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運命改変アクションRPGを全クリしたんだが  作者: 子泣地頭
あらすじ、資料置き場
2/88

歴史資料(戦乱期→統一期→均衡期→)

 ※※※ネタバレ注意※※※


 本編で語られた歴史についてまとめていく予定の、作者が忘れてしまわないための資料です。(※その予定だったのですが、本編未登場の余計な文章を書きすぎてしまいました)


 このページの更新頻度は、微妙な感じになると思われます。


 本編未読の方は、こちらの資料を読まないことをオススメ致します。


 ですが、案外、本編未読のほうがおもしろいかもしれない、と思ってしまいました。


 ご自由にお読みください!







『はじめに』


 本資料は、歴史区分に従って、古い順に記載されております。

 歴史区分については、究学院式の呼称を主に用いて、その他一般的な呼称を併記しております。

 一般的な呼称の中には、統一王を重視する見方であったり、均衡神を重視する見方であったりと、中立性に欠ける呼称が散見されるため、究学院式の呼称を主に用いることと致しました。


 もちろん、究学院という組織が決して中立的なものではない、ということは、ここに明記させていただきます。

 究学院という組織は、かつては魔導ギルドの庇護下において運営されていたため、魔導神を信奉する者たちの思想から、少なからず影響を受けていたものと推察されます。

 しかしながら、究学院の学徒たる者は、いかなる組織にもおもねることなく、ただただ自らの学問を追求する、そのような者たちであります。

 そうでなくては、究学院という組織に籍を置くことなど、ないはずなのです。


 近年の「魔導消失」によって、究学院は魔導ギルドというパトロンを失いました。

 大変残念なことに、かつての熱心な学徒たちは、それによって自らの学問を様々な国や組織に売り渡し始めてしまったのです。

 究学のための学問であったものの多くが、たった数年で富や売名のための学問になってしまいました。

 本資料は、「魔導消失」以前の究学院の理念を継承する、最後の歴史資料となってしまうのかもしれません。






『歴史区分解説』


 歴史区分は以下のように構成されております。


戦乱期→統一期→均衡期→対立期→天変期→現代


 本資料(上巻)では、戦乱期〜均衡期までの三つの区分のみを取り上げております。

 対立期〜現代までの解説は、またの機会(下巻)にまとめさせていただきます。




・戦乱期(約7000年前〜2826年前)


 統一王の信奉者からは「先史時代」、均衡神の信奉者からは「神代の昔」と呼称される。

 当時の文献が現存している中で、最も古い歴史区分にあたる。

 しかしながら、この戦乱期は統一期以前の歴史区分にあたるため、当時の文献に使用されている文字は、「統一文字」とは異なるものなのである。

 文献自体も数が少なく、この戦乱期という時代の研究は、統一期以後の資料に頼らざるを得ないのが現状である。

 なお、究学院においては、この戦乱期よりも前の歴史区分を、便宜的に「運命期」と呼称している。

 その時代の文献は残されていないものの、多くの神話伝承が、かつてこの世界「バローグ」の主神の座に運命神があったことを示唆しているためである。


 かつてのバローグには六元が混在しており、大地は「海」によってバラバラに分かたれていたという。

 現在は、「六元分割」による大陸結合が為されてから六百年あまりが経過しており、にわかには想像しづらいことである。

 人の居住域として、ワーレンディア、コルサーラ、メセドナという主要三大陸が存在し、その他の小大陸と多島海域においても、人々が生活を営んでいたようである。

 造船、渡海技術は、この戦乱期には既に成熟しており、人や物の流れは、海運によって今以上に発達していたのではないか、ともいわれるほどである。

 この辺りの認識を誤ってしまうと正しい歴史観を身に付けることが叶わないので、留意されたい。


 この、戦乱期として一括りにされる長い時代は、驚くほど多種多様な民族が入り乱れ、多くの国々が興亡を繰り返していた時代であった。

 自国、自民族の利益を最優先し、領土の拡張、資源の獲得に躍起になる。

 それ自体はいつの時代もそう変わりないことではあるのだが、その後の時代に「統一」を経験したバローグの住人たちの間では、他国の人であっても「同じバローグ人」という意識が存在している。

