氷の霊獣
「って、勝てるかーッ!」
無情にも戦闘開始を告げる声が響いた後。
セレッソとローロ、グルージャの三人は声に向かって抗議の叫びを上げながら、広間を全力で走っていた。
そんな三人を追いかけるのは氷の霊獣だ。
氷の霊獣は口から鋭い氷の牙を覗かせ、その隙間から凍てつくような白い息――実際には呼吸はしていないので別の何かだろうが――を吐いていた。
まさに死。
見た者にそれを錯覚させるような姿に、セレッソ達の顔も引きつる。
「どうしてこんな事になってしまったのか説明頂きたいですわ! 切に!」
「セレッソ何したんだ!」
「セレッソ何したの!?」
セレッソが誰にともなく説明を求めた結果、グルージャとローロが口を揃えてそう言った。
自業自得である。
「濡れ衣! 濡れ衣ですわ! わたくし、何もしていませんの! いませんの! 多分!」
「最後に多分を付け足したな、よし洗いざらい話せ! 今なら許さん!」
「許されない! 話しても許されないですの!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら三人と一匹は広間をグルグルと走り回る。
このまま走り続ければ、いずれ溶けてバターにでもなってしまうのでないかというような勢いである。
だがしかし、何だかんだで走りながら話す余裕がある程に、体力的にはまだまだ大丈夫そうだ。
「でもわたくしが今回やった事なんて、氷漬けの戦斧を氷漬けの部屋から引き抜いた事くらいですわよ?」
「うん、言っておいて何だけど、僕が知っている限りでは今回はセレッソそのくらいしかしてないね」
「ローロさん、酷いですわ!」
「あ、あはは、ごめん。何か、つい」
むくれるセレッソに、ローロは困ったように笑って謝った。
この場にベナード隊の騎士達がいたら、ローロの気持ちが痛いほど分かるだろう。
それはグルージャにも同じようで、二人のやりとりに苦笑ししながら謝った。
「そうか、そいつは悪かった。今までの事を考えると、お前が何かしたんじゃないのかって思っちまってな」
「うう、酷い濡れ衣でしたわ……! 何かするのはまだまだこれからですのに……!」
「待て」
半眼になるグルージャに、セレッソは胸を張って頷く。
今さら何を、とでも言いそうな表情である。
「そもそも、わたくしの目的はまだ達成されていませんし」
「せめて関係ありそうな所には事前に相談してくれ。 報連相って知ってるか?」
「ホーレンソー? 薬草か何かですの?」
初めて聞いた言葉ですわね、とセレッソが首を傾げる。
報連相、つまりは報告、連絡、相談の三行動の事である。
どんな些細な事であっても、これをやるかやらないかで大分変わる。
例えば、些細なミスが大きいトラブルに発展するのを未然に防いだり、トラブルになっても最小限でとどめる事が出来る――――かもしれない。
未来は不確定要素の塊のため絶対とは言えないが、事前の心構えがあるかないかでは大分違うのだ。
誕生日のサプライズならば嬉しいが、揉め事のサプライズなどグルージャは真っ平だった。
「今後の対策が取りやすくなる食べられない薬草ってとこだな」
「わたくし、食べられるものがいいですわっ」
セレッソが腹に手を当てる。
ここへ来る前に雪かきで体を動かしていたので腹が空いたのだろう。
結局、休憩も取れていないのだ、何か温かい物でも食べたり飲んだりして一息つきたい。
とは言え三人の背後から迫る氷の霊獣は、そんなセレッソの心情など考慮してくれるはずもなく。
何かを食べるどころか、逆に食べられそうな勢いだ。
もっとも氷の霊獣や氷の獣はそういった物理的な食事は必要なさそうではあるが。
「ま、まぁまぁ、それについては後にしようね、二人とも。今、後ろ、凄い顔して追いかけて来るのいるから」
「本当に凄い顔して追いかけて来ますわね……どうしてこんな事態になったのか全く理解出来ないですけれど。ホーレンソーが必要ですわ!」
「お前が言うな。だが、そうだなぁ。あの声の言葉の意味も、いまいち良く分からんな」
矛先は自分達をここへと呼んだ声に向けられた。
三人は眉間にシワを寄せながら声の言葉を思い出す。
「うーん、戦力が足りないからって僕を引っ張り込んだ割には、僕だけじゃ手に負えないレベルの相手だと思うしね……」
「でも声的にはローロさん一人を引っ張り込んで、戦力互角くらいにしたつもりなんですわよね?」
「最初に聞こえた言葉からすると、そうだと思うよ」
「何だ、何か思いついたのか?」
「ローロさん一人で戦力が互角という事は、つまり――――もしかして、見た目よりも意外と簡単に倒せるのでは?」
セレッソがちらり、と後ろを見る。
つられてローロとグルージャも同じように氷の霊獣を見た。
少しばかりの沈黙。
自然と視線を交し合う三人。その目には僅かに希望と期待の光が浮かんでいた。
ローロが無言のまま氷の霊獣に振り向く。
そして力を溜めるように足に体重を乗せると、氷の霊獣に向かって構えた剣を力強く振り抜いた。
――――ガキン!
