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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

【短編】日曜のドーナツの窓から見えるのは (2026.2.15.Sun)

掲載日:2026/03/03

「バレンタインは、彼氏と遊ぶ約束しちゃったんだ」

 

 ごめんしおり、と手を合わせて謝る幼馴染の未愛みあ

 廊下に、ぴゅうと隙間風が通り抜けた。

 

「その代わり、バレンタインの次の日の日曜は一緒に遊ぼ!」

 

 屈託なく笑う未愛。透き通るような茶色の瞳が、きらりと輝く。

 つられるように小さく頷いた。

 私は、そんな未愛に弱かった。

 

 

 彼氏に呼ばれた未愛へ、大きく手を振る。

 今年に入って三人目の彼氏。未愛は、彼氏がころころとよく変わる。


 吐きだした息が、白く煙った。

 未愛の背中を追いかけるように、息が伸びていく。

 遠くで、未愛が彼氏と手を繋いでいた。見つめあって笑いあう二人。

 お揃いのイルカのキーホルダーが、二人の鞄で揺れている。


 ――あの人は、未愛と付き合ってまだ三週間なのに。


 心臓に、爪をぐっと突き立てられた気がした。

 そのまま、未愛が去っていた方向とは反対に、踵を返す。

 夕焼けの通学路に響くカラスの鳴き声が、やけに耳に残って離れなかった。


 ♥


 日曜日、玄関のドアを開けた未愛が、にっこりと笑う。

 未愛の髪から漂う、甘いチョコレートの匂い。息が詰まりそうだった。


 ――昨日はバレンタイン。彼氏に手作りのチョコレートでもあげたのだろうか。


「栞、どうかした?」

「……何でもないよ」


 無理やり口角を上げ、ドアをくぐる。

 奥のキッチンから、むせ返るような甘い匂いが立ち込めていた。




 いつも通り、通されたのは未愛の部屋。

 未愛は、私を部屋に通すなり下の階に降りてしまっていた。


 横に置いた自分の鞄を開く。

 中には、ラッピングされたカップケーキが入っていた。

 毎年恒例のカップケーキ。

 今日、未愛に渡そうと、昨日こっそり作っておいたのだった。


 未愛は彼氏がいる。

 この気持ちは、隠し通さないと。だって、私たちは幼馴染なんだから。

 

 でも……。


 袋の上を滑り落ちたため息が、鞄の中にゆっくりと溜まっていった。


 沈んだ心を閉じ込めるように、鞄を閉じる。

 軽く伸びをすると、視界の端の未愛のリュックに目が留まった。

 キーホルダーと缶バッジが沢山ついた大きなリュック。


「あれ?」


 イルカのキーホルダーが消えていた。

 彼氏とお揃いで買ったと、鞄につけていたキーホルダー。

 それが消えているということは、もしかして、彼氏と……。


「栞、どうしたの?」


 未愛が、ドアから顔を覗かせていた。

 不思議そうに首を傾げる未愛。


 ごくりと息をのむ。

 彼氏と別れたか聞くチャンスは、今しかない。


 けたたましく鳴る心臓を、ぎゅっと抑える。

 小さく息を吸うと、喉の奥から声を絞り出した。


「……彼氏とお揃いのイルカのキーホルダーが、無いなって」

「ああ、それね」


 後ろ手にドアを閉めた未愛が、眉を下げて笑った。


「……昨日、踏んづけて壊しちゃった」


 目の前が真っ暗になった。


 ああ、聞けなかった……。

 喉の奥から絞り出した声は、結局違う言葉を紡ぎだしてしまった。

 唇を噛み締める。


 未愛が彼氏と別れたかどうかなんて、聞くべきではなかった。

 先程、私達は幼馴染だと散々言い聞かせたのに……。


 伏せていた目を無理やりあげると、わざとらしくため息をつく。


「彼氏が泣いちゃうよ」

「……大丈夫だって!もう必要無いし」


 いつの間にか横に座っていた未愛が、握りこぶしを作って笑った。


 ――ああ、そっか。彼氏と新しいキーホルダーを買ったんだ。


 息が詰まる。目元がかっと熱くなった。

 

 「そうだ、未愛」


 口を開きかけた未愛に、声を被せる。

 彼氏との話なんて聞きたくなかった。


 手元の鞄を漁ると指先が袋に触れて、乾いた音を立てた。

 袋から覗くカップケーキに息をのむ。


 ――大丈夫。今年もいつも通りに渡せばいいんだから。


 軽くリボンを整えると、袋を引っ張り出す。首を傾げる未愛に、差し出した。


「はい、未愛。いつもの」


 未愛の視線が、袋に落ちた。


「いらない」

「……え?」


 きっと睨む未愛。そのまま袋を押し返される。


 ぐしゃり。


 袋の中で、カップケーキの潰れる音がした。

 柔らかい感触が、手のひらに伝わる。

 崩れた生地が、袋の中で崩れ落ちていった。


「未愛、なんで……」

「それより、これ食べて」


 ふっと目線を逸らした美愛は、くるりと体を横に向ける。

 ガチャンと音を立ててテーブルの上に置かれた大皿。

 その上には、色とりどりのドーナツが乗っていた。


 ふわりと香り立つ甘い匂い。先程キッチンに立ち込めていたのと、同じ。

 喉がひくりと鳴った。


「栞にドーナツ、作ったんだ」


 未愛が目を細める。

 喉の奥に抑え込んだものが、どろりと溢れ出した。


「……彼氏にあげた分の、残りなんでしょ」


 止められなかった。焼け付く炎に、全身が飲まれていく。

 手から滑り落ちたカップケーキが、床に転がった。


「違う!わたしは、栞が……」


 小さく呟いた未愛の声が、震えていた。

 はっと我に返る。頭が急速に冷えていった。


 ――こんな事、言うはずじゃなかったのに……。


 おそるおそるドーナツに手を伸ばす。

 未愛の視線が指先に集まるのを感じて、耳が熱くなった。

 