 しかし、この戦乱期にはそのような意識は皆無であり、他民族をいとも容易く奴隷化し、他国人に対する敵意も強い国々が多かったようである。


 戦乱期の始まりについては諸説あるが、神話上、戦乱神が引き起こしたといわれる「神座争い」の始まり(およそ7000年前〜6000年前)をもって戦乱期の始まりとする説が、究学院内において多くの支持を集めている。

 戦乱期の終わりについては、究学院内の意見は概ね一致している。

「統一王の初陣」をもって戦乱期の終わりとし、統一期の始まりとする説である。




・統一期(統一紀元前15年〜統一暦16年)


 統一王の信奉者から「バルゴンディア時代」、均衡神の信奉者から「大動乱」と呼ばれる時代である。

 片や、信奉する王が興した国の名を冠して呼称し、もう一方はそれを動乱と断じている。

 この大変わかりやすい構図が、実におもしろい。

 件の時代においても、両勢力はかくの如く対立していただろうことが容易に察せられる。

 しかしながら、両勢力におもねることがない(ないはずの)究学院においては、この時代を「統一期」と呼称している。

 かの時代の主役が誰であったのか、という問いは、どんなに議論を尽くしても概ね一つに結論が絞られる、そういう類の問いなのである。


 この統一期という歴史区分は、「統一王の初陣」をもって始まりとされる。

 もっとも、その当時は未だ王という身分ではなかったため、より正確に表すならば、「後の世に統一王と呼ばれる男の初陣」となる。

 旧バルゴンディア統一暦(以下、統暦)に照らせば、「統一王の初陣」は、統暦元年から15年前の出来事である。

 その後、統暦元年の「バローグ統一王朝バルゴンディアの建国」を経て、統暦2年、未だ世界史上最大の謎である「統一王の横死」となる。

 旧バルゴンディアの王都は一夜にして失われ、王の亡骸はついに見つけられることが無かったという。


「統一王の横死」に関する当時の文献は、各勢力の思惑に色濃く染まったものばかりであり、信憑性の高い確たる資料というものが定まっていないのが現状である。

 しかしながら、ある一定数共通して見られる事項として、「バローグの災厄」の存在が示唆されているということは、ここに付記しておくべきであろう。

「バローグの災厄」については、一部の学徒により、究学院内でも執念の研究が積み重ねられてきた。

 その研究によれば、現存している文献の内、「バローグの災厄」について記されているものは、全て「統一王の横死」以降のものになるという。


 統一期の終わりは、「統一王の横死」によっては未だ訪れない。

 その直後、必然的に勃発することになった「後継者戦争」も、この歴史区分に含まなければならない。

 このとき、もしも統一王朝の後継者の座を勝ち取るものがいたならば、統一の時代はしばらく続いた可能性もあるからである。

 実際にはそれは実現しなかったものの、各国各勢力の間には、明確な統一への意志があったようである。

 しかし数年の内に、人々はこの時代の真の勝者が均衡神であることを思い知るようになった。

 統一期の始まりより31年後、統暦16年の「旧臣会談」をもって「後継者戦争終結」となり、この短くも極めて重要な時代に幕が下りることとなった。




・均衡期(統一暦16年〜1357年)


 統一王の信奉者からは「バルゴンディア諸国時代」、均衡神の信奉者からは「大神の御世」と呼ばれる。

 いかなる勢力にもおもねることのないはずの究学院においては、「均衡期」と呼称している時代となる。

 統一期の終焉である「後継者戦争終結」の理由を鑑みれば、その次の時代となる歴史区分に均衡の名を冠するのも当然といえよう。

 短期間でこの世界に急激な変化をもたらした統一期とは対照的に、この均衡期は千年以上の長きに渡った。


「統一王の横死」によって世界は再び諸国家諸民族に分かたれていたものの、統一王が起こしていた長大な奇跡により、この世界は「汎バローグ文明」とでも呼ぶべき状態に統一されていた。

 統一期、既に「統一王の征服」の過程で異なる民族間の交流は進んでいたわけであるが、「統一王の奇跡」は、多民族、多文化の大合流を一足飛びに推し進めることを可能にした。

 その統一期の礎のもとに築かれた均衡期は、人々に緩やかで着実な文化の成熟をもたらしたのである。

 各国家間における国力の均衡は実に精妙に保たれており、その当時未だ海によって隔たれていた主要三大陸の間においても、文化、技術の発展度合いに大きな差異は見られなかったという。


