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運命の断片 『傭兵のおやっさん』1-1

更新遅くなりまして申し訳ございません。

もう読者様に忘れられてしまっているんじゃないかとビクついております。

今月中にもう一話、この話の裏側のストーリーを更新致します。


傭兵のおやっさん、一周目の第一話。

内容的には、前話の翌日のエピソードです。






 統暦2812年、木霊の月、6日。


 運命改変一周目の世界における、219日目。



 砦の南方の陣を任されている『傭兵のおやっさん』には、この対魚人軍の「マルクレイタ防衛戦」について、いくつかの懸念があった。


 この日、まだ陽の昇らぬうちから戦支度を整えてぶらついていたのも、その懸念事項の中の一つに対する、ささやかな備えでもあった。


 清々しい朝の空気を堪能することなく、肺いっぱいに煙草の煙を吸い込んでいた中年の傭兵団長は、飛び込んできた凶報に眉根を寄せた。


「伝令ぃーーーーーッ!!!!」


 早鐘が打ち鳴らされている。

 まだ薄暗い傭兵たちの陣中に、すぐさま怒号が飛び交い始めた。


(くそっ、あの声音は、かなりマズイ)


 足早に大天幕付近に戻りながら、中年の傭兵は声を張り上げる。


「ここだここだッ!! 伝令ッここだぞォーーーッ!!!」


(あぁくそっ、またやっちまったかな、懸念を懸念のまんまで終わらせてたら意味が無ぇだろうが)


 心中、自分に対する悪態を吐いている。


(朝駆け、か)


(嫌な敵だ、せめて明日なら「懸念」が「対策」に成っていたはずだが……まぁ、一日分、敵より俺が無能だっただけか)


 無論、傭兵として当然の、夜討ち朝駆けに対する通常どおりの警戒は整っていた。

 それでも、この男は自責せずにはいられない。

 思考どおり、この日の夜までには、各所に夜襲朝駆けに対する特別な配慮を徹底するつもりでいたのだ。

 昨夜の時点でも、「一層警戒すべし」という程度の備えはできていた。

 だが彼からすると、その程度では払拭できない懸念であったようだ。


「結果」からすると、確かにその懸念は的中してしまっている。


 不運が重なった「結果」さえ無ければ、『傭兵のおやっさん』の懸念は充分に鋭敏であったし、懸念のままで確かな戦果をもたらしていたはずだ。


 英雄都市フパルテスが壊滅していた、という情報がもたらされたのは、つい前日の段階である。

 それによって、『兵法先生』はここマルクレイタの戦況に動きがある可能性を指摘し、魚人軍の陸路を用いた奇襲に警戒するよう、通達を下したのだ。

 しかし、たった今、敵軍が朝駆けを敢行してきているということは、その行動開始は、それ以上に迅速だったということになる。


 つまりそれは、「情報収集力が劣っている」可能性を示唆していた。


 情報の専門家集団、冒険者ギルドからつい昨日もたらされたばかりの「フパルテス壊滅」という情報を、魚人軍はおそらく数日前には知り得ていた、ということが推察される。

 実際に、そのとおりだった。

 しかし、それはある意味でどうしようもないことではあった。


「フパルテス壊滅」の際に被害が甚大だったのは、あくまで陸上に限った話なのだ。


 もちろん、英雄都市フパルテスは海に接する港湾都市ではなかったから、それを攻囲中だった魚人軍も陸上にいて、その全ては壊滅することとなった。

 だが、全軍全住民が大混乱に陥った人間側とは違って、魚人側には、「近海にて海中待機」と下達されていた部隊が存在したわけである。

 地上が等しく壊滅しても、海中にいた魚人部隊だけは健在だったのだ。


 その差がそのまま、情報伝達の初動の差となった。

 加えてもう一点、これは当の魚人族しか知り得ないことであるが、魚人族は海中の海流を利用して、陸上の騎馬にも劣らない速度で長時間移動することが可能だった。

 魚人軍が冒険者ギルドをも上回る速度で「フパルテス壊滅」の情報を巡らせることができたのは、その二点による。


 魚人軍という、この時代においては誰にとっても未知の軍勢が相手であり、そのうえ、水方居住圏(水精領域とその近辺の平野部における人間の居住域全体を指す)の出身ではなかった『兵法先生』にとって、これは大きな誤算だったと言えるだろう。

