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運命の断片 アナザーワン1-3

僕っ娘サイド、一周目の三話。

書く予定だった話の半分くらいで一万文字超えてしまったので、次回の投稿はこの話の続きになります。



※この話は一周目の世界なので、本編の主人公が『無明の万眼』を操作していた世界でのエピソードになります。

主人公が『邪剣使い』を操作しているのは二周目の世界なので、僕っ娘も別の人物を操作しているはずで、このエピソードとは異なる運命を辿っているはずです。





 統暦2812年、木霊の月、5日。



 日が落ちて、敵軍はようやく退いていった。


 血に濡れた潮風が不快で、僕は今日も『若き木狩りの戦士』の顔をしかめている。


 この戦地に来てからすっかり聞き慣れた敵軍の退却の合図、法螺貝の間抜けな響きが遠ざかっていく。


 その響きと同じくらい間抜けな敵が数人、鬼気迫る顔で雄叫びをあげながら、狂ったように突進してきた。


 退却の合図を無視してしまうほど、か。

 彼我の戦力差を理解できないほど。

 怒りで自分の命を顧みる余裕を失くすほど。

 それほどまでに、僕のことが許せなかったのか。


 左腕一本、短剣を振るう。


 一人、また一人。

 斬り捨てた敵が、絶命して地に倒れ臥した。

 彼らの同胞と同じように、『運命改変者』たる僕の手にかかり、ここで死に絶える運命を与えられたのだ。

 僕は、自分の手で作り上げた屍ヶ原を見渡した。

 殺すことに対して何の感慨も抱かなくなったのはいつからだったか。


 死屍累々、折り重なる死体の群れは、マーフォークのものだ。


 今度は、マーフォークだ。

 こっちの世界に来たばかりの頃には、森の中で大量の「木人」、いわゆるツリーフォークを斬り捨ててきた。

 マーフォークに、ツリーフォークか。

 久しぶりにあっちの世界を思い出した。

 懐かしい、あのカードゲームで出てきたっけ。

 ……………あの人は、ツリーフォークのカードの絵柄を見て、「マーフォークはちゃんとフォーク持ってるのに、なんでツリーフォークは持ってないんだ?」と言っていた。

 どうやら、スプーンやフォークのあのフォークと、マーフォークやツリーフォークなどのフォークを混同していたらしい。


 考えるな。


 あの世界はもう僕にとって終わった世界だ。

 もう、戻れない。

 異世界は地獄だ。

 この光景が地獄でなければ、いったいなんだというのだろう。

 命は軽く、容易く死にゆく。

 僕の、『若き木狩りの戦士』の一族は滅び去った。

 フィクションの異世界物語なんて、何の役にも立ちはしない。

 都合良く順調に進む物語なんて有り得ない。

 何もかもがうまくいかない。

 人が死ぬ。

 助けたかった人々が簡単に死んでいった。

 人を殺した。

 僕と出会わなければ死ななかったはずの人々を簡単に殺し去ってきた。

 これを楽しむことができる人間は、気が狂っている。


 いいや、僕はもう、とっくに狂ってしまっているじゃないか。


 統暦2812年、木霊の月、5日。


 この世界での一年間が経過したのだ。

 今日が218日目。

 まだ、たったの一年しか経っていない。

 なのに、これだ。

 こんな有様だ。

 僕はもう汚れきってしまった。

 地獄の色に染まりきってしまった。

 こんな有様で、それでもまだ、終わりじゃないなんてね。


 これは運命改変。


 この有様を、何度も繰り返す。

 何度も、何度でも、死に抱かれて、死を振り撒く。

