表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/5

我の物ネ

「被疑者、確保」


低い声が、夜の港に落ちた。


「っ……!」


気づいた時には遅かった。

左手首に冷たい金属が食い込む感触。

カチン、という乾いた音。

手錠だ。


「ん……」


特殊警察第七課、係長ナカジマ。

ナカジマは片膝をついたまま、目の前の被疑者を見上げた。

さっきまで気を失っていたはずの頭が、じんじんと痛む。胸元に妙な柔らかさの記憶が残っているが、今はそれどころではない。

変面の仮面。

鮮やかな赤の隈取り。

顔はわからない。

だが。


「……女?」


チャイナ服のスリットから覗く白い太腿。

今にも布地が破裂しそうな胸元。

どう見ても、男ではない。


「なんで……若い女が、こんな事をしている」


独り言のような呟きだった。

ユキは答えなかった。


(答えるもんですか)


手錠で繋がれた左手首を、ちらりと見る。右手は自由だ。逃げようと思えば逃げられる。

でも。


(金塊が、ある)


コンテナはまだそこにある。

密輸船が来るまで、あと――どれくらいだろう。


「お前は、どこの組のモノだ?」


ナカジマの目が、仮面の奥を覗こうとするように細くなった。


「……」


ユキは黙った。


「まあ、言わないだろうな」


ナカジマは静かに立ち上がった。ユキより頭ひとつ分以上、背が高い。


「だが、身柄は既に確保できている」


一歩、距離が詰まる。


「口を割らないなら」


さらに、もう一歩。


「その身体に直接聞くのも、可能だが?」


ぞわっ。

ユキの全身に、別種の悪寒が走った。


(このポリ公、なんて事言ってんのよ!!)


顔が仮面の下で真っ赤になる。


「っ……べ、別に! 何も喋る事なんてないし! っていうか、そんな事したら人権侵害じゃないの!? 訴えるわよ!?」

「お前が訴える立場か」

「うっ……」


正論だった。

ナカジマはしばらくユキを観察するように見つめてから、ふと視線を動かした。

コンテナの方へ。


「……待って」

「?」

「あの、ちょっと待って! 話す! 少しだけ話す! だから、その、そっち行かなくていいから!」

「急に喋る気になったな」


ナカジマの目が、すっと細くなった。


「……妙だな」

「べ、別に妙じゃないし! 私だって話したい気分の時とか、あるし!」

「コンテナが、気になるか?」


ユキの心臓が、跳ねた。


「な、なんの話? 全然気にしてないし? コンテナなんてどこにでもあるし?」

「そうか」


ナカジマはユキから目を離し、コンテナへ向かって歩き出した。


「ちょ――っ!」


考えるより先に、体が動いた。

ユキはナカジマの背中へ、全力で飛びついた。


「なっ……!」


ナカジマの背中に、ふわっとした重みと、とんでもない柔らかさが激突する。

Gカップが、背中いっぱいに押しつけられた。


「……っ」


一瞬。

ほんの一瞬だけ、ナカジマの思考が、真っ白になった。


(いかんいかん)


首を振る。


(コンテナの確認が、先だ)


「離せ」

「いやよ!」

「離せと言っている」

「絶対いやー!!」


ユキはナカジマの背中にしがみついたまま、仮面の下で必死に歯を食いしばった。

時間さえ稼げれば。

密輸船さえ来てくれれば。

そうしたら――


「……随分と楽しそうだネ」


声が、した。

低く、穏やかで、底のない声。

ユキの動きが止まる。

ナカジマの動きも止まる。

ゆっくりと振り返る。


コンテナ群の影から歩いてくる男。

黒髪に走る白いメッシュ。

港の灯りを受けて、艶やかに光る。

手にしたグラスを、ゆるゆると揺らしながら。

三日月のような笑み。

ナカジマの喉が、小さく鳴った。


「……嘘だろ」


見間違えるはずがない。


「黒龍会の総帥が……直々にお迎えかよ」


凱は答えなかった。

ただ、食えない笑顔のまま、ユキへ視線を向ける。


「ユキ」

「か、凱さんっ……!!」

「ご苦労様だったネ」


凱はゆっくりナカジマへ視線を移した。


「お巡りさん」


三日月の笑み。


「その子」


指先で、ユキを示す。


「我の物ネ」


少し首を傾げる。


「壊されたら困るヨ」


ナカジマの目が、鋭く細くなった。




「………动手(やれ)




凱は静かに、グラスを持っていない方の手を上げた。

それだけだった。

だが。


「っ!」


コンテナの影から、屋上から、暗がりから――黒龍会の構成員たちが、一斉に動いた。


「総員、迎撃!」


銃声が港に弾ける。

ナカジマが身を低くする。

怒声。銃声。金属音。

その混乱の中で。

ユキは左手首を見た。

手錠。

ぐ、と力を込める。

金属が軋む。

メキッ。


「あれ?」


手錠が割れた。


「あれ? 割れた」


ユキは砕けた破片を落とすと、即座に走り出した。

ビルの壁を蹴る。

二歩、三歩。

壁を駆け上がり、鉄骨を掴んで跳躍する。


「くそ……っ! 逃がすかよ!」


ナカジマの声が下から追う。

だがもう届かない。

ユキの体は夜の高みへ消えていた。

そして。

ユキの姿が闇に溶けた瞬間。

ぴたりと銃声が止んだ。

静寂。

まるで、最初から何もなかったかのように。


「……」


ナカジマは荒い息のまま、夜空を見上げた。

重低音。

ヘリだ。

黒塗りのヘリコプターがコンテナ群の上空に滑り込む。

凱は振り返らない。

グラスを静かに傾け、最後のひと口を飲み干す。

空のグラスを構成員に渡す。


「お巡りさん」


ヘリのタラップへ足をかけながら、凱は振り返った。

三日月の笑み。


「今夜は楽しかったヨ」


それだけ言って、タラップを上る。

ドアが閉まる。

轟音が遠ざかる。

黒い機体は、夜空に溶けて消えた。

港に残ったのは、ナカジマと、散乱した薬莢だけだった。


「……黒龍会の総帥が」


ナカジマは夜空を見上げたまま呟く。


「直々に迎えに来た」


あの女のために。


「……ふざけるな」


静かに拳を握る。


「……どういう関係だ」


潮の匂いだけが、静かに漂っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