運命の断片 アナザーワン1ー2
通算51話
僕っ娘サイド、1周目の2話
1万文字超えてしまいました。
次回からはまた1話5000字〜7000字くらいのペースに戻したいと思っております。
あと更新頻度も、上がったらいいな、と思っております。
申し訳ございません!
統暦2811年、木霊の月、15日。
よくできた夢なんじゃないかという気持ちもどこかにあったのに、今はもう、この異世界に慣れつつあった。
僕が、日本人である『伊豆野 夏』の魂が、生まれ故郷である地球のある世界を離れて、このバローグという異世界に辿り着いてから、10日が経過していた。
この『若き木狩りの戦士』の運命を改変し始めてから、早くも11日目になっている、ということ。
異世界なんていう完全にフィクションでしかありえないような状況に置かれて、10日間も過ごしてしまった。
日々が過ぎ去るのは、あっという間だ。
このバローグという世界での1年間は、217日間しかない。
「運命を司る女神」を自称するあの小っちゃい女の子は、そう教えてくれた。
月の数え方には、この世界を構成する要素である、『二属六元』という概念が使われている。
一月、二月、と呼ぶ代わりに、土魂の月、水精の月、と呼ばれ、木霊、雷子、火因、風気、という順番で続く。
1年間はその6ヶ月で、1ヶ月が36日、合わせて216日になる。
そこに、元旦のような、「生死廻転の日」という1日を加えて、217日間となる。
『運命改変』は、統暦2811年から、2816年までの5年間。
しかしこのバローグでの5年間は、地球で生まれ育った僕にとって、感覚的にはおよそ3年程度の日数でしかないのだ。
タイムリミットは、1085日間。
何度も繰り返すとはいっても、本当に滅びの運命なんてものをたったの3年間で変えることができるんだろうか?
統暦、というのは、正式には『バルゴンディア統一暦』という暦のことである。
もっとも、現在のバルゴンディア王国と区別するため、頭に「旧」という字を付けて呼ばれることが多いそうだけど。
日付を思い浮かべるたびに、どうしてもその暦に関する情報が気になってしまう。
半信半疑なのだ。
かつて、この異世界、バローグを統一した『統一王』は、奇跡を起こした。
神々の世界を人の身で統一したこと、それはたしかに奇跡的なことではある。
しかし、このバローグで『奇跡を起こす』と言う場合は、奇跡的であることとは全く別の意味合いを持っている。
『世界の理』から授けられた『神性』を消費することで、その『世界の理』に対して干渉することができる。
『世界の理』の許容する範囲において、自らの願望を世界に適用すること、それがこのバローグで『奇跡を起こす』ということなのだ。
統一王は、この世界の国々を統一したあとにやってくるはずの様々な混乱の、その原因の大部分を『奇跡を起こす』ことで解決した。
それまでは地域ごとに異なっていた、言語、文字、通貨や、測量単位に暦まで、統一王朝の礎を固めるために必要な物事は、『奇跡』によって瞬時に統一されたという。
………そういう設定らしいんだけど。
この設定が気になってしまう。
ちょっと非常識すぎて何言ってるんだかわからないよ。
地球の常識じゃまずありえない。
かつて秦の始皇帝も通貨とか単位とかを統一したって話だし、地球では様々な先人達がそういった偉業に取り組んできたことだろう。
果たしてどれだけの時間をかけたのか、どれだけの苦労を重ねたのか。
それを、瞬時に統一した、なんて言われても、とても受け入れられない。
でも、「運命の女神」は一生懸命に説明してくれていたし、この『若き木狩りの戦士』の記憶でも、統一王についてそのように教わっているのだ。
『世界の理』や『神性』、『奇跡』といった、フィクションでしかありえないような物事が、この異世界ではごく当たり前のこととして受け入れられている。
ちなみに、その『神性』とやら、僕も持っているそうだ。
『運命改変者』というもの、いわゆる神の使徒というものに選ばれた時点で『神性』を与えられる、それがこの異世界の『世界の理』なんだとか。
その他にも、偉業を成すだとか、英雄的な行動をとるだとか、誰かに信仰されるだとか、そんなすごく漠然とした様々な条件によって、『神性』を与えられることがあるらしい。
それでこの『神性』っていうのは、保持しているだけで魂が強化されるけど、消費することで『奇跡を起こす』ことができるものらしい。
ただ、神でもない限り、『奇跡を起こす』ために必要な『神性』はよほど上質なものか、そうでなければよほど多量に要求されるそうなので、神に非ざる存在が『神性』を得ても、保持する以外の選択肢はそうそう無いんだそうだ。
それを聞くだけでも、広範囲で超大な『奇跡』を起こした統一王というのが、途方も無い存在であったことがよくわかる。
僕の場合、その『神性』とやらは保持しておく他にないらしい。
『神性』の保持による魂の強化。
僕がこのバローグの言語や文字を理解できるのも、それのおかげなのだという。
「強化された魂が概念を認識、理解、最適化するのです」とか女神の子が言ってたけど、小っちゃい子が難しい言葉をがんばって使ってるみたいで、ただただ和まされてしまった。
だって見た感じがただの超かわいい女の子なんだもん。
僕があの子くらいの年齢だったときには、黒髪で地味なオカッパの、コケシとか日本人形みたいな女の子だったから、あんな感じのキラキラした洋風のお人形さんみたいな容姿に憧れていた。
今は別に、憧れたりしてないんだけどね。
もう僕は少女なんて年齢じゃないし。
にーちゃん、髪は黒いほうが好きだって言ってたし。
はぁ。
もうっ!
