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04.その手を取って

「きみ、だれ?」

 聞かれて我に返る。ふっとあかりが消えた心地がした。あらためて見ると、少年の目はたしかに色が薄いけれども、燃えるほどにかがやいているということはない。やはり、突然目に光が入ったせいらしい。

「ああ、ひとに名を聞くときは、自分から名乗るものかな。ぼくはミタカ。そっちはアンダーソン氏。きみは?」

 ミタカ、と名乗った少年は、背後の客席に読んでいた本を置くと、わたしのかたわらを指さした。灰色毛玉犬がわたしの横を通りすぎてゆくところだった。彼はアンダーソン氏、というらしい。犬にしては仰々しい名だ。

 きみは? ともう一度問われる。わたしはいきなりのことにもたつきながらも、口を開く。

「璃子」

「璃子、ね。よけいなお世話かもしれないけれど、もっと明るい顔をしたほうがよくないかい。目が死んでいるよ、きみ」

 いきなりなんだっていうのだろう。よけいなお世話どころか、もはや無礼だった。初対面も初対面の相手にこのもの言い。ところがあまりに気楽に言われたものだから、怒る気が湧かない。むしろぽかんとしてしまう。

 ミタカはそばに寄ってきたアンダーソン氏に手を伸ばした。そのまま引き寄せようとする。けれどアンダーソン氏は小さく唸ると、ミタカの手を振り払った。ミタカは顔をしかめて、なんだよつれないな、とつぶやく。それからこっちを向いた。その顔にはもう、アンダーソン氏のつれない態度を気にした様子はない。

「こんなところまでどうやって来たの」

「バスで」

「バス?」

 なんてことない返答をしたつもりだったのに、ミタカは目をみはった。口元に浮かんでいた笑みが深くなる。

「そりゃいいや。ぼく、乗ってみたいんだよね」

 おかしなひとだ。それじゃあ自分はどうやってこの町まで来たっていうのだろう。歩いて? そんなばかな。考えただけで骨が折れる。まるで生まれてこのかたバスに乗ったことがない人間のように、ミタカは目をかがやかせる。

 そして唐突に話題を変えた。

「で、璃子。きみ、こんなとこまでなにしに来たの。こんな、なんにもないとこまでさ」

 それはこっちの台詞だ。

 ここにはもうだれもいないとばかり思っていた。そんなわたしの前に突然人間が現れたのだから、いったいどういうことかとつかみかかりたい気分だ。つかみかからないけれど。労力のむだだから。

 そっちこそこんなところでなにをしているのか。聞いてみたけれど、ミタカはあいまいな笑みを浮かべるばかりだった。めんどうくさくなって、わたしはさっさと口を割ってしまうことにする。隠す理由は、とくにない。

「犬をさがしているの」

「犬? ゆうれい犬かい」

「そう。八年前に、死んだ飼い犬。ゆうれいになって、ここにいるんじゃないかって」

 ミタカはどこかおもしろそうにふうんと言う。それから今度こそ、アンダーソン氏を抱き上げた。不意打ちだったらしく、毛玉犬は少しのあいだもがいたが、やがておとなしく少年の腕のなかに収まる。彼は片手でアンダーソン氏の毛の向こうにある目をのぞきこんでみたりする。

 わたしが手持ちぶさたになったころにやっと、ミタカは言う。

「それって、なにかあてはあるの」

「……ないよ。ゆうれいになっている保証もない」

「手伝ってやろうか」

「え?」

 思いもかけないことばに、すっとんきょうな声が出た。まじまじと、ミタカの顔を見てしまう。身につけている白いシャツも相まって、暗がりで浮き上がるような白い顔だ。ミタカは大きな目をしばたいて、いたずらっぽくわたしを見る。

「蛇の道は蛇、犬の道は犬だと思わないかい? ぼくはアンダーソン氏の友人だから、きっと力になれると思うよ」

 そんなことを言ったわりに、アンダーソン氏はいいかげんになでまわすのをやめろ、というようにミタカの手からとびだした。けれど、その場から逃げ出そうとはしない。……たしかに嫌いあっているわけではないみたいだ。かといって仲がよくも見えないのだけれど。

 答えあぐねる。さっきからずっとこんな調子だ。ミタカの言動はあまりに唐突で、わたしはうまく受け答えすることができない。まごついたまま、彼を見返すばかりだ。

 ひとしきり、ミタカはわたしの視線を受けていた。そのままでは返答がないとわかったのか、ふたたび口が開く。

「ただし、きみにお願いがあるんだ」

 手伝いの引きかえに、ということだろう。ミタカは床から立ち上がり、こちらに歩いてきた。ランプのあかりが背なか側にまわって、その姿が黒くかげる。体の輪郭から光が漏れて、かろうじて表情はうかがえた。先ほどまでと変わらず、笑んでいる。ずい、とこちらに手がつきだされた。握手のかまえだ。

「ぼくはきみの犬さがしを手伝う。そのかわり、きみはぼくの話し相手になってほしい」

 やはり、唐突なもの言いだった。


 わたしの十五の年の夏休みは、ここからはじまった。

 ほとんど流されるようにミタカという少年の手をとった、ここから。

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