 いったいあとどれだけ繰り返せば解放されるのだろう。

 いったいどうすれば、世界の主神なんて存在を打ち破れるというのだろう。

 こんなところで、僕はいったい何をやっているのだろう。

 まだ一周目。

 始まったばかりだというのに、時々、この先のことが空恐ろしくてたまらなくなる。


 異世界は、地獄だった。


 知人が、友人が、家族があっけなく死んでいく世界。

 僕が最後、たった一人の木狩りの一族。

 大切な人の生命を奪われたくせに、生命を奪い尽くしてここまで来た。

 僕の目的は、この世界の滅びを防ぐこと。

 それなのに殺した。

 滅びを防ぐ、救わなければならない、だけど殺してしまった。

 ただただ生き延びる、それだけのために。

 本来の敵ではないと知っていながら、無数の生命を奪ってきた。


 敵。


 本来の敵。


 それは、この世界バローグの主神。


「均衡を司る女神」こそが、僕の、『運命改変者』の敵だ。

「均衡」は、もう二度も僕のもとに使徒を送り込んできた。

 その使徒『天秤』が、僕の一族を殺し尽くした。

 それが一度目。

 怒りは鮮明で、記憶はつい昨日のことであるかのように、僕の心を縛りつける。

 あの日の母の言葉は、僕の魂に刻み込まれている。


 だから僕は戦い続けなければならない。


 この地獄を終わらせる。


 世界を滅びに導いている主神、「均衡」を滅ぼさない限り、僕の地獄は終わらない。



「今日はもう、終わったよ」



 ゆっくりと落ち着いたその声音に、内に湧いた怒りが影を潜めていった。


 全てが、ただ奪われていったわけじゃない。


 聞こえた方向へと振り返って、その声の主に視線を向ける。

 僕がマーフォークの死体で作り上げた屍ヶ原の中に、細く頼りない人影があった。

 周囲の地獄など意にも介さず、まるで散歩でもしているかのような調子で歩み寄ってくる。

 ゆったりとした深緑のローブは、戦場にあって返り血ひとつ浴びていない。

 両手の細い指先で、ぽっきりと折れてしまいそうな木の杖を握り締めている。


 歩いてくる彼女の後方、僕の屍ヶ原の隣には、見るに堪えない陰惨な林が広がっている。


 その林に生えている木は、細く鋭い異形の枝木。


 そこになっている実は、魚人の肉体。


 無数の早贄。


 地面から突き立った鋭利な木の枝に串刺しにされ、絶命したマーフォークの軍勢が晒されている。


 これが、『古き森の姫巫女』の、『木霊支配』の力。


 僕は、左腕の短剣にしたたる血を振り飛ばした。

 適当に装備のどこかで拭ってしまおうとして、それがなんの意味も無い行動であることを思い出した。

 僕の全身は敵の血に塗れている。

 まぁいいか、どうせすぐに宿営地で装備の手入れをする。

 左腕の短剣を腰の鞘に納めた。

 歩み寄ってきた『古き森の姫巫女』に左手を伸ばす。


 あっ、なにやってるんだ僕は。


 バカだな、手も血塗れに決まってるじゃないか。

 彼女の首元に巻きつけられている藍色の布に触れようとして、僕は手を止めた。

 その僕の左手を、彼女の茶褐色の細い指が捕まえる。


「血」


 彼女がぽつりと呟いて、少し首を傾けて見下ろしてくる。


 ごめん、そんな言葉を、僕は『若き木狩りの戦士』の口から吐き出し始める。

「すまない、汚すところだった」


 彼女は、ふるふると首を左右に動かした。

 纏っているローブよりも深く暗い色の、緑の長い髪が目の前で揺れる。

 しっとりとした髪の動きに視線を誘われた。

 その暗緑色の中から、繊細な指と同じ茶褐色の、尖った耳が飛び出している。

