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25.遅刻厳禁

 ミタカがいなくなってからこっち、《ちいさな町》にゆくことはなくなった。アンダーソン氏がどうしているか気になりはしたけれど、なんとなく毎日ぼうっと過ごしてしまう。溜まりに溜まっていた課題は、気をまぎらわすように手をつけているうちにすべて終わってしまって、また暇になった。

 そのうちに友人から誘いがかかる。ほかにすることもないし出ていくと、彼女はものめずらしそうな顔でわたしを見た。

「璃子、すっごい焼けてんじゃん。会わないあいだなにしてたの?」

 なにをしていたか。これまでに起こったことをとうてい語り尽くせる気もしなくて、生返事が漏れた。

 目抜き通りに出て、洋服を見てみたり、アイスを食べてみたりしてみたけれど、どこか上の空だった。いつもどおりのコースなのにどこかいまの自分とそぐわない違和感ばかりがあって、しまいに友人に体調を心配されてしまう。

 ミタカがどこへ行ったのか、なぜいなくなったのか、知る手がかりはひとつもない。彼が残していったものは、手帳に書き足された詩、ただそれだけだ。たった二行を、何度も何度も、目でなぞったけれど、いとまごいにしか見えなくて気落ちする。

 わたしは始終ぼんやりしていた。ミタカがいなくなった、という実感が湧かなかった。これまでの彼とのことが、頭のなかでぐるぐるまわる。ひたすらに、うつろだった。


 覚えのない郵便物がとどいたのは、明日が夏休みの最終日というときだった。郵便受けのなかの暗がりに沈むように、深い紺色をした封書がある。取り上げてみると、わたしの名前が銀の箔押しで書かれている。――いつか見た、憧れの封書とおなじ外見。にわかに鼓動が早まり、わたしはその場で封筒を開いた。

 カードに書かれていた文字は、手帳に書きたされたものとおなじ筆跡をしていた。


璃子さま

 長らく故障していました投影機の修理が完了しました。

 つきましては、かねてからのお約束どおり、星の鑑賞会を行ないたいと思います。

 とき:8月31日 17:00~

 ところ:小さな町 プラネタリュウム

 ぜひお越しください


 p.s. 遅刻厳禁!


 まちがいなく、ミタカからの招待状だ。だけど、いままでミタカがどうしていたか、とかそういうことはひとつも書いていない。

 ともかくも、行かないことにははじまらないようだった。


 ひさしぶりに、プラネタリュウムの両開きのとびらを開いた。知らず、夏休みの初日を思いだす。あのころは、夕暮れどきでもまだ風が生ぬるかった。いまは陽に、残暑を感じる。

 とびらの感触は、はじめてここに来た日とすこしも変わらなかった。けれど、なかの客席に座っていたのは、青白い炎の目をした少年ではなく、灰色の毛玉のような犬一匹。いるのはアンダーソン氏だけで、ミタカはいない。

 どこか拍子ぬけしたような思いでいると、アンダーソン氏が近寄ってきた。服のすそを引っぱるので、後についてゆく。

 氏はわたしを客席のひとつに導いた。それは、いつもわたしとミタカが話をするとき使っていた席だ。ぶあつい座布団は、いまもしかれたまま。客席に腰かけ、なんの気なしに背もたれに身をあずける。まえまで動かなかったそれは大きくかたむいて、まるい天井が視界いっぱいに広がった。

 ミタカの席に座ったアンダーソン氏の首もとから、ブザー音が鳴った。腕時計を見れば、午後五時ちょうど。ブザーを合図に、劇場の照明がおちた。代わりに、作りものの夜空がまたたくまに頭上に広がる。夜の天幕を背景に、またたく星が幾億と。ほんとうに修理されている。

 ブザーが鳴り止むと、アンダーソン氏の首のところから、ノイズ混じりの声が聞こえてくる。

『本日は、お越しいただきありがとうございます』

 かしこまった口調ではあるけれど、それはミタカの声だった。けれどそれは一瞬で終わって、とたんにくだけた口ぶりになる。

『ひさしぶり、璃子。ミタカだよ。まさか忘れただなんて、言わないだろうね』

 ミタカみたいなやつを忘れられるわけがない。そう言い返したいのに、当の本人がここにいないことがもどかしい。

『突然いなくなったから、びっくりしただろう。こんなかたちでしか話ができなくて、ごめん。でもぼくは』

 音声がとぎれた。わずかな沈黙にまぎれた雨音めいたノイズが、やけに耳に残る。

『ぼくはもう、そこにゆくことはできない。ぼくの存在は、はじめから期限つきで、それは璃子がこれを聞いているころには過ぎてしまっている』

 ほんのすこしだけ、期待していた。ここでミタカに会えること。ごめんごめんびっくりした? なんて言いながら、なんでもないようにここに現れてくれるんじゃないかって。

 だけどこのことばを聞いたとき、一方で、ああやっぱり、とも思った。ミタカはもういない。その事実を信じられないということは、ふしぎとないのだった。

『どうして期限があるかって、そこから話そうか。星の鑑賞は、めんどうな話が終わってからのほうがいいだろ』

 ごほん、と咳払いの音がひとつ。さて、と声がして、ミタカの長い話が始まる。わたしはとりどりの星たちを見上げ、じっと聞いていた。



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