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23.墓とタイムカプセル

 目をあけると、心配そうなミタカの顔がまず目に入った。わたしと目が合うと、彼はほっと安堵をにじませた。

「よかった。目、覚めた?」

「……ミタカ」

 ゆっくりと起き上がると、いつものプラネタリュウムのなかだった。ぼんやりしていると、記憶がだんだんよみがえってくる。……あれから、どうなったのだろう。聞くと、ミタカはわたしが気を失ったあとのことを話してくれた。

 曰く、わたしは偶然にもがれきのすきまで倒れていたこと。すぐそばには大きな穴が空いていて、そこに落ちていればおそらく命はなかったであろうこと。

「ずっと目を覚まさないから、どうしようかと思った」

「どのくらい寝てた?」

「いま夕方だから、ほとんど一日。……気を失ったままならどうにかして町を出てたけど、途中から、寝てるだけみたいだったから」

「……うん。わたし、夢を見てた」

 わたしはいましがた起きた出来事を反芻しながら口を開く。あれは夢かうつつかどちらだろう。ひょっとすると、いまわの際に見た幻影なのかもしれない。だけど、いずれにせよ。

「モモさんが、助けてくれた」

 それだけはたしかだ。

「またあの浜に行ったの。海でおぼれそうになった。でも、モモさんが来てくれた」

 口に出すと実感が湧いてくる。そうだ、わたしはモモさんに会えたのだ。そして、あんなに言いたかったことを言うことができた。

 願いは、かなった。

「モモさんが……来てくれたんだ」

 繰り返し口に出すと、こみ上げてくるものがある。凍らせたはずの心があっけなく溶けて、心が、産まれ直す。

 生あたたかく透明な体液が、ほほを濡らした。そのまま伝って、ひざにもおちる。視界はたちまちにじんでぼやけ、なにも見えなくなる。それはいつぶりに流した涙だっただろう。溜めこんだぶんを出しきるまでは、きっと止まらないのだろうと思った。

 ミタカは黙ってアンダーソン氏を抱き、わたしに背を合わせて座った。おたがいの服ごしにぬくもりが伝わって、よけいに泣けた。それでもミタカに顔は見えていないから、背中合わせにしてくれたのはありがたかった。

 わたしが泣きやむまで、ミタカはそうしていた。頭を打ったのだから、とミタカはプラネタリュウムに泊まっていくようすすめた。あっというまに照明が落とされ、後は闇。それもまた、さんざん目をはらしたわたしにはありがたかった。


 翌朝起きると、いくぶん気持ちが落ち着いていた。そうなると、自分以外のことにも目がいく。

 ――慧斗さんとシャウラは、どうなっただろう?

 ミタカに聞くと、彼は黙ったまま首を横に振った。

「さがしても見つからなかった。……死んだと決まったわけではないけれど」

 そっか、と吐き出した相槌はくぐもった声になった。

 慧斗さんのしてきたことを、わたしは理解できる。共感はしなくとも。許されないことだとも思うのだけれど、彼の心に溜まった澱を、わたしも知っている気がするのだ。だから、生死不明だなんて幕切れはあんまりだ、と思う。

 あの崩落の直前。ミタカが口ずさんだ一節を思い返す。ミタカは慧斗さんのなにかを知っているようだった。欲しいものがある場所を知っている、と言っていた。

「ミタカは、どうして慧斗さんのこと知ってたの」

 聞くとミタカは少しためらうような素振りを見せた。けれどもやがて意を決したようにひとつうなずく。

「うん。璃子には教えておくよ。彼が生きてたときのために」

 ミタカは立ち上がり、わたしにもう起きられるか聞いた。慧斗さんの欲しいもの。それがある場所まで連れていくと、彼は言った。

 プラネタリュウムのなかは暗いから時間がいまいちよくわかっていなかったけれど、外に出てみれば早朝だった。独特の静謐さをはらんだ大気はうすぼんやりとしか熱を持っておらず、どころか、陰に入れば涼しいほどだ。まだ弱い日の光が照らす木々は、淡いみどり色。