 これがいわゆるエルフ耳。

 そう、エルフなのだ。

 それも褐色の。

 普段は、僕があげた藍色の布を頭に巻きつけて隠している。


「頼むから、耳を隠してくれ。見る者によっては、またいつぞやのように面倒なことになる」


『若き木狩りの戦士』よりも背の高い『古き森の姫巫女』は、僕の指を掴んだまま、さらに首を傾けて覗き込んでくる。


「怪我、したの?」


 茶褐色の細い指が血塗れの指に絡み、きゅっと結ばれる。


「敵の血だ、心配いらない」


 僕の言葉に、彼女はあっけなく指をほどく。

 目前まで迫っていた美しい顔が遠ざかり、暗緑色の髪が視界に広がって、離れていく。


「死なないでね」


 背を向けて歩いていく『古き森の姫巫女』の短い言葉に、僕は、『若き木狩りの戦士』は応えた。


「やるべきことがある。だから俺は、必ず生き延びる」


 夜闇に移ろいつつある夕闇の中に、姫巫女の茶褐色の肌と深緑の後ろ姿が溶け込んでいく。

 彼女の向かう先に見えている宿営地の篝火は、もうしばらく進むと彼女を再び闇の中に照らし出すだろう。


「戻りましょう」


 ちらりと振り返ってそう言った彼女を、僕もゆっくりと追いかけた。

 少し進むと、彼女はちらちらと僕のほうをうかがいながら、渋々といった様子で名残惜しそうに耳を隠してくれた。

 そんな彼女に癒されながらも、僕は心の片隅で思い続けている。


 こんなところで、僕はいったい何をやっているのだろう。


 そう、どうして、こんなところで。


 ここは水精領域、都市国家マルクレイタ領内。


 今となっては水精領域全土に拡がってしまった「水際戦役」の、マルクレイタにおける第一次防衛線として策定された戦場だ。


 敵は主にマーフォーク、この世界では単純に魚人族と呼ばれている。


 海から押し寄せる『大海女帝』の軍勢。

 その脅威に対抗するために築かれた、未だ造営補強中の砦。

 西方の海岸線を一望する、都市から離れた最前線の防衛拠点。

 それが今の僕らの宿営地。

 都市国家マルクレイタは、水精領域にある都市の中では最北端、木霊領域寄りに位置している。

 水精領域の中心部からはかなり離れた立地、ということ。

 だから『大海女帝』の魔手が及ぶまでに、こうして防衛線を策定することができた。

 水精領域の中心部にあったいくつかの都市国家は、既に魚人軍の手中に落ちている。


 でも、このマルクレイタの防備が整った理由は、ただ立地に恵まれたってだけじゃない。


 水精領域には、古代のギリシャや帝政になる前のローマのような、民主制、共和政の都市国家が多くあるらしい。

 この都市国家マルクレイタも、永らく民主制国家だったと聞いている。

 それが、魚人族による大規模侵攻の情報を受けて、速やかに「独裁官」制度を成立、優れたリーダーを選出し、戦時独裁体制へと移行することができた。

 経験豊富でもともと人望の厚かった『兵法先生』と呼ばれる議員の存在が、その団結を可能にしたんだそうだ。

 その『兵法先生』の指揮のもとに防衛線が策定されて、防衛拠点が次々に応急築城されていったという。

 素直に、すごいと思う。

 国の存亡が危ぶまれる事態でも、揺るがない精神力を持っている人たち。

 ………あの「王子」もそうだったな。


 このマルクレイタという都市は、水精領域の北端、という地の利だけでなく、揺るがない結束、という人の和も得ていたのだ。


 地の利、人の和、あとは天の時。


 天地人、このマルクレイタは、さらに天の時をも味方に付けている。

 いや、これは天の時と言ってもいいものなのかな?

