4-1、リリリスタート!
運命改変四周目。
統暦2811年、木霊の月、5日。
運命改変の一日目であるこの日付け、このときを彼が再訪したのも、これで四度目となった。
二周目の100日目に観測点は失われたが、その後も運命改変は継続している。
観測が為されないまま、二周目が終わり、三周目も終わり、そしてまた、四周目の運命改変が始まったのだ。
四周目が開始されるにあたり、『残念女神2号』の神域「始点の運命楔」において、『運命の女神の代行者』は、信仰心の賦活を遂げた。
信心を得た神は、能力が向上する。
観測点は再設定され、改変の軌跡はここに再び物語られる。
しかし未だ、運命神に捧げられる信仰は不十分であるため、『運命改変者』の視点によっては叙述されず、『残念女神1号』と、彼女に『スっさん』と呼ばれる存在からは、代行者の内心をつぶさに観測することはできなくなっている。
観測者たちには、彼の者の心情は時折り、垣間見える程度であろう。
捧げられる信仰が不足しているうちは、これが続くこととなる。
仁愛、敬愛、友愛、慈愛、恋愛。
神も人も、捧げられし愛によってこそ救われる。
四周目の改変対象は、『徴募兵』となった。
スタート地点は、「メセド・タルクァーン帝国領内、アイゼルロンの谷」である。
この時代、この次元バローグにおいて、南の大国、東の帝国、そう並び称される二大国が覇を競っている。
南の大国、大神国クシュルパーニャという国は、土方居住圏(土魂領域とその近辺における人間の居住域全体を指す)のほとんど全てを支配下においている。
東の帝国、メセド・タルクァーン帝国は、火方居住圏を同様に占めている。
六元それぞれの極地の方角について、横に寝かせた横長の六角形、というたとえを用いて『邪剣』は『運命の女神の代行者』に説明をしていたため、そのたとえを踏襲することとする。
実際のところ、このバローグの巷間においても、「六方位」のあり方には六角形を当てはめ、用いている。
ただし、「六元分割」以前は、ちょうど地球世界における東西南北と同様の方法で方位を表しており、バローグの近・現代においては、どちらの表現も使われている。
クシュルパーニャが位置する土魂領域とは、どういった方角にあるのか。
横に寝かせた六角形の左半分は、生属界と呼ばれ、上・中・下の三つの角は、上から順に、木霊領域、水精領域、土魂領域の方角を示すことになる。
つまり、左下の角を本拠とするのが、大神国クシュルパーニャ、ということになる。
付け加えるならば、左中の角、水精領域から「水際戦役」が拡大していき、左上、木方居住圏においては、「中つ国崩壊」という事態が突発することになっている。
クシュルパーニャはその混乱に乗じて、それらの方角へ侵攻を強めていくこととなる。
無論のこと、これまでの周回に述べられている限りにおいて、の話である。
では、メセド・タルクァーン帝国が統べる火方居住圏とは、いかなる位置にあるか。
六角形の右半分は死属界と呼ばれ、上・中・下の角はそれぞれ、風気領域、火因領域、雷子領域の方位角となる。
帝国は、このうち右中の火因の方角、火方を本拠とし、その居住圏のすべてを手中に収めている。
さらには、右上の角、風気領域の近辺にある風方居住圏の小国家群にも「辺境方面軍」を差し向け、長年に渡って領土の拡張を続けている。
この四周目の改変対象、『徴募兵』も、その風方居住圏の中の小国家、六年前に帝国に降されたケルテート王国があった地域から徴募されてきていた。
さて、この四周目のスタート地点は、先に述べたように「メセド・タルクァーン帝国領内、アイゼルロンの谷」である。
それであるならこのスタート地点は、ぜんたい、どこであるということになるか。
ここは、雷方居住圏。
六角形の、右下の角である。
大国、クシュルパーニャは左下の角。
帝国、メセド・タルクァーンは右中の角。
この右下の方角、この地は、二大覇権国家のちょうど間に位置しているのであった。
