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03.プラネタリュウム

 中心街を抜けると、路面電車の駅に着いた。トタン屋根は抜け落ち、ばらばらになってアスファルトの上に散らばっている。屋根を支えていた骨組みも傾いて、いつ倒れてもおかしくなかった。いまはシャッターの開いた格納庫にさえ、車両はない。廃墟化といっしょにどこかへ消えてしまったのか、それより早く町から引き上げられてどこか別の町で利用されているのか。

 ホームに立つと視界が広くなり、黒い線路の筋が途中でかすれてゆき、やがて完全に途切れているのを見ることができた。陽は沈み、空の低いところにどす黒い色がとぐろを巻き、いよいよ夜がはじまろうとしている。かまわない。野宿くらいしてやるつもりでここに来ていた。ひょっとすると眠っているうちにうっかり死んでしまうかもしれないけれど、それはそれでいいと思っている。未来に希望なんて、持てない世のなかなのだから。

 ここからどこへゆこう、それとも腹ごしらえをすませてしまおうか。寝床を確保するのが先だろうか。真夏とはいえ、外で眠るのは難しそうだ。なにせ生まれてこのかたそんなことはしたことがない。

 逡巡していると、ふいに妙な感覚がした。足元に、服のすそを引っぱるものがいる。

 視線を落とすと、灰色の犬がいた。モモさんとはちがう、と考えかけて気づく。この犬は、わたしに触っている。

 毛むくじゃらの頭に触れようとすると、犬はすそから口を離した。すぐ前に座りこみ、さっき出会ったゆうれい犬にしたように手を差しのべる。今度はちゃんと、手が触れた。薄汚れてはいるもののふわふわした毛並みも、温もりも、伝わってくる。

 生きた犬だ。

 さっきから見かけるのはゆうれい犬ばかりだったから、少しばかりおどろく。こんなところで生活している生身の犬がいるのだ。犬は中型で、灰色の毛玉みたいな外見をしていた。長い毛はくるくるとちぢれて絡まり、目すらも覆い隠している。これで前が見えるのかはなはだあやしい。耳もほとんど毛に埋もれて、申しわけ程度にくっついているようにしか見えない。どこもかしこも毛むくじゃらなので、触り心地はばつぐんによいけれど。

 かいぐりかいぐりしていると、犬はむずかるように首を振って、わたしの手からのがれた。そのまま走ってゆくから行ってしまうのかと思ったら、くるりとこちらを振り返り、ひと声吠える。そのままわたしをじっと見つめる。いや、いかんせん目がこちらから見えないから推定だけど。

 ――まるで、ついてこい、って言ってるみたいな。

 立ち上がると、前を向いて犬が歩きだす。毛に埋もれたしっぽが、ぴん、ぴん、と揺れる。

 どうせ行くあてもない身だ。ついていくことにした。


 ときおりこちらを振り返りながら、毛玉犬はわたしを先導した。けっこうな距離を歩いて、舗装された道は終わり、あたりは閑散としてくる。はずれに来るほど道は荒れ、町の風化の度合いはひどくなった。建物のかたちを成しているものも、少ない。

 それでも犬はまだ歩く。おとなしく後についていると、やがて坂道になった。茂みをかき分けるような細い道は、小高い丘の上につづいている。

 のぼりきると視界がひらけた。

「ここ……」

 丘の上の平地に、お椀をふせたような建物があった。ほかに比べて保存状況がずいぶんよく、きちんとかたちを保っている。外壁はところどころ剥げてこそいるものの、暗がりのなかでなお深い藍色。見ていると、ふるい記憶が呼び覚まされる。

 一度、来たことがある。ここはプラネタリュウムだ。

 いったいなぜこの犬はわたしをここに連れてきたのだろう。と首をかしげるもつかの間、毛玉犬は迷いなく入口へ向かう。入口は両開きの重たい扉だ。犬の身では、開けるのが難しいのだろう。後ろ足だけで立ち上がって一度扉を押した後は、じっとわたしを見上げてくる。うながされるまま、扉の取っ手に手をかける。けれどそれはずいぶんがたがきているらしく、へたに触ると壊れそうだった。しかたなく、扉の面を手のひらで押す。ぎぎぎ、ときしんだ音をたてて、扉が開いた。

 せつな、光が目を焼く。それは中の床に置かれたランプが産みだすわずかな光ではあったけれど、外の闇に慣れた目にはまぶしくうつった。思わず片手で目を覆う。

「おや」

 手のひらの向こうで、声がした。

「お客さんだ。なんてめずらしい」

 若い声だ。そう思いつつ、ゆっくりと手のおおいをはずす。果たしてそこにいたのは少年だった。はげた絨毯の上に座り、ランプのあかりで本を読んでいた彼は、顔を上げてこちらを見た。

 目を合わせて、わたしは息を詰める。あかりが点っているとはいえ薄暗いせいか、光に慣れない目のせいか。――少年の目は、燃えるようにかがやいて見えた。まるで、青白いほのおをそっくり眼窩にはめこんだような苛烈さで、光がうずを巻く。長いまつげでまたたくたびに、燐光が散って宙に弧をえがいた。

 きらめきが、烏の濡れ羽色の髪のうえをすべる。少年が首をかしげたのだった。桃色のくちびるが開く。

「きみ、だれ?」

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