僕のおばあちゃん。
ごうごうと風が吹き荒れている。
駐車場から玄関までの短い距離を歩いただけなのに、傘を一本だめにしてしまった。
「おばあちゃん、久しぶり」
個室のドアを開けると、介護用ベッドに伏したおばあちゃんがいる。
小柄で、しおしおで、やせ細った、僕のおばあちゃん。
おばあちゃんは老人ホームに入所している。
いわゆる寝たきり、ではないけれど、いろいろあって僕の家でも親戚の家でも、介護が難しいのだ。
なんでもこういうところに入るには、けっこうな大金が必要らしく、僕もそれなりにカンパさせていただいたが、
そこまでしてでも、うちの親戚連中は、介護が必要なおばあちゃんを家に置いておきたくないようだ。
忙しい忙しいと仕事を言い訳にする、僕も含めて。
おばあちゃんの口癖は、「あたしゃもう百歳になるのよ」。
本当は今年で94歳なんだけど。
「あんた、こんな日にこなくても」
おばあちゃんは骨ばった手で布団をはねのける。
「いいんだよ、今日ぐらいしか休みがないんだから」
台風が何だというのだ。
僕は花瓶の花と水を入れ替える。くすんだ白い百合を、ベッドの横のゴミ箱に捨てる。
今日の花は、おばあちゃんの笑顔のような、ひまわり。
カーテンを開けて、とおばあちゃんは言う。
僕は、はいはい、と言いながら、花柄のカーテンを開ける。
カーテンを開けたからって、部屋が明るくなるわけではないのだ。
空はどんより、雨もちらついている。
窓から見える木々は、左右に激しくスイングしている。
「台風が来てんだねえ…怖いなあ。
あたしゃ死ぬのは怖くないんだけど、台風はどうも好かないねえ」
ベッドに目をやると、おばあちゃんはいつも以上に小さくちぢこまっていた。
「おばあちゃんは、台風は怖いのに、死ぬのは怖くないの?」
おばあちゃんはこっくりとうなずく。
「そうだよ。大地は怖いの?」
おばあちゃんは年相応の認知症が進んではいるが、幸いなことにときどき顔を出す僕の名前は覚えてくれている。
「そりゃあまあ…台風で家が壊れたり誰かが死ぬのは怖いかなあ」
「そうじゃなくて、死ぬこと」
すぐには答えられなかった。
黙って、逃げようとして、窓を見つめていると、おばあちゃんはつぶやいた。
「あたしゃ、台風で誰かの大切なものが壊れるのは怖い。
でも、死ぬのは怖くない。
あたしゃもう百歳まで生きたんだもの。」
おばあちゃんはいつも、顔をしわくちゃにして笑う。
「安心して、みんな行き着くところは同じだから」
そうだね。
しばらく外を見つめた後、僕はカーテンを閉めた。
もう一度ベッドに目をやると、おばあちゃんはすうすうと寝息を立てていた。