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第3話 空から覗いていたもの

俺は――

あの“目”を見た。


「気のせい」じゃない。

「見間違い」でもない。


それは、空に開いた裂け目の奥にあった。

流れ落ちる黒い血の向こう側で、巨大で、動かず、異様なほど赤く――

そして、確かに俺を見ていた。


冷たい汗が背中を流れる。

身体が震える。寒いからじゃない。


理解してしまったからだ。

――あの目は、俺を見ている。


視線を逸らせなかった。

瞬きすら怖い。

目を閉じた瞬間、この世界が消えてしまいそうで。


次の瞬間、すべてが壊れた。


街が叫びで弾けた。

悲鳴が、リアレン中に連鎖する。


恐怖の叫びじゃない。

理性を失った、狂気の絶叫だ。


リアレンの市民たちは走った。

ぶつかり、転び、立ち上がり、また走る。


誰かは家族の名を呼び、

誰かは祈り、

誰かは、声が潰れるまで叫び続けた。


裂け目から――

“奴ら”が出てきた。


一体。

二体。

十体。

百体。


――悪魔だ。


異様に背が高く、細長い。

まるで肉体が不要だと言わんばかりの姿。


顔の代わりにあるのは、白っぽい仮面。

被っているのではない。

皮膚と一体化している。


滑らかで、引き延ばされたような形。

整いすぎていて、死んでいる。


目があるはずの場所には、黒い裂け目。

そこから滲み出すのは、煙でも影でもない。

粘ついた“闇”そのものだった。


口は不自然なほど大きく裂け、

黒い歯が並んでいる。

歯は――生きているように、微かに蠢いていた。


こいつらは、見ているんじゃない。

――選んでいる。


武器も異様だった。


刃こぼれした黒い大鎌のような剣。

先端が二股に分かれた槍。

黒曜石から削り出したような重い槌。


鎖を武器にする者もいた。

生き物のように蠢く鎖が、腕に絡みついている。


その光景を見て、父さんの言葉が脳裏をよぎる。


「対処できる悪魔もいる。

だが、思い出すことすら忌避される連中もいる」


こいつらは、普通の悪魔じゃない。


――虚無の守衛ガルド・オブ・ヴォイド

ルシフェル直属の精鋭部隊。


父さんが語っていた、その存在。


その合間を縫うように、

小さく歪んだ下位の悪魔たちが蠢いていた。


甲高く鳴き、這い回る。

名はスキット。

負傷者を喰らい、隠れた者を引きずり出す“掃除屋”。


……多すぎる。


多すぎる。


セリアが俺にしがみついた。

爪が食い込み、痛みが走る。


彼女は震えていた。

寒さじゃない。恐怖だ。


唇が動く。

何か言おうとしている。

でも、声が出ない。


恐怖が、叫びすら奪っていた。


セリアは、その場に崩れ落ちた。


「セリア!」


俺は彼女を抱き上げ、背中に担いだ。

軽い。

あまりにも軽すぎる。


腕が震え、

俺の服を掴む指が、最後の命綱みたいに強く絡みつく。


――走った。


背後では悲鳴。

骨の砕ける音。

破壊の連鎖。


虚無の守衛たちは、殺していない。

――遊んでいる。


一体は逃げる天使を捕まえ、

髪を掴んだまま、ゆっくりと喉を切り裂いた。

倒れるのを待つように。


別の一体は首を刎ね、

それを戦利品のように並べていた。


俺たちは近くの家に飛び込んだ。


……そして、止まった。


見てしまった。


悪魔が、噴水の頂上に立っていた。

まるで王座のように。


三メートル近い巨体。

黒い装甲のようなものが、肉体と融合している。


両手には、

天使の生首が二つ。


興味深そうに、眺めていた。


――血を飲んでいた。


ゆっくりと。

味わうように。


心臓が暴れる。

音が聞こえそうなほどだ。


家の中へ転がり込む。


狭く、息苦しい。

夕焼けの赤が、小さな窓から突き刺さる。


俺は壁際に座り込み、

セリアを抱き寄せた。


息すら、痛い。


セリアは葉のように震えている。


――そして、彼女は見てしまった。


窓越しに。

悪魔が、生首から血を“搾って”いるのを。


「……ぁ……」


小さな音。

ほとんど、聞こえない。


俺は跳ねた。


即座に、セリアの口を塞ぐ。

抱き締める。


彼女は暴れたが、押さえ込んだ。


……静寂。


一秒。

