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短編

小さき手に運命を握り

作者: 日室千種

 春の風が昨日までの雨雲をすっかり吹き払った日に、妹に種が来た。

 それは隣街に住む青年の花、令月草の種だった。月の光に青白く咲く、高貴な花。

 妹は恥じらいながら、己の花、千紅の種を青年に送った。

 お互いが種を蒔き、花を咲かせることができたなら、二人は晴れて、似合いの夫婦になる。




 この大陸の人は皆、生まれ出でるときに種を握りしめている。

 それは自分の運命の花の種。

 親はそれを庭に蒔き、子と同じく慈しむ。

 そして花が咲き、種が生ると、風の王がその種を運び去り、子に見合う伴侶候補の元へと届けるのだ。

 種が運ばれるのは、大抵ひとつふたつの村を越えた辺りまで。だから種が来て、受ける意志が少しでもあれば、その種の主を探し出す。そして婚約を整える運びとなったなら、印として種を交換する。

 風が選ぶ伴侶はおおむね正解で、花を咲かせ合った夫婦はとてもうまくいく。




「ねえさん、ここでいいかしら。このぐらいの深さで」

 はしゃぐ妹を、母が静かにたしなめた。妹はうなだれ、ごめんなさい、と謝ってくる。なに言ってるの、と私は笑って、そっと家に引っ込んだ。

 八歳離れた妹。今年成人を迎えた無邪気な娘は、巡り合わせのいい種も届かず行き遅れた姉を、真っ直ぐに慕ってくれて、真っ直ぐに気遣ってくる。両親はなにも言ってはこない。妹の慶びを一緒に喜びながらもいきすぎないように、あえていつもの穏やかな空気を心がけている。

 その優しさが、私にはつらい。

 かといって、思い切りはしゃいだらいいのよ、とも言えずに、この数日、いつも通りの和やかな家族の生活の奥に、ぎくしゃくとした居心地の悪さを感じていた。

 表の庭から家に入った私は、そのまま家を通り抜け、裏の丘に走った。

 丘を覆い隠すかのような立派な樹が、梢を風にざわわと鳴らす。

 両手で抱えきれない幹に額をつけて、降り注ぐ音を聞いていると、強張っていた心がすこし解れていくようだった。




 私に来た種はたった一粒。

 小指の爪より小さな種だった。

 近隣の村に種の主は見つからなかった。おりしも国全体に悪い病が流行ったころで、村から村の移動は控えるべしとお達しが出ていた。三つ隣の町でも種の主が見つからなかったとき、私は家族に、この種の主とは縁がなかったのだと、探すのをやめようと伝えた。

 でも一体何の種なのか気になるから、そう言い訳をして、丘の上にそっと埋めた。日照りが続く日は水をやり、冬は藁で保温し、虫がついたら退治して。

 小さな芽からぐんぐんと育ってきたのは、木だった。止まるところを知らずに伸びる、大きな木だ。真っ直ぐ天を目指す幹、姿よく広がる枝、冬も落ちない濃い葉。

 誰も名前を知らない木。

 十年で、村のどこからも見える大木になったが、一度として花をつけなかった。

 木の種の主はその後も見つからず、初めはからかっていた友達も、次第に気の毒そうな顔をして、花の話題にすら触れようとしなくなった。

 その間に、友達は皆お嫁に行って、かわいらしい赤ちゃんと、その小さな手に握られた種とを手に入れていた。




 もう、私も諦めている。

 十年でここまでの大きさになった不思議な木だが、いまだ、花を咲かせる気配もない。ではその種を実らせた元の木は、いったいどれほどの樹齢なのだろう。

 そんな運命の種を持って産まれた青年は、もう年老いてしまっているかもしれない。

 あるいはもう、縁づいた他の人と結婚してしまったかもしれない。

 考えれば、胸が軋んだ。

 娘の頃は当たり前のように自分に訪れると思っていた幸福が、遠い。結婚、夫、子供、家族、安寧な未来。得られなかったものを思わず数えてしまい、体の中に重石が積み重なっていく。

 その重みに耐えかねて、そっと泣くのは、いつもこの木の下だ。忌々しく思ったことはあっても、毎日見守って来た。木肌の暖かさと葉陰の労りは、一番心を落ち着かせてくれる。




 今日も、私は幹にもたれかかって座り、ぼんやりと梢を見上げていた。

 ざわざわ、と風が木をなぶり、中途からすっぱり切れた細い枝が、私を手招きするようだった。その枝の先は、先日私が切り落としたものだ。

 乾燥させた枝の皮をむき、削って、作ったのは小さな笛だった。

 いつも私を慰めてくれる梢の歌に合わせてみたい、とそう思ったからだ。

 懐から出来上がったばかりの笛を取り出した。

 心の中には、暗いどろりとした塊がへばりついている。

 運命の種なんてなければいいと思うし、妹ばかりずるいと思う気持ちもある。自分はそんなに悪い行いばかりしているだろうか、いや、してるからこんなになっているんだ、と理不尽とわかっていながら自分を責める気も。