 アンダーソン氏はまだ寝ていたから、ふたりきりで町に出てきた。ミタカはわたしの先を歩き、道をふさぐ大きながれきの上にぽんと飛び乗ると、両手でバランスをとった。

「このあいだ、話したろ。ぼくが人間になりたいと思ったきっかけ」

 覚えている。犬の絵をきりんの絵に変えてしまった子どもの話だ。ミタカはわたしを振り返ると、少し高い位置から言った。

「慧斗くんはね、あのときの子ども」

 わたしは思わず口を開いたけれど、そこからはなんのことばも出てきやしなかった。そのくらい、驚いた。だって、まさかそんな。口を何度か開け閉めして、やっと返答する。

「そんなできすぎた偶然ってあるの」

「あるんじゃない。璃子がいまぼくの目の前にいるように」

 だから、そんな偶然が二回も三回も起こるのがおかしい、って言ってるのに。ミタカは薄く笑い、それこそ運命なんじゃない? と言い放ってみせた。

「人間の身からすると、星だったころの記憶はなんていうんだろう、……ページがばらばらになった本みたいなんだ。断片的だったり、地続きだったり、まったく失くしてしまっていたり、順序だってなかったり。慧斗くんの記憶は、恐竜の次にきている」

 ふいにミタカは、笑みを消した。逆光が彼の白い輪郭をふちどって、表情に残されたかなしげな色だけを光らせた。

「想像力が滅びを呼ぶことは重々知ってたつもりだよ、こんな身の上だから。でもやっぱり、少し……ほら、ずっと見てたからさ」

 どこか遠くのほうで、ゆうれい犬がほえた。水底で聞く音のようにぼやけたそれに気をとられたほんの一瞬で、ミタカはまた前を向いた。あとはふたりしてなにも言わないまま、朝の空気のなかを歩き続けた。

 ミタカが立ち止まったのは、ひらけた土地の片隅だった。

「ここ、小学校だったんだよ」

 ミタカはそう言いながら、生い茂る草木のなかにしゃがみこむ。のぞきこむと、そこには黒い正方形の石碑があった。ミタカが力をこめてずらすと、穴が現れる。

 そのなかには古びたお菓子の缶があり、蓋をあけると、中から黄ばんだ画用紙が出てくる。色とりどりのクレヨンで書かれた、家族の絵。父、母、息子、それから犬。

 目立つのは、画面を彩る黄色だ。花の、太陽の、帽子の服の色がまぶしい。

「……黄色は、慧斗くんの好きな色で。クレヨンも、黄色だけ先になくなっちゃうんだ。それを見た母親は、困ったように笑いながら、でも嬉しそうに言う」

 それが――きいろはお日さま、慧斗の色。

「あのシャウラって子が死んでから、慧斗くんいろいろ大変だったようだよ。家族の仲がいまひとつうまくいかなくて、それにアンダーソン氏の飼い主や璃子とおんなじように、別天地への移住が重なって」

 ミタカは首を振った。慧斗さんが口に出した「絶望」ということばが、脳裏をよぎる。

 はじめはただ、戻りたかっただけなのかもしれない。この絵のなかの日々に。だからシャウラに戻ってきてほしいと願った。でも思いはいつからか変質してしまった。こんなの、本人の口から聞いたわけじゃない、口伝えと憶測だ。だけどミタカがあの文句を口ずさんだときの慧斗さんの様子を思えば、いくらかは正しいような気もした。

 目を伏せる。ミタカが気遣わしげに名を呼んだ声に、答える。

「知れただけ、よかったと思う」

 タイムカプセルの目印は、さながら、墓標のようだった。実際、墓というのはそう遠くない比喩だろう。ここに至りたくて、だけど至れなくて、たくさんの犬が死んだのなら。

 犬。ふと、脳裏をよぎるすがたがあった。

「もうあの子のことはだれも教えてくれないんだし」

 集合住宅の一室で、檻に篭められた小さな金茶の犬。犬はしゃべれないから、しゃべれたとしてももうあの子はこの世にいないから、あの子と、あの子の大事にしていた時計のことをわたしは知ることができない。

「ミタカ、行きたいところがあるんだけど」

 もうひとつ、お墓を作らなくちゃ。



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