僕はこんな異世界に来てしまっているのに、やっぱりにーちゃんのことを考えてしまうのか!
これが惚れた弱味というものなのだろうか?
あっ、いや違う惚れてない!!
間違えた危ない間違えた!!
今のはただの間違い!!!
損しかしない、損しかしない、損しかしてないんだぞ!
全部にーちゃんのせいなんだぞ!
未だに僕が僕のこと僕なんて言っちゃうのもにーちゃんのせい………に近いんだぞ!
僕がこんな異世界でがんばらないといけないのだってにーちゃんのせい…………みたいなものなんだぞ!!
あぁもう、取り乱しちゃったじゃないかぁ……。
やっぱりにーちゃんのせい………かもしれないんだぞ!
ふぅ。
それにしても、まさか自分がお世話になってた日本の神様なんてものが、あんなやつだったなんて。
どうして僕なんかがこんな異世界でがんばらないといけないんだろう。
あの日本の神様は、「そうか、大冒険はイヤなわけか、せっかくの異世界ファンタジーなんだがね。それなら仕方ない、他を当たるとしよう。あぁ、隣接次元であるバローグが滅びれば、次は地球があるこの世界も滅びる番かもしれないな。おっと、君にはもう関係のない話か、なんでもない、忘れてくれ」とかわざとらしく言っていた。
バローグが滅びれば、次は地球が滅びる番、かもしれないって?
「かもしれない」とか言われても、そんなこと聞いちゃったら、選択肢なんて無くなっちゃうよ!
あの神様は、絶対にそれをわかっててあんな言い方したんだと思う。
僕が、あの世界を守るんだ。
僕が生まれ育った日本、にーちゃんがいるあの世界を守るんだ。
本当に損しかしない。
僕なんて、もう、あの世界では死んじゃってるのに。
「あらあら、隙だらけよ?」
突如、スパァンという快音とともに破裂した僕の尻。
その衝撃に、『若き木狩りの戦士』の記憶がフラッシュバックする。
かっ、母さん!?
「はっ、母上!?」
「いくら家の中とはいえ、戦士たるもの、気を抜きすぎてはダメよ?」
驚いて振り返ると、『若き木狩りの戦士』の母親が、いつも通りのにこやかな笑顔で立っていた。
溢れ出した記憶。
かつて族長に憧れて勝手に武器を持ち出そうとして尻を叩かれた。
近所の子を誘って森に入ろうとして尻を叩かれた。
嫌いな食べ物をこっそり捨てようとして尻を叩かれた。
この身体は、ずいぶん小さい頃から、何度も何度もおいたをするたびにこの母親におしりペンペンされてきたのだ。
「そんな姿、族長には見せないようにね。少し前から見てたけど、さっきはまるで恋する乙女のような表情だったわよ?」
「こっ!?恋など別にしていない!!惚れてない!!!」
「あらあら、乙女、っていう部分は否定しなくていいの?」
えっ?
乙女って…………あっ!!!
その瞬間、思考が凍った。
『若き木狩りの戦士』の母親が、より一層朗らかな笑顔を見せる。
「そう、やっぱり女の子なのね?」
言葉を出せない。
何を、僕は今、いったい何を言われているのだろう?
