書店の少女
その日、隊舎で仕事を終えたセレッソは、チェロケースを手に持ってコンタールの町を歩いていた。
空は青く晴れ渡っており、溶けた雪が道の所々で水溜りを作っている。
鼻歌を歌いながらセレッソは、コンタールの町の書店を目指した。
セレッソが持つチェロケースの中は仕切り板で分けられており、彼女の武器だというバトルアックス以外にも、中に色々と物を入れてもごちゃごちゃにならないように出来ている。
チェロケースの頭の部分にはベルトで止められたバトルアックスが、下の部分には数日かけて作り上げた紙芝居が傷まないように大事に入れられている。
縦に持つと万が一にもベルトが外れる可能性があるので、今回は横持ちだ。
「……あ! いましたわね」
書店近くまで来たセレッソは、うふふと嬉しそうに笑って目を細める。
彼女の目の前には、数日前にもそこで見かけた少女がいた。少女はあの時と同じように書店の前に立ち、ショーウィンドウ越しに並んだ本を熱心に眺めている。
歳は十歳前後だろうか。長い黒髪に明るい橙色の瞳をした大人しそうな雰囲気の少女だ。
本のタイトルを呟いているのか、もごもごと口を動かして小さく微笑んでいる。
セレッソは早足にならないように気をつけながら彼女に近づいた。
「こんにちは!」
だが、そわそわとした気持ちがそのまま出てしまい、声は弾んで少し大きく響く。
少女はセレッソの声にびくっと肩を震わせると、慌てて振り返った。
「あ、あの、えっと、その……こ、ここ、こんにちは……」
少女は体の前でぎゅっと両手を握りしめ、おどおどと不安そうに視線を彷徨わせ、それでも挨拶を返す。
セレッソは驚かせってしまったと反省をしながら、少女の不安を和らげられるように出来るだけ優しく話し始めた。
「突然ごめんなさいね。わたくし、セレッソと申しますの。熱心に本を見ていたのが気になって……あなた、本は好き?」
「えっと、その……好き、です」
小さな声で答えながら少女は一歩後ずさる。
「良かった! それなら、面白い物があるんですけれど、良かったら一緒にいかがかしらっ」
セレッソは嬉しそうにぱちりと手を合わせると、少女に合わせて一歩前へと足を踏み出す。
「あ、あの、えっと……わたし……」
少女がまた一歩後ずさり、セレッソもまた一歩前へと進む。
それを何度か繰り返している内に、セレッソは自分が少女に怯えられている事に気が付いた。
おかしい、こんなはずでは。
笑顔を張り付けだらだらと冷や汗をかきながら、セレッソは内心、少しパニックになっていた。
出来るだけ優しく話し掛けているはずなのだが、少女の不安は和らぐ事なく、むしろ増している。
「あ、あの」
「その、えっと」
一歩。
また一歩。
そうしている内に周囲からも訝しんだ視線が投げかけられるようになる。
まずい。何だかとてもまずい。このままでは騎士隊に通報されかねない。そして通報されでもしたら、隊付き作家だという事が分かり「またあの騎士隊は」という事態になりかねない。
その様を想像してセレッソはごくりと喉をならした。
セレッソは少女から視線を逸らさず、スッと地面にチェロケースを置いて中を開く。
左手は「何もしない」のアピールのつもりなのか、拳を開いたまま肘を曲げて軽く挙げている。
チェロケースの中を右手だけで器用に探っていると、目的の物に指先が触れた。
セレッソは小さく頷くと触れたものを手で掴み、
「か、紙芝居なんていかがかしら!」
「えっと、セレッソ? 何をしているの?」
セレッソがチェロケースから勢いよく紙芝居を取り出すのと、背後から誰かに声を掛けられるのはほぼ同時だった。
まるで立てつけの悪いドアのようにギギギと首を回してセレッソが振り返ると、そこには困惑顔のローロが立っている。
「紙芝居?」
気まずい雰囲気の中、少女がきょとんとした顔で首を傾げた。
それから少し経った後。
セレッソ達はコンタールの町の教会まで来ていた。
書店のある通りや住宅街からも少し離れており、昼を終えた人々が仕事に動き出した時間でもあった為、教会の中にはほとんど人はいない。
あの後、流石にその場で色々と話をする雰囲気はなかったので、こうして静かな場所へ移動したのだ。
教会の長椅子に左からセレッソ、ローロ、クルトゥーラと並んで座り、三人は話をしていた。
「町の人から不審者がいるって呼ばれて来てみたら、まさかセレッソだったとは思わなかったよ」
「うう、ごめんなさいね、クルトゥーラ……」
気を付けてね、と苦笑するローロ。セレッソはしょんぼりと肩を落としながら少女に謝った。
少女の名前はクルトゥーラと言った。