であるならば、当然、この雷方の地というのは、最前線、激戦区、血で血を洗う二大国家の争乱の地、ということになろう。
当然、という物言いは短絡的に過ぎるかもしれぬ。
二大国家の間にあればこそ、緩衝地帯、不可侵領域、そういったものになる場合もあるだろう。
しかしながらこの両国、双方ともに覇権国家なのである。
メセド・タルクァーン帝国が国是として掲げる「統一政策」は、はるか昔の大英傑『統一王』が成し遂げた偉業の再現を、つまり単一国家によるバローグ全土の統一を、唯一至上の目的としている。
対する大神国クシュルパーニャは、次元バローグの主神「均衡を司る女神」を崇める「主神教」を国教として定め、「あまねく地上に主たる神の御稜威を知ろしめん」としている。
両者ともに「世界地図を一色に塗り潰していくこと」を目標とする。
ゆえに、当然、なのである。
といって、掲げる「御旗」の違いによってのみ争うものかといえば、やはり、そこまで短絡的なものでもない。
帝国の占める火方居住圏も、大国の占める土方居住圏も、ある共通の難題を抱えている。
ともに、木霊と水精が特に乏しい土地であるため、その国土は農業生産に適していないのだ。
国内の少ない収穫量を補うため、消費する食料の多くを輸入に頼らざるをえない、という事情がある。
クシュルパーニャの場合は、海、川の産物や、豊富な水資源を利用した水稲栽培によって生産される米など、隣接する水方居住圏からの輸入が多くなっている。
メセド・タルクァーンの場合、風方居住圏からは小麦を主とする穀類を輸入し、「世界の中心」を介して結ばれる「中心交易路」から、生属界の産物を割高な値段で買わされている。
よって、この二大覇権国家にとって、多数の国民を賄うことのできる良質な農地、その獲得が悲願なのである。
両国が相争う雷方の地というのは、雷子領域の奥地を除けば、六元が豊富に混在している特殊な土地である。
掲げる名分のためだけでなく、実利を求めて、この地の争奪を繰り広げているのだ。
雷方居住圏というのは、そのような情勢の下にある。
その雷方の地にあって、この四周目のスタート地点となった、アイゼルロンの谷について述懐する。
雷子領域は、極地に近づけば近づくほど、不自然に、急峻にせり上がった台地が増えていく。
最奥に近い地点では、巨大な絶壁が立ち並び、その頂は黒い雷雲に遮られ、見通すことができない。
台地と述べたが、実際にそれの頂が台のようになっていることを確認したものは、通常、ほとんどいない。
極地から遠ざかり、人の住むことができる居住圏となると、そのように雲の上までそびえる絶壁はほとんど見られない。
先にも述べたように、六元が豊富に入り混じり様々な風景が見られる、豊かな土地が居住圏には広がっている。
極地に向けて進むほどに土地の高低差が激しくなっていき、人の行き来できる経路が限定されていくのだ。
アイゼルロンの谷というのは、まさにその、人の行き来が極端に制限されている地形なのである。
豊かな居住圏とは隔絶された一本道であり、帝国側の火方の地と大国側の土方の地、それぞれに向けて出入り口が開かれた、天然の回廊であった。
この峻険なる谷間の隘路は、進めば互いに後背を突くことのできる、両軍にとっての勝利への回廊に等しい。
その地勢ゆえに、アイゼルロンの谷は数百年来の因縁の土地となり、この回廊の中間に築かれたアイゼルロン要塞は、史上、幾度も奪い奪われ、破壊と再建が繰り返されてきたのだ。
そして現代、運命改変スタート時点において、肝心かなめのアイゼルロン要塞は、メセド・タルクァーン帝国の支配下にある。
四周目の改変対象となった『徴募兵』は、細い筋となってアイゼルロン回廊を進んでいく、人の群れの中にいる。
この『徴募兵』たちは、アイゼルロン要塞の防衛に充てられ、配備のための行軍の真っ只中にあった。
帝国軍の伝統として、最前線で使い潰される歩兵となるのは、帝国に降され、新たに編入された土地の兵どもである。