やっぱり女の子、だって?
「良かったわ、なにか悪いものに取り憑かれたわけではなかったみたいで。えぇと、あなたはきっと運命神様の、御使いさん、なのよね?」
「な、なぜ……?」
かろうじて出たのはそんな半端な言葉。
なぜ?
なぜこの人は、『僕』のことを?
取り憑かれたって、この身体の中に『僕』がいることを知っている?
『僕』が女の子だってことをわかっている?
僕は『若き木狩りの戦士』の身体で、呆然と見つめる。
母は、穏やかでにこやかな笑顔のままで覗き込んできた。
「だって、その子の母親ですもの」
明快だった。
当然の答えだった。
その答えに、なぜかすんなりと納得してしまった。
「いつもと違うってことはすぐにわかったから、この10日間観察していたの。悪いものじゃないっていうのは、観察するうちになんとなくわかったわ」
「女の子なのかな、って思ったのは、うふふ、その、ごめんなさいね、最初の数日間、お便所を我慢してたでしょう?」
あっ。
ううぅぅぅ。
どうしよう………。
思い出させないでよ……。
だって、その、あのっ、構造が……。
ぶっ、部品の構造が違うから!!
もうっ!!!
どうして女の僕が男の人の身体に!?
こんなの、あっ、あんなのっ、変な形すぎるよ!
「あらあらまぁ、真っ赤になっちゃって、その子のそんな顔、初めて見たわねぇ」
『若き木狩りの戦士』の身体で恥ずかしがっている僕を、母はにこにこしながら観察している。
それが余計に恥ずかしくって、ぜんぜん言葉が出てこない。
「ごめんなさいね、御使いさんにうちの子の身体のお世話をさせちゃって」
身体のお世話!!
顔から火が出る思いってこういうことなのかな……。
恥ずかしすぎて混乱している。
バレていた。
僕が男の人の身体に困惑していることを知られていた。
唐突に陥ったこの状況に、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。
混乱がピークに達していた。
『若き木狩りの戦士』の頬を、雫が流れる。
その雫がなんなのかわからずに、指ですくって確かめてしまった。
母。
それが涙であることに気が付いたとき、自分の故郷の母の顔を思い出していた。
そして、止まらなくなってしまった。
目の前の母が、そのままの笑顔でしっかりと頭を抱きかかえてくれた。
「そんな泣き顔も、初めて見たわねぇ」
不安だった。
怖かった。
寂しかった。
悲しかった。
僕がもう死んでいるなんて、信じたくなかった。
家族に会えないなんて、悲しくてたまらなかった。
世界の危機なんて意味がわからない。
どうしたらいいのかわからない。
異世界にもう慣れたなんてウソだ。
他人を操るなんて怖かった。
誰かを巻き込むなんて怖かった。
責任の重さに圧し潰されそうだった。
だから無理矢理酔っていた。
自分をごまかして、ゲーム感覚で遊んでいるつもりになってみた。
オタクなにーちゃんなら、どういうふうに考えるのか、想像して演じてみた。
自分以外の身体で、自分以外のなにかになったつもりで、無理矢理自分を騙そうとしていた。
でもバレていた。
『僕』がここにいることを、このお母さんは気が付いてくれた。
ずっと寂しかった。
このバローグという世界のどこにも『僕』なんて存在していない、『僕』の居場所なんてない、誰も『僕』のことなんて見てくれない、だって他人の身体で、他人の人生を覗いているだけだから。
それがたまらなく孤独だった。
でもバレたのだ。
この人は知ってくれたのだ。
もう、孤独じゃない。
だから今日、僕の戦う理由が増えたのだ。
装備を整えた僕は、なんだか恥ずかしくって、そそくさと家を出た。
この木狩りの一族の隠れ里の中にある、訓練場へと向かう。
木狩りの戦士達の装備は身軽さを重視している。
視界を遮ることのないよう、赤い頭髪は短く、頭部を守る装備を身につけることすらない。
防具は全て、大硬甲虫の赤銅色の甲殻を加工したものが使われる。
手甲に脛当てと、背面を広く覆う胸当て、そして左腕の小さな円盾、これらが木狩りの戦士達の防具である。
短弓と矢筒を背負い、腰には幅広の短剣、そして脛当てには鏃を浸すのに用いる小さな毒筒が据え付けられている。
これらの装備は、一族の戦士達の揃いのものなのだ。
