルド様に両肩を掴まれます。
「ええと……ヘラルド様とモリー様が想い合っていると…」
「誰がそんな事を!」
がっしりと掴まれ、困惑します。誰がと言われても…。
「それに、モリー様とご一緒の際のヘラルド様はお幸せそうでしたし、モリー様の『初めて』を捧げたという事でしたので……」
「初めて……?」
「想い合う二人に対し、わたくしが妨げになっているのなら、身を引くのが一番だったものですから」
「そんな……あれは……」
血の気の引いたヘラルド様の手から力が抜けた時に一歩下がり、拘束から抜け出します。……ヘラルド様の勢いが少し怖かったのは内緒です。
「モリー様との婚約は結ばれたのですよね? ご一緒では無いのですか?」
「彼女は…足を痛めたようで、今救護室に居る」
話題を変えようと、モリー様の確認をします。
救護室とは…ひどい怪我でなければ良いのですが。
「大丈夫でしょうか? ご挨拶をしたかったのですが、残念です」
「ヒルダ……私は……」
昏い瞳のヘラルド様が、ゆっくり手を上げるのを見ていたら後ろから声がかかります。
「ヒルダ? こんな所にいたのかい」
「ジュード様」
振り返り声の主を確認し、ジュード様の隣へ移動します。
「……そちらは?」
「公爵家のヘラルド様です。ヘラルド様、こちらわたくしの再従兄で婚約者のジュード様です。最後にジュード様と一緒にご挨拶ができればと思っていたので丁度良かったです」
「やあ、初めまして。お会いできて光栄です」
「初めまして……というか、婚約者?…最後…?」
ジュード様から確認されたので、ヘラルド様のご紹介です。
モリー様にもお会いしたかったですが、とりあえずお互いのご紹介だけでも。
「ええ。明後日にはこちらを発つので」
「どこに行くというんだ?」
ジュード様を観察するような目のヘラルド様に問われます。
「隣国へ。ジュード様との婚姻準備もありますし、あちらの事を学ぶにも時間が足りませんので。今回は卒業式と共に諸々の手続きや荷物の選別などの一時帰国だったのですよ」
「……婚姻、準備…」
待ち切れなさから笑顔で答えると、茫然とヘラルド様が呟きます。
「やっとヒルダが私のプロポーズを受け入れてくれたからね。私としては婚約期間なんて必要ないんだけれど」
「もう、ジュード様ったら!」
ジュード様が蕩けた瞳でわたくしの肩を抱き寄せ、頭にキスを降らせます。こんな場所で恥ずかしいです。
「美しい婚礼衣装を纏うヒルダの姿を想像すれば、準備期間も仕方ないと思える様になったけどね」
「そう……ですか」
にこやかに話すジュード様とは対照的に、血の気の引いた顔をしたヘラルド様ががくりと肩を落とします。……どうされたのでしょうか?
「ほかの方にもご挨拶に回りますので、これで失礼しますね。モリー様にもよろしくお伝え下さい。どうぞお幸せに」
「ああ……ヒルダも…」
「はい。ありがとうございます」
モリー様との幸せを願う事もお伝え出来たし、きっとお二人も幸せになってくれる事でしょう。国が違うのでお顔を合わせる事は少なくなりますが、遠い地で幸せを祈りますね!
ヘラルドに背を向け、歩き出すヒルダと共に歩きながらジュードは軽く振り返り、美しい微笑みで、ヒルダに気付かれぬ様声を出さずに呟いた。
「……本当にありがとう、ヘラルド君」
愚かな行いで、ヒルダを手放してくれて。
▽蛇足
・モリーの『初めて』
→ファーストキスwww 皆、深読みして動いていました。
・モリーはジュードの差し金?
→何もしていないです。
ただ、婚約解消の話を聞いて直ぐに、ヒルダの父親に婚約打診はしました。
・ヘラルドのヒルダへの感情は? モリーとは?
→普通に好きでした。でも、必ず手に入るからと婚姻前に遊び倒してました。
思い込みの強い娘に手を出したのが運の尽き。
モリーは少し子供っぽい所があるので、執着束縛バリバリ。
これから先の浮気は厳しいものになるでしょう。
幸せを祈った筈のヘラルドの絶望エンドwww