降伏した国の男たちは戦場に送られ、兵を奪われた亡国は、反乱を起こす気概をも失っていく。
「去勢された豚のごとき国」とは、メセド・タルクァーン帝国、先代皇帝の言である。
男がいなくなり、労働力が不足した村落には、帝国の労働者が送り込まれる。
負けた国の女たちは帝国の男のものとなり、帝国人の子供を産むことになる。
敗北者たちの故郷には、負けた男の血筋は残されない。
勝者である帝国人の男の血によって、その土地の血筋を上書きしていく。
この支配の根底にあるのは、雌雄異体の生物種の内に潜む、そのような原始的発想である。
女たちは生き残るが、亡国の住民であった者には、領土の編入後も、帝国人としての権利が与えられることはない。
帝国人同士の結婚は、高貴な身分でない限り、一夫一婦制が慣例となっている。
しかし、負けた国の女たち、亡国の住民に対しては、帝国の法は人としての権利を与えていないため、たとえ帝国人との間に子を成そうとも、妻としての身分が認められることはない。
帝国人としての権利が与えられるのは、帝国人の血筋を与えられた、子供の代からである。
負けた国の女たちは、帝国人の入植者のもとで女中として働きながら、妾として尽くすことを強要される。
その後は、自分の腹を痛めて産んだ、帝国人としての権利を与えられた自らの子供にかしづき、召使いとして仕えなければならない。
これが征服というものであり、戦争に負ける、降伏するというのは、こういうことなのだ。
つまるところ、この『徴募兵』たち。
彼らは戦奴、戦争奴隷に等しい。
精強なる帝国軍人、その眼前に並べられる、肉の盾である。
ただ進み、敵陣を衝いた後に打ち捨てられる、肉の衝車である。
戦地で退くこと、まかりならぬ。
退けば、停まれば、ためらえば、その背は容赦無く帝国軍人に射抜かれる。
生き残りたくば、道は一つである。
前進し、敵を討ち、武勲をあげて戦地を踏み越える。
勲をもって勇武示したる者ならば、帝国人はこれを讃えることを惜しまない。
戦いが終わるときまで『徴募兵』であったその者らは、いくさの終わったあとになってようやく、正式に帝国軍歩兵として取り立てられる。
そうして帝国軍人となった精兵は、その後、短弓に矢をつがえ、次の『徴募兵』たちのその背に狙いを定めることになる。
メセド・タルクァーン帝国の今上皇帝、『前線皇帝』は、殊更に武人を愛し、希求するものとして知られている。
常に戦地に身を置いて、自ら前線で兵を率いて戦うことからついた二つ名である。
そのような在り方は、言うまでもなく国の指導者としては失格であり、軍事の最高責任者としても無責任極まりないものであろう。
事実、国内で、彼に対する批判は尽きない。
旧き時代より続く伝統的な「部族会議」を軽視していることが、批判を呼ぶ主な要因ではある。
しかし、帝国軍の内部においては、『前線皇帝』は絶大なる声望を得ている。
神話に聞こえし英雄と違わぬ、生ける伝説と戦場をともにする昂揚感。
陣内を見舞い、戦地を駆け抜け、蛮勇を振るい、激励を飛ばす。
一目見、一声聞いたなら、一瞬のうちにその昂揚が伝播する。
そのあり様に兵たちが感じるものは、神々しさとは真逆のものである。
泥臭く、人間臭く、血生臭い。
たとえ一介の『徴募兵』、最前線でその命を使い潰されそうになっていたはずの者であっても、いくさの後で、『前線皇帝』に両の肩を掴まれ、両の眼を覗き込まれて勲功を讃えられたなら、真の主を見出したかのような熱にとらわれるのだ。
そのようにして、生存を果たした『徴募兵』は、帝国軍人へと転身する。
さて、メセド・タルクァーン帝国の『頭痛将軍』麾下第三軍、左部歩兵科十二大隊に引率される『徴募兵』たち。
その一員に宿った『運命改変者』は、いったいどのような運命へと『徴募兵』を導くか。
四周目の運命改変は、この観測点より叙される。
もちろん、銀英伝のイゼルローン回廊のパク……オマージュです!
 




