1.プロローグ
1.プロローグ
やっとの思いで就職したこの会社もそろそろ限界かもしれません。
私は経理事務という仕事に憧れてPCと簿記を猛勉強したけど、あんまり活かしきれていないしがないOLです。
「おい、足立! キサマ! うちを潰す気か!」
凄い剣幕で捲し立ててきているのは営業の萩原部長。
私の机をバンバン叩いて、伝票を私の顔に押しやりました。
「なんでこの伝票は内税になっているんだ? 300万の消費税はいくらになると思っているだ!」
「24万円です」
「んなこと分かってら! 俺が言いたいのは、お前の失態でどれだけ損失を被るかってことだ」
内税にしろと指示したのは萩原部長です。
彼はいつも気分だけで方針を変えて、そのしわ寄せはいつも私のところにきます。私は指示通り仕事をしています。以前もこのようなことがあり、それまでの経緯を説明したのですが、部長は逆上して、余計話がこじれてしまいました。
我慢すれば済むのです。
時間が解決してくるのです。
だから黙っておこうと、涙を堪えました。
ですが萩原部長は、部屋にいるみんなの方に向かって大声で叫びました。
「おい、みんな! お前らも客に出す前にはしっかり伝票をチェックしろよ。こいつはミスばかりするからな。そんでもって指摘したら逆切れ、人のせいにするとんでもないクズだからな!」
持っていたハンカチをギュッと強く握りしめてしまいました。
私にだってプライドはあります。
このまま負けたくありません。
「あのですね……」
「あん、なんだ? ゴミクズ」
「確かに部長は内税にしろと指示されました。すべて録音しています」
そう言うと、私はスマホを取り出し、ボイスレコーダーのアプリを起動させました。
そこには部長の声で、「あぁ、AKUTOKU商事の見積もりは内税で」という音声がハッキリと記録されていました。
「この録音日は4月3日です。新規保存日としてそのまま残っております。その日は、この伝票を作成した日と完全に一致しております。これでも私に非があるとおっしゃられますか?」
萩原部長は血管を膨らませて真っ赤な顔で私を睨みつけています。
「キ……キサマ……。なんて気色の悪い女なんだ!」
「それはどういう意味なのでしょうか?」
「いちいち人の発言を録音して、上げ足を取ろうなんて、キサマはどれだけ性格がねじ曲がっているのだ! どうせ家に帰っても暗い部屋で一人、根暗なことばかりしているんだろ?」
「私の私生活なんて、どうだっていいではないですか?」
「あははは! 図星だったようだな! この根暗のゴミクズ。俺の仕事は営業。しかもトップセールスだ! 俺がこの会社を食わしていっている。俺こそ、財産だ。それに引き換え、キサマの仕事は事務。非生産な仕事だ。せめて俺を気持ちよく仕事させろよ! お前がやる気をなくしても会社は苦しまない。替えなどいくらでもいるからな! だが俺がやる気をなくしたらどうなるんだ! 会社はどん底へ真っ逆さまなんだぞ! だからキサマは罪産。ぎゃはは」
「萩原部長、その辺でやめてあげてはどうかな?」
物静かに立ち上がったのは、菊池社長。
スマートな体躯のイケメン。
若干32歳という若さでこの会社を切り盛りしているやり手です。
幾度となくピンチを乗り越えてきたという武勇伝が、社内では噂になっています。
部長は彼の意見が気に入らないようで、面白くない顔をしています。
「えーとですね、社長、俺とこの女、どちらか片方が辞めると言ったら、どちらを呼び止めますか?」
「あはは。なんてくだらない。それは愚問だ。答えるのもバカバカしい」
さすが社長です。
私にはこんな子供じみた質問に付き合っていられないと言っているように思えました。
しかし社長は続けたのです。
「残すのは萩原部長に決まっているじゃないか。事務なんて求人をかけたらいくらでもやってくるからね。だから足立クンもつまらないことにいちいち腹を立てずに、ニコニコしていたらいいんだよ」
そういうとスッと私からスマホを取り上げると、音声データを削除しました。