 いやいや、やっぱり言ってもいいと思う。

 マルクレイタにとって有利な要因がちょうど良く重なっていた。


「中つ国」バルゴンディア。


 この世界には、そういう名前の国が昨年まで存在していた。


 第一には、やっぱりこれの影響が大きい。


 バルゴンディア王国は、僕の、『若き木狩りの戦士』の、最初の目的地の一つでもあった場所だ。

 しかし、僕が『古き森の姫巫女』を連れてようやく木霊領域を脱出したとき、このバルゴンディアという国は、既に崩壊してしまっていた。

 バルゴンディアの王都の、古城都市スーサリディアという街が、ある日突然消えて無くなったんだそうだ。

 突拍子も無い馬鹿げた話に聞こえるけど、そこに暮らしていた大勢の人間たちも消え去ってしまったらしい。

 王都を離れていた数名の王族を除いて、王と王妃を含むほとんど全ての王族が、その都市とともに姿を消してしまった。

 だからこそ国が崩壊した。

 その大都市の消滅は、曲げようも無い事実なのだ。


 それが統暦2811年の「中つ国崩壊」、昨年、この世界に激震をもたらした大事件だったのだという。


 原因は、確かなことは何一つわかっていない。


 だけど、噂は流れている。


 運良く生き残った農夫は、バルゴンディアの王都が消え去る前、その近郊で白銀の装具に身を包む戦士を数名見かけていたらしい。

 白銀の装具、つまりは『天秤』だ。

 もちろん、これは単なる噂に過ぎないかもしれない。

 でも、そもそも都市を消滅させるなんていう天変地異を引き起こすような力を持った存在が、いったいどれほどいるだろう?


 神以外には、有り得ない。


 そして目撃されたという噂の『天秤』は、もちろん「均衡を司る女神」の使徒だ。


 今代の「均衡」は、600年前にも「六元分割」という天変地異をこの世界に引き起こしている。


 さらにバルゴンディアという国は、遠い昔に先代の「均衡」と争った『統一王』が建国したものだ。


 僕が、『運命改変者』が真っ先に頼ろうとしていた国なのだ。


 だから僕は確信した。


 この世界の滅びの原因とは何なのか。


『天秤』の襲撃を二度も受けた『運命改変者』の僕だけは、確信している。


 この世界の主神こそが、討つべき敵なのだと。



 目の前に顔があった。



 近付いてきた砦の篝火が、その顔を横から照らしている。

『古き森の姫巫女』の、キレイでかわいすぎる顔。

 まつ毛、やっぱり長いなぁ。

 お化粧なんてしてないのに、目元とか根本的にぜんぜん違う。

 日本にいた頃の僕もいちおう女子だったけど、大違い、全く別の生き物みたいだ。

 あっ。

 う〜ん、異世界だし、エルフだし、たしかに別物ではあるんだよね。

 いやいや、そうじゃなくて。


「………どうかしたのか?」


 僕は気を取り直して、『若き木狩りの戦士』の口で尋ねた。


「悪い癖」


 いつの間にかすぐ目の前で立ち止まっていた姫巫女は、それだけ言うと、またすぐに正面に向き直り歩いていってしまう。

 と思ったら、数歩進んでから、またちらりと振り返る。


「深く掘り下げる思索には生者も埋葬される」


 心なしかほんの少しだけドヤ顔で、彼女はそんなことを言った。

 そしてまた歩いていく。

 ……たぶん、考え込みすぎ、って言いたいのかな?