 ドーナツは、口の中でほろりと甘く溶けていった。

 お腹の中のうねりが、ゆっくりと納まっていく。

 

「ごめん……ドーナツ、美味しい」

「うん」

 

 未愛がドーナツに手を伸ばす。一口食べると、ちらりとこちらを見た。


「……そういえば」


 未愛が小さく息を吸った。


「……何で毎年カップケーキなの?」


 ぎくりと背中が強ばる。冷や汗が背中をつうと流れた。


「つ、作りやすいから」

「……ふーん、意味なんてないんだ」


 未愛の瞳が微かに揺れる。

 そのまま、ドーナツに視線を落とすと、動かなかった。

 手のひらが、いつの間にか少し汗ばんでいた。

 手元のドーナツに視線を向けると、小さく息をつく。


 ふいに服の袖が引かれた。

 未愛が、潤んだ瞳で私を見上げている。指先の震えが伝わって、喉が鳴った。


「ねえ、栞。ドーナツの……」

 

 未愛の潤んだ瞳が揺れる。

 ふと、その瞳の向こうに懐かしい光景がよぎった。

 ドーナツの穴から、こちらを覗く丸い未愛の目。


「あ、そういえば……」


 丸い未愛の瞳が大きく開き、袖を強く握りしめた。


 ――ドーナツの穴の向こうは、別の世界なんだよ。


 そう言って、にぃっと笑った幼少期の未愛。

 これが、未愛との出会いだった。


 「二人で、よくドーナツの穴を覗いていたよね」


 食べかけのドーナツを、そっと目に寄せる。

 むせ返るような甘い匂い。

 穴の向こうには、普段の未愛の部屋が広がっていた。


「……懐かしいね」


 ふっと袖が軽くなる。

 熱がゆっくりと離れていった。


 未愛も、同じようにドーナツを目に寄せる。

 ただぼんやりと、お互い歪な穴を覗いていた。


 ふと耳に視線を感じて、横を向く。

 思わず息をのんだ。


 ドーナツの窓のその奥。

 未愛が、腕をだらりと膝の上に下ろしていた。

 未愛の手の中のドーナツは消えている。

 ドーナツの欠片がひとつ、膝の上に転がっていた。


 熱をはらんだ瞳に、赤く染まった目元。

 ドーナツの甘い香りが鼻につく。

 胸の奥がざわつき、思わず指先に力が入る。


 ふと未愛の声が蘇った。


 ――大丈夫だって!もう必要ないし。

 

 はたりと手が止まった。吐きだした息が震える。

 消えたイルカのキーホルダーが、脳内で振り子のように揺れだした。


「栞……」


 苦し気な声が、胸を掻きむしる。

 耳の中に溶けた砂糖がべたつくように絡みつき、顔を歪ませた。

 未愛がゆっくり腰を上げる。


 じり、と未愛が膝をすって近づく度に、肩が強ばっていく。

 全身が床に絡めとられたように、動けない。ドーナツを握る手が汗ばんだ。

 未愛の唇が、ゆっくりと言葉を形作る。

 ぞわりとした感覚が、背中を駆け下りていく。


 怖い。

 この先を、知ってしまうのが。


 脳が、ゆっくりと言葉を理解していく。

 自分が求めていたはずなのに、耳をふさいでしまいたかった。


「栞、知ってるよね」

「……え?」


 未愛の指先が膝に触れ、爪が軽く引っ掻いた。


「カップケーキには、『あなたは特別な人』って意味があるってこと」

「ち、ちが……」


 冷や汗が背筋を流れ落ちる。

 肩にそっと添えられた反対の手。ドーナツ越しに、徐々に瞳が近づいていく。

 甘い息が口元にかかり、思わず体が後ずさる。

 受け入れてしまうのが、怖かった。


「栞……なんで」


 未愛の指先が滑り落ちる。触れられた膝が、じわりと熱を帯びた。


「なんで、逃げるの?」


 苦し気な未愛の声に、息が止まった。

 歪んだ笑顔をたたえた口元。肩が震える合間に、荒い息が漏れている。

 胸が締め付けられ、目を逸らしてしまった。

 しゃくりあげる音が、遠くから胸を突き刺すかのように聞こえた。

 伸ばしかけた指を、強く握る。


 ――ドーナツの意味は、『あなたを愛しています』


 脳裏に、未愛の姿がちらついて離れない。

 ドーナツの向こう。

 未愛の指先が、触れそうで触れない距離で揺れていた。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

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