 それに対して、『傭兵のおやっさん』がそういった懸念に辿り着けていたのには、彼が水方居住圏の出身であるとともに、魚人族の友人という非常に稀な知己を得ていたという事情もある。


 その『傭兵のおやっさん』は、息急き切った伝令の報告を途中で遮り、叫び声を上げた。


「東南東より襲来した敵軍を発見ッ、哨戒網を突破され…」


「発見、突破!? 騎兵かッ!!!?」


「はっ、はいッ、騎兵です!!!」


「敵騎兵接近んーーーッ!!! 対騎馬兵装用意おぉぉーーいッ!! おい、敵の規模はッ!!?」


 敵発見の報告と突破された報告が同時であることから、『傭兵のおやっさん』は魚人軍がよほど急速な騎兵隊であることを察した。

 その場ですぐに部下たちに向かって騎兵の接近を叫び、次いで、伝令に敵軍の規模を尋ねる。


「敵襲ッ、敵襲ゥゥーーーーーッ!!!!」


 が、その報告の前に魚人軍が襲来した。


(速すぎるッ!!!)


 傭兵団長は形振り構わず走り出した。


「規模はっ、およそ三十っ」


 その背中に、伝令の報告の続きを聞いた。


 総数三十騎、ということは無いだろう、走りながら、そのように思考を始めている。

 敵軍の速度は、どう考えても強行軍。

 だから三十という数字は、強行軍についてこられている先頭集団の人数にすぎないだろう。

 それどころか、たった今この陣に襲来したばかりの敵は、下手をすればまともな頭数も揃っていない単騎駆けに近い状態、そうなっていてもおかしくないのではないか、それほどの速さだと考えていた。

 ならばたとえ自分一人でも、最前線に装備を整えた兵を見せに行く価値がある。

 瞬時にそう判断している。

 懸念していたとおりに、彼だけは装備を整えて待ち構えていたのだから。


「『水方援兵団』んんーーーーッ!!!!」


 中年の傭兵は、走りながら、自分の率いる傭兵団の名を呼んだ。


「続けええぇぇーーーッ!!!」


 通常ならば絶対にこのような戦い方をしない『傭兵のおやっさん』の姿に、彼の団員たちは驚愕しつつも奮起し、急ぎ装備を整え後を追う。

 裏腹に、当人の頭の中はそこまで熱くはなっていない。


(この機を逃せば終わるな。ここで敵の馬の頭を抑えなければ、この南陣は瓦解する。だがまぁ、逆に今先頭さえ止めれば、あとは隊列もくそもなくバラバラに突っ込んでくる騎兵を迎撃するだけになるはずだ。二つに一つの賭け、バクチ野郎め、この敵は本当に嫌な敵だな)


(魚人軍が陸路で、朝駆け、騎兵、そのうえ超強行軍とはな。無茶苦茶な奇襲にも思えるが、魚人軍と人間軍との戦だからこその、最初で最後の、最高の奇襲だな。二度は通用しないが、一度目は、まぁ、えげつないな、敵にとっても味方にとっても)


(ともかく、あちらさんの先鋒が凡庸であることを祈ろう。…………まぁ、有り得ないよなぁ)