 そしてこれから、どうやって一人で生きていこうかという悩み、不安。

 抱えていることが苦しくて、情けなくて、私はそっと、笛に口を付けた。

 そっと吹いて、響いた初めての音。

 それは澄んでいて、柔らかに伸び、霞む青い空に溶け込んだ。




 なんて音だろう。

 荒んだ心を解きほぐしながら、私は陶然と笛を吹いた。

 悩んでいたことのいろいろが、いつしか涙となって外にあふれ出た。そして解放されて軽くなった心は、意外なほどに感謝と幸福に満ちていて、笛の音と一緒に高く高く舞い上がっていく。

 母がとてつもなく育てにくい私の花を、今でも話しかけながら世話してくれていること。

 妹が今でも、この木の種の主を探していること。

 そして父が、ずっとここにいればいいと、ぽつりともらしたこと。

 なんて幸せで、贅沢なのか。

 もしも、もしもこの木の種の主が現れたら。私はこの家族を置いて、彼の元へと行けるのだろうか。

 初めてそんなことで悩んだ私の髪を、常にないいたずらな風がひゅるっとさらった。

 思わず目を閉じる。

 そして開けると、目の前に見も知らぬ若者が立っていた。

 見慣れない服装、薄い色の髪、きらめく緑の眼と、優しげな口元。目を合わせただけで、びりびりと痺れるほどの、存在感。


「探したよ」

 彼は言って、そっと笛を指し示した。

「貴方が、僕の木を育てた女性だね」


 私はびっくりして笛も涙も、息すら止まっていた。

「だ、だだだ、だれ? どこから来たの、君は」

 童顔と言われる私より、さらに若く見える青年は、くすり、と笑った。

「どこって、そうだね、さっきまでは西の都の辺りにいたよ。ずっと、探してたんだ。僕の伴侶を」

 物言いはとても穏やかで、私はようやくまともに舌が回るようになった。けれど、思考は取り残されて、まったくもって、うまくまとまらなかった。

「伴侶、って、私のこと? この木の種の主は君なの? でも、でも花は咲いてないわ。探しても主はわからなかったから連絡もできなくて、私の花も君に届いてすらいない。だから、お互いに種を実らせた訳ではなくて、だから、、、まだ伴侶かどうかわからないじゃない」

 驚きと混乱が勝って、つっけんどんに諭すような言い方になった。

 青年の顔が少し曇って、風が不機嫌に乱れたようだった。

「せっかく会えたのに、僕のことが気に入らないの? すぐに連れて帰ろうと、最速で飛んできたのに」

「大げさよ。それに、すぐにって無理よ。だってまだ、親にも挨拶していない」

 笛の余韻で、家族と離れると思うだけで胸が痛んだ。でもその痛みには、青年に対する動悸も含まれていたようで。

 じゃあ、今から挨拶に行こう、と手を取られたときにはひどく激しく心臓が暴れた。


 しかしその心臓も、ひたり、と冷たく静まった。

 私を抱え込んだ青年の背から、突然、大きな羽が広がったからだ。ぶるっと準備のように震わせると、うっすら透ける羽の表面に虹が走った。

「……」

「僕は風の王の一門だよ。大丈夫、ゆっくり飛ぶから」

 飛んできた、というのがそのままの意味だったことを、じわりと悟る。

 風の王とその一門は、美しい羽と長寿を誇る、神の末裔だ。

 聞き及ぶ限り、会ったことのある者は周囲にいなかったが、国のあちらこちらにある石碑には、その神々しい姿が描かれている。

私はさらに動悸と目まいを起こした。

 背に添えられた手は優しい。これまで私を育ててくれた手と同じほどに。でも、十年の苦節は、そうやすやすとは無条件の幸運を信用させないものだ。

「でも、やっぱり花は咲いていないし、私の木はとても育てにくいし……」

 ふわっとこそばゆい浮遊感ののち、答えは耳に囁かれた。

「僕の木は、僕の人生で一度しか花をつけない。だけど花のかわりに、笛の音がすべてを示してくれた。だからいいんだ。それに、見て」

 木の茂りに沿ってゆっくりと上昇すると、風景は見たこともないものになる。巨大な木のてっぺんを見下ろした二人からは、梢の葉が少し淡くなって、中に光が差し込む場所が見えた。

 そしてそこに根づく小さな薄緑の塊と、その上にちりばめられた黄色の、私にとっては見慣れた、小さな花が。


 宿月枝。私の花だ。

 月を宿とする木と言われ、高木の枝にだけ根付く木だ。宿主となる木からは水だけを吸う、半寄生の木。

 その育てにくさと言ったら。

 母が私の種を育てられたのは、折よく村を訪れた旅の賢者の助言があったからだという。

 野生のものは、落葉樹についているのを冬に稀に見る。ただ、この大木に宿っていたとは、今まで冬も落ちない濃い茂りに遮られて、まったく気づかなかった。

「僕の木が、貴方の花を咲かせた。だから、いいんだよ、今すぐ夫婦になれる。しかも宿月枝は聖なる木だから、とても尊い。風の王の一門は、君をとても歓迎するよ。

 僕と一緒に、風を運ぼう。手伝いをしてほしいな」


 私はもう、何も言えず。

 ただ運命の夫に、少し強めにしがみついた。

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[一言] 確かにこれ、ジャンルが童話でもいいかもしれない。 そしてやっぱり続きが気になります
[一言] 昔大好きだった童話を読み返した時のような懐かしさが胸にこみ上げてきました。 大切に、いつも心の隅にでも留めておきたくなるようなお話だと思います。 惜しむらくは、ヒーロー登場からの流れが早すぎ…
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