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4 完全勝利タクティクス初級編2

 なんで私がこんなことをしているのだろう?

 


 私は繁華街の一角に立ち、ポケットティッシュを配っているのです。

 これに何の意味が……?


 それにしても、誰も私からティッシュを受け取ってくれません。

 段ボールの山は、一向に減る気配がありません。



 段ボールを渡された時は、これは何かの間違いではないのかと疑いました。

 もしや住所を間違ったのでは、と、書かれたメモ用紙を取り出してマジマジと眺めました。ソファーや椅子に座っている女の子達が、私の方を冷ややかな眼差しでジロジロと見ているのが気になって仕方ありません。


 大柄な男性が私に話しかけてきました。


「初めまして。俺は田中だ。あんたは、足立有紀さんだろ?」

「あ、はい」


「電話くれたのは、彼氏?」


 もしかして、伊藤さんこの??


「い、いえ、知人です」


 田中さんは苦笑いを浮かべて、頭をボリボリかいています。


「なんつーか、すごく丁寧な感じだったから、電話一本で勝手に信用しちまったけどさ。あんた、大丈夫? 顔色が悪いぞ?」


「え、まぁ……はい。あ、あの……。これ、修行なんですよね?」


「え? ただのティッシュ配りのアルバイトだけど? 最近のOLさんは、バイトのことを修行というのか?」


 え?


「てか、早く配り始めないと、仕事が終わらないぞ。表に車を回すから、段ボールを持って入口で待っていてくれ」


 部屋のみんなは立ち上がり段ボールを持ち上げて動き出したので、私もそれに見習って段ボールを入口まで運び、ワゴンに乗り込みました。

 

 後部座席に座っている女の子たちは、ぺちゃくちゃ楽しそうに話しています。

 私だけ孤立している感。

 

 そうこうしているうちに、街中でポイッと降ろされました。

 窓を開けて、田中さんが私に声をかけました。

 

「終わったらこの名刺まで電話かけてくれ。拾いにいくから」



 これからティッシュを配らなくてはならないという事実だけはなんとか飲み込めた私。

 顔割れしないようにマスクをしました。


 

 なんで私がこんなことを……。

 残業を猛ダッシュで終わらせ、6200円も使って、私、何をやっているんだろ?

 このまま帰っちゃおうか、と何度思ったことか……。

 

 

「あの、ティッシュです。ティッシュはいろいろ便利ですよ~……」



 声をかけているのですが、誰も受け取ってくれません。

 手のひらを向けて、いらないというサインを見るたびに心が折れます。

 マッチ売りの少女も、こんな気持ちだったに違いありません。




 しょぼくれて、段ボールの上に座り込みました。

 黒いコートにオールバック、サングラスをした柄の悪そうな男性が歩いてきます。アウトローな世界の住人のオーラを前進から発しています。関わりたくない部類の人種です。

 私がそっぽを向いているのに、いつまで経っても通りすぎてくれません。


 もしかして、私に用?

 ということは、誰に断ってわしのシマを荒らしているんだ? というパターン?? これはそもそも伊藤さんの差し金で、全部伊藤さん悪いの!


 もう最悪!


「あの、ティッシュをくれませんか?」


 え?


 革製の手袋を身に着けた手が、こちらに向けられています。

 恐る恐る、ティッシュを一枚渡しました。


「調子はいかがですか?」


 ん?

 この声……。


「もしかして、伊藤さん?」

「はい、そうですが?」


「伊藤さん! なんでそんな恰好をしているのよ!? びっくりしたじゃない!」


「あなたを模倣した方が分かりやすいと思いまして。まぁ、ややデフォルメしましたが」


 む!


「マスクをしてボソボソ話しかけていらっしゃるから、通りを歩いている方は警戒しています。丁度、今、わたくしを警戒したあなたのように」


「だって顔割れしたどうするのよ!」

「知られたらダメなのですか?」


「会社に知られたら、大変じゃない?」

「副業NGの規定があるのですか? 就業規則にそのように明記されているのですか?」


「……いえ……。で、でも……。親に知られでもしたら……」

「家族に知られたら、どうなるんですか?」


「なんか恥ずかしい……」

「それはどうしてですか?」


「本業があるのに、副業をしているし……。なんかちゃんとしていないみたいで」

「ちゃんとするとはどういう事を指していますか? あなたはお勤めの会社を、これからぎゃふんと言わそうとしているのに、今更どのようにちゃんとするのですか?

