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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホラー・サスペンス・パニック

やよい駅(きさらぎ駅のその次で)

作者: 村上ガラ

お時間いただけましたらお読みくださいませ。

「ねー! ママー! 見て、見て!」

 …………航平が薄い引き戸一枚を隔てた隣の部屋から大きな声で私を呼ぶ。今、オンライン会議の最中だというのに。画面の中の複数の社員から苦笑が漏れる。課長などはあからさまに嫌な顔をした。当たり前だ。公共CMなどでオンライン会議中に時々飛び込んでくる家族の姿に癒される様子などが流れ、テレワークを推進しようとしているが……逃げ場のない狭いアパートではそれが毎日、毎回繰り返され、集中力をうばわれる。たまったものではない。

 航平を預けられる様な知り合いもなく、この二間きりのアパートではいくら向こうの部屋から出るな、大声を出すなと言いつけたって子どもというものは言うことを聞くものではない。何度も叱って……今日はまだこちらの部屋に来て走り回らない分、ましだ。

 航平はこの春から小学校に入学したが、学校は入学式もないまま休校になってしまった。保育園のままだったらまだ開園していて預かってくれていたらしい。小学校は学校も学童も休みになってしまった。この部屋に二人でいるよりほかはない。

 私は結婚をせずに航平を生んでしまったので、出産に反対していた実家の両親から絶縁されてしまい頼るあてがない。私の親にとってシングルで子供を産むことは「世間様に対して恥ずかしい」ことらしかった。


 頭が締め付けられるように痛む。航平はまだ「ママ―!」と叫んでいた。


 妊娠したことがわかって、婚活アプリで知り合った相手に伝えると「ごめん俺本当は既婚者」と、たった10文字のメールを最後に連絡が途絶えた日のことを思い出す。年齢的にも出産は最後のチャンスかもしれない、とお腹の子どもを産むことを決めたが、この子は人を平気で騙し弄ぶような男の子どもだ、という航平に対する思いはいつも自分の中にくすぶっていた。

 やっとオンライン会議が終わり、隣の部屋がやけに静かなことに気が付いた。

「航平?」

 声をかけたが返事がない。

 資料を少し整理してから部屋の間仕切りになっている引き戸を開けた。


「航平?」

 部屋の中に航平の姿はなかった。

 外に出たのかもしれない、と一瞬肝が冷えた。この辺りは交通量も多く、まだ小さい航平が一人で歩くには危険すぎる。だが落ち着きを取り戻して考えると、この部屋から直接外に出ることはできない。オンラインに向かっていたとはいっても、もし航平が外に出ようとするなら私のいた部屋を通らなければならないわけで、それに気づかないはずはない。玄関のあく音もしていない。

 そういえば、と、あることを思い出し、ふと笑みが漏れた。

 この間テレビの子供番組で『お家でかくれんぼ』という遊びを紹介していた。あれをやってみたくなったのだろう。

「あれあれー? コー君がいなくなっちゃったよお」

 大げさに驚いて大きな声で私は言った。

「どこに行ったのー? ママ、寂しいよお」

 テーブルの下を覗き込んだ。


 テーブルの上にはプラレールが並んでいる。航平が隣の部屋で一人で遊べるようにとプラレールを与えていた。フリマアプリで見つけたものだが、公平には「おばあちゃんが送ってくれた」と言っておいた。

 プラレールにはプラットホームに駅名が書いてある。『当駅・やよい』。そして隣の駅は『←』で示され『きさらぎ』。反対の駅はまた『→』で『うづき』。

 私の名前がやよいなので、航平は本当にうれしそうな顔をした。「さすが、おばあちゃんだね!」と言って。私の母が駅の名前を決めたと思ったのだろうか。航平の中の、会ったことのないおばあちゃんは愛情に満ちていた。

 航平を生んだことで親に縁を切られた私は、いつかその原因を作った航平の存在で親と再び縁を結びたいと願っていた。いつかきっと孫可愛さで両親は私を許してくれる、いつかきっと。

 こんな年になっても、まだ私は自分の親を求めていた。


 テーブルの下には航平はいなかった。

 この狭い部屋にはほかに隠れられるのは作り付けの小さなクローゼットくらいのものだ。

 この中に息をひそめて入っているのだろうか?


「コー君?」

 クローゼットを開けて掛けてある洋服をかき分けて奥を見たが航平の姿はなかった。

 その時、あるものに気づいた。

 クローゼットの奥に小さな扉がついていた。床ぎりぎりのところに約5、60センチ四方に区切られた小さな扉がありドアノブがついている。入居して2年近くなるが全く気付いていなかった。貴重品を入れる隠し金庫のようなものだろうか。

 私はその扉を開けることにした。



 扉を開けてはみたものの薄暗いクローゼットの奥のその扉の向こうには全く光が届かず中は真っ暗で何も見えなかった。だが、案外奥行きはありそうでどこかから風が吹いてきて空気の流れが感じられた。退屈している子供にはこういう場所は格好の冒険の対象かもしれない。

「コー君、いるの?」

 呼びかけたが返事はなかった。

 中で息をひそめて見つけてくれるのを待っている航平の姿が目に浮かんだ。

「仕方ないなあ」

 私はやっと通れるその真っ黒な四角な『穴』に頭を突っ込んだ。



 穴の向こうは明るく、何もない真っ白な壁に四方を囲まれた10畳ほどの部屋だった。天井も普通に高い。私は穴をくぐりぬけ、立ち上がった。

「航平?」

 その部屋に航平の姿はなかった。私はこの部屋は隣の部屋なのだと思った。お隣は半年ほど前に引っ越して新しい入居者は来ていなかった。おそらく今通ったこの扉は非常時に隣の部屋へと脱出するためのものなのだろう。

