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運命の断片 アナザーワン1-5

僕っ娘サイド、一周目の五話。







 川。


 指の間から川に流れ落ちる雫を、見るともなく見つめている。


 まだ陽の昇らない空の果てで、明暗のせめぎ合いが始まっていた。


 じきに夜が明ける。



 統暦2812年、木霊の月、6日。



 昨日で僕の運命改変は、この世界での一年間が経過している。


 今日で、219日目。


 一年前、僕の運命改変が始まった初日、この『若き木狩りの戦士』の肉体に入り込んだそのときにも、こうして川にかがみ込んでいた。

 あのときは、すぐ背後に父がいた。

 今は一人。

 木狩りの戦士としての習慣で、この身体はまだ暗いうちに目が覚める。

『古き森の姫巫女』は、この時間にはまだ起きてこない。


 川。


 この宿営地の水場として利用されている小川。


 ここから北に見える砦とは真逆、傭兵たちの陣の南端にあって、東から西へと流れている。

 陣の端にあるのは天然の水堀代わり、というよりも、宿営地の内側に小川があると魚人軍にどう利用されるかわからない、という理由のほうが大きいらしい。

 もちろんその危険性は、川の近くに布陣している限り必ず付いて回る。

 それでも、水場がなくては長期間にわたって陣を敷くことなどできないから、こういう配置になっているんだそうだ。


 魔法が無くなる前、つまり「魔法無き戦争」が始まる前までは、水魔法によっていくらでも水が手に入っていたという。

 僕には軍事的なことなんてよくわからないけど、そんな魔法、やっぱり非常識すぎると思う。

 でもこの世界では、水魔法で水を得ることが、つい七年前までの常識だったのだ。

 だから、この世界バローグにある軍隊は、水場が必要かどうかなんてことを、それほど気にかけてこなかったんだそうだ。

 水場について、軍事的にどのように考慮するべきなのか、七年前の「魔導消失」から、未だに手探りの状態で戦争をしている面があるらしい。


 さてと。


 僕は立ち上がって周囲を見回す。

 今日から僕は、魚人軍の奇襲に備える。

 そういう役目になっているから、自分でもちゃんと考えてみなくてはならない。

 川のほとりから思考を広げて、周囲の位置関係について教わっていたことを確認していく。


 守るべき都市国家マルクレイタは、東の方角。

 攻め寄せてくる魚人軍は、西の海岸からやってくる。

 正規軍が建造中の砦は、この宿営地のすぐ北に位置している。

 砦は西の海岸方面を向いていて、そちら側は既にほぼ完成しているそうだ。

 まだまだ未完成の北、南、東側に、それぞれ傭兵たちの宿営地がある。


 まずは、これが基本。


 今、僕たちがいるこの南側の宿営地には、おやっさんの「水方援兵団」のような、小規模な傭兵団がいくつか配置されている。

『兵法先生』の直弟子だったことで、おやっさんは南側に配置された傭兵団の取りまとめ役を任されていた。

 そのため、戦場には出ることなく、各所との連携強化のために忙しく動き回っている。

 あのセンパイ、『若守銭奴』と呼ばれていた威勢の良い傭兵も、それに付いて行くことが多いみたいだった。


 東側、砦の背面に配置されているのは、傭兵団に所属していない傭兵たちだ。


 個人や、ごく少数のチームで活動している傭兵というのは、決して珍しいものではないらしい。

 僕にとって「傭兵」といえば、やっぱり地球にいた頃に学んだ世界史のイメージが強い。

 だから、個人の傭兵とか、いまいちピンとこないんだけど。

 ちゃんと人数が揃っている傭兵団でなくては戦力にならないんじゃないか、そう思っていたのだ。

 でも、この世界には傭兵ギルドという組織があって、そのおかげで、たった一人の傭兵でも仕事ができる環境が整っているのだという。

 今回の例で考えると、都市国家マルクレイタからまず傭兵ギルドに防衛人員募集の依頼が出ていて、それを受けた傭兵ギルドが各個人や各傭兵団に仕事を斡旋する、という形になっているらしい。

