鬼の霍乱
信じられないものを見た。
体育祭の全体練習のためにグラウンドに集まった皆の前で、彼が地面に片膝を着いた。彼――神城正臣が。
実行委員の神城が珍しくまだ来ていなくて、放送で呼び出されたところだった。神城は土岐の肩に手を置いて実行係り用のテントに歩いてきていたのだけど、不意に地に崩れ落ちた。
「かみ……」
「正臣!」
慌てて駆け寄ろうとした私は、さらにもう一つ驚かされた。
「正臣、だから言ったじゃないの。土岐くん、風邪がうつるといけないから離れて」
山菱さんがこんなに大きな声を出すところをはじめて見た。いつもはぼそぼそと小さな声で話す人なのだ。
「山菱さん、でも臣は」
「大丈夫。俺が保健室に連れて行く。お前、例の病弱な晴れ男だろう。離れた方がいい。こいつ、夏風邪引いてるから」
いつの間に現れたのか、深谷が背後に立っていた。神城が胡乱な目で彼を見たが、体がだるくて動かないらしい。深谷が脇の下に腕を差し込むと、おとなしく支えられる。
「沖田さん」
急に彼女が私に向き直った。眠そうで、面倒そうにしている印象を持っていた私は、ちょっとびっくりしてしまう。私が傍にいることもきちんと見ていたらしい。
「実行委員と先生に伝えてもらっていい? 私と深谷で保健室に連れて行ってくるから。土岐くんは担任の先生の、ええと石森先生に伝えて」
テキパキと指示を出す山菱さんに、私と土岐はただただ頷くしかない。
「よろしくね。深谷、正臣を頼んでもいい」
「わかってる。多恵ちゃんは練習に参加してもいいよ。臣のことは俺が説明するし」
「いいよ、私も行く。これでも身内だからね。それに目が覚めたとき私がいないと、多分不安がるから」
気がつけば深谷に寄りかかって、神城は眠っていた。もしかして熱はとても高いのだろうか。
「沖田さん、今日はもうこのまま帰らせるけどいいよね。明日も出て行けないようなら、誰かに連絡入れる。誰に連絡したらいい?」
「あ、えっと、生徒会の誰かに連絡してくれたら実行にも連絡入るけど?」
生徒会と実行委員で体育祭の連絡網が出来ていたはずだ。答えると彼女は深谷に声をかける。
「そう。……深谷、松屋崎くんの連絡先わかる?」
「本郷に聞けばわかると思う。後で教えるよ」
「ありがとう。沖田さん、松屋崎くんに連絡入れるよ。じゃあ、連れて行くから」
大勢のいる前で倒れた神城にも驚くが、こういうことに手馴れた様子の深谷と山菱さんにも驚いた。歩いていく二人と病人とされた一人の先には、人垣が割れて道が出来ていく。物珍しそうな好奇の視線を、普段とは違い毅然とした態度で進む山菱さんが頼もしく見えた。やっぱり彼女も神城の従妹なだけある。
遠くなっていく彼らを呆然と見ていたのだけど、ふと視線をずらして三度目の驚きに見舞われた。本人が気付いているのか、いないのか。確か神城と一緒に三組の学級委員をしているといっていた、英の姿があった。
「ああ……」
嘆息が私の口から漏れた。唇を噛み締める英はどうしてあんな顔をしているのか。答えは一つしかないだろう。悔しさと妬ましさだ。
同じクラスの、しかも少し前まですぐ傍にいたはずなのに気付いていなかった英自身の悔しさ。神城の一番近くに居たいと思うのに、それは自分ではないという妬ましさ。
神城でなくても英ならもっと似合う人がいると思うのに。そんなことをぼんやり思っていると、躊躇いがちに肩を叩かれた。
「あの、臣のこと伝えた方がいいんじゃ」
「あ、そうだね。土岐くんは山菱さんが言ったように石森先生に伝えてくれる? 私は実行の皆に伝えるから」
「う、うん」
土岐が教員テントに足を向ける。私はもう一度神城たちの去った方向を見やるが、割れる人垣は随分と遠くなってしまった。英を捜したがもう見つけられなかった。
寝ていても起きていても、刺激をくれる神城。でも今日一番の驚きは、倒れるまで誰も神城の不調に気付かなかったことだった。
南天台高校二年七組 沖田佳代子