ローロの放った渾身の一撃が氷の霊獣の顔を抉り、その体と同じ氷の大きな耳を斬り飛ばす。
氷の耳は天高く跳ね上がり、光降り注ぐ天窓にぶつかり、ヒビを入れる。
その時、ほんの一瞬ではあったが氷の霊獣が動きを止める。
そしてその体がその場に溶けるように、すう、と消えかけたのだ。
三人が「おお」と揃って歓喜の声を上げる。
――――が。
だが、それだけだった。
氷の霊獣は何事もなかったかのように直ぐに三人に追いかけ始めたのだ。
しかも心なしか先程よりも走る速度が速い気がする。
「無理!」
「無理でしたわ!」
「無理だな!」
むしろ状況が悪くなっている気がする。
慌てて走るのを再開した三人は頭を抱えた。
「やっぱ硬いな、あいつら。そもそもどういう判断で戦力一人、足手まとい二人の割合にしたんだ? 一人の負担がでかいぞ、ホント」
「うーんうーん、とすると、正面から戦うという事ではないのかしら?」
唸りながらセレッソは広間を見回す。
走りながらなので細かな部分は見え辛いが、奥に扉がある事と、天窓から光が降り注いでいる以外、特に気になるものはない。
扉を開けて向こうに逃げれば、とも思ったが氷の霊獣との距離を考えると厳しい。
扉を開けようとしている間に食らいつかれる。そもそも扉が開かない仕様だったらジ・エンドだ。万に一つ開くとしても試すには時間的な余裕がない。
とすれば残るは天窓だ。
「あの天窓から降る光で氷の霊獣は出現したんですわよね」
「天窓?」
セレッソの言葉にローロとグルージャも同じように天窓を見上げた。
天窓からは先程と変わらず、青色、水色、白色の光が雪のように降り注いでいる。
「――――出現したな」
「しましたわよね。それで、先程のローロさんの攻撃で天窓にヒビが入って姿が消えかけた」
「とすると……氷の霊獣を倒す鍵は、あの天窓って事になるのかな?」
降り注ぐ光こそ変化はないが、天窓にヒビが入ったあの一瞬、確かに氷の霊獣の姿は消えかけた。
あの天窓を割るなり何なりすれば、氷の霊獣を倒す事が出来るのではないか。
そう考えたセレッソとグルージャがニヤリと笑う。
「ほうほう」
「これはこれは」
「うん、二人とも、顔が怖いよ」
苦笑するローロだったが、氷の霊獣を倒せるかもしれないという事に、少し希望を抱いたようだ。
先程と比べると表情が明るくなっている。
「問題は天窓までの高さか」
「幾つも投げれば一つくらいは当たる感じかしら」
「氷の霊獣を踏み台に出来たらいいんだけどなぁ」
「位置を誘導して、そのタイミングで天窓にヒビを入れて動きを止める――――って結構縛りきついね。それはそれとして、投げるものはどうする?」
「奴さん削るしかねぇな」
「壁にぶつけて割るっていうのもありかもしれませんわよ」
「ありだな」
セレッソが壁に目を向けて言う。
渾身の力を込めたローロの一撃で削れたのだ。あれと同等くらいの勢いがあれば氷の霊獣の体を砕くことが出来るだろう。
その間に氷の霊獣が弱ってくれればなお良し。
「こんな所で息絶えたなんて洒落になりませんもの。美味しく頂かれて樹氷石みたいになるつもりはありませんわっ」
「樹氷石か。それは僕も困るなぁ」
ローロがくすり、と笑う。
グルージャもカラカラと笑った。
そして三人は目で合図し、頷き合う。
「それじゃあ一つ――――割ろうじゃないか!」
「「応!」」
グルージャの掛け声と、それに応えるセレッソとローロの声は、広間に力強く響き渡った。