 とはいえ、やっぱり普段からまとまった人数で連携を取っている傭兵団の方が信頼度が高く、その分重要な役割を任されやすくて、報酬も稼ぎやすいものなんだそうだ。

 だからここの戦場でも、個人の傭兵たちは砦の後方に配置されていて、予備部隊のような扱いになっているんだとか。


 その東側と比べて、ここの砦の北側は重要度が高いため、『黒鳥鋭兵団』という名の一個の大規模な傭兵団が守っている。


 北側が重要な理由は、ここに砦が築かれた理由と直結している。

 この砦のすぐ北には、河が流れている。

 その河を東に遡ると、守るべき都市国家マルクレイタに辿り着くのだ。

 つまりこの地は、上流でマルクレイタの生活用水として利用されている河が、海へと流れ込む直前の地点だということ。

 この地を抑えておかないと、魚人軍が海から河を遡上して、都市国家マルクレイタを簡単に襲撃できてしまう。

 だからここに強固な砦を築こうとしているのだ。

 この河は幸い、大河というほどの規模ではないため、すぐ沿岸に拠点を構えて櫓を並べておくだけでも、かなり有効な抑えになるのだという。


 それもこれも全部『傭兵のおやっさん』に教わったことだから、僕が自分で確かめたわけじゃないんだけどね。


 聞いた話では、水精領域南端の都市国家コランタンは、コラート河という大河と密接しているために、かなり苦戦を強いられているらしい。

 それでも、海と隣接していた他の多くの都市国家に比べたら、マシな方だったという。

 水精領域の都市国家が次々に攻め落とされた理由は、海と接している港湾都市がほとんどだったから。

 コランタンの場合は、大河と接しているものの、海は近くに無い。

 マルクレイタの場合は、海からの距離こそコランタンより近いものの、港湾都市ではないし、接している河もそれほど大きなものではない。


 やはり、対魚人軍という側面で見ると、地の利に恵まれていたということ。


 この地を守り切れば、都市国家マルクレイタが魚人軍の手に落ちることはない。

 砦が完成したら、そこを足掛かりにして、段階的に河口を封鎖していくことができる。

 そうして防衛拠点を整えたら、その後は、この砦を中心に軍港都市として発展させて、水精領域の解放戦を開始する。

 いくら魚人軍が陸上戦は苦手であるといっても、たった一都市に篭って防戦一方の展開になるのは、とてもマズイ状況なんだそうだ。

 だから、近すぎず遠すぎない距離にもう一箇所以上、抗戦し続ける都市が是非とも欲しい、らしい。

 敵軍の攻撃力を集中させないように、的を増やして分散させる。


 これは、『兵法先生』という人物の思考を、『傭兵のおやっさん』が推察して語っていた内容だった。

 僕なんかじゃ、こんなこと絶対に考えつかない。


 敵軍戦力の分散、その理想形が、コランタン、フパルテス、マルクレイタの三都市による、共同反攻計画だったという。

 でもこの計画も、昨日聞いた限りでは、もう既に瓦解してしまっている。

 残された三都市を繋ぐ中心に位置していたフパルテスは、主神の手によって壊滅した。

 南端の都市国家コランタンは、クシュルパーニャの軍事介入を許してしまった。

 目の前にいる敵は、『大海女帝』率いる魚人軍。

 だけど本当の敵は、主神「均衡」と、その信徒が支配する大国クシュルパーニャ。


 どうすれば、そんな相手を倒せるというのだろう。


 こんな僕に、何かが、できるのかな。


 いや、しっかりしないと。


 奇襲に備える。


 まずは、今日からのその役目をしっかりと果たすんだ。


 魚人軍が陸路から来る、かもしれないって話だけど、どっちの方角から来るんだろう。

 西はふつうに海岸だし、北には砦があるから、きっと東か南、ってことになるよね。

 南ならこの小川もあるし、それを知ってれば、やっぱり魚人軍はここから攻め込みたくなるのかな?

