いつか君に
「ねえ、守」
にやにやと笑みを浮かべ、彼は尋ねてきた。その内容は俺にとっては真新しいものではなかったのだけれど。
「薫ちゃんが走るんだって? 知ってたくせに教えてくれなかったんだ」
「そ……」
「それは薫ちゃんをそっとしてあげたかったから、とでも言うのかな」
僅かに彼の怒りが見える。確かに彼の言うとおりだが、何故怒りを向けられなければならないのか。腑に落ちない。
「それが悪いのか」
憮然として答えると彼は周囲を憚るように声を落とした。
「過保護、過ぎるんじゃない?」
「……八十麿は心配じゃないのか」
彼――ヤソマロ――は俺だけでなく薫とも付き合いが長い。
「心配ってどの心配をすればいいのかしら。薫ちゃんが皆に騒がれる心配? それともまた突然居なくなってしまわないかっていう心配?」
俺は眉を顰めた。薫が昨年一年間休学していたのは三年なら誰もが知っていることだ。だが、その理由はあまり大きな声では言えない。一年して戻ってきた薫はその期間のことを何も話さないし。
「あのね、心配するのは悪いことじゃないの。寧ろ相手をそれだけ想ってるってことだからいいでしょうね。でも二年の教室に様子まで見に行くのはどうなの。薫ちゃんは確かに神隠しにあったけど、これまでの記憶ははっきりしてるし、全てを失った訳じゃないよ。子供じゃない。過保護も行き過ぎると嫌われるよ」
「薫が喋ったのか」
「うん。笑いながら。クラスの男子から守が廊下でうろうろしてたって聞いたんだって」
「………」
確かに自分でもどうかしている。家が隣同士なだけの幼馴染で、高校に入ってあまり話もしなくなったような仲なのに。彼女が居なくなっていた一年間、俺は気が狂いそうだった。薫のいない生活なんて今までとそう変わらないのに会いたいときに会えないことが辛くて、怖かった。
「守」
八十麿が俺の机に腕を組んで顎を乗せる。見上げてくる、このもう一人の幼馴染は昨年の俺の恐慌を知っている。
「薫ちゃんはもういなくならないって言ってたよ。信じてあげなよ。薫ちゃんも気になるけどね。僕は守がまた壊れてしまわないか心配になる。僕は、薫ちゃんも守もどちらにも壊れて欲しくないよ」
「八十麿……」
思いがけず自分を心配する彼のやさしい瞳にじんとなる。
「だって守が荒れると所構わず物を破壊して、周りに謝る僕が大変なんだから」
「……麿、そっちが本音か」
感心した俺が間抜けだった。八十麿はにへへ、と屈託なく笑う。
「薫ちゃんのこと内緒にしてた罰だよ。西岡のが先に知ってて物凄く情けなくなったんだから。それに圭子も知ってたのよ。僕だけ道化なんてやってらんないわよ」
「オネエ言葉になってるぞ」
「おおっと。……でも今言ったことは本当だからね。薫ちゃんも守も僕には大事なんだ。そんなに好きならちゃんと掴まえててよ」
眉間に皺を寄せるのは俺のことを心から心配してくれているからだろう。
「時期がきたらな」
「……その気はあるんだ。じゃあ、その時期とやらが来るまで虫除けぐらいはしてあげようか?」
僅かに目を見張って、彼はおどけた調子で言う。
「頼む」
「ああ。任されてあげよう」
何が可笑しいという訳でもないけど、ふっと笑みが零れた。
きちんと俺の口から俺の言葉で薫に伝えよう。それは彼女が戻ってきてから考えていたこと。しかし今はまだ時期ではないんだ。薫が他の世界からきちんと、俺たちのこの世界に戻ってくるのを俺は静かに待っている。
気づかされた想いに顔を背けるような情けない真似はしたくない。薫、そう遠くない将来、俺の気持ちを伝えよう。
南天台高校三年四組 香田守