 しかし、余りにも長く正確な均衡が保たれたそのことが、この均衡を崩す要因となっていく。

 人々の均衡神への信仰がより強固なものになるにつれ、必然的に主神教会が台頭することとなってしまった。

 均衡神の信奉者の増加が、主神教会の財力、発言力を強めたわけである。

 均衡期の終わり頃、主神教会は多くの国家で権勢を振るうようになり、意に沿わない王の信仰心を否定し、破門を言い渡して玉座から追放するという事件すら起こった。

 均衡神の信奉者は未だに否定し続けていることではあるが、この時期には多くの無辜の民が信仰裁判にかけられ、家財のみならず、命すらも奪われている。

 主神以外の神々に信仰を捧げることを悪とし、自国の民に対して弾圧を行った国々が存在したのである。

 しかしそれでも、商売神や鍛治神などの信奉者、つまり商人や専門職に従事する者たちに限っては、ほとんどが黙認されていた。


 主要三大陸の内、メセドナ大陸においては、統一王の信奉者たちが多数派であったため、上記のような主神教会の横暴は行われていなかった。

 ただしメセドナ大陸の場合、案の定というべきか、統一王の信奉者と均衡神の信奉者の対立が激化していったのである。

 主神教会が台頭していたのは、主にワーレンディア大陸と、コルサーラ大陸においてであった。

 特に、コルサーラ大陸における主神教会の影響力は絶大であり、その当時は彼の地に主神教会の総本山が設立されていた。

 後の時代の「六元分割」によって全ての大地が結合されている今日でも、かつてコルサーラ大陸であった地方には、主神教会の影響力が未だ根強く残っている。


 そのような情勢にあったため、コルサーラ大陸という地は、次の時代の幕を開けるのに充分な素質を持っていたといえよう。

 統暦1357年、長き安寧の均衡期の終わりが訪れた。

 コルサーラ大陸に存在した主神教会の総本山が、邪神と呼ばれる一柱の神と、その第一の使徒の急襲を受け、たった一日で潰滅したのである。

 バローグ全土が再び戦火に包まれた「八百年やおとせの戦」の幕開け、つまり、対立期が到来したのであった。





『作中描写』


歴史区分


戦乱期→統一期→均衡期→対立期→天変期→現代


 この項目につきましても、本資料では戦乱期〜均衡期までの三つの区分のみを取り上げます。



(この項目では、本編中で歴史について語られている文章を、歴史区分ごとに抜粋してまとめていきます)

(完全なるネタバレですので、本編未読の方はご注意ください)

(この項目は、ちょっとずつ更新していく予定です)