しかし、『若き木狩りの戦士』だけが、短剣を二振り備えている。
これは、「武勇を司る神」のきまぐれ、『武技の神授』によって、双剣の武技を生まれ持ったからだった。
『武技の神授』とは文字通りの天賦の才というやつで、この異世界では、神から武器を扱う才能を与えられて産まれてくることがあるのだ。
いや、かつてはあったのだ。
神々が消えていくこの世界、新たに産まれてくる生命は、もはやその恩恵を授かることはない。
今はもう、「武勇を司る神」はいないようだった。
「武勇」の神は圧倒的強者に挑む者に一時的な『勇戦の神助』を与える神でもあり、木狩りの戦士達はその加護に助けられてここまで命を繋いできたのだ。
木狩りの戦士達の獲物である巨大な虫たちは、本来ならば圧倒的強者である。
戦士は獲物に対してまずは1人で戦いを挑み、『勇戦の神助』を得て、一時的に戦力を強化する。
そしてその強化を得た戦士を他の戦士達が援護して、集団で獲物を狩る。
それがかつての木狩りの戦士の戦い方だった。
この地に木霊が寄せ集められ、木霊領域と呼ばれるようになった頃、その戦闘方法が考案されたという。
この世界での600年前、バローグの主神である「均衡」が引き起こした『六元分割』によって、この地は突如、木霊領域となった。
そのときから、ここに住んでいた人々の、生き抜く為の戦いが始まってしまったのだ。
僕は少しだけ立ち止まって、一族の集落を眺め回してから、また歩き出した。
よく異世界ファンタジーでの町並みを中世ヨーロッパ風と言うけれど、この集落はまさにそのような西洋風の石造りの家々が立ち並んでいた。
ただし、その全てが蔦や苔や草、様々な植物に覆われ、ほとんどが直下から生えている大木によって貫かれて崩れ落ちている。
当時、この町に住んでいた人々は天変地異を目の当たりにしたのだ。
草木が見る間に生い茂り、どこまでも止まらず急激に生長する木々が、道を潰し、家を貫き、人々を突き上げた。
この地を治めていた領主の館も軍事拠点も一瞬で壊滅してしまった、そう伝わっている。
運悪く生き延びてしまった住人は、濃い木霊にあてられて変質した魔獣の襲撃を受けることとなった。
現在まで存続できたこの集落は、不幸中の幸いというべきか、周囲を巨木に囲われている。
変質した魔獣、巨大な虫たちは、この集落を囲むその樹木の隙間を、その巨体で通り抜けることができなかった。
どういうわけか、壁のように巨大な樹木が連なって、まるでこの地の人々を守護しているかのようだった。
この地に集った生存者は、混沌を極めた過酷な状況下でも、決して誇りを失うことなく戦い続けた。
遠い昔の伝承の時代、彼らの遠い先祖達は、『統一王』から直々にこの地を任されたという。
偉大なる王に助力した『森の民』が住まう森、その安寧を守る『森番の一族』の末裔としての矜持、その誇りが彼らを苛烈に生き延びさせたのだ。
そうして生き残った『森番の一族』の末裔は、この地を訪れたある1人の冒険者によって、『木狩りの一族』と呼ばれることとなった。
その記憶は、今もこうしてこの一族に、忘れ去られることなく伝わっている。
訓練場に辿り着いた。
この地がどこにでもある平穏な町であった頃、町の中央広場であったとされる場所が、木狩りの一族の訓練場になっている。
僕が『若き木狩りの戦士』になって、この一族の運命を改変した1日目から3日目までの間に、一族の今後の方針が次々に決まっていった。
この隠れ里を一族全員で出立する為に、まずは老若男女問わず全体の訓練を行わなければならないこと。
それと並行して、『運命改変者』である僕を含めた数名の戦士で、木霊領域の奥地にあるはずの『古き森』を目指すこと。
600年前の『六元分割』以降は交流が途絶えてしまっているが、古い誼を頼りに、『森の民』の助力を仰ぐのだ。
森の中には巨虫が跋扈し、「木人」と呼ばれる獰猛な歩く植物が徘徊する。
この600年間で『森の民』と接触を図ることが無かったのは、奥地に進むほどそれらの魔獣が大量に出現するせいだった。
それでも、今回はやらなければならない。
『森の民』と共に木霊領域を出て、バルゴンディア王国に協力を要請する。