 うん、そうだね、たしかに僕も思考が逸れながらどんどん進んでいくのを自覚していた。

 でも、こればっかりは小さい頃からの癖だし、僕にもどうにもできない。

 それに、これらの知識は、もともとの『若き木狩りの戦士』のものではない。

 僕がここ数十日の間に教わったばかりの知識だから、忘れないように反復して、しっかりと整頓しなくてはならないのだ。

 彼女の忠告には悪いけど、こうしてまた思考を再開してしまっている。


 さて、天の時。


 昨年の「中つ国崩壊」が、なぜマルクレイタの現状にとって有利な出来事だったのか。


 一番大きな理由としては、人材の流入があったから。


 水精領域の北端で木霊領域に最も近い、という立地上、このマルクレイタは、バルゴンディアという国に隣接していた。

「中つ国崩壊」後、バルゴンディア領であった地域では、様々な勢力が入り乱れ、未だに領土の奪い合いとなっている。

 でも、隣接していた国の中で唯一マルクレイタだけは、このバルゴンディア問題に首を突っ込むことがなかったのだ。

 もちろんそれは、「水際戦役」拡大の兆候が既に見られていたせいで、隣国の諍いに首を突っ込んでいる余裕がなかったからでもある。

 だけど、元バルゴンディア王国民からすると、「彼の国は、由緒正しき王領を踏み荒らすこと無きなり」という、好意的な印象につながったんだそうだ。

 だから多くの人材が、亡命先、移住先として、都市国家マルクレイタを選択したのだ。


 突如後ろ盾を失って戦乱に放り込まれた亡国の民と、魚人軍の脅威に晒され始め人員を求める都市国家の思惑が一致した、ということになる。


 たしか、「中つ国崩壊」が起こったのが昨年の木霊の月の終わり頃という話だから、それからおおよそ一年が経過している。


 つまり、移住者の受け入れ態勢を整備し、兵員の拡充、新兵の調練をするための時間が充分にあったということ。


 それもあって、今、マルクレイタの防備が整っているのだ。


 もともと、バルゴンディアとマルクレイタは、木霊領域と水精領域の産物を互いに流通させ合うために、良い通商関係を築いていたらしい。

 水精領域の中では、マルクレイタは木霊領域との玄関口にあたり、良質な木材と豊富な農産物の交易を握っている。

 逆に木霊領域側から見れば、バルゴンディアは水精領域のマルクレイタと隣接しているため、海塩と海産物を求めるためにはまずバルゴンディアを通さねばならない、という状況になっていたんだそうだ。

 まぁ、そんな環境だからこそ、元バルゴンディア領にはうまみがあって、それを巡る争いが熾烈を極めている、とも言えるんだけどね。


 あっと、また話が逸れてきた。


 いや、逸れるわけじゃない、かな。


 南の大国、クシュルパーニャ。


 あの国の動向も、今のところマルクレイタに天の時をもたらしている。


 ……僕にとっては皮肉なことでもあるけど。


 北上を続けていたあの南の大国の勢力が、ついに元バルゴンディア領を巡る争いにまで到達してしまっている。

 昨年、バルゴンディアの「中つ国崩壊」、水精領域の「水際戦役」勃発を受けて、南の大国クシュルパーニャが、積極的に支配圏の拡大に乗り出した。

「主神教会」の教えを国教として定めるクシュルパーニャの、「均衡回復運動」の宣言。

 大いなる世界秩序、均衡神の御威光を取り戻すための神民運動、なんだそうだ。

 やっていることはただの侵略戦争と何一つ変わらないくせに。

 東の帝国メセド・タルクァーンが国是として掲げている「統一政策」と似たようなものだと、『傭兵のおやっさん』からそんなふうに教わった。


 僕はこの目で見た。


 大陸中央に広がる非六極領域の中で、元バルゴンディア領の南方に位置する小国、イルイール王国。


 その国がクシュルパーニャの侵攻を受けて亡び去るさまを、僕はこの目で見届けたのだ。


 僕は救えなかった。


 寝食をともにした将兵たち。

 滅亡の際で、気丈に振る舞っていた国王様。

 そして、バルゴンディア王国の、第五王子。

 あの不思議と不快ではない変な人も、結局は死んでしまった。

 彼は何年も諸国を外遊していたらしく、バルゴンディアの王都が消滅したときには、ちょうどイルイール王国に身を寄せていたのだ。

 彼は、「中つ国崩壊」の報を受けても、祖国に帰らなかったらしい。

 バルゴンディアの第五王子は、自分の祖国よりも友情を優先した。

「中つ国崩壊」後にいち早く行動を開始したのが、イルイールの隣国、この世界の覇権を争う大国クシュルパーニャだったから。

 友である若きイルイール国王のために、バルゴンディアの「王子」は客将として大国との戦争に参陣し……。


「よう、戻ったかよ……ってオイ! 今日は一段とヒデェじゃねぇか!! そりゃ全部返り血か!?」


 うわぁ……。

 もう、なんでこの人こんなところにいるの?