 この世界、バローグには、単騎であっても戦況をひっくり返すことができるような猛者がたびたび出現する。

 強行軍によって敵方の頭数が揃っていないことを察していても、決して安心できなかった。

『傭兵のおやっさん』は、走りながらも心底うまそうに煙草の煙を吸い込んで、後ろを軽く振り返ってから投げ捨てる。

 これからの戦闘でいつ死んでもいいように、最後になるかもしれない煙草をしっかりと味わいつつ、死なないために、自分についてきている人数をざっと確認していたのだ。

 追いついてきた若い傭兵が、顔をしかめながら捨てられた煙草を踏みつけていく。

 昨夜、この傭兵団長がふざけて『若守銭奴』と呼んでいた青年だ。

 独走する『傭兵のおやっさん』の真横まで追いつくと、押し殺した声で言った。


「おやっさん、新人の二人がいねぇ、天幕がもぬけの殻、慌てて飛び出した感じだ」


「あ〜、そうか、まぁ、俺も新人の頃はビビって逃げ出し…」


「アイツらがそんなタマかよ?」


「……困ったもんだなぁ」


 新人の二人、とは、『若き木狩りの戦士』と『古き森の姫巫女』のことである。

 実は最初から、この傭兵団長は、その二人を戦力として数えてはいなかった。

 彼らには彼らの使命があり、この傭兵団には一時の間のみ身を寄せているだけ、そのように理解している。

 だから、二人がいなくなったと聞いても、それほど驚くことはなかった。

 現状を打破するためにアテにしていた、というわけでもないのだ。


 それでも今、この中年の傭兵は、その報告を聞いて本気で困っていた。


 彼とて、『若き木狩りの戦士』と『古き森の姫巫女』の二人が、簡単に逃げ出すようなタマではないと知っている。

 そんな二人が慌てて天幕を飛び出しているとなれば、なにか、異常事態が発生しているに違いなかった。

 ただでさえ、肝のぶっとい指揮官が率いているだろう魚人軍が、「伸るか反るか」の奇襲を仕掛けてきている。

 そんな状況下で、桁外れの戦力を持った二人が慌てなければならないような、そんな事態までもが同時進行している。

 その可能性に気が付いたために、この傭兵団長は苦慮し始めたのだ。

『傭兵のおやっさん』は、この「マルクレイタ防衛戦」が、急転直下で暗礁に乗り上げてしまったことを察した。


「おやっさあぁぁーーーん!!!」


 傭兵団長は、後方からの声に振り返る。

 団員の、哨戒部隊の騎馬が駆けてきていた。


「アレッ、アレ見てくれえぇーーッ!!」


『傭兵のおやっさん』と『若守銭奴』の二人は、馬上の人影が指し示した方角に目を向けた。


「なっ!? なんだありゃあ!!?」


「…………『木霊支配』の『支配者』、か」


 いつの間にか、見覚えの無い異常な高さの「木」が一本、白み始めた天を突いている。

 若干名、よく目を凝らした者だけが、その頂上の枝葉の上に、人影のようなものを見出すことができた。

『傭兵のおやっさん』の心中で、異常事態の発生が確定した。

 あの二人は逃げ出していない。

 何者かを相手に、常識はずれの戦いを始めている。

 その「木」を見たことで確信に至っていた。


(どうやら魚人軍のバクチ打ちが振ったサイは、こちらを破産させる目を出したらしい。いや、この状況、実はバクチじゃなかったのか。どれもこれもが計算づくで、もしもそうだとしたならば…………久し振りに、生きた心地がしないな)


 傭兵団長は、並走する若者に手短ながら的確な指示を下す。

 弱気を見せた若い傭兵の背をバシンと叩き、後事を託して送り出した。

『若守銭奴』は、歯を喰いしばりながら進路から外れていった。

 宿営地の内部が騒然としている。

 薄暗がりに纏わりつかれて混乱した陣中で、『傭兵のおやっさん』の眼はようやく敵影を捉える。


 襲来していた魚人軍の騎兵は、今のところ、たったの一騎であった。


(アレが、あいつが指揮官なのか)


