何のお話ですの?
「ステファニー・イーストン、話がある」
午前の授業を終えて、さあランチタイムだと教室を出た時だった。後方からよく通るテノールが聞こえてきて、周囲のざわめきが酷くなる。
「聞いているのか、ステファニー・イーストン」
もう一度、今度はさっきよりも苛立ちが混じった声が響いた。一体誰が呼ばれているのかしら、と不思議に思っていると、隣を歩いていた従者のエディが私に囁いた。
「お嬢様、王子殿下がお呼びですよ。話を聞いて差し上げた方がよろしいかと」
なんと。ステファニー・イーストンというのは私のことだったらしい。そういえばそうだった気もしてきた、ような。
「ごきげんよう、殿下。いかがいたしましたの?」
くるりと振り返って礼をする。王子殿下、ってエディが言ってたから丁寧に礼をしなくてはね。
うーん。真ん中にいる金髪の男性が殿下かしら、きっとそうよね。エメラルドの瞳が綺麗だわ。他にも男性が3人と女性が1人。みなさん美しいですのね。
「ふん。余裕なのは今だけですよ。貴女、彼女に何をしたか我々が知らないとでも思っているのですか?」
そう言ったのは、殿下の右隣の、黒髪の男性。
「可哀想に、この子はずっと1人で我慢してたんだよ。」
お次は、女性を挟んで殿下の左に立つ茶髪の方。一番右の銀髪の方も頷いています。
「ええと、皆様。何のお話をしていますの?」
というか、どなたなのでしょう。真ん中が殿下であろうことしか分からないのですけれど。
「とぼけても無駄だぞ。お前には失望した。アリシアに対する数々の非道な行い、しっかりと償ってもらうぞ。」
私が首を傾げたのが気に入らなかったのでしょう、殿下が声を低くして仰いました。それにしても状況が掴めませんね。どうやら彼らに責められているようなのですが、原因に心当たりはありませんし。殿下の隣、といっても半歩ほど下がったところに立っている方がアリシアさん、でしたっけ。
「と言われましても、私には何の事かさっぱり分かりませんわ。」
「いつまでとぼけるつもりだ…!」
「でっ、殿下!もういいのです、そんなにステファニー様を責めないであげてください」
苛立つ殿下の腕に縋るように、アリシアさんが訴えます。アリシアさんのおかげで、殿下も少しだけ落ち着いた様子。勿論、責めるなと言われて不服そうですけどね。
「ねえエディ、どういうことですの?」
「半年ほど前から、殿下はじめ4名がアリシア嬢と仲良くなられまして。それ故いやがらせを受けていたようで、その首謀者がお嬢様というわけです。因みに先日彼女がお嬢様に階段から突き落とされたということになっております。」
状況をエディに聞けば、なんという事でしょう。犯人は私じゃないわよ、多分。それにしても階段から落ちた割には怪我もなさそうだし良かったわね。
「アリシアへの謝罪と婚約解消を要求する!」
「えーと、私身に覚えがありませんから謝罪というのもできませんし、後何でしたっけ、婚約解消?誰と誰のですの?」
「なっ……!俺とお前のに決まっているだろう!お前は国母となるに相応しくない!」
「えっ?エディ、私殿下と婚約してましたの?!いつの間に?」
私は侯爵家の人間ですから婚約者がいてもおかしくはないと思っていましたけれど、まさか殿下だったなんて。
「おい、お前何を言っている…?」
「お嬢様、確か10歳の時に婚約されてますよ。お気に入りのくまのぬいぐるみはその時に殿下に頂いた物ですね。」
ああ、そういえば部屋にありましたわね。
「それと殿下、お嬢様はアリシア嬢が言うのと同じ時に階段から落ちて頭を打たれておりまして、記憶喪失でございます。ですので、殿下のことはおろかご自身のことさえも何も覚えていらっしゃいませんよ。医師に漸く登校しても良いと許可を頂けたのが昨日の夕刻ですので、あまり負担をかけたくないのですが。」