 思考が邪魔された。

 二人揃って宿営地に帰り着く直前、真っ先に苦手な人物に出迎えられた。


「まさかやられたわけじゃねぇよな!? オイ、どうなんだ!?」


「返り血だ」


「あぁん!? なんだよだったら早く言えよ! じゃあ先にとりあえず流してこい、水場は昨日と変わってねぇ、歩哨はいるが、ちゃんと二人で行動しろよ、オメェらの天幕はいつもどおりんとこに張ってあっから、気に入らなかったら張り直せ、さっさと済ませて遅くなんねぇうちにおやっさんとこ顔出せよ、あぁ、ちゃんと二人で来い、オレは今からアレだ、ついでにオメェら帰ったの伝えてくっからよ、オイ、なんか報告はあんのか?」


 若くて威勢の良い、乱暴な口調の傭兵。

 悪い人じゃないのはもうわかったんだけど、僕はやっぱり苦手だ。


「報告は特に無い、今日も雑兵の群れしか来なかった」


「オウ、そうかよ、そんじゃあちゃんと体流してから来いよ、いいか、ちゃんと二人で来いよ、装備の手入れも早め早めに済ませてから来いよ、手入れは怠んな、ちゃんとやれ、傭兵稼業の肝心かなめだぞ、オメェらの雑巾は天幕に大量に突っ込んである、それでも足りなきゃ備品係に言えよ、オメェら腕が立つのは良いが洗濯物を増やしやがるのが、あっ、オメェら明日は洗濯当番だからな、勝手に戦場なんか絶対行くんじゃねぇぞ、明日はこっちでシャキシャキ働いてもらうからな、あとは、そうだな、まぁ細かいことはまた後だ、いいか、絶対に二人でおやっさんのところに顔出せよ」


「あぁ、わかった」


 若くて威勢の良い傭兵は、近くにいた歩哨当番の男に軽く手を上げて挨拶しながら、さっさと行ってしまった。

 二人で、と何度も強調しながら、僕の後ろに隠れている『古き森の姫巫女』にも言葉を投げかけていた。

 姫巫女は『若き木狩りの戦士』よりも背が高いからたぶんぜんぜん隠れられていないのに、いつもこうして僕を「他人避け」に使うのだ。

 気持ちはわかるけど。


 宿営地に帰り着いた。


 僕ら傭兵の宿営地は、砦の横にある。


 横にある、というか、まぁ、野営なんだけどね。


 場合によりけりではあるけど、普通の傭兵は重要な拠点内にはそうそう入れてもらえないものなんだそうだ。

 拠点詰めの依頼は、高名な傭兵にしか任せられない。

 この防衛拠点に詰めているのも、マルクレイタの正規軍だ。

 でも、傭兵たちにとっては特に不満でもないらしい。

 正規軍と足並揃えて玉砕に付き合わされるようなこともなく、いざとなればすぐにでも逃げ出すことができる。

 これがこの世界の通常のことで、このほうが気楽に動けるんだそうだ。

 むしろ、やはり傭兵出身の『兵法先生』はよくわかってくれている、という評価になっているようだ。


 傭兵。


 まさか、僕が傭兵になるだなんて、思ってもみなかった。


 僕が傭兵になったのは、ちょうどイルイール王国滅亡のあとだった。


『古き森の姫巫女』を連れて木霊領域の大樹海から脱出して、目的地であるバルゴンディア王国が崩壊していたのを知った。

 僕の目的は、この世界の滅びを防ぐこと。

 その目的のために、バルゴンディア王国の協力を得るつもりだった。

 でも駄目だった。

 まるで先回りされたかのように、「中つ国」は「均衡を司る女神」によって崩壊させられていた。


 そしてそれを知ると同時に、バルゴンディアの第五王子がイルイール王国に滞在している、という情報を得ることができた。


 だから僕は、イルイールを次の目的地に決めた。

「王子」が生き残っているのなら、バルゴンディア王国を立て直せるんじゃないかと思ったから。

 だけど、そう上手くはいかなかった。

 僕と『古き森の姫巫女』がイルイールに着いたときには、もう既に勝敗は決しているようなものだった。

 バルゴンディアの第五王子は、イルイール王国と命運をともにした。

 ここでも、この世界の主神が一枚噛んでいる。

 イルイール王国を亡ぼしたクシュルパーニャは、主神「均衡」を崇める「主神教会」と、切っても切れない関係にある。


 その敗戦の中で、僕らは『傭兵のおやっさん』の傭兵団といっしょに行動することになったのだ。


 戦が終わり、行くあてを失くした僕らは、『傭兵のおやっさん』に勧誘されて彼の小規模な傭兵団に加入した。


 そうして流れ着いたのが、この戦場だった。


 僕らだけではない。


 この「水際戦役」におけるマルクレイタ防衛戦には、バルゴンディアの元王国民だけではなく、クシュルパーニャの進軍によって各地で追い立てられた人々も流れ込んできているのだ。