 中年の傭兵団長は、眉間に大きくシワを寄せる。


 つい先程の自分の予想のとおり、敵軍がまだ少数しか揃っていないという状況、それは的中していた。

 だが、神々は彼のささやかな祈りを聞き入れることはなかったらしい。

 単騎にて、戦況を一変させうる猛者。

 魚人族の襲撃者は、それに該当する相手だったのだ。

 装備が整わないままに応戦した傭兵たちは容易く蹴散らされていて、既に逃げ出している者も多く見受けられた。


「朝駆け」の利点が効いている。


 傭兵として戦場に慣れ親しんでいれば、夜襲への警戒はそう怠らないが、夜通し気を張り続けることなど人の身には不可能だ。

 ちょうど、深夜を無事に過ごし、陣中全体が最も安堵しきっている時間帯である。

 寸前まで深い眠りに就いていた頭脳はまともに機能せず、横たわっていた身体も睡眠中にすっかり固まっている。

 まだ明けぬ空の下では周囲を明確に見渡すことなどできず、たった一騎で奇襲を仕掛けられているという事実が、目に映っても理解が及ばない。

 一方、敵は夜間に進発し、ここまで駆けてきた。

 馬を御して、手綱を操り、心体ともに臨戦の気構えは済んでいる。

 夜闇に慣れきった眼は、未明といえども充分に見通すことができる。

 夜襲の深い闇とは違って、同士討ちの危険も多少減る。


 冷静な瞳で襲撃者を目視した『傭兵のおやっさん』は、駆けてきた勢いのまま突撃するのではなく、速度を緩めて呼吸を整えた。

 その左右に、追いついてきた古参の兵員たちが隊列を組む。

 傭兵団長のすぐ隣に並んだ古参兵が、苦笑しながら言った。


「アレが、敵の騎兵ですか」


「はぁ、参ったよなぁ」


「メガロヒポス、ですな」


 襲撃者が騎乗していたのは、メガロヒポスと呼ばれる、鮫と同じような特徴を併せ持つ黒い巨体の馬だった。

 水方居住圏の住人で知らぬ者はいない、熟練の冒険者も避けて通る怪物である。


(また、メガロヒポスか)


『傭兵のおやっさん』の脳裏に、苦い記憶が浮かぶ。

 昨年、ちょうど一年近く前に、とある護衛依頼に失敗し、多額の違約金、賠償金を請求されることとなった。

 その原因となったのが、メガロヒポスである。

 もっとも、そのときの依頼主がこの傭兵の忠告にしっかりと従っていてくれたならば、メガロヒポスに遭遇するようなこともなく、無事に終わっていたはずの依頼ではあった。


(あそこでしくじってさえいなければ、こんな戦地に稼ぎに来る必要も無かったか。いや、無用の思考だな、もう忘れろ)


「ふぅ、まぁ、あんなものに乗っているのは指揮官一人だけだろう、いや、そうでなくては困る。アレの大群に出会って無事で済む軍隊なんぞ、存在しない。兵員のほうの騎獣はシーロヒポスだろう、たぶんな」


「メガロヒポスの大群ではなくとも、シーロヒポスの大群ではある、というわけですか」


「その辺りが妥当なところだろう、なにせ、魚人軍の騎兵隊なわけだから」


「なんとも、恐るべき騎兵隊ですな」


「………まったくだ」


 魚の特徴を併せ持つ馬、シーロヒポスは、怪物とまではいかなくとも、充分に厄介な魔獣である。


(しかしまぁ、それ以上に厄介なのが……)


「団長、一つ、よろしくありますか」


「あぁ、よろしくない」


「あの敵の指揮官ですが、アレは…」


「言うな」


「まさかのマサカリ…」


「みなまで言うな」


 傭兵団長は、苦笑いを浮かべながらその発言を遮る。

 メガロヒポスに騎乗する、敵軍の指揮官らしき魚人。

 その人物が振るっているのは、巨大なマサカリである。

 そのような武器を携える常識外れの魚人など、一人しか存在しなかった。

 それもまた、水方居住圏の住人で知らぬ者はいない話である。

 マサカリ担いだ筋骨隆々のはぐれ魚人、といえば、英雄都市フパルテスの『豪傑王』と互角に渡り合った海の喧嘩屋、『流れ島の喧嘩王』以外に存在しない。


「どうなさるおつもりで?」


『傭兵のおやっさん』は、大きな大きなため息を吐きながら、重い足取りで一歩踏み出した。

 やはり普段とは違った傭兵団長の様相に、古参の団員たちは不穏な空気を感じていた。

 たとえ負け戦であろうとも、団員に不安を伝染させないように気を配るはずの男なのだ。


「ちょっと世間話してくる」


「……時間を与えて有利になるのはあちらでは?」


「うん、まぁ、つまりだな、あー、大変すまんが、ここは既に殿軍(しんがり)なんだ。この陣はもう退き払う。つまり、時間を稼がねばならん」


 それを聞いて、この傭兵団長を信頼してここまで追いかけてきた古参兵たちが、一斉に顔を歪める。


「なるほど、ずいぶん損な役が回ってきたもんですな。団長の気迫に騙されたってわけですね。では、我々はただの傭兵にすぎませんから、今すぐ、おいとましても良いのでしょうね?」


