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02.ゆるやかに滅ぶ

 ゆるやかに世界がほろびはじめたのは、わたしが物心ついたころだった。

 ――じきに世界は滅びます。白に青、赤の彗星が空を横ぎり、雨が六晩降りつづく。潮騒虫が大量に死に、くじらが浜に打ち上がり――。

 みんな、よくある終末の予言だと思っていた。半信半疑、もしかしたらほんとうに終わってしまうかもしれないとうそぶきつつ、切れた調味料は買い足して、いつもどおりの日々を過ごしていた。だけど、降ってしまったのだ。白、青、赤の彗星。六晩やまない雨。潮騒虫もくじらも死んで、この予言が最後まで実現したらほんとうに、もしかして――。そんな恐れが、蔓延した。

 もしかするとあれは偶然だったんじゃないか、なんていまでは言われている。けれど、終末の予言はほんとうかもしれない、そんな疑心暗鬼を、うわさ好きな新聞雑誌、あるいはテレビがまたたくまに世界に広げたせいで、世のなかはどこもお葬式状態になった。

 ここからは、どんな学者もお手上げだ。

 終末を信じるひとが増えるほどに、ひとびとがいだく滅びの幻想が、ほんとうになったのだ。

 ゆうれい犬も、そのひとつ。だれかが思ったのだ――死にゆく世界を前にして、死んだ犬が歩きまわることがあるかもしれないと。そしてそれはほんとうになった。ほかにも川が干上がったり、生き物の影が消えてしまったり。ひとつの幻想がほんとうになれば、ねずみ算式に終末信者が増える。滅びは加速していくばかりだ。

 どうしてこんなことになったのか。えらくてかしこいひとたちは、仮想現実が現実を喰う、とか、肥大化したイメージのなれのはてがうんぬん、とか言ったけれど、結局だれにも、たしかなことはわからない。ただ、みんながみんな、あきらめていた。それから、信じていた。

 この世界は、なにもしなくても、どうしようもなくわるくなっていく、と。

 わたしの故郷が滅びたのも、滅びの幻想が現実になった結果。廃墟化と呼ばれる現象が原因だ。

 十年前、わたしが五歳のとき、廃墟の波は北からやってきた。ここよりずっと北にあるとある町は、一夜にして建物がさびれ、草木が育ち、そして、ひとが消えた。以来、じわじわと、町が廃墟になる現象が南下してきた。いよいよとなり町が廃墟になってしまって、《小さな町》の住人は移住を決めた。それでわたしはいま、《大きな町》に住んでいる。

 そんなふうに、わたしたちにとって世界はちぐはぐな場所だった。だからゆうれい犬のうわさをはじめに聞いたときも、わたしは驚かなかった。あれは期末試験がはじまる前だろうか。学校が昼過ぎで終わったこともあり、これからはじまる長い戦いに備えようと、友人と駅前のアイスクリーム屋に寄り道をしたときのことだ。暑気を増してきた空気が、けだるい体に染みる日のこと。アイスを買ってふたりで丸テーブルにつくと、壁にはまったテレビがワイドショーを流しているのが見えた。

「ねえ見てみなよ」

 言われるまま見てみると、政府のお役人が熟年離婚ののち年の差婚に走ったというニュースだった。それも、終末思想防止キャンペーンの旗手。終末思想が世界に毒なことはどうやらたしかだったから、政府は滅びを信じないよう、世のなかを明るくするキャンペーンをつぎつぎ打ち上げたのだ。だけどこのざま。当人が終わりを確信して、せいぜい余生を楽しもうって魂胆なのだ。

 わたしたちが漏らした笑いは、ひどくかわいていた。友人が毒々しい桃色のアイスを舐める。舌はたちまち、それと同じ目に痛い桃色に染まっていった。

 くだらないワイドショーから目を逸らし、レモンイエローのシャーベットをすくっていると、友人は言った。

「それよりさ、璃子。知ってる? 出るらしいよ」

「なにが、どこに」

「《小さな町》に、ゆうれいになった犬が」

 ふうん。ついにゆうれいまで、出ちゃったんだ。そう生返事を返す。ゆうれいなんて眉唾物の時代もあったろうに、滑稽なことだ。

 聞けば、廃墟になった《小さな町》を、歩き回る影があると話題になったのだという。それをどこかのもの好きがたしかめに行ったら、影の薄い、触ることのできない犬だった、と。百匹、いやもっといたかもしれない、と言うけれど、それはまあ、尾ひれがついているのだろう。

 暇つぶしの会話なんて、流動的なものだ。話題はすぐに移り変わって、今度は友人の彼氏の愚痴になる。

 だけどわたしはその裏で、考えていた。

 ――犬。そう聞くとわたしはどうしても、モモさんのことを思い出してしまう。もしかして、もしかすると。あるんじゃないだろうか。モモさんがゆうれいになって、《小さな町》にいるってことが。

 ばかばかしい、一笑に付すべき考えだ。いるって保証があるわけじゃない。見たってひとがいるわけでもない。だけど振り払えなかった。その思いつきは心の陰に住みつき、いつのまにかわたしは決めていた。

 夏休暇がはじまったら、まっさきに、《小さな町》へ行ってモモさんをさがしてみよう。

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