 東側からってなると、西の海岸からはかなりの遠回りになるもんね。

 でも、ひょっとしたら、こういう考えを読んで東にぐるっと回ってくる、とか……。

 ………わからない。

 やっぱり、僕にはうまい考えが浮かばない。

 こんなとき、どんな考え方が必要なんだろうか。

 僕に足りないものは、いったい何なんだろう。



 ……………あの人なら。


 あの人なら、どういうふうに、考えるのかな。


 ………やっぱり、思い出しちゃうよ。


 頼りたくなっちゃうよ。


 …………にーちゃん。



 一人でいると弱気が顔を出す。

 川の上流に目を向けて、明け始めたばかりの東の空を見つめる。

 ふと、我に帰った。

 正面に向き直る。

 気が付いてしまったから。

 それが見えてしまったから。

 不安定に揺れていた心が、一瞬で凝固するのを感じた。



 川の向こうの風景に、一本の縦線が走っていた。



 空間が左右に開く。


 白銀の戦士が歩み出てくる。


 咄嗟に、左手は短剣を引き抜いていた。


 その瞬間、凝固したはずの心が、ぐちゃぐちゃに掻き回されていた。


 木狩りの一族が用いる幅広の短剣は、普通の剣では刃が立たない「木人」や巨虫の甲殻を割断する為に考案された。


 僕はその左手の短剣を、強く強く握り締める。



「我は天秤」



 どうして。


 その声を知っている。


 また、この声を。


 なんで、こんなところで。



「………なぜだッ」



 どうしてその声を、こんなところでっ、またっ!!


 いつの間にか叫んでいる。



「なぜッ、どうしてだ!!!」



 身体が、『若き木狩りの戦士』が、叫び声を上げている。



「均衡の定めし律に因りて、汝を粛清する」



 白銀の戦士がそう言った。


 よく知っているはずのその声は、全く知らない声音で、そう告げたのだ。



「なんでだッ、父さんッ!!!!!」



 川の彼岸に現れたのは、白銀に侵された「父」の姿。


『天秤』に成り果てた『木狩りの戦士長』が、そこにいた。


 一瞬で川を跳び越え、白銀に変わり果ててしまった木狩りの一族の短剣を振りかざし、迫る。


「ぐッ!!!」


『若き木狩りの戦士』が呻き声を上げた。

 その姿を知っている。

 その動き、その跳躍、その太刀筋を知っている。

 知っている。

 よく知っている。


 それなのにっ!!!!


 高速で迫った白銀の短剣に、左手で握り締めた一族の揃いの短剣を叩きつけた。


 なんで違うっ!!!


「……なんでッ」


 赤銅色のはずの、揃いのはずの、その胸当て、その手甲、その脛当てのギラつく白銀から目をそらす。


 よく知るはずの顔を覆い隠す白銀の仮面を睨みつけて、吠えた。


「なぜだッ!!!!」


 白銀に変質した円盾は、既に眼前、殴りつけられた。

 その一撃で、記憶が流れ出た。

 あの、一族の隠れ里、訓練のときと同じ一撃、その後に続く、実の息子にも容赦の無い族長の連続攻撃。


「おおおぉぉッ!!」


 記憶のままの、『木狩りの戦士長』の刃を受ける。

 次も、その次も、記憶の中では敵わなかったはずの、一撃一撃を超えていく。

 遠い日に双剣では受け切れなかった最高の戦士の猛攻を、今は隻腕で捌いている。

『若き木狩りの戦士』が叫んでいた。


「おおおぉぉぉぉッ!!!!」


 頬を何かが流れ出ていた。

 父との記憶が流れ出ていた。

 母との記憶、遠い故郷の記憶も、溢れ出して止まらなくなっていた。

『若き木狩りの戦士』が、叫び続けている。


「均衡おおおぉぉぉぉッ!!!!!」


 感情と記憶の濁流の中に呑まれ、僕の心が神への憎悪に染まっていく。

 僕は許さない。

 僕は「均衡」を許さない。

 僕は…………俺は……許さないッ!!!

 俺はッ…………神を憎むッ!!!!

 俺は「均衡」を必ずこの手で討ち果たすッ!!!!

 俺はッ!!!

 俺はァッ!!!!

(僕は………俺は…………僕は……もう…………)



 ーーーーーーーーーーーー



 運命改変一周目の世界における、219日目。


 一方の『運命改変者』、イズノナツの魂は、この時点で己の存在を見失った。


 都市国家マルクレイタの第一次防衛線、その陣の南端を流れる小川のほとりにて、『運命改変者』が宿る『若き木狩りの戦士』と、『天秤』と成った『木狩りの戦士長』との戦闘が続いている。