「できれば、世間話を始めてからにしてくれ。一睨みだけしてもらって、そのあとは好きにするといい。間違っても突撃だけはするなよ?」


「しませんよ、いえ、団長、本当に退却するつもりですか、明らかな悪手にしか思えませんが」


 退却するべきでない、そう主張する古参兵の言葉に、『傭兵のおやっさん』は正面を向いたまま渋い顔になった。


(そうだろう、もちろん悪手だとも。この戦場で進行中の事態が「魚人軍の奇襲」だけなら、ここで抑えて乗り切っていたはずなんだからな)


(だが、たぶん今のこの状況は、そうはならない。確証は無い、もちろんいつだってそんなモンは無いんだが)


(常のとおりに、俺は俺自身の判断を公正に疑おうと心掛けている。だが、かつて肌で感じてきた化け物どもの恐ろしさ、あの感覚ときたら…………この経験は疑いようもないんだよなぁ)


「あー、うん。おい、『一人将軍』知ってるか?」


 一歩踏み出したまま、『傭兵のおやっさん』は困ったように振り返り、そう訊いた。

 傭兵団長の突拍子も無い質問に、古参兵はますます眉をひそめつつ、律儀に返答する。


「……えぇ、『一人将軍』ですか、ひと昔前の人物とはいえ、『独鬼』のことを知らぬ傭兵なんぞおらんでしょうな」


「見たことは?」


「いやまさか、ありませんよ。あの『独鬼』を見かけて傭兵を続けるだなんて、そんな非常識な…」


「俺は見た」


「………あぁ、そうでしたね」


 この団員たちには忘れられがちであるが、『傭兵のおやっさん』という人物は、ひと昔前に名を馳せた、『兵法先生』率いる『三十六人傭兵団』の一員だったのだ。


「あの頃は、『兵法先生』といっしょになって逃げ回ったもんだよ」


 かつて、東の帝国メセド・タルクァーンの先代皇帝の家臣に、『四鬼将軍』と呼ばれる四人の大将軍がいた。

『独鬼』という将軍は、その筆頭である。

 将軍という身分でありながら軍を率いることは稀であり、たった一人で一個軍に匹敵するその戦力から、『一人将軍』と称されていた。

 神話や伝承に謳われる英雄たちと同等の力を持っているとも言われ、当時は、世界最強と目されていた男だ。

 中年の傭兵団長が語っているのは、その男の話である。


 今、この局面で、『傭兵のおやっさん』は急に何を言い出したのか、古参兵たちは怪訝な表情を隠そうともしない。

 そんな団員たちをサッと見渡して、彼らの団長は言う。


「たぶん、『一人将軍』並に危険なヤツが参戦してきている。だからこの陣は捨てる、できればここの防衛拠点の兵力は全軍、無事に逃がしたい。今逃がさなければ、その機会はもう無くなる、ような気がする」


