夜更け前の橙
「ねえ、どうして教えてくれなかったんだい」
橙色の光が差し込む教室に、彼女と二人。じりじりと俺から後退する彼女の背には壁が迫っている。
「な、なにを?」
「文化祭の出しものだよ。努には教えて俺には教えないだなんて寂しいなあ」
俺が一歩近寄れば、彼女は一歩後ろへ下がる。だが生憎と踏むべき床はもうない。壁に完全に追いやったからだ。
「別に嫌って教えなかった訳じゃないよ!」
それは彼女の態度を見ていればわかる。本当のことを言えば、俺に教えなかった理由も大体想像出来ている。
「じゃあ、どうして言ってくれなかったんだ」
だけど敢えて彼女の口から聞いてみたい。聞かせて欲しい。
「そ、それは……」
「それは?」
ずいっと顔を寄せると、彼女は慌てる。視線を泳がせて俺を真正面から見ようとしない。何とか逃げようとしているのが見え見えだ。そんな彼女の顔が橙色に染まっている。
「ちょ、顔こっちに向けないでくれる。梶栗君に見られるとなんか緊張するんだから」
「やだ」
んべっと舌を出す。滅多に二人になれないんだから、意地悪したくなってしまう。
「教えてくれるまでやめない。俺から視線を外すのも許さないよ」
彼女の頬に手を添えて、俺の正面に顔を固定させる。手から熱が伝わる。頬から熱が移る。俺の手が彼女の体温を上げている。
普段が普段だけに可愛く思えてしまう。口をへの字に曲げて、心底困った様子での上目遣い。生徒会の松なんとかって奴が見たら卒倒するかもしれないな。だがしかし彼女のこの表情は俺だけにしか見られないものだ。
「……い」
「え?」
俺を映した彼女の瞳が直ぐに伏せられた。
「は、恥ずかしいんだよ! あたしから立候補はしたけど、梶栗君に言ったら絶対見に来るじゃない」
「当然」
「だから、失敗出来ないんだよ。ただでさえ緊張するんだから、だから教えたくなかったんだ」
半ばやけになったかのような大きな声。必死になる姿が飄々とした普段の彼女を遠ざける。
「いつも似た様なことをやってるくせに」
努や涼と居る時には堂々と目立つことをやってのける彼女なのだ。
「だって梶栗君は、とく……」
「とく?」
彼女の耳までもが染まっている。これでは全身茹蛸のような状態なのではないだろうか。
「と、と、特別なんだよ!」
不意打ちのような告白に俺の頬は自然と緩む。なんと楽しませてくれる、かわいい人か。
「俺にとっての史も特別だよ」
彼女の持つ潔さも、
明るさも、
やさしさも、
楽しさも、
頼もしさも、
初々しさも。
そのすべてが好ましい。
彼女への想いを俺は再認識させられた。
南天台高校二年二組 梶栗慎吾