私は席を立つとトイレに駆け込みました。
鍵をすると声を殺して泣きました。
*
私がちょっと我慢すればいい。
それだけでお給料がもらえる。
確かにそうなのかもしれない。
もうちょっとだけバカになれば。
もうちょっただけ道化を演じることができれば。
そうすれば、私はそれなりにうまく世の中で生きていくことができる。
就業時間が終わり、私はフラフラとネオンの光へ向かって歩いていました。
今夜はちょっと飲みたかった。
パーと飲んですべて忘れよう。
そう思っていたのか、どうかすら分からなかった。
ただただ、昆虫が本能にしたがって光に群がっていくように、私の足は動いていたのかもしれません。
一件の居酒屋に入ろうと思い、足を止めました。
ガラガラと戸が開き、中の様子が視界に入ってきました。楽しげに飲んでいた人達の視線が、一瞬、私に集まりました。
本来なら楽しげな喧噪。
それが私には恐ろしい何かに感じたのです。
スーツ姿の男性がとにかく怖かった。
吐き気を覚え、手を口に当てて、その場から逃げるように走り去りました。
気持ちが落ち着き、コンビニで缶酎ハイを一本だけ購入しました。
公園に座り、缶酎ハイを空けて、一気に飲み干しました。
酔いが回ってきた私は、どうでもいい気持になってきました。
楽しいのか不安なのか、よく分からない不思議な感覚です。
もう帰ろうかな。
通りの隅に易者さんがいました。
小さな机の上にはルーペが置いてあります。
スッとした品のある顔立ちでシャープな眼鏡が特徴的な若い男性が座っています。
どういう訳か、彼には恐怖を感じませんでした。
興味という感情が正しいのでしょうか。
とにかく何とも言えない不思議な関心が、私の心をつき動かしたのです。
彼の前に座ると、「あなた、占える?」と言ってみました。
「……わたくしは占い師ではありません。的中師です」
的中師?
「あはは、なによ、それ?」
「端的に言います。わたくしが発する運命は100%当たります。故に心が弱い方は、わたくしなど無視された方がよろしいかと」
「って、あなた。ここで商売している以上、お金目的でやっているのでしょう? お金がいるんでしょ? いいわ、私を占ってください」
そう言って手のひらを突き出しました。
「……。悔しいのですか?」
唐突に易者がそう言ったのです。
「な、なにを言っているのよ?」
「わたくしは本日起きたあなたの行動を言い当てることができます。それは占いではなく、あなたの表情、行動、仕草、それを観察しただけですべて分かります。気持ちよさそうにほろ酔いを思わせる顔をされていますが、あなたは普段お酒を飲まない方ですね?」
「え? どうしてそう思うのよ! 私はいつも一人で飲みに……」
「あなたは飲みに行きたいと思っていた。ですがお店には入れなかった。だから公園で一人飲みをしていた。飲み終わった缶を、その辺に捨てずに、コンビニの袋にちゃんと所持していることから、あなたは普段はしっかりとした真面目な女性。そんな女性の頬がほんのり赤いと、何とも言えない魅力を感じます」
え?
「話はそれましたが、真面目で能力も高いあなたが思うような人生を歩めていない。だからわたくしは、悔しいのですか? と問いました」
「悔しいわ。私、私……」
「悔しいと感じることは、悪いことではありません。それは人間が持つ防衛本能。この能力を攻撃に転じるか、防御で固めるか、それとも逃走するか、それはあなたの自由。
わたくしは的中師。
破壊力は抜群。
故に戦うことを決意した者にしか助言いたしません。
あなたにもし、戦う決心があるのなら、わたくしは惜しみなく助言いたしましょう。
さて、どうされますか? 足立様」
「ど、どうして私の名前を?」
「足立様は制服のままですよ? 胸のプレートでな名前などすぐに分かります。普段、冷静なあなたがそのような格好のまま、この辺をフラフラしているということは、余程、悔しかったのですよね?
わたくしは伊藤。
あなたの勇気を後押しする者と解釈されたら宜しいかと」