 傭兵たちは、どうにも説得力に欠けるその言葉に顔を見合わせた。

 そんな団員たちの様子を気にかけることもなく、『傭兵のおやっさん』は一人歩き出した。

 敵軍の指揮官、『流れ島の喧嘩王』のもとへと進んでいくその背中を見ながら、古参兵の一人がぽつりと呟いた。


「どうにも、団長らしくねぇなぁ………」


『水方援兵団』の兵たちは、横列のままその場に待機した。

『傭兵のおやっさん』は一人着実に歩みを進める。

 逃げ惑う傭兵とすれ違う。

 メガロヒポスが暴れ狂い、その馬上で魚人軍の猛将が巨大なマサカリを振るっている。

 傭兵たちが斬り殺され、蹂躙されていく。


「おーい、俺だ、久しぶりだな!」


 十五歩程度の距離まで接近した『傭兵のおやっさん』は、全く場違いな声を上げた。

 顔には親しげな笑みさえ浮かべている。


「おい、喧嘩王、ずいぶんと元気そうじゃないか!!」


 両手を広げて頭上でブンブンと振っている。

 周囲の傭兵を斬殺し終えた魚人が、『傭兵のおやっさん』を睨みつけた。


「……………チッ、まさかな」


『流れ島の喧嘩王』は、苦々しげに舌打ちをして、マサカリを肩に担いだ。

 手綱を操り、黒い巨馬の頭を、接近してきた中年の傭兵へと向ける。


「よう、何やってんだお前、『流れ島の喧嘩王』は、三叉鉾の魚人が嫌いなんじゃなかったっけ?」


「………うるせぇ」


「どうしたよ、自分より遥かに弱い雑魚ども相手にムキになって、『流れ島の喧嘩王』の名が泣くぞ?」


「……その名を、口にするんじゃねぇ」


「あん? 何言ってんだ、お前、弟分が呼び始めた立派な二つ名だって…」


「黙れッ!!」


「…………おい、そういや、弟分たちはいっしょじゃないのか?」


「黙りやがれッ!!! ニンゲンッ!!!!」


「俺の名は『怒涛』だッ!!! ニンゲンどもを砕き尽くすまで俺の怒りは収まらねぇッ!!!!」


「………そうか、なら相手してやるよ、一対一だ、ほれ、かかってこい」


(なるほど、最悪の展開だ。本来なら、だいぶ話のわかるヤツなんだが、クソッ!!)


 彼はこの戦場で『流れ島の喧嘩王』を目にしたとき、実は、少しばかり安堵していたのだ。

 魚人軍の指揮官の正体は、それなりに気心知れた友人だった。

 ならば、交渉の余地があるのではないかと、この傭兵団長は推察した。

 だが、『流れ島の喧嘩王』の様子を観るとすぐに、その推察が楽観に過ぎないことを思い知った。

 意外に知性溢れる人物であるはずの喧嘩王が、獰猛に荒れ狂っていたからだ。


 そもそも、この変わり者の魚人は、普通の魚人たちを嫌っていたはずだった。

 それなのに、なぜだか魚人軍の指揮官になっているらしい。

 それが「なぜ」なのか、その答えは単純だ。

 魚人軍を嫌う以上に、「ニンゲン」を憎むようになったということ。

 彼を慕っていた二人の弟分の姿が、今は見当たらないのだ。

 だから、『流れ島の三兄弟』をよく知っていた『傭兵のおやっさん』には、容易に推測できたのだろう。

『怒涛』と名乗った『流れ島の喧嘩王』の、その怒りの大きさが。


(どこのどいつだ、『流れ島の三兄弟』に手を出した馬鹿は。………少なくとも、水方居住圏の住人ではないか、だとしたら…)


「……テメェに、俺が止められると思ってんのか」


 魚人の将軍『四海波頭』、その一角の荒ぶる『怒涛』が、巨大なマサカリを担いだまま、軽快な動きで黒い巨馬から跳び降りた。


(………ひとまずよし、ノってきたか)


 最悪の展開の中で、中年の傭兵は最善への方策を巡らせる。

 挑発によって、する必要のない一騎討ちへと持ち込んだ。

 この相手ならば必ず応じる、必ず下馬するとふんでいた。

 あとは、この中年の傭兵自身が持ち堪えるのみだった。


「まぁ、止められるだろ、今のお前は、ずいぶんと弱そうだ」


(さて、まともな戦闘は何年振りだ? 自分の団を立ち上げてからは指揮しかしてこなかったからな、鈍っちゃいないといいんだが)


『傭兵のおやっさん』は剣を抜いた。

 分厚く、切れ味の悪そうな剣だった。

 その代わりに、どれほど乱雑に扱おうとも折れそうにない。

 この傭兵が、『三十六人傭兵団の歩兵』と呼ばれていた頃からの相棒だった。


 一人一人が一軍の将にもなれるほどの精鋭揃いだった『三十六人傭兵団』の中で、唯一、ただの歩兵としての素質しか持ち合わせていなかった男。

 才も無く、学も無く、単純な算術すら身につけていなかったこの男は、あらゆる戦場を歩兵の身で踏み越えて、その経験を糧とした。

 蔑称でしかなかったはずの『三十六人傭兵団の歩兵』という二つ名は、いつしか、畏敬を込めて呼ばれるようになっていた。

 しかしながら、それは既に多くの者に忘れ去られた、この世界にはありふれた逸話である。

 この中年の傭兵、『傭兵のおやっさん』の実力を知る者は、今となってはほとんどいない。




 一方の『運命改変者』、イズノナツとの邂逅によって運命を改変され、一人の傭兵団長がここに死闘を繰り広げることとなった。


 だがそれも、避けようのなかった不運な死によって幕切れとなる。


 残念ながら、この日に訪れた「結果」は、『傭兵のおやっさん』の想像を遥かに超えるものであったのだ。

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