二秒。


息を吐いた。


間に合った。

大丈夫だ。

聞かれていない。


――その瞬間。


窓に、何かが当たった。


鈍く。

湿った音。


凍りつく。


次の衝撃は、もっと強い。


そして――

ガラスの外を、何かがゆっくりと滑り落ちた。


目を開ける前から、分かった。


生首だ。


二つ。


天使の頭が、窓に貼り付いていた。


歪んだ口。

虚ろな目。


血がガラスを伝って、垂れる。


俺は即座にセリアの目を覆い、

胸に押し付けた。


彼女が、震えた。


外から――

重く、確かな足音。


走りじゃない。

焦りもない。


……気づかれている。


次の瞬間、

水音がして――


悪魔の姿が、噴水の上から消えた。


見えなかった。

ただ――


さっきまで、そこにいたのに。

次の瞬間には、窓のすぐ外にいる。


近すぎる。


重い足取り。

一歩。

また一歩。


家に向かって――

……止まった。


首が、ゆっくりと回る。


その視線の先に――


少女がいた。


十歳か、十一歳。

白に近い金髪。

埃と血で汚れている。


崩れた家の前で、

必死に老婆の腕を引いていた。


脚が瓦礫に挟まっている。

指が震えている。

叫びを噛み殺している。


「……ミライ……」

掠れた声。

「……逃げて……お願い……」


老婆は震える手で、少女を突き放そうとする。


「行きなさい……」

涙が零れる。

「見ないで……私を……」


「いやっ!」

少女は泣きながら瓦礫にしがみつき、

手を切りながら叫んだ。

「置いていかない! 一緒に行く!」


動かない。

血が埃と混ざる。


――悪魔が、笑った。


ゆっくりと。


遊び方を、もう決めた顔だ。


仮面の隙間から、闇が漏れる。

歯が覗く。


俺の中で、何かが壊れた。


息ができない。


悪魔が歩く。

一歩。

また一歩。


心臓が、殴られる。


動け。

止めろ。


……身体が、言うことを聞かない。


足が床に縫い付けられたみたいだ。

手が震える。


――見るな。

――見るな。


無理だった。


俺は振り返り、セリアを抱えて押し込む。


「……頼む……」

囁く。

「ここにいて。静かに。すぐ戻る」


離れようとした瞬間――

彼女が、俺の手を掴んだ。


強く。

必死に。


さっきまで動けなかったとは思えないほど。


「……お願い……」

泣き声。

「行かないで……」


俺は彼女を抱き締め、

額に口づけた。


「ここにいろ。俺が……止めてくる」


彼女は手を離さない。


「約束……」

「約束して……」


俺は目を見た。


恐怖。

希望。

理解。


――俺が、怖がっていることも。


「約束だ」


指が、ほどけた。


振り返る。


悪魔は、もうそこにいる。


「ミライ!! 逃げなさい!!」


老婆が叫ぶ。


必死に突き放す。


「死なせない!!」

少女が泣き叫ぶ。


悪魔が剣を構える。


黒い刃を地面に擦る。


甲高い音。


仮面に滴る、古い血。


老婆が手を上げる。


「……行きなさい……」


水が集まる。


歪んだ、ガラスの花。

中心に、槍。


蒼裂蓮華ラズリ・ロトス》。


放たれる。


――だが。


悪魔は片手で弾いた。


水が爆ぜる。


老婆が絶叫する。


攻撃は続く。

弱く。

意味を失って。


悪魔は近づく。


三メートルの影。


少女が、固まる。


左腕が、上がる。


――その瞬間。


俺は、跳んだ。


世界が消える。


恐怖も、怒りも、全部――


脚に込めた。


衝撃。


空気が弾ける。


悪魔が吹き飛び、壁を破壊する。


俺は着地した。


前に立つ。


膝を落とす。


力を集める。


震える。

乱れる。


でも――応える。


逃げたい。

無理だと叫ぶ。


それでも。


俺が退けば、死ぬ。


歯を食いしばる。


「……来い」


瓦礫の中で、

悪魔が立ち上がる。


――そして、笑った。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。次の話は、2〜3日以内に更新予定です。

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