青葉大樹の物語 1-2
大樹が小学校四年生になり、暦の上では立夏に差し掛かった頃だった。それは春のそよ風がソメイヨシノの花びらをひらりと一枚一枚丁寧に散る刹那、兄ー青葉直樹がこの世から去った。
死因は交通事故、信号を中学生になり初めて買って貰った新品の自転車で渡っている時、クラクションの音が辺り全体に響き渡っていることに気付き、右に目線をやった時には新車のような光沢感のある黒のアルファードが目の前まで迫っていた。直樹は宙に紙が風に煽られるように浮き、そのまま十字路の真ん中まで軽々と吹き飛ばされ、そのまま意識を失ったそうだ。
大樹は泣きじゃくる目を擦り、母と父が運転してくれていた車を降り、兄を奪ったあの魔の十字路に目をやった。そこにはこの世の物とは思えない光景が悪夢かのように広がっていた。右を見るとトミカで遊んでいた警察車両と担架を慌ただしく運ぶ救急隊員が視界にあった。僕はそれでも前を向き、兄が居る十字路に歩んでいた。
横断歩道には立入禁止と書いてあるバリケードテープがあたかもあるように、白線から野次馬がスマートフォン片手に哀れな目を兄に浴びせていた。
近くによると僕は、膝から崩れるようにしゃがみ込み、アスファルトに縋りながら号泣していた。母がすぐさま駆け寄り、
「大丈夫、きっと助かるから」
と僕を励ますようにそっと暖かい手で抱え込んでくれた。
左を見ると一つの家族がいた。少し痩せた四十代くらいの父親らしき人と、鼠色のスウェットを着ていて、髪色が明るめの母親らしき人、その間から覗き込むように見ている女の子の人形を持った同い年くらいに見える少年が立っていた。父は野次馬達の耳打ち程の話し声に静寂を齎す怒号で、
「あんた達が、信号無視しなかったら、直樹は無事だったんだぞ、直樹を返せよ」
僕はあれ程怒り狂った父を見たことがなかった。家にいる際は温厚で誰にでも優しくしていた父が、まるで二重人格のように変身を遂げていた。僕はその父の後ろ姿をみて、尚泣いてしまった。
この出来事から一ヶ月後、直樹の葬式が行われた。生まれてから初めてのお葬式がまさか兄になるなんて夢にも思わなかった。お線香をあげ終わった親戚の人々が口を揃えて、
「この度は、本当にお気の毒です」
僕は心の中で、『どうせ、そんな事思ってないんだろ』と感じていた。
この葬式はいつか来る、遅かれ早かれ、人生の通過儀礼だとそう思い悲しみに暮れた心を癒した。
葬儀が終わりに差し掛かった頃だった。一組の夫婦がユリの花を片手に持ち、こちらに思い足取りで歩いて来た。僕らの目の前で立ち止まる、
「この度は、本当に、ほんとうに申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げ震えた声で言った。
「すみませんが、お引き取り願います。」
父がいつもより一段、低い声で相手を見ずに言う。
「本当に、申し訳ありませんでした、せめてこの花だけでもお受け取り下さい。」
と変わらぬ姿勢でそう願望をした。
「わかりました、そこの椅子に花を置いてもらって下さい。そうしたら早くこの式場から立ち去って下さい。お願いします。」
「わかりました。」
そうして椅子に花を置き、僕たちに一礼をし背中を向けゆっくりした足取りで帰っていった。その後ろ姿には子供の命を奪った
「殺人」
という二文字の錘を背負っているようにも捉えられた。
白いユリの花は、綺麗で何にも汚れていない純粋な兄にそっくりだった。