・戦乱期



「2キャラ目、歴史の勉強」より、『邪剣』のセリフから抜粋


 ーーー先代の「均衡」、邪神様いわく、均衡のジジイとは、それよりも更に更に古い時代に、「神座争い」を制したほどの力ある神であった。

「神座争い」、それは、その世界の主神の座を巡る、神々の大戦。

 それまでは、バローグの主神を務めるのは「運命」であったのだが、均衡のジジイは神々の争いに勝利し、主神の座に昇り詰めたのだ。

 先代の「均衡」とは、この世界に「均衡律」を定めた張本人であった。


 さて、均衡ジジイの「均衡律」が定められて、ずいぶんと長い年月が過ぎていた。

 誰もが「均衡律」を当然のものとして受け入れていた時代に、一人の男が現れる。

 その男は、均衡ジジイの定めた「均衡律」に疑問を持った。

 当時の世界は、各地に国々が乱立する、戦乱の時代。

 国々が相争い、神々が介入し、民族が流動することで、結果的に世界全体の力の均衡が保たれる。

 戦火による均衡であったーーー





・統一期



「2キャラ目、歴史の勉強」より、『邪剣』のセリフから抜粋


 ーーー男、のちに統一王となる、たかだか小国の一兵士は、大それたことに「均衡」とは別の方法を志す。

 即ち、統一。

 たとえ一度はバローグ全土に戦をもたらすことになろうとも、統一の後には必ず平穏が訪れる。

 男はそう信じて、立ち上がった。

 しかし均衡のジジイは、「人の世の統一が後にもたらすものは、世界全体の均衡を大いに乱すものだ」と、神々に向かってそう宣言する。

「バルゴンディア時代」、「統一期」、「大動乱」などと呼ばれる時代の始まりだった。


 そして、男はある神の寵愛を受けることになる。

 その神は、「運命」を司る女神。

 当時の「運命」は、怠慢小娘の前任者、つまり、今ではもう先々代にあたる。

 代替わりしているとはいえ、「運命」とは、かつての主神。

 その「運命」が、「均衡」に挑む一人の人間に寵愛を授けた。

 それによって、事態は「神座争い」にも似た構図になってきた。

「運命」につくか、「均衡」につくか、はたまた自分が新たな勢力として旗を挙げるか、神々も決断を迫られた。

 一人の人間が始めた戦いは、いつしか全ての神々をも巻き込んでいたのだ。


 ちなみに、当時の邪神様はまだ封印もされておらず、現役で暴れ回っておった。

 我はまだ邪神様の一部で、自我も持っていなかった。

 だからこの記憶や知識も、邪神様から頂いたものなのだ。

 まぁ、このような上辺の事情を知っているだけで、実際の記憶を与えてもらったわけではない。

 そして邪神様は、均衡のジジイとの間で結んでいた古き盟約により、同盟という立場で「均衡」の側に与しておった。

 …………統一王との戦いの記憶は、特に秘め事として自分だけのものにしておるようだぞ。


 だから詳細についてはわからんが、有能な配下や、神の助けに恵まれて、その男は、ついにバローグの統一を果たした。

 そして、バローグ統一王朝、バルゴンディア王国の建国を宣言する。

「均衡」は敗れた。

 統一王は人々の信仰を集め、現人神へと昇り詰めるのも時間の問題かと思われた。

 人の王を経て、人の身でありながら主神の座へ。

 多くの神々もそれを認め、前代未聞の出来事に、ある種の期待も持っていた。

 新しい政、新しい時代の到来。

 だが、それは余りにも短い栄華であった。


 統一王は死んだ。

 殺害された。

 殺したのは、統一王の弟だった。

 最初の味方が、最後の敵となった。

 そう仕向けたのは、均衡のジジイと邪神様。

 統一王の急死により、王国は割れる。

 後継者争いが起こり、群雄が割拠する。

 一度は統一された世界、派閥や民族によって、統一前の状態よりもはっきりとした国々に分かたれた。

 そう、それ以前よりも、力の均衡が保たれることとなったのだ。


 均衡のジジイは、敗北などしていなかった。

 それぞれの国には、妥協できる広さの国土があった。

 統一により編成された戦力が、充分に分け与えられていた。

 全てはこの均衡の為であったかのように。

 それに気が付いた神々と人間たちは、戦慄した。

 再び統一を目指そうとする者は、現れなかった。

 その代わりに、とある一国を「中つ国」として認め、バルゴンディア王国の名を後世に残すこととした。

 統一王が偉大であったことだけは、誰もが認めていたのだ。


 ちなみに「運命」は、いつの間にか代替わりしていた。

 新たな運命の女神は、その動乱の中で何もしなかった。

 神域に引きこもり、人々の呼びかけにも応じず、神々とも交わろうとしなかった。

 それどころか、その後どの時代においても、バローグの世界に影響を及ぼそうとしなかったのだ。

 やがて、「運命神は働かない」というのが、バローグ中に常識として知れ渡ることとなった。

 かつて「運命」が主神の座にあったことなど、忘れ去られていったーーー





・均衡期



「2キャラ目、歴史の勉強」より、『邪剣』のセリフから抜粋


 ーーーそして、「均衡」の隆盛が訪れた。

 時は流れていき、神々も人々も、統一の夢から覚めていく。

 国々の争いはいくらか落ち着いて、それぞれ

 政に精を出すようになった。

 もはや誰も、「均衡」に逆らおうとする者などいない。

 よって、古き盟約が真に果たされるべき時が来たのだ。

 均衡のジジイと邪神様の間で結ばれていた盟約。

「均衡が極まった状態、それは真の意味での均衡ではない。真の均衡とは、均衡を崩しうる要素を内包すべきもの」

 それが均衡のジジイの考えであった。

 均衡が極まった時、邪神様は均衡を崩す要素に転ずる。

 それが古き盟約ーーー




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