「均衡を司る女神」の使徒、『天秤』による急襲。


 これは、この日にこの地を襲った三つの災難の内の、まだ最初の一つ目にすぎなかった。



 異変に気付いたのは、『古き森の姫巫女』である。

 微睡みの中にいた彼女は、木霊のもたらした不穏な予兆を感じ取ると、すぐに天幕を飛び出した。

 天幕のすぐ側に突き立てていた小さな枝の杖を右手に掴むと、周囲を覆っていた茂みは瞬く間に散り伏せた。

 姫巫女は、彼女の男の姿を求めながら既に足早に歩き出していて、やがて弱々しく駆け出した。

 あっという間に息が切れる。

 それでも、彼女は今にも泣き出しそうな顔で走り続けた。

 向かう先では、二者の剣と剣とが火花を散らし、短く鋭利な悲鳴を響かせ続けている。

 ついに、彼女は『若き木狩りの戦士』と『天秤』との果たし合いの場に辿り着いた。

 ちょうど哨戒部隊の傭兵が少数、駆けつけてくるのも見えていた。


「手を出すなァッ!!!!」


 彼女の想い人は、小川のほとりに立ち尽くした姫巫女に向かってそう吠えた。

『古き森の姫巫女』は、きゅっと唇を結ぶ。


(………同じ)


「均衡」の使徒となった『木狩りの戦士長』を目撃した姫巫女は、そのような感想を抱いた。


 同じ、である。

 彼女が長い長い年月を過ごし、そこだけが彼女の世界の全てであった「古き森」という土地と、その地でともに暮らしていた、「森の民」の氏族たち。

 それら全てを蹂躙したのは、二人の『天秤』だった。

 その仇敵が身につけていたのと「同じ」白銀の装具、それを纏った者が、今再び、彼女の眼前に現れたのだ。


「同じ」なのは、それだけではない。


 短剣を激しく打ちつけ合う両者、彼らの装備が、色こそ違えど元々「同じ」ものだということに気が付いていた。

 そして、もう一つ。

『若き木狩りの戦士』とその敵であるはずの『天秤』、二人の動作が、その装具以上に通い合っている「同じ」技だったのだ。


 姫巫女の脳裏に、いくつもの記憶と思考が浮かび、繋がった。


 若き戦士と姫巫女は、ともに過ごした夜の中で、それぞれの物語をぽつりぽつりと零し合っていた。

 彼女はそこに聞いた彼の記憶から、眼前の『天秤』が何者であるのかを直感した。

 手を出すな、彼はそう言った。

 彼の叫びに込められた想いを、姫巫女は悟る。


 そしてまた、『天秤』に手出しをしてはならない理由も、身に染みて知っている。


『天秤』の標的、粛清対象は、『運命改変者』たる『若き木狩りの戦士』だけなのだ。

 もしも、粛清対象に非ざる者が『天秤』に敵対行動を取ってしまったなら、敵対者として、誅殺対象に指定されることになる。

 そうなった場合、二人目の『天秤』が出現し、敵対勢力の誅殺を開始する。

『若き木狩りの戦士』も、『古き森の姫巫女』も、そうして故郷と一族を喪失したのだ。

 それゆえに、『若き木狩りの戦士』は、『天秤』と一対一で戦わなくてはならない。


(……誰にも、邪魔はさせない)


