怪しいお嬢さん
このアルディリア王国は世界地図上では北に位置する大陸に存在する。
一年を通して気温が低く、国土の半分を雪と山に覆われたこの地で育つ植物は限られ、また海からも遠く離れた内陸にある為に、食料の半分を他国からの輸入に頼っている。
食料を輸入に頼るという事は、それを盾に無茶な要求を出される可能性もあるという事でもある。
如何に理不尽な要求でも『食料を止めるぞ』と脅されれば、要求を突っぱねた場合に大勢の国民が飢え、命を落とすことになりかねないのだ。
その状況を何とか改善しようと、今の王は農作物の収穫量を増やす為にアルディリア中の村に温室などを設置したり、農業に携わる生産者達に補助金を出したりと、様々な政策を実施している。
王の政策はかねがね好意的に受け取られ、その成果もあってか年々少しずつだが収穫量は増えてきていた。
それでも、まだまだ足りないのである。
そんなアルディリアではあるが、他国に誇れるような物ももちろん存在する。
まずは糸や布だ。寒い土地柄であるからこそ、そこに生きる動植物も寒さから身を守る術を持っている。
その中の一つがアルディリア綿花だ。
アルディリア綿花とは、まるで毛玉のようにも見える綿の花が咲く多年草の植物だ。
毛玉のようにも見える綿は耐寒性と保温性に優れ、それで中の種を包み寒さから守っている。
その繊維を糸にして織ると美しく手触りの良い柔らかな白色の布が出来上がるのだ。
通称『アルディリア織』と呼ばれるそれは、その美しさと耐寒性、保温性に加え、アルディリアでしか育たない綿花から出来ている事もあって、他国では高額で取引をされている。
次いでは『シュガーシロップ』と呼ばれる樹液だ。
これはアルディリアに多く生える『アルディリアカエデ』と呼ばれる白い樹木から取れる樹液から作られる甘味料だ。
独特の風味があり栄養価も高いという事で、アルディリアでは日常的に食べられている。
アルディリア以外でも似たようなものはあるが、アルディリア産のものが最も味も色も良い。
順番に数えて行けばアルディリアにもアルディリアなりに良い物は色々と存在するのだが、大体これが無茶な要求を出される原因ともなっている。
特にアルディリア織は、他国の貴族の間では祝い事や出産祝い等の贈り物として人気がある為、その最たる例となっている。
これらに対する万が一の為の抑止力として、アルディリアは騎士の育成にも力を入れていた。
こちらから攻め入るつもりはないにせよ、万が一の時はこちらにも考えがあるぞ、と他国に対して見せかけるである。
他にもアルディリアには厳しい自然環境で生きていく上で、獰猛で、かつ賢い獣達も存在する。
時として人を襲う獣達から国民を守る為にも腕を磨いている騎士達のおかげで、アルディリアが有する騎士団は優秀であると、評判だった。
――――だが。
「ベナード隊、ベナード隊……あっここですわね!」
コンタールの町を、首筋でまとめた銀髪をサラサラと揺らしながら歩いていたセレッソは、目的地を見つけて足を止め、嬉しそうにその青い目を輝かせた。
彼女の目の前には赤いレンガ造りの二階建ての建物がある。
民家とは少し違い突き出た玄関口のドアの上には金属のプレートで『ベナード隊』と書かれていた。
「うう、緊張しますわ……!」
そう言いながらも声は弾んでいる。
セレッソはドアの脇にある呼び鈴を引いて鳴らした。
誰かが中にいるようで、ドアの向こうからは足音が聞こえた。
相手を待つ間に彼女の事を紹介しておこう。
彼女の名前はセレッソ。歳は十八。首筋のところでリボンで纏めたサラサラとした銀髪に青い瞳が特徴の、見た目だけはどこか儚げな雰囲気の少女だ。
着ているのは上品なデザインのグラスグリーンの上着に、アッシュローズのスカート。ブラウンのタイツとスカートと同じ色のブーツ。その上からふわふわとしたフード付の白いコートを羽織っている。
どこぞのお嬢様のような出で立ちではあるが、両手に軽々と重そうなトランクを二つ抱えている所を見ると、儚い雰囲気などは吹き飛びそうだった。
セレッソは今、このコンタールの町を守る騎士隊の隊舎の前に来ていた。
「はいよー、どちらさん?」
少し待っていると、隊舎のドアが開き中から一人の男が出てきた。
セレッソよりも背が低い整った顔立ちの男だ。
歳は二十代半ばだろうか。後ろでゆったりと一本三つ編みにした焦げ茶の髪と、ややツリ目気味の茶色の瞳をしている。
小柄なその体にはアルディリア騎士団の濃紺の制服を纏っていた。
「あの! 初めまして、わたくし、セレッソと申します! こちら、ベナード隊でよろしかったでしょうか?」
「おう、初めまして。ここはベナード隊で合っているぜ」
「あの、もしかして……ベナード隊長でらっしゃいます?」
「確かに俺はベナードだが……」
「やっぱり!」
嬉しそうに目を輝かせるセレッソとは正反対に、ベナードは怪訝そうに目を細めて首を傾げた。
怪しまれている事に気が付いたセレッソは、荷物を地面に置いて慌てて手を振った。
「怪しい者ではございませんわ! その、少し感動しておりまして……」
「感動ってのが良く分かんねェが、何か用事があって来たんだよな?」
「はい! もちろんですわ! その、大変不躾なお願いなのですが……」
セレッソは胸を叩いて力強く言った。
「わたくしの婿になって下さい!!」
「帰れ」
バタンとドアが閉まった。
はっとしてセレッソがドアにすがりつく。
「間違えた! 間違えたんですの! 嘘ではないですけど嘘ではないですけど、ちょっとした言い間違いですのおおおおお! お願いです開けて下さいませええええええ!」
腹の底から叫んだ声に、通りすがりの人々が不審そうにセレッソを見ながら歩いて行く。
通報されてもおかしくないが、通報する場所にすがりついている為にそのままだ。
しばらく叫んでいるとベナードが頭を抱えて戻ってきた。
「お嬢ちゃんなァ……」
耳に手を当てている所を見るとキンキンと響いたのだろう。
面倒そうに目を細めてベナードはため息を吐いた。
「うう、段階をすっ飛ばしてしまいましたわ……これはこの後で言う予定だったのに……」
「どの道、段階をすっ飛ばしてる気がするが。……で、何だってんだ?」
気を取り直してベナードがそう言うと、セレッソは今度は間違えないようにと深呼吸をした。
そうして落ち着きを取り戻したセレッソはベナードを見て言った。
「わたくしを、隊付き作家として雇って頂けないでしょうか?」
「…………隊付き作家?」
これが負け犬隊と呼ばれたベナード隊と、その隊付き作家となるセレッソとの出会いだった。