「は…………?」
「そんな嘘が通用すると思っているんですか!」
そう、そうなのです。私この前階段から落ちたらしく、記憶がありませんの。目が覚めたらエディとお医者様がいて、絶対安静でベッドから出られない間に私の事を色々教えてもらっていたのです。
「医務室の使用履歴とお医者様の診断がありますから、確認を取ったらいかがです?因みに診てくださったのは殿下もお世話になっている王宮のお医者様ですよ。」
エディ、王宮にまで連絡をしてしまったのですね。私としても馴染みのある(らしい)方でしたから安心できるとの配慮でしょう。
「大体、僕達が着いた時アリシアしかいなかったけど?」
「貴方方が来る前にお嬢様を医務室へお連れいたしましたので。」
「はあ?!アリシアは放置したわけ?!」
茶髪の方の言う通りです、普通なら。ですけれど…
「お忘れですか?我々フェルセンの一族は主を最も大切にし、最優先するのですよ。主のためなら王命にすら背きます。国王陛下と主でも、迷わず主を選びます。──ましてや、階段から落ちて意識の無い侯爵令嬢と、ただ階段の上に座り込む男爵令嬢、誰がどう考えても助けるのはお嬢様に決まってますよね。」
その女は落ちてすらいないのだから、とエディは付け足す。最初にフェルセンの性質を聞いた時は驚いたけれど、エディも侍女のダリアも心から私に尽くしてくれているのを感じて不安も和らぎましたの。何も分からない状況でも、2人は信じていいのだと思えましたし。
「どういう、ことだ…俺はアリシアがステファニーに突き落とされたと聞いたんだが?それじゃあまるで、アリシアがステファニーを突き落としたみたいじゃないか。」
うろたえる殿下。他の面々も同様です。アリシアさんは…殿下の背に隠れて俯いていますから分かりませんね。
「みたいっていうか、事実そうでしょうね。あの階段は人目に付きにくいし、段数も少ない為に落ちても恐らく死ぬことはないでしょう。お嬢様に濡れ衣を着せるのにぴったりだ。」
「ち、ちがいます…!わたし、そんなこと……」
「はっ。大方突き落とそうとしたが誤って自分が落ちただけだろう。自業自得だ。それに、これまでのいやがらせのこともあるしな。」
目に涙を溜めて訴えるアリシアさんは、殿下の言葉を聞いてホッとした様子です。それにしても殿下、仮にも婚約者に酷い言い草ですのね。
「近づくな、とか詰め寄っているのを目撃した生徒だっているんだから、言い逃れできると思わないでね?」
「いやあ、随分と楽しそうなことになっているじゃないか」
茶髪の方になんと返せばいいのか考えている時。周りの人垣の間からどなたかが歩いていらっしゃると、私の隣に立たれました。さて、また謎が増えましたね。
「なんでお前がここにいる…!」
男性を見た殿下はとても驚かれていました。いいえ、驚いていないのは私とエディくらいですわね。私は知らない方だし、きっとエディは来る事が分かっていたからでしょう。
「殿下の従兄、フィリップス様です」
エディがこっそり教えてくれました。そういえば殿下に少し似てますわね。
「君たちの言ういやがらせの件だけど、全て犯人は分かったよ。勿論裏も取れてる。」
「ほら、やっぱり──」
「ああ、ステフじゃないよ。この子はちょっとその女を諌めただけ。婚約者のいる男を4人も侍らせているようなみっともない行動、咎められて当然だよね。しかも自分の婚約者もいるんだし。」
そう言いながら目を細めたフィリップス様。ちょっと怖いです。
「フィル、何を言っているか分かっているのか?アリシアに対してそんな言い方──」
「無能は黙ってろ。」
フィリップス様の言葉に柔らかさがなくなり、隣にいる私も震えそうです。というか殿下に対して無能って…!
