1キャラ目、31日
なにか黒いものが見えた。
いや、見えない。
見えなくなった。
小川に向かっていたおれの足は立ち止まっていた。
おかしい。
なんだこの感覚。
小川よりも先、湿地帯までの間に、なにかがいる。
『万眼』の能力でそれを見つけた。
漆黒だ。
そこに漆黒のなにかがいる。
いや、いない。
なんだ?
なにかが見えたと思ったその瞬間に、それが見えなくなる。
なんなんだこれは?
何の変哲もない風景に、違和感が生じる。
なにかが見えた気がした。
なにかを見てしまったはずだった。
でも、忘れてしまった。
風景の一点が漆黒に塗り潰されている。
漆黒なんてどこにも無い、ただの風景に戻る。
『万眼』の能力をもってしても、たった一瞬しか見えない存在。
そんなものが、そこにいる。
ともすれば、そこに見えたことすら忘れてしまいそうになる。
いや、忘れた方がいい。
忘れるべきだ。
あぁ、そうか。
おれは立ち止まったわけじゃない。
足が竦んでいるのだ。
これは恐怖だ。
また漆黒が見えた。
そして見えなくなる。
あれは潜んでいる。
『万眼』でなければ、そこになにかがいることすら気が付かない。
ぞっとした。
まるで、夜道の中に見てはいけないものを見てしまったかのような恐怖。
恐怖だ。
自分が何をそんなに恐れているのかわからない。
恐怖が際限無くわいてくる。
もうあれを見ない方がいい。
あれはやばい。
あれは人にどうにかできるものじゃない。
逃げないとだめだ。
絶対に勝ち目なんて無い。
いやだ。
こわい。
逃げ出したい。
だというのに、『万眼』が見るのをやめない。
漆黒がある。
なにもない。
見えたと思ったら、見えない。
なにかあると思ったら、それを忘れる。
恐怖に支配されているのに、『万眼』がおれに『視せる』のをやめない。
恐怖、だけではなかった。
別の感情もわいてきていた。
身体が震えている。
おれは恐くて耐えられない。
足が動かない。
限界だ。
感情が爆発しーー。
「殺せ!!!!!!」
「奴だッ!!!!」
「殺せ!!」「殺せ!!」「奴を殺せ!!」
「殺せ!!」「殺せ!!」「殺せ!!」
「奴だッ!!」「殺せ!!」「奴だッ!!」
「殺せ!!」「殺せ!!」「許さんぞ!」
「殺せ!!」「殺せ!!」「奴だッ!!」
「殺せ!!」「許さんぞ!!!」
「奴を殺せッ!!!」
「奴を殺せッ!!!!」
「奴を殺せッ!!!!!」
「奴を殺せッ!!!!!!」
『無明』の怒りが身体に溢れた。
熱い。
血が熱い。脳が熱い。肺腑が熱い。臓物が熱い。四肢が熱い。
記憶が暴発した。
槍ーー
「槍の名は万眼、この相棒を決して手放してはならない」
そしてーー
「そして、奴を必ずこの手で殺す」
奴をーー
「奴を今ここで殺すッ!!!!」
恐怖に支配されていた身体が激怒と憎悪に灼かれていく。
無明に残された記憶が猛り狂う。
無明はこの為に生きていた。
この怒りが無明を生かしていた。
万眼が激情に応える。
万眼はその為にここにいる。
『視界』を幾重にも重ね、一点に向けて凝縮していく。
万の眼が、憤怒を湛えてそれを『凝視』する。
『奴』が『視え』た。
風景の一部が、どの角度から見ても『漆黒』に塗り潰されている。
『漆黒』を纏う者がそこにいる。
『無明の万眼』が討ち果たすべき仇敵。
滅ぼすべき宿敵がそこにいた。
見えているのに、見失ってしまう。
そこにいるのに、忘れてしまう。
見えない。
忘れる。
それを認識できない。
その存在に、認識が辿り着かない。
それなのに、言い知れぬ恐怖と不穏な絶望に心身が侵されていく。
『奴』には敵対すらできない。
『奴』を知ることさえ叶わない。
『奴』に立ち向かうなど到底有り得ない。
地を這う蟻に突然降り落ちる人間の足。
潰される蟻には、それが本来の存在のほんの一部分でしかないことすら、わからないだろう。
『奴』はきっとそんな風にして命を潰す。
そんなモノが、この世界にいる。
おれはこの世界のことを、何一つ知らなかった。
だが、知ってしまった。
おれは『奴』を知ってしまった。
認識できないはずの存在を、知ってしまった。
『運命』が、『改変』されていく。
おれはもう知っている。
今この世界には1人しかいない、それを知っている。
『無明』が絶対に忘れない。
立ち向かうことすらできないはずのその存在。
『万眼』が決して見逃さない。
立ち向かうことができるのは、この世界に1人しかいない、おれは、それを知っている。
『無明の万眼』が『奴』の存在を許さないということを、おれだけが知っているッ!!!
やるしかない。
今、ここで、やらなければならない。
おれの恐怖は無明の怒りがかき消している。
おれ1人では、立ち向かうことなんてできないだろう。
『奴』を知ることもなかっただろう。
知らない間に『奴』に潰されていたのだろう。
それを想像すると正気を失いそうだ。
おれは1人じゃない、無明と万眼がいる。
大丈夫だ。
それならおれは、戦える。
戦力の差は決定的。
アレはきっと、戦ってどうこうできるもんじゃないだろう。
それでも、行く。
無明と共に、噛み締める。
万眼と共に、敵を見据える。
風景の一部が『漆黒』に塗り潰された、異様な景色。
動いている。
その『漆黒』はそこに存在している。
『漆黒』に巨大な目が浮かび、ギョロリと瞳が蠢いた。
それに見られた。
見られた。
見られてしまった。
おれは逃げ出した。