「中つ国」バルゴンディアの名を冠する以上は、統一王の覇業を支えた『森の民』の言葉を無視するわけにはいかないはず、そういう魂胆である。
この地は600年来、外界とは隔絶されてきた。
ごく稀に冒険者が訪れて外の情報をもたらす程度で、一族にはわざわざ危険を冒してまで木霊領域の外を目指す必要が無かったのだ。
無駄な冒険で人を減らせば、待っているのは一族の滅亡。
それは即ち、先祖が守り伝えたこの地が失われてしまうということだ。
守るべき誇りを抱いたままで、神々の恩恵が失われていく。
木狩りの一族は、みな言葉にこそしないものの、ゆっくりと滅びに向かっているこの里を憂いていた。
でも、今はもう違う。
遠い祖先が仕えた偉大なる王の命に従い、この世界を救う戦いに身を投じるのだ。
その為ならば、先祖代々守り続けてきたこの土地を棄てることも厭わない。
「守るべきは土地ではなく誇りだ」とは、父、族長が皆に伝えた言葉である。
「戦士よ、随分のんびりやって来たもんだな?」
父の声。
族長がいつものようにニヤニヤしながら絡んできた。
戦士達はとっくに集合していて、訓練を開始している。
僕は、訓練に遅れてやって来た。
でも、そうするように指示してきたのは、他でもないこの父である族長なのだ。
『運命改変』の2日目から、戦士達は訓練に普段以上の時間を費やすことに決まった。
そしてその日、僕は誰も見ていないうちに戦闘の動きに慣れようとして、かなり早くから訓練をすることにした。
………だけどそれがマズかったみたい。
『若き木狩りの戦士』が訓練場に一番乗りしていたことで、他の戦士達のプライドに火を点けてしまったみたいなのだ。
どうやらこの最年少の戦士は既にこの一族の中でも有数の実力を身に付けているようで、そのうえ更に強くなろうとしていると勘違いした他の戦士達が焦り出したのだ。
次の日からみんな競い合うように訓練場に集まり始め、それが1日ごとにエスカレートしてしまった。
5日目には既に夜明け前まで早まってしまったので、とうとう族長が訓練の早出を禁止することにしたのだ。
そして『若き木狩りの戦士』にまだ負けたくないというみんなを説得するために、僕だけ少し遅れて訓練に来るように命じたというわけである。
………でも、一番張り合ってきたのはこの父なんだけどね。
しかもこうやって遅れて来たことに毎日絡んでくるし、大人気ないなぁと思うよ。
族長なのになんだか子供っぽいところがある人なのだ。
思わずため息が漏れそうになりながら、訓練場へと足を踏み入れる。
そして、目の前の空間に縦線が走ったのを目撃した。
違和感に気が付いたときには既にその線から左右に空間が開かれてしまっていた。
光り輝く、白銀の塊が歩み出てきた。
人の形をしているのに、まるで巨大な化け物の前に立ってしまったかのような威圧感。
巨大とまではいかないが、その歩く塊は確かに大きい。
頭部まで全身が甲冑に覆われ、肌を露出している部分はどこにもなく、本当に銀色の塊だった。
左手には、その大きな身体のほとんどを覆い隠せてしまいそうな白銀の大盾。
右手のそれは異質だった。
目に入った瞬間から、なぜだかそれを怖れてしまっている。
それはごく普通の大きさの武器で、その巨躯と巨大な盾には見合わず、縮尺が間違っているように見えてしまう。
片手で握り締めることができる太さの短い棒の先端に、トゲトゲが突き出た丸い球がくっついている。
ゲームとかでは、メイスだったか、モーニングスターだったか、そんな名前で呼ばれる武器だ。
その片手持ちのモーニングスターだけが、白銀ではなく黒々とした鉄製のようだった。
そのギャップのせいなのか、どういうわけだか一目見て危険な武器だと思い込んでしまっている。
「我は天秤」
重く低い男の声。
その黒々とした武器のように、硬く冷え切った鈍器のような声。
「均衡の定めし律に因りて、汝を粛清する」
容赦無く叩き付けられた声。
『天秤』、粛清、それを聞いて僕の記憶が蘇る。
あの神域という空間で説明を受けたとき、「本当はナイショにしろと言われているのですが、『天秤』には気を付けてくださいね。異世界から来たら粛清されるだなんて、それを聞いたら嫌がるに決まってるからナイショなんだそうですが……」とか言われたのを思い出した。