「ぐっ…」
「アリシア・オルコット、貴様、自分のしたことは分かっているだろうな」
「わっ、わたしはなにも…!」
冷たいフィリップス様の眼差しに、またアリシアさんの目に涙が。
「男を誑かしておいて何も、なあ?その上ステフに怪我までさせて、許されると思うなよ」
「っ……!」
「全部自作自演だったことは分かっている。王子の婚約者は邪魔な存在だったんだろ。同情は買えるし邪魔な女は消えるし、これ以上ない計画だな。」
「アリシア…どういうことだ…」
「嘘だよね?アリシアはそんなことしないもんね?」
「だったら…だったら何よ!折角近付けたのに、いつも最後にはステフがいるからって…!ステフステフステフ!そればかりだったじゃないの!あんな傲慢な女のどこがいいのよ!」
アリシアさんの本性、でしょうか。さっきまでの守られるばかりの女の子ではないですね。それに、私やっぱり傲慢だったんでしょうか。目を覚ましてから皆に驚かれるのです。随分丸くなったって。
「ああそれから。この前届いた婚約解消の書類だが、ちゃんと受理しておいた。お前とステフの婚約は解消だ。それと、正式な発表は後日だが、王太子はお前じゃなくて俺だ。陛下も大層がっかりされていたぞ。」
力なく項垂れる殿下。他の方の目にも悲しみや後悔の色が見える気がします。
我が国では次期国王に決まると王太子の称号が与えられます。これは、単純に継承権第一位の人物に与えられる称号ではなく、国王となることが正式に決まらない限りは名乗れないのです。殿下は第一王子で王位継承権第一位だったのですけれど、まだ王太子ではなかったみたいですね。本来ならば王弟殿下や王女殿下の方がフィリップス様より継承権が上のはずですけど、王弟殿下は以前継承権を放棄されていますし、王女殿下はどうやらフィリップス様に譲ると明言したらしいのです。
それでも、除籍でもありませんし、継承権を下げるだけで済ませたのは陛下のご配慮でしょうね。エディによると、アリシアさんと仲良くなるまでは立派な王子だったらしいのです。
…婚約解消を要求と言っておきながら既に陛下に書類を出していたのは聞かなかったことにしておきましょう。
「それから、ステフ」
こちらを向きながら、柔らかな声に戻ったフィリップス様。うう、温度差にやられそうです…。
「あの馬鹿のことはさっさと忘れた方がいい。」
まあ、ここまできて関係が改善されるとは思えませんものね。勿論そうしますわ。というか覚えてませんし。
「そうですわよ!あんな女に騙されるような見る目のないお兄様なんてさっさと捨てて、フィルお兄様と結婚すればいいんですわ!」
答えようとしたら、またしても後ろから声がかかります。遮られてばかりですわね。
「メアリまで来たのか……」
殿下が呟きました。ふむ。この美少女は妹のメアリ様ですのね。
「お久しぶりですわ、ステフお姉様。お身体はもう大丈夫ですの?」
「メアリ様、ええと体調の方はだいぶ回復しておりまして、」
「やだわお姉様!いつものようにメアリと呼んでくださいな!あ、記憶をなくされているんでしたね…ごめんなさい…」
どうやら仲良しさんだったみたいです。
「ねえステフ。あんな男のことは忘れて、俺と結婚してくれませんか。」
膝をつくと私の右手を取り、唇を落とすフィリップス様。顔が真っ赤になっている自信がありますわ…。
「あの、フィリップス様……」
「君があいつを支えられる立派な王妃になるために努力してきたことも、ずっとあいつのことを想っていたことも知ってる。でもね、不謹慎だけれど、こんな事になってその上君が記憶をなくしたと聞いた時、嬉しく思う部分もあったんだ。君を振り向かせられるチャンスがきた、って。ずっとステフが好きだった。今は混乱しているだろうし、気持ちが俺に向いていなくても構わないよ。一生をかけて幸せにすると約束するから、頷いてくれないかな。」
私、まだ思い出せていないことばかりで、めまぐるしく変わる状況にもついていけないのですけれど…彼の手を取ればいいんだってことはきっと間違いじゃないと思います。
「ねえ、フィリップス様。婚約の記念に、ぬいぐるみが欲しいです!」
2016/03/04
矛盾のある部分がありましたので修正しております。
内容に変化はありません。
お読み頂きありがとうございました!
一体どうしてこうなったのやら…?
書いた本人ですらわかりません。
そしてフィリップス様迷子。
活動報告にて反省という名の弁解を…
こちらもぜひ目を通していただけると!
背景というか設定というか。
改めて。ありがとうございました。