それぞれの前提
ある日の昼、セレッソはシスネと一緒にコラソン亭にいた。
食堂の名前の通り二人は食事をしに来たのだ。
特に示し合わせたわけではないのだが、先にコラソン亭へ到着していたセレッソが、シスネの姿を見て声を掛けて一緒のテーブルについていた。
今日の日替わりメニューはパルマレンコン入りのハンバーグと、パルマレンコンのポタージュ、それにニエベカブのサラダだった。
パルマレンコンは中に五本の真っ直ぐな穴があいた野菜で主に水の中で育つ。
アルディリアの寒さにも負けず、表面に張った分厚い氷を割りながら、農家の人達は育てたパルマレンコンを収穫しているのだ。
まったく、頭が下がる思いである。
コリコリとした食感は火を通してもそのまま残り、また栄養価も高い。これをハンバーグに加えると独特の食感と肉汁の旨みが合わさって、美味しいのだ。
ポタージュも、とろりとしたスープの中に僅かにコリコリとした食感と、ミルク独特の自然な甘さが合わさって、セレッソは口の端を上げた。
そして日替わりメニューとは別に、二人はシュークリームも頼んでいた。
ここ最近コラソン亭で有名になっている、シュガーシロップをクリームに混ぜ込んだシュークリームである。
外の皮はカリカリ、中のカスタードクリームは程良い甘さで、ミルクティーに良く合った。
「シュークリーム、美味しいですわねぇ」
「ええ、美味しいですね」
シスネは表情こそ普段通りではあるが、先程からシュークリームを手放さないところを見ると、お気に入りのようだ。
そう言えばミルクティーにも砂糖を入れていたなとセレッソは思い出す。
もしかしたらシスネは甘い物が好きなのかもしれない。
「はいよ、お待ちどうさん!」
そんな二人の元へ口をへの字に曲げた店員やって来た。
店員はトレイに乗せたミルクティーの入ったティーカップを、ガンと乱暴にセレッソ達のテーブルに置く。
食事をしている間にミルクティーがなくなってしまったので、セレッソ達はパステルにおかわりを頼んだのだが、持って来てくれたのはパステルとは別の人間だった。
テーブルの上に少し跳ねたミルクティーにシスネが眉をひそめる。
見上げた視線の先にいたのは冒険者のアベートだった。
「もう少し丁寧に置けないのですか」
「あーあー悪ぅござい……ぐっ!?」
相変わらずの態度で悪態をつこうとしたアベートは、突然青ざめ、背筋を伸ばして振り返る。
視線の先にはにこにこ笑うコラソン亭の主人がいた。
ギギギと古い扉が動くように顔を戻したアベートは、だらだらと冷や汗をかきながら、無理矢理顔に笑顔を張り付けて、
「へ、へへへ! すんません、俺、不器用なもんでっ」
と、慌てて、へこへこしながらテーブルを拭いた。
実はアベートと、もう一人サウセは、先日の一件の罰としてコラソン亭の手伝いをさせられているのだ。
セレッソも最初に見た時は驚いたが、コラソン亭の名前の入ったエプロンと三角巾を身に着けながら、一部の客に気まずそうに接客をする彼らを何度か見ている内に慣れた。
ちなみにその度にアベートやサウセは騎士に対してはこんな態度を取っているが、その度にコラソン亭の主人やパステルに怒られていた。
主人がカレンダーに何かを書きこむのを見て、厨房から注文の料理を持って出てきたサウセが頭を抱えている。
「なかなかお手伝い終わりませんわね」
「う、うぐう……!」
主人のあれは、アベート達の行動についてのメモ書きである。
あのメモ書きが増えていくと、アベート達の手伝い日数が増えるのだ。
自分で自分の首を絞める事になるのだが、騎士が来る度にどうしても抑えきれない何かがあるらしい。
セレッソやシスネも若干気の毒には思うものの自業自得なので、特に出来る事はない。
騎士が来なければ大丈夫なのではという考えもあったが、コラソン亭の食事は美味しいので、その選択肢は最初から消えている。
「……つい出ちまうんだよ」
ぼそぼそと苦虫を噛み潰した顔でアベートが言う。
シスネが「やれやれ」と肩を竦めた。
セレッソはおかわりをしたミルクティーのカップを持ち上げ、少し首を傾げると、
「こう言っては何ですけれど、本当に騎士の事がお好きじゃないのですのね」
「ああ?」
「教会」
「うっ」
「……の件は、色々支部長さんから聞きましたし、子供達にもきちんと謝って下さいましたから、わたくしの方から何か言うつもりはありませんわ。わたくし自身にも反省する部分を色々と教えて頂きましたし。……でも、正直に言うと、どうしてそこまでと思う所もありますの」
セレッソはもともと騎士贔屓な所がある。
それは自分でも分かっているが、だからと言って冒険者を悪く言うつもりもない。
騎士と冒険者の確執については調べた以上知っているし、ベナード隊に対する世間一般の風当たりも分かっているつもりだ。
先日の一件で自分の考えの甘さや視野の狭さも身にしみて分かった。
だからこそアベート達が、ここまで騎士に対して悪い感情を持っているのが何故なのか、純粋に気になるのだ。
「セレッソさん、それは……」
「…………まぁなぁ、俺達だって最初は別に、特に何ともってわけじゃねぇけど、そんなに悪くは思ってなかったよ」
シスネが止めようと手を伸ばした時、ぽつりとアベートは言った。
それを聞いたシスネが少しだけ目を張ってアベートを見る。
