はじめに
そもそも、私はなぜ小説を書いているのでしょう。
私にとって、創作とは、何か伝えたいことを決めて、それが伝わるような架空の話を作り出す、そんな行為です。
同時に、誰かの心に伝えたいことを残すために、人の心を動かせるような架空の話を作り出す、そんな行為でもあります。
つまり、私にとっての創作とは、「主題を誰かに伝え、その心に残すために、心を動かすような話を作り出すこと」になります。
……こんなことを書くと、何やら偉そうですね。
じゃあ、単純に楽しさを追求した話には興味が無いのかといえば、そうでもありません。そういった話は、「○○は楽しい」というテーマを背負っているのかな、なんて思っています。ふと思い出して読み返したくなったり、思い出しただけで笑ってしまうような作品はきっと、「○○は楽しい」というテーマを、読者の心に残すことに成功したのかなぁと。……まだ書いたことはありませんが、いずれ挑戦したいな、なんて思っています。
さて、そんな「主題を読者の心に残す」ことを重視する私にとって、良い作品とはなんでしょう。――それは、「提示した主題が強い余韻となって残る作品」と言うことになります。
私にとって、どれだけ熱中して読める作品でも、読了後に何も残らなければ、意味がありません。そして、実のところ、作品の評価というのは、読了後の余韻に対する評価だと思っています。
どれだけ「途中で」読者を夢中にさせても、最後の一行を読み終えた後に何も残らないような作品は、決して評価されないかなと、そんな風に思うのです。
ここでいう評価は、なろうのポイントとかとは違う物です。もっと普遍的な、その作品の質に与えられるべき評価とか、そんな感じのものです。……もっとも、その「普遍的な評価」って何ですかと言われると、困ってしまうのですが。
さて、私は先日、バレンタインデーも近づいてきたことだし、チョコレートにちなんだ作品でも書いてみようと、一つの作品を書き上げました。「chocolate shot bar」という短編小説です。
この作品ですが、見事なほど、読まれてません。
作者としては、当然全力を注いで執筆した、今の自分にとって、最良の作品……と言いたいのですが。
実はこの作品、後から読み返してみて、先に述べた「余韻」、これが得られないような作品に仕上がっているなぁと自分でも納得してしまう、そんな作品でして。
つまり、自分の創作論に思いっきり反している、そんな作品なのです。
そして、そんな作品なのに、私としては結構なお気に入りなのです。……改稿したくないと思ってしまう位には。
頑張って書いた作品です。読まれたいという思いはあります。ですが、この作品、いわば「どこに出しても恥ずかしいのに好きで好きでしょうがない」、そんな困ったちゃんなのです。
ならいっそ、何故こんな困った子になってしまったのか、どうあるべきなのか、何故直せないのか、そういったことを書き連ねてみようと、そんな思いつきで、筆を走らせてみました。
創作を始めてからまだ二年未満の、まだまだ自分の表現を模索中の身の自分が、一つの作品をネタに、今まで創作について学んだこと、考察したことをまとめてみようと筆をとった、そんなエッセイ?です。
この文章を読んで頂いている方には、生暖かい目で見ていただければなぁ、なんて思います。
ちなみに、これからダメ出しをしようとしてる「chocolate shot bar」という作品、改稿が嫌なら連載化しようと決断してしまいまして。連載版を同時にあげています。――内容はそのまま、次話はいつになるかわからないという状態で。一種の決意表明のつもりです。
……ほとんど読まれていない0pt作品のくせに、何という暴挙をしているのでしょう。
ホントに、生暖かい目で見守っていただければなあと、切に願います。
ここから述べる話は、自分が「筋のある物語」と分類しているものを対象として述べる話となります。そうではない、「筋のない小説」というものもあると思いますが、そこには触れていません。
これから述べる、こうあるべきという論は、あくまで「筋のある物語」としての論だと思って頂ければと、そんな風に思います。
あと、同時に上げた「chocolate shot bar」の連載版、一応校正は入っています(軽く読みやすくした程度です。内容に変更はありません)。
続きは夏頃に上げれたらいいなぁなんて、遅いにも程があることを書き残しておきます(爆)