『若き木狩りの戦士』と『古き森の姫巫女』は、今のところ、そんな人々の中の何者でもないただの二人にすぎない。


 あてもなく、こんなところで戦っている。


 僕は立ち止まって、僕らの天幕を見るともなく見つめていた。


 指定したとおり、この宿営地の端のほうの、木の真下に張ってくれている。

 宿営地に着いてからずっと僕の後ろに隠れるようにして歩いていた姫巫女が、僕を追い抜いて天幕に寄っていった。

 手に持っていた細い木の杖を、彼女は天幕の目の前の地面に突き刺した。

 すると、瞬く間に植物が生い茂り、『古き森の姫巫女』を守護するように、天幕ごと周囲を覆い隠していく。

 天幕が外から完全に見えなくあったあと、茂みが割れて出入口が開いた。

 その奥で、姫巫女が僕に向かって小さく手招きしている。


「森の民」の中でも『古き森の姫巫女』だけが身につけていた、『木霊支配』という特殊な力。


 僕は招かれるまま、いつものように茂みの中へと入っていった。


 彼女は先に、もぞもぞと天幕の内に潜り込んでいく。

 僕が進むそばから、背後で枝葉がざわめき、開いていた茂みの出入口をまた覆い隠していく。

 眠りに就くためだけの広さしかない、小さな天幕に屈んで入り込む。

 ぼんやりと明るい。

 薄緑色の光を放つ、百合によく似た幻想的な姿の花が天幕の中に咲いている。


 その光を遮って、姫巫女が僕の正面に迫ってきた。


 慣れた手つき、無言のまま僕の身体から装備を剥ぎ取っていく。

 僕も左手一本で、可能な限り自分の装備を外していく。

 右腕に縛り付けた円盾を外すと、やはり彼女はそこに触れた。


『若き木狩りの戦士』の右腕は、二の腕の途中で途切れている。


 彼女は、いつもするように、その傷痕を熱っぽい目で見つめながら、撫でている。


 この右腕は、『古き森の姫巫女』を庇ったときに、こうなった。


 僕が運命を改変した木狩りの一族は、『天秤』に滅ぼされた。

 そして僕が逃げ込んだ先、「古き森」でひっそりと暮らしていた「森の民」も、『天秤』に滅ぼされてしまった。

 それが『天秤』の、二度目の襲撃だった。


 そのときに右腕を失って、「双剣の武技」というこの身体に宿る力が役に立たなくなってしまった。


 でも、その代わりに、僕はこの姫を手に入れた。



 一糸纏わぬ姿で傷痕に口づけをする女に、残された左腕を伸ばす。



 これは僕のもの。

 たった一人の木狩りの一族。

 たった一人の古き森の民。

 一人と一人。


 この姫は、僕だけのもの。


 いつものように、抱き寄せる。

 誰にも渡してやるもんか。

『木霊支配』を宿した「支配者」は、『運命改変者』の手中に収まっている。


 若い戦士の身体が反応する。


 男の部品が熱くなっている。

 女の僕が、男の身体で女を抱く。

 僕はもう汚れきってしまった。

 いいや、僕はもともと、あっちの世界でだって、こんなにあさましかった。

 僕は女だから、抱いている女の部品が今どれほど熱くなっているか知っている。


 女なのに女を抱いて、そんな自分の身体が男のもの。


 とっくに狂ってしまっている。

 こんなところで、僕はいったい何をやっている。

 失った夜、奪った夜、血塗れの身体で一人と一人、こうして過ごしてこんなところまでやって来た。


 僕のもの、この一人だけは、死んでも手放さない。


 招かれるまま、いつものように茂みの中へ………。




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