第1話 戦争の十年前――
戦争が始まる十年前。
俺は、まだ十二歳だった。
また、太陽に起こされた。
目が覚めた、という感覚はなかった。
ただ、やけに明るくなっただけだ。
木の板の隙間から差し込んだ光が、狙ったみたいに俺の顔を照らしてくる。
「……マジかよ……」
そう呟いて、俺は寝返りを打った。
けど、無駄だった。
手足はだらしなく投げ出され、布団はどこかへ行っている。
たぶん、夜中にまた蹴飛ばしたんだろう。
いつものことだ。
手で顔を隠そうとしたけど、光は強すぎた。
なんで、毎朝こんなに眩しいんだよ。
壁を葉っぱで塞ごうとしたこともあった。
大きくて、幅の広い葉を、自分で取ってきて、上まで運んで、無理やり固定した。
でも、すぐに乾いて、崩れて、落ちていった。
太陽は、結局いつも通り入り込んでくる。
家が――高すぎるからだ。
俺が住んでいるのは、木の上の家だった。
普通の木じゃない。
一本だけ立っている、巨大な木だ。
周りには、何もない。
村もない。
道もない。
他の家もない。
地平線まで続く、何もない草原と、
その真ん中に立つ、たった一本の木。
あまりにも大きくて、
その木のそばにあるものは、全部作り物みたいに見えた。
幹は、俺が知っているどんな家よりも太く、
枝は空の方まで伸びていて、
時々、本当に空を支えているんじゃないかと思うことがある。
ここにいるのは、俺と父だけだ。
俺と、父と、
そして、この木。
それだけ。
家自体は広かった。
二人で住むには、広すぎるくらいだ。
風が吹くと、
誰もいない部屋を通り抜けて、
知らない誰かが歩いているみたいな音がする。
俺は体を起こして、あくびをした。
くすんだガラスに映った自分を見る。
痩せた体。
ぐちゃぐちゃの茶色い髪。
眠気の抜けない、青い目。
十二歳。
……正直、もっと大人な気がする時もある。
たぶん、父のせいだ。
「ミレム!!」
突然、怒鳴り声が響いた。
「今行く!!」
慌てて立ち上がる。
灰色の上着を着る。
見た目なんて気にしていない、ゴワゴワしたやつだ。
同じようにくたびれたズボン。
それから、いつもの長いマフラーを首に巻く。
俺は家の端まで走って――
そのまま、飛び降りた。
風が顔に当たる。
枝が一気に流れていく。
胃がキュッと縮むけど、もう慣れた。
(……今度は、何だよ)
地面に強く着地して、転がった瞬間。
バシッ。
「痛っ!」
「また飛び降りたな」
父の声だった。
顔を上げる。
そこに立っていたのは、俺の父――アグレイン。
背が高く、肩幅が広い。
体は傷だらけで、特に腕には、まともな皮膚がほとんど残っていない。
短く切った黒髪。
無表情で、鋭い顔。
そして――黒い目。
感情が読めないほど、静かな目。
「梯子は飾りじゃない」
俺は上を見上げた。
家まで続く、気が遠くなるほど長い梯子。
「父さん……一日かかるぞ。
どれだけ長いか分かってるのか?」
「分かってる」
平然と、そう言った。
「速さと持久力の訓練だ。
見て、覚えろ」
父は梯子に手をかけて――
次の瞬間には、もう上にいた。
「はぁ!?」
「なんでだよ!!
じゃあ、最初から飛び降りさせるなよ!!」
返事はない。
俺は歯を食いしばって、登り始めた。
最初は段数を数えていた。
そのうち、やめた。
次は時間を数えた。
それも、やめた。
頂上に辿り着いた時、
三十時間が経っていた。
俺は膝から崩れ落ちた。
息ができない。
体中が痛い。
目が熱い。
「……父さん……
俺……あんたが……嫌いだ……」
父は、笑った。
まるで、ずっと待っていただけみたいに。
俺はふらつきながら近づく。
「コツン」
額に、軽くデコピン。
「いってぇ!」
その瞬間、父の表情が変わった。
何も言わず、ナイフを取り出し――
自分の腕を切った。
血が、一気に流れ出す。
「な、何してんだよ!!」
俺は慌てて駆け寄る。
「やめろよ!
なんでそんなこと――!」
血は、温かかった。
地面に落ちる音が、やけに大きく聞こえる。
俺は両手を突き出した。
(治癒……!)
目を閉じて、集中する。
治癒魔法は、俺が一番苦手な魔法だった。
何度練習しても、言うことを聞かない。
力は、ある。
それは分かる。
でも――外に出てこない。
手のひらから、淡い光が漏れた。
弱くて、頼りない、
濁った青色。
水面に映る光みたいに、揺れて、途切れそうになる。
「頼む……!」
光は強くなったり、弱くなったり。
手が震える。
魔法が、傷に届かない。
血は、止まらない。
「違う……今じゃない……」
視界が滲んだ。
その時――
父が、小さく笑った。
次の瞬間、
短く、鋭い魔力の揺れを感じた。
速すぎて、
何が起きたのか、分からなかった。
父は、もう片方の手で、
何でもないように、傷の上をなぞった。
詠唱もない。
動作もない。
濃く圧縮された、ほとんど無色の光が、一瞬だけ閃く。
それで――終わりだ。
俺の魔法は消え、
傷は――消えていた。
治った、じゃない。
最初から、無かったみたいに。
「……え?」
理解が追いつかない。
俺は膝をついて、荒く息をした。
父が肩に手を置く。
「ミレム。
お前は、まだ弱い」
一瞬だけ、
父の目が、ひどく疲れた色をした。
でも、すぐに元に戻る。
「鍛えろ。
力も、体も」
「妹を守りたいならな」
俺は仰向けに倒れた。
「……なんで、こんなことするんだよ……」
「この世界じゃ、力が全てだからだ」
父は笑って、外套を羽織る。
「地下に行く。用事だ」
「どこ行くんだよ……」
「休んでろ。
それから――首都リアレンに行け」
「妹、会いたがってる」
「遠いぞ……」
「怠けるな。
忘れられるぞ」
父は、あっという間に梯子を降りていった。
俺は、一人になった。
草原を風が渡り、
草が囁くように揺れる。
空を見上げる。
夕日が沈みかけていた。
でも――
その色は、普通じゃなかった。
空が、血の色に染まっていく。
重く、濃く、
嫌な赤。
胸の奥が、ざわついた。
理由は分からない。
何も起きていない。
それでも――
嫌な予感がした。
恐怖じゃない。
もっと、漠然としたもの。
俺は拳を握り、息を吐く。
「……行くか」
最後に、
木の上の家を見上げる。
俺の全部だった場所。
それから、振り返って――
首都へ向かって、歩き出した。
次の話は、2〜3日後に更新する予定です。
読んでくださって、ありがとうございます。
ずっと書きたいと思っていた物語で、
自信がなくて、2年ほど書き出せずにいました。
こうして公開できて、本当に嬉しいです。
これからも、ゆっくりですが続けていきますので、
よかったら、また読んでいただけると嬉しいです。




