秋の空 文も桔梗も 朽ちて落つ
「こうして景色が見られるのも、3日もないのかもしれないんだね」
窓の外を見て言う彼女の口元は、管が繋がれている。無数の機械に繋がれている。君の吐息、血の流れ、心臓の音...全てが機械を基に映し出される。
──余命は、持って3日でしょう──
そう、冷たい声が響いた。何を言われたか分からなかった。分かりたくもなかった。分かってはいけないような気もした。彼女がどう思っているかは僕だって知らない。けれど、少なくとも僕はまだ離れたくない。もっと君と話がしたい。
また無邪気に笑う君の顔が見たい。元気に走る君を見たい。また明日も、明後日も、君と...君と.....
「あの花、綺麗だね」
彼女は、窓から見える公園の花壇に咲く、一輪の花を指した。
「あれは...桔梗かな?」
「キキョウ?聞いたことないかも...」
「確か、六月から九月に咲いている花だったかな...」
「へぇ...」
しばらく二人でその花を眺めていた。
「あの花も、独りぼっちで寂しそうだね」
彼女がぽつりと呟く。
「傍にいてくれる人もないまま、枯れていってしまうのかな...」
その言葉は、まるで僕に問いかけるかのようにも感じた。彼女の目に涙が浮かぶ。堪えてはいたが、じきに耐えきれなくなり溢れてきた。
「ごめん...ごめんね...私...先に逝ってしまうことになっちゃって...ずっと君の傍にいてあげられなくて...ごめんね...」
いつになく弱い声で、いつもの元気さを失った声で彼女はそう言い、泣いた。僕はただ、彼女を抱いてやることしかできなかった。
2日目の夜。
心臓の音が弱まった彼女は、もう起き上がることはできないのであろう。最期の時を感じたのだろう、彼女方の家族が見届けに来ていた。僕も遅れてやってきた。彼女は、家族に見守られ、幸せそうな顔を浮かべる。
人の死に直面したことはなかった。祖父母の死は、学校にいて、見届ける事ができなかったのだ。初めて見る人の死が、彼女になるとは──。
「やっぱり...来てくれたんだ...」
正直、もう喋らなくてもいいと言いたかったけど、やはりその声を聞いて安心する自分がいる。まだ、生きているうちに...生きている...うちに...
「憶えてる...?君が...告白してくれた時...私..嬉しすぎて...泣いちゃってさ...」
思えば、その時には彼女の身体は病にあっていたのかもしれない。気づいてやることさえできない駄目な彼氏だったけど、毎日幸せだったのかな...
「初めて...二人で乗った...観覧車...風が強くて...怖かったけど...綺麗な...景色だったよね...」
初デートの時も、少し遅れてしまったんだったな。それでもって、観覧車でも少し酔ってしまったし...
「君が...都大会に出て...応援しに行ったりも...したよね...あの時の君...格好良かったなぁ...」
部活でやっていたサッカー。結局最後は自分のミスで負けて、慰めてもらってたっけ...
本当に何一つ、良いところなんてなかったように思えてしまった。聞く思い出話全てが、自分の悪いところを浮き彫りにする。彼女はなぜこんな僕を愛してくれたのだ...次第に涙が溢れそうになる。彼女を不幸にしてしまったのではないか...
しかし彼女は、
「どこか抜けていて...少し弱い一面が...多かった...君だけど...それでも熱心で...真剣で...いつも私を楽しませてくれて...いつも私と...一緒にいてくれて...私に優しく...してくれて...そして何より...
──誰よりも私を愛してくれた──
そんな君を...私は好きになったの...愛していたの...」
僕は甘えてばかりだ、君の優しさに甘えてばかりいたんだ。付き合いたての頃も、初デートの時も、今も...
「これ、あげるよ」
「...これって...」
桔梗の花を彼女に手渡した。彼女はじっくりと眺めたあと、
「綺麗だね...」
と呟いた。
「たとえ君が遠く離れていってしまっても、僕は独りにはならない。手には君の温もりがある、足には君と歩き共に分かち合った痛みがある、心には君との思い出がある...いつだって、僕の中に君はいるのさ。今までも、そしてこれからも...。だから...独りじゃない。いつまでも、君と...」
彼女は泣いていた。いつからだろうか、自分も涙を流していた。
「やだなぁ...そんなこといわれたら...もっと...離れたくなくなって...」
ゆっくりと遅くなっていく君の心音。彼女は最期の力を振り絞るように...
「お願い...私が生きられなかった分...君が...永く...強く...生きて...幸せに...な......て──」
高く鳴る機械音は、彼女が逝ってしまったことを伝えた。泣きながらも笑みを浮かべて、僕はこう言った。
「これ以上の幸せはもうないよ...」
桔梗の花言葉 永遠の愛