『古き森の姫巫女』の逡巡は、ごく僅かな間に終わった。

 決意は既に、深く深く根を張っている。


 誰にも邪魔はさせない。


 哨戒部隊の傭兵たちが到着するより早く、彼らの前には樹木が立ち塞がった。

『木霊支配』の力によって、苗木が芽生え、瞬く間に生育し、連なる木々の絶壁が形成された。

 壁は弧を描くように生え広がり、二人の決闘者を封じる、円環の檻となった。


『天秤』と『若き木狩りの戦士』の決闘場を作り上げた『古き森の姫巫女』は、躊躇わずにその場を駆け去った。


 自らの力で二人を隔てる壁を作ったとき、彼女は最後に想い人の背を見つめていた。


 その長い睫毛から滑り落ちた大粒の涙は、もう、草葉に滴る朝露と見分けることができなくなった。


 誰にも邪魔はさせない。


 そう、たとえ相手が何者であろうとも。


 傭兵たちの陣中に引き返した『古き森の姫巫女』は、一本の木に飛びついた。

 そのまま驚くべき速度で、スルスルと木を登っていく。

 登りながら、『木霊支配』の力を行使している。

 すぐに頂上付近まで辿り着くと、彼女の足元を支えるように枝葉が広がり、足場が形成された。

 姫巫女を頂上に乗せ、その「木」は天高くまで生長し続けていく。


 人の建造物では及びもつかないほど高く伸びた樹上から、『古き森の姫巫女』は周囲全体を見渡した。


 未だ明けぬ、暗き地上。

 だが、彼女にとってはさほど問題とならない。

 木霊領域の奥深く、姫巫女が暮らしていた『古き森』というのは、巨大な樹木が空を覆い隠す、陽の届かない闇の領域だった。

 それゆえに、『古き森の民』たちは『夜目』が利く。

 主神「均衡」が起こした「六元分割」による天変地異からおよそ600年、環境に適応し、それ以前の『森の民』とは異なる性質を獲得している。

 肌色が暗褐色に、髪色が濃緑色に染まったのも、木霊領域の深部に近い環境で、濃い木霊に当てられたためである。


 北に砦、南に小川、西に海岸、東の遠方にヒトの街。

 猶予は無い、姫巫女はざっと戦域を確認する。


 小川のほとりに作った決闘場が、彼女が最優先で守るべき地点。


『古き森の姫巫女』にとって、それ以外のものは、どうなろうと知ったことではなかった。

 それでも、チラリと確認したものがある。

 彼女が見下ろした先で、『傭兵のおやっさん』が必死に走っていた。

 その原因も、彼女には既に見えていた。

 東のほうから、魚人軍の騎兵隊がバラバラに駆けてきている。


 ふと、中年の傭兵と、その隣にいる小うるさい若造が、走りながら振り返り「木」を見上げた。


 それを目にした『古き森の姫巫女』は、興味を失ったように視線を切る。

 もともと大した問題ではない魚人軍のことなど、あの下腹の出た傭兵団長がどうとでもするだろう、そんな判断を下したようだ。


 本当の問題は、ここより更に南、その方角から接近してきている。


 悠然と迫るその脅威に対し、『古き森の姫巫女』は決死の表情を浮かべ、超遠距離からの『木霊支配』による攻撃を開始した。




 この日、既に大きな変化が訪れていた戦場すべてを、日の出の陽光が照らし出していた。

 その戦場の中、連なる樹々の決闘場にて、同型の鋼が幾度も衝突を繰り返している。

 樹木の絶壁の内は陽が届かず、未だ仄暗い。

 木狩りの戦士が二人、互いの短剣を打ちつけ合っていた。


 隻腕の戦士は、自分の身に何が起こっているのかをまるで理解できないまま、ただ怒りに身を委ね、剣を振るい続けている。


 白銀の戦士は、記憶も人格も人としての生も失って、ただ大いなる存在の定めたものに操縦されるままに、剣を振るい続けている。


 一方の『運命改変者』イズノナツの魂は、その未熟さゆえに、『若き木狩りの戦士』の操作権を失っていた。

 そのせいで、『若き木狩りの戦士』本来の人格が不完全な形で表出し、本人の肉体を突き動かしている。

 イズノナツの『運命改変』が終わりを告げたわけでは決してないが、現状で再び『若き木狩りの戦士』の操作権を取り戻すことは、容易にできないだろう。