…………あの、「運命の女神」ちゃん、そんなこと言われても、気を付けようがなかったみたいだけど。
武骨な白銀の塊が一歩踏み出そうとしていた。
それを見て僕は我に帰った。
そして、もう既に手遅れになっていたことを知る。
死の領域で、僕はあまりにも致命的な隙を晒していた。
死。
目の前の相手がこれから放つ一撃は、既にこの距離では避け切れない。
この身体が、記憶が、魂が、『若き木狩りの戦士』の全てが、不可避の死を直感した。
僕の心が後悔に食い潰される寸前、甲高い衝撃音が鳴り響き白銀の兜と鎧の接ぎ目に一本の矢が突き立った。
『木狩りの名手』、族長の親友が放った一矢。
族長は常に戦士長であり、一族で最高の腕前である。
族長である父、『木狩りの戦士長』は、既に突き立った矢の反対側に跳んでいる。
一族の用いる幅広の短剣は、普通の剣では刃が立たない「木人」や巨虫の甲殻を割断する為に考案された。
緊密な木の幹と同等の硬度を誇る「木人」、それを容易く両断する『木狩りの戦士長』の一閃は、白銀の大盾に阻まれる。
族長は空中でその盾を蹴って身を翻し、『天秤』と『若き木狩りの戦士』の間に立ち塞がる。
この目の前の背中は、『若き木狩りの戦士』がずっと追い続けてきたものだった。
「へっ、『天秤』か。聞いたかよ、まるで伝承の戦じゃねぇか、運命と均衡の対立なんてよ」
「天秤、災厄、邪神の類。その『天秤』を目にする日が来るとはな。あの装甲は何だ、どうする、矢は通じんぞ」
僕の後方に、いつの間にか『木狩りの名手』が移動してきていた。
天秤、災厄、邪神の類。
このバローグで出会ってはならないとされる、三種類のモノ。
転じて、「避けようのなかった不運な死」という意味の慣用句。
訓練場に集合していた戦士達も、遠巻きに配置についていた。
「粛清対象に非ざる者どもに警告する」
どこまでも冷徹で、感情の揺らぎが感じられない声。
「汝ら神に弓引くとあらば、天秤は誅殺する」
「警告は以上である」
背後で『木狩りの名手』が腕を動かした気配がした。
周囲の戦士達が一斉に抜剣する。
「馬鹿野郎、こいつはムリだ戦うな、逃げろ、逃がせ、ケツまくれ」
族長は振り返ることなくそう言った。
「その判断、お前の勘か?」
族長の親友は問いかける。
「勘だ、間違いなく全滅する」
「チッ!それほどの相手か……」
「祖の掟に従え、離散しろ、生き延びろ。そして必ずやり遂げろ、この世界の滅びの運命とやらを変えてみせろ。粛清対象、だとよ。均衡の使徒が『運命改変者』を狙って来やがったわけだ」
『木狩りの名手』が、僕の横に並んでしっかりと肩を掴む。
「案ずるな、こいつはオレが立派な族長に育ててやる」
「なんだ、お前の念願の族長の座、ヒヨッコに譲るつもりか?」
「オレはまだお前を負かしていないからな」
「まーだ言ってやがんのか………へっ、然らば我が友、生死の廻りの果てで待っててやるぜ」
「フッ、英雄譚のそんな台詞を本気で聞く日が来るか………然らば友よ、死生を越えて再び会わん」
『木狩りの名手』が、腕を掲げて周囲の戦士に再び指示を出す。
みな一斉に武器を収めて集落へと散っていく中で、数名の戦士は抜剣したままこちらに歩み寄ってくる。
いずれも、族長とその親友と同年代の戦士達だ。
「俺らも連れてってもらおうじゃないの、生死の廻りの果てまでよ」
「仮にも一族の長ともあろう者が、供回りも付けずに逝くもんじゃありませんよ」
「正しく伝承の戦、腕が鳴る」
「六元分割なんざ引き起こしやがった均衡の使徒は、ぶん殴ってやらねぇと気が済まねぇな」
いつもの狩りと変わらない調子で、彼らはこの世界の主神の使徒を包囲する。
その中心で、またしても白銀の塊が告げる。
「多数の敵対意思を確認した。これより…」
全てを言い切る前に『木狩りの名手』の一矢が放たれ、白銀の大盾に遮られる。
それを合図に、勇敢な戦士達が一斉に襲いかかった。
僕の肩をもう一度掴んで、父の親友は言う。
「オレ達は退くぞ、里に戻ってすぐに古き森を目指す。お前はお前の役目を果たせ」
そして、父は背を向けたままで言った。
「戦士よ、行くがいい」
僕は何も言えなかった。
動けなかった。
死に直面した先程の後悔とは、別の後悔に囚われている。
僕のせいだ。
僕がこの一族を巻き込んだせい………。
ドグンッ!!
