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07.夏の光のせい

 わたしの話し声がとぎれてしばらく、沈黙が流れた。ミタカはもの言わぬまま、倒れない椅子の背にもたれて、宙を見上げていた。足もとのアンダーソン氏は話を聞いていたのか聞いていなかったのか。わからないけれど、くしゃみのようなものをひとつした。

「璃子は、モモさんに会えたらどうしたいの」

「……言いたいことがあるの」

 わたしはそう告げたきり話さなかった。静けさが、この場を支配する。

 プラネタリュウムの外から、かすかに犬の遠吠えが聞こえた。それに答えるように、鳴く声もある。

 この町に、モモさんはいるだろうか。

 彼のことだから、とっくに天国にいるのかもしれない。

 深く考えこみそうになった、そのとき。ぐっと眉間が圧迫される。驚いて顔を上げて、そこではじめてわたしは自分がうつむいていたことを知った。見ると、ミタカがわたしの眉間を親指で押していた。

「まーた死んだ魚の目、してる。もっと明るい顔したほうがいいよ、ほんとうに」

 よけいなお世話だ、ほんとうに。ますます表情筋に力が入る。するとミタカはぷっと吹き出した。へんなかお、って言うに事欠いてそれか。眉間をぐりぐりともみほぐす手を、つかんで振り払った。

「ごめんごめん」

 口では謝っているけれど、申し訳なさそうには見えない。抗議をする気力もなくて、重たいため息に代える。そんなわたしのかたわらで、ミタカはすっくと立ち上がった。

「じゃあ、さっそくモモさんを探しに行こうか。どこか心当たりのある場所とかないの。きみここに住んでたんだろ。家とかさ」

「住んでた。でも、場所がわからないの」

「わからない?」

 わたしが《小さな町》で暮らしていたのは十年前、五歳のときだ。ひとりで町を歩き回ったりはしなかった。それに廃墟になる前といまとでは、風景はぜんぜんちがう。ただでさえおぼろげな風景の記憶は、ほとんどあてにならない。

 そう告げると、ミタカは考えこむ。

「それなら」

 ミタカはひとつうなずくと、わたしに手を差しのべた。どことなく芝居がかった手つきだ、と思うと、そのことばが飛んでくる。

「サイクリングに行こうか、璃子」

 わたしを見下ろすその顔を見返していると、ああたしかにわたしの目は死んでいるんだろうな、と思った。この表情に比べたら、たいていのものは半死半生、あるいは死んでいると判じられてしまう。差しのべられた手は遠足をひかえた子どものようにうずうずと動き、やがて待ちかねたようにわたしの手を引っぱった。


 ミタカがわたしとアンダーソン氏を連れていったのは、プラネタリュウムの裏手だった。

「なに、これ」

「ぼくの趣味」

 夏の太陽のもとで鎮座しているのは、自転車だった。いや、自転車と言っていいのかどうか。車輪の数から言えば、それは三輪車だった。けれど、おさない子どもが乗って遊ぶようなそれとはちがう。後部のふたつの車輪は大きく、そのあいだにはゆうに大人がふたりは座ることができそうな座席がある。前の座席に座った運転手がペダルを漕いで、それを引っぱるのだろう。

「趣味? 自転車が?」

「じゃなくて、それを直すほう。壊れた機械とか道具とかがたくさんあるから、それを拾ってきて直すんだ」

 大ざっぱにくくってしまうなら、機械いじりが趣味、ということか。アンダーソン氏の首輪についている機械もミタカが直したものなのかもしれない。

 拾ってきたということばのとおり、自転車は見るからにおんぼろだった。座席に貼られた布は日焼けして色あせ、フレームの塗装は剥げている。後部座席の上には日よけの幌があったなごりがあるけれど、ゆがんだ支柱に布の切れはしがくっついているだけだから、いまはその用を成さない。

 そしてなにより、ホイールが茶色をしていた。

「これ、走るの」

「走るよ。拾ったときからそれほど状態は悪くなかったんだ。ぼくはちょっと手を入れただけ」

 半信半疑のわたしを差しおき、アンダーソン氏はさっさと後部座席に乗り込んでしまう。ミタカの言うことはいまいち信用ならないけれど、アンダーソン氏が問題ないと見ているなら、まあ、大丈夫なんだろうか。

 大丈夫じゃない気がする。

「これで探したほうが、遠くまでいろいろ見て回れるだろ」

 いちおう電動なんだ、と笑う。それでも乗るのに気が進まないわたしを、ミタカが誘う。渋々自転車に近づいてみると、それは思ったよりも大きく、座席が高い位置にある。わたしが座ろうとするより先に、ミタカはちょっと待って、とわたしを制すると、どこからかきれいな布を出してきて、アンダーソン氏のとなりに敷いた。

 そして、ミタカはなぜか、わたしの足元――座席とわたしのあいだに、跪いた。

「え、なに」

「座席高いだろ。どうぞ」

 直角に曲がった膝を踏み台にして座席に座れ、ということらしい。自分の服が汚れるのもいとわず、まごつくわたしを見上げてふしぎそうな顔をする。どうして乗らないのか、と言いたげに。

「ミタカって」

「ん?」

「……なんでもない」

 わたしはミタカの足に自分の足をかけ、一息に座席に登った。

 視線が高くなり、見える景色がずいぶんちがって見える。ほほが熱いのは、熱を帯びはじめた陽光のせいだ。きっと。

 布をしいてもらった座席はなんだかふわふわとして、座り心地がいいのか悪いのかわからなかった。

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