 二つの人影が、木々の絶壁を駆け上がり、空中で激突する。


 木狩りの戦士は、木霊領域に適応した戦士たちだ。

 装具は極めて軽く、何よりも運動性が重視されている。

 木の幹に一族特有の幅広の短剣を打ち込んで、飛び上がってその短剣を足場にする。

 そうして伸び上がって片手で枝を掴みつつ、足場にしていた短剣をもう一方の手で一瞬の内に引き抜く。

 戦闘の中でそういった行動を繰り返し、縦横無尽に木々の間を飛び回るのだ。


 しかし、『若き木狩りの戦士』は、片腕を失っている。


 次第に、『天秤』と成った『木狩りの戦士長』の機動に対応しきれなくなっていく。

 皮肉にも、『古き森の姫巫女』が作り上げた木々の絶壁の檻が、隻腕の戦士にとって不利な環境となってしまっていた。

 時を追うごとに、若き戦士の身体に刻まれる傷が増えていく。

 対して、白銀の戦士は未だ、かすり傷一つ負っていない。


 その息子は、一年前に受け切れなかった父の剣閃を、今は確かに凌いでいる。


 だが、それだけだった。

 辛うじて、相手の攻撃をやり過ごしているのみ。

 勝ち目は見えない。

 敗北の目しか見えていなかったかつての日々を、ようやく脱しただけにすぎない。

 しかし、『若き木狩りの戦士』は、そのことに気付くことができないでいる。

 彼はただ、自らの内から湧き上がる怒りに従っているだけだった。

 その怒りこそが、『運命改変』の拘束力を跳ね除けているからだ。

 だからこそ、今の『若き木狩りの戦士』には、勝ち目が無いのだ。

 怒りに我を忘れて勝てるような、生半可な相手ではない。

 しかしながら、この日この時に限っては、勝ち目があろうとなかろうと、おそらく関係が無かったに違いない。



 彼らの戦闘の決着がどのような形で訪れようとも、この日の「結果」に変化をもたらすことは無かっただろう。



 樹木の壁を駆け上がっていた『木狩りの戦士長』が、何かに反応して、瞬時に木を蹴り身を躱した。


『天秤』と成った戦士長が反応した「それ」は、『若き木狩りの戦士』の攻撃ではなかった。


 若き戦士は戦士長を追い切れず地上にとどまっていたため、中空を襲った「それ」の攻撃範囲からは外れている。


 その点、彼は運が良かったと言えるだろう。


「それ」は、この場に襲来した、第三者の放った一撃だった。



「それ」は一筋の広範な剣閃、樹木の檻全てを、瞬時に断ち斬った。



『木狩りの戦士長』は、『戦闘勘』という能力を有していたために、その剣閃に反応したのだ。

 だが、その左足は欠けた。

 躱しきれず、足の小指、薬指の辺りが斜めに切り取られた。

 それでも体勢を崩すことなく着地する。


 半ばから断ち斬られた樹々の壁が、いっせいに倒壊する。


 樹木に遮られていた陽光が、まばゆく射かけられる。

 その瞬間のみ、二人の戦士は互いを狙い合うことなく、倒れてきた多量の木を回避した。

 そして再び対峙する。

 だが、その状況は、既に一瞬前とは異なっている。


「汝に告げる」


 無機質な父の声音に『若き木狩りの戦士』は顔を歪めたが、明らかな異常事態に、彼の身体は動作を止めて警戒するのみだった。


「天秤の粛清対象は変更された、汝の粛清は一時中断となる」


『天秤』がそれを告げ終わるのとほぼ同時に、強烈な殺気が周囲に伝播した。

『木狩りの戦士長』だけでなく、今度は『若き木狩りの戦士』もその殺気に反応する。

 二人の戦士が跳躍した。



 もう一度、謎の剣閃が地面すれすれに奔った。



 木狩りの戦士たちの決闘場を形作っていた樹木の檻は、根元から断ち切られて姿を消した。

 木々の壁が無くなったことで視界が広がる。

 異様な気配に思わず振り返った『若き木狩りの戦士』の目が、新たな襲撃者の人影を捉えた。


 黒い影が、二人の戦士に悠然と接近してくる。


 その表情は黒い頭衣に隠されている。


 長外套が体を黒く包み込み、そこから垣間見える鉄鎖靴と籠手も、黒々としている。


 黒ずくめの剣士。


