勧誘追いかけっこ
待て!
と、叫んで待ってくれるような相手なら言う訳がない。
「追ってこないで下さい」
俺から全速力で駆けて行く波瀬に追いすがる。中庭の銀杏の傍で見つけてから、渡り廊下、校舎の中と追いかけっこが始まった。どうしても俺は彼を部に入れたいのだ。
距離が縮まらないことに歯痒くなる。波瀬を知ったのは、体育祭のリレーだった。二種目だけ選手として選ばれていただけだが、そのどちらでも群を抜いた速さでゴールした。まだ一年だ。今からでも陸上部に入らないかと勧誘したのだが。
「その足は陸上向きだぞ。宝の持ち腐れだ」
「そんな暇、俺にはありません」
一言で断られた。それから見かける度に勧誘しているのだが、色好い返事は未だもらえない。
「おお、速っ。新谷と誰だ?」
「ん、波瀬じゃん」
「花園の知り合い?」
階段上から深谷、花園、本郷の三羽烏の妙な掛け合いが聞こえた。
「うるっさい」
その場で駆け足をしながら答えると、彼らは一様に先を指差した。
「バーカ。あいつ先に行っちまったぞ」
「止まっちゃ駄目だろ。波瀬を見失うよ」
「あれじゃ、捕まえられないよな」
馬鹿にした様にけらけらと笑う三人に悪態を吐いて、俺は波瀬追いに戻る。あの三人、いつか痛い目見せてやる。とはいえ、奴らが言うとおり波瀬の姿が遠くなってしまった。どうやら渡り廊下から中庭を突っ切って一年のクラスがある校舎に行こうとしているらしい。近道をしようと生垣の中を突き進んだ。
「いて、いたた」
「わあ!」
声は女のものだ。目的の波瀬は何処だと視線を巡らせると、踵を返して逃げる体勢をとっている白井がいた。
「白井! 待て!」
よく見ればその先に波瀬もいる。こうなれば二人とも陸上部に入れてやる。
「もう諦めてよね」
「何でこっちに来るんだ」
白井の後を追う俺に、波瀬もくるりと方向転換した。白井は元陸上部だ。やはり体育祭で多大な活躍をした一人。この二人が陸上部に入ってくれればインターハイだって手の届くものになる。
必至になって追いかけて、波瀬と俺の息はかなり上がっている。だけど負けてなるものか。
「もう、追ってこないでよー」
うんざりした声は白井だ。いつの間にか俺達は校舎裏にまでやってきていた。誰ともなく足が止まる。荒い息音だけが耳に大きく響く。
「何度も、断ったじゃ、ないですか」
「理由を言え。俺が納得できる理由だったらすっぱり諦める」
波瀬が俺を半眼で見やる。
「無理ですよ。先輩の納得する理由がわからないから」
「そうだよ。新谷君の陸上への心意気は凄いけど、走ることを誰かに求められたくないから」
落ち着いてきた白井が腕を伸ばす。その表情はとても逃げていたとは思えないほど晴れ晴れとしていた。
「走るのは好きだ。今も楽しかったよ」
「なら入れ」
疲れきった腕を広げて歓迎を示す。だが別の方向から異を唱えられた。
「入りません。俺といると先輩は必ず不幸になる。だから入りません」
「誰が不幸になるもんか」
「新谷君、入らないにはそれなりに考えていることがあるからだよ。正直、そこの一年君の理由は私も意味わかんないけど、でももう決めたから入らない」
波瀬と白井が俺をじっと見る。その目には強固な意志が窺える。でも俺だって二人が欲しかったんだ。二人と走ってみたかったんだ。
「……あーあ、俺の負けか」
地面に横たわると青い空が全面に広がる。波瀬も白井も居たらもっと部活が楽しくなるのにな。でも、今も楽しかった。目を瞑る。
「気持ちいい……」
少しだけ冷たくなってきた風が汗で濡れた髪を撫でていく。額をくすぐるのは秋の気配だ。
「先輩?」
もうすぐ秋大会が始まる。
「新谷君?」
目を開けると二人が俺を不思議そうに眺めていた。
「入りたくなったらいつでも来い。歓迎する」
何だか笑いたくなった。声に出して笑うと、白井が珍しく相好を崩した。一歩退いた場所では波瀬が呆れたようにあらぬ方向を向いていた。
「ありがとうございます」
呟かれた波瀬の言葉に、白井が笑みを深くする。何故か女の色気を感じて俺は顔が赤くなるのを自覚した。邪念を払いのけるように青空を仰いだ。
頑張ろう。秋大会、頑張ろう。二人に笑われないように。入りたいと思わせられるように。
南天台高校二年十組 新谷秀柾