セレッソの言葉に、ローロを挟んだ反対側から顔を出してクルトゥーラは首を振った。
騎士の制服を着ていたローロが現れた事でクルトゥーラは安心したのだろう、不安そうに強張っていた表情が少し和らいでいる。
「わたしこそ、逃げようとしてごめんなさい。その、騎士様だとは、思わなかった、です」
「あっそれは合っていますわ。わたくし、騎士というわけではありませんの」
「そうなんですか?」
クルトゥーラの言葉に少しだけ元気を取り戻したセレッソは、手に持っていた紙芝居を彼女に見えるように掲げる。
それを見てローロとクルトゥーラは目を丸くした。
「わたくし、隊付き作家なんですの。正式にではないのですけれど」
「そう言えばそれは何だい? 紙芝居って言っていたけど」
「ええ、紙芝居ですわ! 簡単に言えば、大きな絵本、みたいなものかしら。こうして大きく見やすくする事で、皆でお話を楽しめるものですの」
「おはなし!」
クルトゥーラが分かりやすいくらい目を輝かせて紙芝居を見上げた。
その反応が嬉しくてセレッソはにこにこ笑って頷く。
「ええ、お話ですわ! クルトゥーラは本、お好きですわよね!」
「うん、好き! ……です」
ようやく笑顔になってくれたクルトゥーラにセレッソがほっと胸をなでおろしていると、ローロは思い出したように指を鳴らした。
「ああ、たまに来る旅芸人がやっている奴か」
「そうですそうです! うふふ、小さい頃はこれが楽しみで楽しみで……」
そう言いながら、セレッソは紙芝居を持って立ち上がる。
これから提案する言葉を受け入れてくれるか、セレッソは少しだけドキドキしながら、クルトゥーラへと向き直る。
「実はこの紙芝居は出来たばかりですの。良かったらクルトゥーラが一番最初に見てくれないかしら」
「えっ」
クルトゥーラは嬉しそうに目を見開くが、直ぐに困ったように眉をハの字に下げる。
「でもわたし、お金があまりない、です……」
紙芝居を旅芸人がやっているとローロが言ったのを思い出したのだろう。
そっとスカートの財布の入っているポケットに手を当てると、クルトゥーラは悲しそうに目を伏せた。
クルトゥーラの様子を見て、セレッソはにこにこ笑って首を横に振る。
「これはわたくしの趣味でやる事ですから、お金なんて必要ありませんわっ」
「でも……」
クルトゥーラは真面目な子なのだろう。
セレッソは目を優しげに細めて、なら、と人差し指を立てた。
「なら、もし、クルトゥーラがこの紙芝居を見て面白いって思って下さったら、クルトゥーラのお友達やお知り合いの方に、この紙芝居の事を話して下さいませんか?」
「紙芝居の事を、ですか?」
「ええ。……わたくしは、この紙芝居を色んな人に見て貰いたいんですの」
セレッソは真っ直ぐにクルトゥーラを見る。表情は笑顔のままだが向けられたその目は真剣だった。
クルトゥーラは驚いた表情になったが、やがてゆっくりと頬を染め、嬉しそうにくしゃりと笑顔になった。
「はい!」
「うふふ。あ、ローロさんもお時間に余裕がありましたら、いかがです?」
「そうだね。ちょっとなら……大丈夫そうだ」
胸元から懐中時計を引っ張り出してローロは頷く。
二人も紙芝居を見てくれる相手が出来た事にセレッソはガッツポーズをして、
「それでは場所を借りて良いか聞いて来ますわね!」
ちょっと待ってて下さいねと弾むような足取りで、セレッソはシスターの所へと向かう。
ローロとクルトゥーラはその後ろ姿を見送りながら顔を見合わせて笑った。
「楽しみだね」
「楽しみ、です。……あの、あの、騎士様。隊付き作家って、紙芝居をする人、なんですか?」
「うん? ああいや、紙芝居をする……隊付き作家もいるかもしれないけど。本当の仕事は、そうだねぇ、うーん」
どう話したら分かりやすいだろうかと考えながらローロは再びセレッソの方を見た。
セレッソはシスターに紙芝居を見せながら、身振り手振りで説明をしている。
最初はセレッソの説明に不思議そうな顔をしていたシスターだったが、直ぐに笑顔になって頷いた。
どうやら許可が下りたようだ。
「…………ありのままを書き残す、かな?」
それを見ながらローロは、ぽつりと呟くように言う。
「ありのまま……」
「でもそれが一番難しいんだけどね」
視線の先ではセレッソが元気に「許可を頂きましたわー!」と紙芝居を両手に持って振りながら、二人を呼んでいる。
ローロは不思議そうな顔をするクルトゥーラの頭をなでて立ち上がった。
「さて、準備が出来たみたいだよ。それじゃ、行こうか」
「はい!」
クルトゥーラも同じように立ち上がると、ぱたぱたとセレッソの元へと走り出す。
それを優しげに見守りながらローロも続いた。