 その正体こそが、この地を見舞った第二の災難である。



『黒衣の邪神』が、この戦場に出現したのだ。



 その右手には、抜き身の剣が握られている。

 柄頭に禍々しい装飾が施された、両刃の直剣。

『邪剣』である。

 邪神は『邪剣使い』の身体を依代として受肉を果たし、『黒衣の邪神』として「魂の牢獄」を脱していた。

 無論、この「一周目の世界」にそのような事情を知る者は無く、一方の『運命改変者』イズノナツに、それを知る由は無い。


「ほう、天秤か」


 黒ずくめの剣士の何気ない呟きが、まだ離れた位置にいるはずの『若き木狩りの戦士』の耳に届く。


 直後、黒い剣士を取り囲むように鋭い枝木が生じ、その標的を襲った。


『古き森の姫巫女』の、『木霊支配』による攻撃。

 先刻より、異常な存在を感知していた彼女は、黒ずくめの剣士の接近を阻むため、執拗に攻撃を仕掛け続けていたのだ。

 だが、ここまで辿り着かれてしまった。


 生じた枝木は、すべて瞬時に斬り払われた。


 黒ずくめの剣士の右手が、汚泥と腐肉を混ぜ合わせたようなおぞましい何かで覆われている。

 先の一瞬、『邪剣』の肉が伸びて周囲を旋回し、枝木を斬り払ったのだ。


 既に『木狩りの戦士長』は跳んでいる。


 が、その白銀の奇襲も容易く迎撃された。

 甲高い金属音が早朝の空間に爆裂する。

 黒ずくめの剣士のたった一振りが、跳躍してきた『木狩りの戦士長』の短剣を打ち据え、ただのそれだけで豪快に吹き飛ばしてしまった。

 力の差は歴然。


「どういうわけだ?」


「なぜ、その程度の腕前で天秤と成っている」


「いや、天秤なのだ、なればこそ、この程度で終わりのはずはなかったな。真の実力は秘匿されている、ということか。ならば見せてみろ、この邪神たるオレを愉しませてみせろ」


 自身を邪神と称したその言葉を、『若き木狩りの戦士』も確かに耳にした。


 吹き飛ばされた『木狩りの戦士長』は、斬り倒されて横たわっていた多量の樹木に激突しつつも、身を翻し体勢を立て直す。

 邪神の直下から、鋭利な枝木が一斉に突き立つ。

 それを難無く回避した『黒衣の邪神』の右腕から邪剣が放たれ、またしても一瞬で枝木が刈り取られる。

 鋭い枝木、太い蔓、絡み合う荊、喰らいつく食人の葉、『木霊支配』の植物が次々と襲いかかった。

 だが、その度に邪剣が肉を伸ばし攻撃範囲を広げ、ことごとくを瞬時に斬り払う。

 その合間、『木狩りの戦士長』も果敢に攻め込んでいるが、桁外れに暴力的な一閃に弾き飛ばされ、近寄ることすらままならない。


 そして、若き戦士は、その身の内でイズノナツと『若き木狩りの戦士』の魂がせめぎ合い、混迷を極め、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。


 いつのまにか、『黒衣の邪神』の双眸が、暗い頭衣の中で妖しく金色に輝いている。

 敵対者の『天秤』、『木狩りの戦士長』の魂を、邪神はその眼光で読み解いた。


「つまらん、予想通りか」


「やはり均衡律が弱体化している。天秤の予備として保管していたこの戦士を、実際に格上げせねばならなかった、それほど事態は切迫している、というわけだ」


「くくくっ、いったい何が起きている?」


「このオレのバローグで、随分と好き勝手な振る舞いをしている輩がいるようだな。均衡律の衰弱、神々の消失、 久し振りに楽しめそうな世が訪れているじゃないか」


「だが………」


 独白しつつ、邪神は『古き森の姫巫女』と『木狩りの戦士長』の攻撃を、虫でも払うかのごとく、こともなげに捌ききっている。


「貴様らは、もう飽いた」


 伸びた邪剣が、視認困難なほどの超高速で、『黒衣の邪神』の周囲に斬撃をばら撒いた。

 異形の植物が斬り払われ、そして、白銀の戦士が斬り刻まれた。

 致命傷である。


「天秤として見れば物足りなかったが、元来の魂はそう悪くない戦士だったようだな。均衡律に侵されていなければ、その魂、この邪神たるオレが喰らってやるだけの価値はあった」


