物語の構造とテーマについて
さて、先に私は、自分にとっての良い作品とは、「提示した主題が強い余韻となって残る作品」だと述べました。ですがここに、執筆する上での大きな落とし穴があります。
実の所、作者は、自分が執筆した作品を読んで、余韻を楽しむことが出来ないと、私はそんなふうに考えています。
作者は、物語の全てを誰よりも知っている存在です。同時に、それまで書いた物語の全体像を、常に意識している存在でもあります。過去に何を書いたか思い出せないような作者は、そもそも物語を締めることができません。ですが、読了後の余韻というのは、その物語を振り返って思いを馳せる、そんな行為なのです。
物語の「今」に集中していた所を、ふっと物語の「過去」に意識を向ける。そこで物語が終わりを迎えることで、読了後の余韻は生まれます。この余韻を楽しむことが出来るのは、読者の特権だと思うのです。
ですが、読者に「物語の過去に意識を向けさせる」、これは、作者の仕事になります。つまり、作者は、読者がどう感じるか、作者自身ではわからないことを書かなくてはいけないのです。
……こう書くと、なにか特別なことをしないといけないように感じますが。実の所、大抵の作者は、物語を閉じるときに、当たり前のようにやっていることだと思います。いや、「上手くやる」のは難しいと思いますが。実際、今回、私は派手に失敗しましたし。
読者がどう感じるか作者自身にはわからない、それでも書かなくてはいけない、そういった事は、実の所、作者には多々あると思います。伏線なんてのが代表格でしょうか。張った伏線をどう読者が受け取っているか、その伏線を回収した時どう読者が感じるか、この辺りも、作者にはわからないことになると思います。
それなのに、初めて執筆するような、知識も経験もこれから身につけていくような人でも、大抵の場合、そういったことを考えて執筆しているのではないかと思います。
なぜそれが出来るかと言えば、作者がそれまで触れてきた様々な物語から、そういった物が必要だと学んでいるからだと考えています。そしてそれは、小説だったり、映画だったり、漫画だったりと、ありとあらゆる「物語」から学んでいるのではないでしょうか。
作者は、それまで触れてきた様々な物語から、当たり前のように行われていることを学び取って、それと同じことをしているのだと、そんな風に思っています。
これは、文章や絵といった表現方法に依らない、「物語」としての共通的な形があるからこそ出来ることだと思います。同時に、全く同じ物語というのは存在しません。百の物語があれば、百の主張、百の世界があるのです。これは、物語としての共通的な形は、そこに込めるテーマとはある程度独立しているからだと、そんな風に考えています。
あらゆる物語に適用できる、共通的な「物語の構造」があって、これが、作者にはわからない、それでも書かなくてはいけないことのような、作者と読者のずれを埋めてくれているのだと、そんなことを考えているのです。
一つ一つの物語を、全く違う物語にしている物は、テーマだと思います。そして、物語の面白さの源も、ここにあると、私は考えています。
つまり、面白い物語とは、テーマを物語に乗せて、形を整え、上手く読者に伝えることのできた物語のことではないかなと、そんな風に考えている訳です。
「chocolate shot bar」という作品には、この「物語の構造」に、重大な欠陥を抱えている作品です。そして、それは残念なことに、作者には感じられないことで、だからこそ、読者には好まれないだろうなぁと思いつつも、作者は好きでいられる、そんな作品でもあります。
端的に言えば、「chocolate shot bar」という作品は、テーマが読者に伝わらない構造になっているのです。
以下に、この作品の内容を要約したものを記します。
―― 「chocolate shot bar」要約 ――
この話は、「chocolate shot bar」というショットバーに、一人の女性客(静凛)が入店し、メニューを見て、この店に初めて入った時のことを思い出すところから、物語は始まります。
社会に出て間もない、会社のルールにようやくなじみ始めた静凛は、会社の飲み会が盛り上がらなかったことに少し落ち込んでいたところに、この店を見かけて、なんとなく立ち寄ります。
そして、そこで出されたチョコレートに驚きながら、最後には十分にその味を楽しみます。
そんな時、常連客らしきカップルが入店して、「いつもの」みたいな感じで注文をします。その注文を見て、静凛はまたも驚くのです。
……なんということでしょう! この店のチョコレートへのこだわりは、静凛が思っていたのとは、方向が違っていたのです。
その、あまりの斜め上なメニューに心の中でツッコミを入れた後、静凛は楽しい時間を過ごします。
やがて店を出た静凛は、店に入る前、自分が落ち込んでたことも忘れ、店のマスターが語った「ルール」に、思いを馳せながら、家に帰るのでした。
そんな、初めて入った時のことを思い出した静凛は、その時マスターが語った「ルール」は「自分ルールでしょ!」と突っ込みを入れながらも――実は開店当時としてはそこまで斜め上な考え方では無いのですが――、それでも、そのマスターの考え方が、この居心地の良さを出してるんだろうなぁと、そんなふうに思うのでした。
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一見すると、この物語は、静凛という若い女性が、チョコレートにこだわりのある店に入って、驚きながらも、ルールというものについて考えるような、そんな話に見えます。
つまり、「ルール」が一つのテーマになっている作品に見える訳です。
ですが、このルールが、テーマとして機能していません。読者に伝わらないし、余韻として残らないのです。
その代わりと言ってはなんですか、物語の中で出てきたチョコレートは、(この要約ではわかりませんが)そこそこ印象に残るように書けたと思います。そして、このチョコレートに対して、静凛というキャラクタは、実に良い感じで感情を動かしてくれました。そのため、舞台となった「chocolate shot bar」というショットバーの魅力は引き出せすことは出来たと思います。
つまり、舞台の構築だけして、ドラマが無い、そんな作品なのです。結果として、この作品から伝わるのは、「この店、良い感じだよね」と、たったそれだけなのです。
この物語で心を動かされる人は、こう、バーの紹介ブログを見て、涙を流して感動できるような人なのかなぁと、そんな風に思います。……いるのかなぁ、そんな人。