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「chocolate shot bar」は何故ダメなのか、なのに何故、私はこの作品が好きなのか

さて、ここでは、この作品の最もダメだと思うところを記していきたいと思います。


この作品の問題点を一言で言えば、この物語、主人公の静凛に、何一つとして変化が訪れていません。最初から最後まで、全く変わらないのです。


物語には、筋の通った変化が必要です。それが、この物語には欠けているのです。


ここで言う変化とは何でしょうか?


キャラを変化させると言われてまず思いつくのは、人格とか技能とかでしょうか。努力して新しい能力や、一つ上の視点を手に入れる。成長物語で扱うような変化ですね。


ですが、変化はそれだけではありません。


運命の相手と出会って幸せになりました、これは、幸福感の変化です。様々な人間と出会い別れる、そう言った人間関係の変化もあります。多分、考えれば、他にも色々出てくるでしょう。


そして、変化するのはキャラだけではありません。世界だって変化するのです。


人が成長すれば、その人は、世界に影響を与えることになります。幸せになれば、見える世界が変わります。そして、幸せな人がいる場所には、自ずと人が集まり、その場所の人を幸せにします。


筋の通った変化とは、言いかえればプロットです。それは、物語の中に生きる人、物語の中の場所に、それぞれあるものです。


そういった変化を主人公が見聞きし、影響を受け、変化する。それが物語のプロットとなることで、一本の筋が通ります。変化の無い話とは、筋の無い、プロットの無い話なのです。それは物語にはなり得ません(完全に否定するつもりもないですが。それはどちらかというと、物語ではなく、芸術の類になるかと思います)。


物語には、こう言った変化が「必ず」必要となります。ですが、拙作「chocolate shot bar」は、この変化が欠けているのです。


私は、静凛という主人公を、成長させませんでした。そして、この酒場を居心地が良いと感じ、常連さんとも仲良くなっていますが、これは酒場の中に閉じた変化です。静凛という主人公の変化としてみるには弱いのです。この酒場とは関係の無い、静凛という一人の人間は、物語を通して、何も変化していません。少なくとも、それを読者に示せていないのです。


なぜ、成長、幸福、人間関係といったようなものを扱い、変化させなければいけないのでしょうか? それは、これらが普遍的な価値を持つものだからです。


なにかに失敗した時、どうすれば上手くできるだろう、そんなことを考えたことはありませんか?

つらい時、どうすればこのつらさを乗り越えられるだろう、そんなことを考えたことはありませんか?

誰かに良くしてもらった時に感謝したり、誰かがつらかった時に手を差し伸べたいと思ったりしたことはありませんか?

これらは、誰しもが持っているものです。大抵の人は、そういった事を常に考え、感じながら、生きているものなのです。


その、誰しもが考えることに影響を及ぼして、初めて人にテーマを伝えることが出来ます。単にテーマを述べるだけでは、何も伝わりません。


同時に、理由もなく成長したり、幸せになってもいけません。それは、宝くじに当たって幸せになるようなものではないでしょうか。そんなのに心を動かされる人は、多分いないでしょう。どんなささやかな変化でも、変化するには理由が必要です。


物語というのは、読者にテーマを提示し、その影響を示して、初めて機能するものなのです。


テーマというのは、作者にとって、何らかの価値があるものです。その価値を、だれしもが考える、普遍的なものにどう影響を与えるかを考え、そのことを読者が意識するように物語を組み立てて、初めて物語をいうのは価値を得ます。


そうして、物語を通して何かが伝わってくるからこそ、物語というのは面白いのです。


ここで、改めて、「chocolate shot bar」を振り返って考えてみます。


この物語の最後、主人公の静凛は、過去を振り返ったあと、現在に意識を戻して、「ここのルールは自分ルールでしょ!」とツッコミを入れてしまいます。そして、「それでも、そのマスターの考え方が、この居心地の良さを出してるんだろうなぁ」なんて考えてしまうのです。


つまり、終始一貫して、酒場のことを述べているのです。これが、この作品から、テーマを無くしています。ここで、主人公の静凛がどう変化したかを書かなくてはいけないのに、それをしていません。


この作品には、クライマックスが欠けているのです。


どのように変化したか、成長したのか、幸せになったのか、はたまた魅力的な友人が出来たのか、どのように変化したかを決めるのは、作者の裁量です。そして、その変化に対して、読者がどう感じるのか、作者はわかりません。もしかすると、興ざめするかもしれないし、作者とは違う受け止め方をするかも知れません。


変化を書くことで、「この変化はおかしい」と感じる読者も出てくると思います。ですが、変化を書かなくては、決して読者の心に残りません。素通りして終わるだけなのです。


つまらない作品ってなんでしょう。読んで不快感を感じる小説でしょうか? それとも、示された価値観に同意できない作品でしょうか?


ですが、それらは多分に好みの問題だったりします。客観的に見て、一概に否定できないこともあるのではないかと思います。……そしてそれらは、例え否定的でも、読者の心を動かした上での感想です。


例え否定的な感情を抱かせないような作品でも、読者の心を動かすだけの何かが無いような物語こそが、もっともつまらないのだと、そんな風に思います。「chocolate shot bar」という作品は、まさにそういう作品なのです。


それでも、私は自分の執筆したこの「chocolate shot bar」という作品が、好きなのです。


作者にとっての面白さとは、「創り出す」面白さや、「自分の表現したかったものを満足がいくまで表現することが出来た」面白さなのだと思います。つまり、一つの世界を創り出し、表現したい事柄を相手に伝わるように書くことが出来れば、例えテーマが伝わらなくても、作者にとって満足する話になることもあるのかなと、そんな風に思います。作者と読者では、面白いと感じる作品にズレがあるのです。


私は、この作品に出てくるチョコレート、舞台となる酒場に、とても満足しています。これらを書くために色々調べ、試食をし、空想を重ね、その結果、満足がいく表現が出来たと、確かに感じています。


ですがこれらは、物語を要約すると消えてしまうような、そんな事柄です。面白い物語であれば、これらの表現が、物語をさらに魅力的にしてくれたのだと思います。ですが、土台となる物語が面白くなければ、これらがどれだけ良く書けても、最後には埋もれてしまうのだと、そんな風に思います。


それでも、最後の最後で「ここのルールは自分ルールでしょ!」と、テーマを否定するようなツッコミを入れてしまう主人公の静凛というキャラが、私は好きなのです。これはきっと、物語の中で、いろんなことにツッコミを入れたからだと思います。私の中の静凛は、ツッコミキャラなのです。


自分がこの作品を分析すると、終盤に問題があると思うのですが、それは同時に、キャラ走りをした結果です。だから、このままの方が、静凛というキャラは生き生きすると、そう感じてしまうのです。


だからこそ、私はこの作品がダメだと思いながら、好きでもあり、直したくも無いのです。

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