 まぁ、そのような心配がないように、生活圏を大きくずらしました。身ばれすることはまずないでしょうし、ばれたところであなたの社会的地位を脅かされる心配はございません」


 ティッシュの表面を伊藤さんに向けた。

 色っぽい女性の写真に電話番号が表記されています。


「これを配っても?」

「はい。この程度、知人の手伝いをしたと言い張れば大丈夫です」


「分かったわ、伊藤さん。やるわよ、やればいいんでしょ? でも、その前に、この修行の意味は何なの? 何でこんなことをやっているのか、まったく意味が分からないわ。説明してよ!」


 伊藤さんは交差点の向こうを指差しました。

 そこにはさっきの雑居ビルにいた女の子の姿があります。

 にこやかに笑い、テキパキとティッシュを配っています。


「さすが、いい仕事をしていますね」

「まぁ彼女は可愛いから、みんな受け取りたいと思うわ」


「では、あちらはどうですか?」


 反対側の車線には、車を運転してくれた田中さんの姿があった。


「彼は綺麗な女性ではありません。いわゆる中年の男性です。ですが、すれ違う人はほとんど、彼からティッシュを受け取っております」



「……まぁ、慣れているから……」

「そうです、彼はプロです。一瞬で人との距離を縮める術を熟知しています」



 確かに田中さんに声をかけらたら、まるで何かの魔法をかけられたかのように、ティッシュを受け取っています。


「人は一瞬で、味方か敵か、有意義な情報をくれる者か、関わらない方がいい者か。究極を言うならば、興味か恐怖かの二択を選択できます」


 私はごくりと息を飲み込みました。

 同じようにティッシュを配っているのに、田中さんはともかく、若い女の子にすら勝てない。それはつまり、私は相手の感情を読めていない。そう言いたいのですね?


 そして――

「もしかして、これは相手の感情を読むための訓練?」


「まさか?」


「え、でもこれは訓練なんでしょ?」


「はい。そうです。ティッシュ配りは元気よく大きな声を出す訓練です。聞き取りやすい声をきちんと発生することは、人として生きていくための最低限必要なスキルです。でもまぁ、大きな声を出す場面が少なくなった昨今、こうやってキチンとトレーニングを積まないと難しいのも現状です。御心配なさらなくとも、きちんと大声が出せるようになりますよ」


「ま、待ってよ。私、そんな低次元からスタートする気なんて毛頭ないわ。伊藤さんも分かるでしょ? それに何よ! 伊藤さんも、私を暗い奴と言いたいの? 確かに自覚はあるわよ。でもそれは生まれ持った私の個性よ。そりゃ、気にしたこともあるけど、今更もう治りっこないし、余計なお世話よ。それにこんなこと復讐とはまったく関係ないでしょ?」


「サルは大声を用い自己表現ができます。それは動物が持っている防衛機能です。つまり大声とは武器です。敵を威嚇する、敵から餌を守る、大声とは、ほとんどの動物が標準装備をしている最低限の武器なのです。しかし人は豊かになり、この機能を段々と使わなくなりました。それは良いことなのかもしれません。豊かゆえに戦う必要がないのですから。敵がいないのなら、拳を下ろせばいい。幸せなら、武器を破棄すればいい」


「……私は豊かでも幸せでもない……」



 伊藤さんはサングラスを取り、シャープなメガネをかけました。

 そのメガネがネオンの光を浴び、鋭く光っています。



「あなたはわたくしと約束をしましたよね? 完全勝利するために犯罪以外なら何だってやるって。ふふ、別に良いのですよ。無理しなくとも。言葉と行動を一致させることができる大人などほとんどいませんから」



 私はマスクを取り、ポケットに入れました。

 分かったわよ! やればいいんでしょ、やれば! 何だってやってやるわよ!


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