 よくよく目を凝らすと、この部屋の向こう側の隅にも小さな扉がついていた。今くぐってきた扉より心持大きいような気がした。

「もう! また向こうに行っちゃったのかしら」

 私は独り言を言いながら、次の扉を開けた。

 次の扉を開けてもまた同じような白い壁の部屋があるだけだった。航平の姿はない。そして心持ち……一つ前の部屋より広いような気がした。そして……その部屋の向こう側の隅にも小さな扉がついていた。今度も前の扉より少し大きくなって、最初の扉よりずっとくぐりやすそうにみえた。

 私はその扉のノブに手をかけて開けた。そして…………。


 何度それを繰り返しただろう。扉をいくらくぐって次の部屋に行っても航平には会えなかった。扉をくぐり次の部屋に入るたびに、入ってすぐ目に飛び込んでくる向かい側の壁についた扉は一つ前の扉より大きく、そして遠くに感じられた。そして部屋を見渡すと一つ前の部屋より広くなり、天井が高くなっていくようだった。

 航平を探し求め、扉から扉へと走りつつけるうちに転び、立ち上がれなくなった。私はいら立ち、真っ白い壁を叩いた。何度も何度も。

 転んだ時に顔を打ったのだろうか、鼻血を出してしまったようだった。拭うと手が赤く染まった。涙と汗と鼻血でぐしょぐしょに顔は汚れ、体に張り付いた洋服が気持ち悪い。

 そして私は今までにないほど、航平に愛情を感じていた。誰にも祝福されないまま出産し、仕事を調整し、たった一人で育児をし……産まなければよかった、と何度も思ってきたことを恥じた。航平はたった一人のかけがえのない私の子だ。親に見放された私のたった一人の家族だ。航平がいなくなったら私も生きてはいられない。コー君、どこにいるの? ママ寂しいよ、ママ、寂しいよお、コー君に会いたいよ……そう泣き叫びながら、疲れ果てた体を引きずり、立ち上がって次のドアを開け続けた。


 コノトビラノムコウニハ、キットコウヘイガイル。ワタシヲミテ、「ママ!」トイッテ、ダキツイテキテクレル。


 そしてついに、その時が来た。

 体育館のように巨大な部屋の向こう側の壁、真っ白なその壁についた大きく背の高い扉を全身の力で押し開けると、そこには駅のプラットホームがあった。

 駅名が看板で示してあった。

『当駅・やよい』。そして隣の駅は『←』で示され『きさらぎ』。反対の駅はまた『→』で示され『うづき』。

 そのプラットホームには小さな男の子が立っていた。

「航平? 航平!」

 駆け寄って抱きしめると航平の体はぐっしょり濡れていた。

 そこへきさらぎ駅方面へ向かう電車が入ってきた。航平のお気に入りの青いプラレールの電車にそっくりな車体。

『回送』の表示があった。

 止まるはずのない回送電車がプラットホームで止まり、ドアが開いた。私は息子の手を引いてその電車に乗り込んだ…………。


 ヤットアエタ。イッショニイコウ。デンシャニノッテ。


 電車に乗り込み座席に座ると私は安堵と疲れからウトウトと眠り込んでしまった。


 ……そして、目覚めるとなぜか目の前に課長の顔があった。パソコンのモニター越しに私をにらんでいた。


スミマセン、スミマセン、ワタシッタラ、ネテシマッタノカシラ、スミマセン……。



「昨夜は、蓮見はすみやよいさん、どうでしたか?」

「相変わらずですね。毎日同じところをぐるぐる回っている感じです」

 つぶやいている独り言も、よくよく聞いてみれば3パターン位を繰り返しているんですよ、と付け加えた。

 精神科の看護師が引き継ぎ事項の確認をしていた。

 育児ノイローゼにコロナ鬱が引き金となって、我が子を刺し殺してしまった母親、蓮見はすみやよい。通報により現行犯逮捕され、収監され裁判にかけられたが、看守の目を盗んでは自殺未遂を繰り返すため、体を傷つけるものが何もないこの隔離病棟の、四角くて真っ白な壁に囲まれた部屋に閉じ込められている。


 事件の日、凄まじい叫び声や物音がする、との近所の住民からの通報で現場に一番に到着した交番勤務の巡査の話では、二間続きの奥の部屋の小さなクローゼットのなかで、母親がすでに息絶えた子供を抱きしめて幸せそうに笑っていたとの報告であった。

 その際、親子の服は涙と汗と血潮でべったりとその体に張り付いていた、とのことである。



お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] また読んでしまいました。 ああ、悲しい…… やはり救われないものですね…… [一言] くろたまさんのツイッターから来ました!
[一言] うーん……。 二度目まして。家紋さんの、看板短編企画から、今さら来ました。 夏のホラーのときにも読ませてもらったのですけど、後味の悪さを感じます。苦しくなるくらい。 それ以上に、メッセージ性…
[良い点] 家紋武範様の「看板短編企画」からお伺いしました。 冒頭部はほっこりするような描写。 そこからじわじわ滲み出るような恐怖感。 そして、衝撃のラスト。 読み返してみると、いくつもの扉を開ける表…
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