 白銀の仮面に隠された『天秤』の表情、唯一、空いている口元が、獰猛な『木狩りの戦士長』の笑みに歪んでいた。

 仮初めの生命のその終わりに、致命の傷とともに『木狩りの戦士長』は跳んだ。


「誇っていいぞ、手ずから葬送してやる」


 その戦闘で初めて、邪神自らが敵に向かって突進する。

『黒衣の邪神』と『木狩りの戦士長』が、空中で激突した。

 邪神は、木狩りの一族の族長であったその戦士の頭部を左手で鷲掴みにし、着地と同時に大地に叩きつけ、頭蓋を割った。


「良き戦士の生に最良の死を以って結びと為す、理に還り果てまで巡り死生を越えて、再びその魂で生を謳え」


 詠む間に、邪神は自身の胸に突き立っていた木狩りの一族の短剣を引き抜いて、戦士の死骸の頭上に屈んで墓標を突き立てた。


 その背後を、異形の枝木が襲った。


 邪剣が瞬時に反応し、自ら肉を伸ばし斬り払う。


「女、恥を知らんのか」


 邪神のその声は静かに大気を震わせた。

 立ち上がり、振り返りざまに邪剣を放ち、遠距離、天高くそびえる樹上にいた『古き森の姫巫女』の心臓を一撃で穿った。

 串刺しのままで邪剣の肉が収縮され、既に命がこぼれ落ちた姫巫女の骸が、『黒衣の邪神』の目前に吊るされた。


「たまたま手に入れただけの支配能力に驕り、その力を磨くことなく、なんの矜持も持ち得ていないまま、ただ戦場に紛れ込んだ」


「戦う理由を男に依存する甘ったれた魂の軟弱な女など、戦士であろうはずがない」


「朽ち果てるがいい」


 邪神は女の死体をうち捨てた。


 たった数十秒、瞬く間に、『木狩りの戦士長』と『古き森の姫巫女』が立て続けに死亡した。


 その光景を目にした若き戦士の身体の内で、ようやくイズノナツの魂と『若き木狩りの戦士』の魂が一致する。


「あああああぁぁぁッ!!!!!」


 叫びながら、幼子のようにボロボロと涙をこぼし、『若き木狩りの戦士』が駆けていく。


 その叫びを聞いた『黒衣の邪神』は、初めてその存在に気がついたような顔をして、金色の双眸を若き戦士に向けた。

 魂を読み取るその視線を『若き木狩りの戦士』に向けた邪神は、目を見張り、次に怒りを露わに顔を歪めた。


 がむしゃらに短剣を振るった若き戦士は、邪神の左拳に殴りつけられ、地面に激突した衝撃で跳ね上がった。


「この邪神たるオレが、最も嫌うモノを教えてやる」


「か弱い乙女と、自覚の無いガキだ」


 首を掴んで『若き木狩りの戦士』を宙吊りにし、『黒衣の邪神』は人外の膂力で締め上げる。


「なんの冗談だ」


「戦士ごっこに興じている自覚も無いガキの肉体に寄生し、貴様のようなか弱い乙女がなぜ『運命改変者』をしているのだッ!!!」


「聞け、未熟なる改変者」


「オレは、美しい魂を持った強靭な女戦士たちの生を、幾人もの英雄を知っている」


「英雄足り得なくとも、それぞれの生を謳歌すべく、戦場ならずとも、それぞれの戦い方で生き抜いていく、そのような強き女たちを、それこそ幾千幾万人と見届けてきた」


「甘ったれるな」


「助けなど来ない」


「貴様の想い人は、このバローグにはおらん」


「戦え、抗ってみせろ」


 薄れゆく意識の中で邪神の言葉を耳にしながら、『若き木狩りの戦士』は、邪神の背後に躍る炎を目にしていた。


 この地を襲った第三の災難が、『黒衣の邪神』に向かってきている。


 この日、異変を察知した『古き森の姫巫女』は、第二の災難である『黒衣の邪神』だけではなく、第三の災難にも同時に足止めのための攻撃を仕掛けていたのだった。


 しかし、『古き森の姫巫女』は『黒衣の邪神』によって殺害され、阻むものが無くなった第三の災難が、急速に接近した。


 既に、魚人軍の奇襲部隊の迎撃にあたっていた『傭兵のおやっさん』も、その奇襲部隊を率いていた『怒涛』も、第三の災難によって死亡した。


 彼らと、そして他の多くの兵たちは、唐突に襲来した第三の災難の手にかかり、避けようのなかった不運な死を与えられた。


 邪神の周囲を、炎が染め上げる。


「ほう、『先触れの炎』か」


「くっくっくっ、そうか、お前もいたのか、お前まで来たのか」


「では、改変者」


 親しげな笑みを浮かべながら、邪神は嗤った。


 だが、黒き頭衣の奥のその表情を、『運命改変者』が目にすることはなかった。




「出直してこい」




『黒衣の邪神』は、『若き木狩りの戦士』の頭部を大地に叩きつけて潰した。


 終わりゆく生命が、消えゆく視界に手を伸ばす。


 炎の中に呑まれていく、二つの死骸に向かって、残された片腕を彷徨わせた。











『若き木狩りの戦士』

 ーーー攻略終了

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