「そうなんですの?」
「ああ。騎士がどうのって一括りしたって、個々がどんな人間分かんねぇし。騎士ってだけで相手の中身まで判断したら変じゃねぇか」
「そうですわね。でも、だったら、何故?」
「ベナード隊がコンタールに来た年の冬だ」
そう言って思い出すようにアベートは窓の外を見る。
つられてセレッソもシスネも窓の外を見た。
その先には雪が積もって真っ白になったコンタール山が見えた。
「冬の討伐って知っているよな?」
冬の討伐とはアルディリアで冬の季節に行われる山狩りである。
一般的な山狩りとは違うのは、追いかける対象が『冬の精霊の悪戯』なのだ。
冬の精霊の悪戯とはある冬の朝に山に虹色の輪が掛かる事を言う。
この虹色の輪が見えると、山に氷から生まれた獣が群れで現れるのだ。
氷の獣の姿は毎回違う。例えば狼や虎などの肉食の獣、うさぎや山羊などの草食の獣など、その形は様々だ。
そしてその形によっても行動パターンや攻撃手段は変わる。
氷の獣は放っておくと吹雪にその姿を変えて近隣を暴れ回る。
それを防ぐ為にアルディリアでは騎士団主導で毎年冬の討伐を行っているのだ。
セレッソが頷くとアベートは言葉を続けた。
「冬の討伐はアルディリアで大事な行事だ。にも関わらずベナードの野郎は、冬の討伐は騎士隊で行うから冒険者は待機していろって言ったんだよ。それも毎年だ!」
「冬の討伐は王より騎士に命じられた任務です。それに待機していろと言ったのは」
「俺達が氷の獣も倒せないくらい弱ぇって思っているんだろう?」
「そうではありません!」
アベートの言葉にシスネが反論をする。
だんだんとヒートアップする二人を見て、セレッソはその間にミルクティーの入ったカップを差し出した。
「ミルクティー。……いかがです?」
ちらりと視線だけでアベートの後ろの方を指す。
視線の先にはコラソン亭の主人がいて、こちらを怪訝そうに見ている所だった。
アベートとシスネはぐっ言葉に詰まると、大きく息を吐いた。
「つまりアベートさん達は冬の討伐に参加したくて、ベナード隊長はそれをお断りしたという形ですの?」
少し落ち着いた様子の二人にセレッソは問いかけた。
「そうだよ。俺達が弱ぇって見下しでもしているんだろ」
「それは違います。どう伝わったのかは分かりませんが、隊長が待機していろと言ったのは、万が一、町に氷の獣が降りて行った時の事を考えてですよ」
シスネの言葉にアベートは目を丸くする。
「町に氷の獣が?」
「実際に別の山では討伐が失敗して、それで被害を受けた町もあると聞いたことがあります」
「逃がさねぇように倒せばいいじゃねぇか」
「万が一という事があるでしょう? それに僕達は隊長を含めて五人です。最近六人になりましたけれど、それでも騎士として動くのは五人です。倒しきれない可能性もある。万が一、町に氷の獣が降りて行った時に、対処できる人間がいなければ町が危険になります」
途中シスネが自分を数に入れてくれたのが分かって、セレッソは嬉しそうに少し微笑んだ。
さすがに場違いなので、にこにこと笑うような事は出来なかったが。
そんなシスネの言葉にアベートは訳がが分からないと首を振った。
「なら余計に、最初から俺達に力を貸せって言えばいいじゃねぇかよ」
「騎士はアルディリアの人々を守る為に在ります。それは冒険者に対しても同じことです。例え戦う力があろうとも、あなた方は僕達にとって守るべき対象です。幾らあなた方に守られる必要がないと言われても、本当にその必要がないくらいあなた方が強くても、僕達には関係がないのです」
シスネはアベートの目を見て真っ直ぐに言った。
シスネが言ったのは騎士にとっての揺らぎようがない前提であり、騎士と冒険者の間の確執を作った考え方の違いでもある。
だが別にシスネは、冒険者が弱いと馬鹿にしているわけではないのだ。騎士が強いと驕っているわけでもないのだ。
それは騎士にとっての誇りであり、理想であった。
「……てめぇの言い分は分かった。だけどよ、俺達だって力になりてぇんだよ。冒険者はアルディリアの人達の為にある。アルディリアの人達の力になりたいから冒険者になったんだよ。困っているならそれが騎士だって構いやしねぇ。手を差し伸べるのが冒険者だ」
そう言ってアベートは手のひらで胸を叩いた。
アベートの言う言葉も、冒険者の誇りであり、理想だ。
騎士はアルディリアの人々を守る為に、冒険者はアルディリアの人々に手を貸す為に。
根っこは同じではあるのだが、その微妙な違いがそれぞれの確執を生み出した。
気がつけばコラソン亭の中はしんと静まり返っている。
コラソン亭の主人も、サウセも、パステルも、食事客も。
皆が揃ってセレッソ達の方を見ていた。
「…………分かりましたわ!」
その静けさの中、セレッソはぱちんと手を鳴らし、立ち上がった。
コラソン亭の人達の視線がセレッソに集まる。
まるで初めてコラソン亭へ来た時のミルクティー騒動のように。
「どちらも譲れないのなら、わたくしに良い考えがありますの」
うふふ、とセレッソは頬に手を添えて笑う。
サウセはそれを見て何だかちょっと嫌な予感がすると思った。
まぁ気のせいだろうと直ぐに首を振ったが、残念ながらサウセの予感は、その数日後に現実へと変わるのだった。