鼓動が、強く僕の心を打ちつけた。
それだけで伝わった。
これは激励だ。
逞しく、優しい響き。
『若き木狩りの戦士』は、強かった。
「父さん、御武運を」
これは彼の言葉。
彼が自らの意志でこの身体を動かして発した言葉だった。
僕は『僕』ではない。
そう、『伊豆野 夏』ではいけないのだ。
僕は『若き木狩りの戦士』だから。
彼のように、強くなる。
「へっ、馬鹿野郎、族長と呼べ」
その背を目に焼き付けて、若き戦士は走り出した。
「あばよ、ボウズ」
戦士、そう呼ばれるようになった。
戦士になって、族長と呼ぶようになった。
嬉しかった、誇らしかった。
でも今は、それ以上に誇らしい気持ちになっている。
父さんと呼んでいた、ボウズと呼ばれていた。
あの父の子であることを、僕はいつまでも誇りに思うだろう。
方々から笛の音が聞こえていた。
この音を耳にすることになるなんて、『若き木狩りの戦士』は想像もしていなかった。
緊急警笛。
全ての住人が隊に分かれて里を離脱する。
脱出経路はバラバラで、それぞれが古き森かバルゴンディア王国を目指す。
僕と『木狩りの名手』は、母さんがまとめ上げた隊列のもとに辿り着いた。
母の顔は、緊張に強張っている。
「準備は完了しています」
母さんは、父さんのことを尋ねなかった。
父さんも、母さんのことを頼まなかった。
覚悟、信頼、今までの僕に足りなかったもの。
僕がこれから手に入れなければならないもの。
「行けッ!!!」
突然、父の親友に突き飛ばされた。
振り返る。
まただ。
また、そこに背中があった。
父の親友、『木狩りの名手』の背中。
その奥には開かれた空間。
白銀の戦士が歩み出てくる。
燃え立つような赤い髪と、白銀の仮面。
ところどころ褐色の肌が露出した、白銀の軽鎧。
両手の白銀は、二振りの短剣。
「我は天秤」
涼しげな声音には心が無く、寒々しい。
「均衡の定めし律に因りて、敵対勢力を誅殺する」
白銀の戦士が二振りの短剣を打ち鳴らすと、その剣身は炎に包まれた。
そこから零れ落ちた火炎が『天秤』の背後を躍り、徐々に勢いを増して燃え広がっていく。
これも、この『天秤』も化け物だ。
逃がさないと、守らないと。
父のように。
今度は僕が戦士としての務めを果たす。
母を振り返ると、あのいつもの微笑みを浮かべていた。
母さんは、僕の手を引いてそのまま強く抱き締めた。
「お名前を教えておいてくれる?」
母さんは耳元で囁いた。
はぐれるかもしれない、ここで別れて、もう二度と会えなくなるかもしれない。
「………伊豆野 夏です」
「そう、不思議な響き、異国のお名前ね」
「我が息子、ウィル」
「我が娘、イズノナツ」
『母、ルーナがこの生を以ってその魂に命じます』
「待って母さん」
その意味は知らなかった。
ぎゅっと強い抱擁で抑え込まれる。
「ダメだよ母さんっ!!!!」
でも、何が起こるのかわかってしまった。
『今は逃げなさい』
魂に刻まれた。
『生き延びなさい』
魂に刻まれた。
『そして、自分のやるべきことをやるんですよ』
魂に刻まれた。
母さんは僕の耳元から顔を離し、目の前でにっこりと笑った。
その笑顔も、『伊豆野 夏』と『若き木狩りの戦士』の魂に深く深く刻まれた。
だからこの日、僕らの戦う理由が増えたのだ。
戦う理由が、増えてしまった。




